2005/10/20(木)08:48
「足るを知る」という事を、教えてくれる「モノ」
非常に嬉しいものを頂きました。\(^o^)/
前から欲しいなあと思っていたのですが、作ってもらったら20万ぐらいはするんではないかというシロモノ。
皆さんはこれを見たことがありますか?
これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。
この置物にはこういう物語があるのです。
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中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。
孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。
それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。
御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。
そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」
虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る
何事も「足るを知る」という事ではないだろうか。広く世の中を見てもそうだが、「足るを知る」という事を自分自身の心の中にもてない人というものの欲望は際限がない。
欲望と言うものは時に本人の中では、「成功の目標」や「成長の目標」である場合がある。それ自体は何の問題もないのだが、(正しいものであるのに)この「足るを知る」という事を心に養っていないが故に、失敗してしまう。時にはすべてを失ってしまうものである。
夫婦、男女の恋人同士や、職場の人間関係などすべてにそれはあてはまる。
「相手がもっとこうあってくれたらよいのに」と思う気持ち。「何でこんな風にしてくれないのか」などという気持ちは、同じような事かもしれない。
他人の欠点を指摘し批判する事はたやすい。
それよりも、「他人の欠点我これを補充する」のこころで接してやる事ができれば、どんな人間関係も結果温かいものとなるのだ。