マクラーレンに行くしかなかったアロンソ
今日何気なしにF速のヨーロッパGP号を読んでいたら面白い記事を見つけました。
アロンソのインタビューなんですけれど今読み返すと色々と興味深い言葉が並んでます。
インタビュー時期はサンマリノGP後。マクラーレン移籍について彼は
なぜ、チームを離れる決意を?
チームの雰囲気以上に、僕自身の将来の方が大切だからだよ!1年だけの契約でルノーに残ることはできなかった・・・3~4年単位の新しい挑戦が必要だったんだ。
マクラーレンは今も問題を抱え、ルノーは今年も強い。将来が心配では?
自分にとって、ルノーと過ごす時期はもう終ったと考えたんだ。ルノーではF1ドライバーとして最初の時期を過ごし、自分の力を確認することができた。僕たちは一緒に成長し、色々な経験を分かち合ってきた。でも僕は今までとは違うチャレンジを求めた。そうしないと、モチベーションを維持することができないと感じたんだ。
マクラレーンには輝かしい将来があり、ルノーにはそれがないと?
当時、僕が知っていた範囲では、そういうことだった。僕は、リスクを冒す質じゃない。今になれば、僕の選択は不思議に見えるかもしれないけど、F1ではどんどん状況が変わっていくから・・・マクラーレンは1年限りではない、中期的な展望と技術的な保証をオファーしてくれた。ルノーに確信がなかった以上、僕は続けることも待つこともできなかった・・・だから違う選択をしたんだ。
いつかはフェラーリ?
正直に、そうは思わない。ルノーとの契約が2006年で満了することは彼らも知っていた。でも、誰も何もオファーしてこなかったし、質問さえひとつもなかった。フェラーリには、僕を走らせるつもりはないということだよ。マクラーレンで3~4年過したあとにも、彼らの考えが変わるとは思わない。だから、僕から彼等にアプローチする理由もない。いずれにしても、僕は"フェラーリがいちばん"と考えるドライバーじゃないんだ。僕が優先するのは、勝てるチームだ。
つまりルノー離脱の理由はチームの長期的な参戦計画がハッキリしていなかったのと
時期を同じくしてマクラーレンからの誘いがあった事が直接の原因だと。
ルノーは当時ゴーン体制に移行していつF1を撤退してもおかしくない雰囲気でした。
ですからフラビオも彼に複数年契約を提示することが出来ず、
結果彼を失うことになってしまいました。
つまり彼はチームに不満はあってもフラビオには何の不服も不満もなかったのでしょう。
ここ最近のアロンソとフラビオの心中覚悟のFIA批判にも納得です。
未だに彼等は相思相愛なのですから(たとえがキモイが)。
続くフェラーリについての発言は単に自分に声をかけてこなかったことへの不満です(笑。
言い変えればフェラーリが何故自分にアプローチしてこなかったのか?と
しかしその頃には既にフェラーリはキミと仮契約を結んでいたのですから
彼を起用することは有り得ません。って今だからわかる事ですけれど・・・
案外アロンソはフェラーリに乗りたかったのかも知れません。
ここ最近の度を越したフェラーリ批判の原因は可愛さ余って憎さ百倍って感じなのかも?(^ ^;
先の見えないルノーに、自分には振り向いてくれないフェラーリ。
よってアロンソは選択の余地無くマクレーレンに移籍したことになります。
そして、ちょっと視点をズラすとフラビオはアロンソがマクラーレンに移籍した時点で
キミとフェラーリの密約に気付いていたのかもしれません。
つまりキミ獲得の噂は実は単なるフラビオのルノーに対するフェイクでしかなく
フラビオは当初からヘイキ起用を決断していたのでは?と思えます(フィジコ残留は妥協案でしかない)。
そしてシューミに対しては・・・
ライバルに関して、自分が相手を選べるなら、誰を選びたいですか?
シューマッハーだよ!絶対にね。
どうして?
彼は絶対に諦めないし、どんな状況でもチャンスがあれば必ずものにする。偉大なプロだと思うし、僕たちの間には大きな敬意がある。彼とのバトルが容易でないことは分ってるけど、とてもフェアだ。おまけに・・・彼はシューマッハーだからね!
つまり?
世界で一番有名な、いちばん認められたドライバーだってことだよ。ヨーロッパだけじゃなくて、世界中どこに行っても彼の名前は知られてる。中国だってアフリカだって南米だって、太平洋の島だって・・・。F1に興味のある人間以外は、誰も僕を知らないから。それに、F1にやって来るまでは僕の憧れだったんだ。彼と対決できることを夢見てた。だから、シューマッハーを倒すってことは、ライコネンやバトンを倒すってことよりも、すごく大きなことなんだ。
そして先日この青年は同じ質問に対し
ミハエルはこれまでで最もスポーツマンらしくないF1ドライバーだったね。ジダンの方がシューマッハよりも華々しく引退したよ。でもそれが、彼が最高のドライバーではなかったという意味ではない。彼と戦えたのは光栄だったし、喜びだった。
この5ヶ月間に彼を襲った想像を絶する多くの出来事がこの言葉を吐かせてしまったのでしょう。
そしてイタリアGP号のフラビオのインタビュー。
ヘイキの名は出てもフィジコの名前が全く出なかったことに少し驚き、そしてやっぱり・・・と。
つくづく不憫なフィジコだ・・・。
でもこのインタビューはかなり興味深いので是非一読を。
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