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書と育児と時々妻

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2025年05月04日
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カテゴリ:日記
会津若松市役所近くにある複合学習施設の稽古堂から、神明通りに抜ける小道がある

その小道は、以前は草の生えた土道だった気がするが、いつのまにか石目調の舗装がされている
塀も新調されている




人通りもさほど多くはない、車も通れないこの小道をここまで整えさせたのは、会津にゆかりのある重要人物のためだろう

戦国武将、蒲生氏郷

信長や秀吉に仕え、1590年、東北防衛の要として会津に入る。会津若松城(鶴ヶ城)の築城や城下町の整備、漆器など地場産業の振興に尽力

文武両道で、茶など文化にも通じており、千利休の弟子でもあった

そのお墓がここ会津若松市の中心部の脇道にひっそりと佇んでいる









現代においても、文に優れた者は多い。武に優れた者も沢山いる。しかし、文武双方に秀でた者は少ない。さらに、人格まで備わった者は稀有の存在である

おそらくその希少性は、現代も戦国の世もさほど違わないのではないか

蒲生氏郷はその稀有な存在だった

現代だと誰に相当するだろうか
浮かんでくるのは2名

1名は、元内閣総理大臣、野田佳彦
武道有段者である彼は落ち着きがあり、戦国大名の雰囲気がある

もう1名は、線が細くメガネをかけているため分かりにくいが、現福島県知事、内堀雅雄
抜群に頭脳明晰で、合気道有段者であり、比類なき人格を備えている




小道を抜けると、神明通りに出る
昭和には人で溢れていた会津若松のメインストリートは、他の地方都市同様、今は閑散としている

500年前、会津発展の礎を築いた知将は、少子高齢で衰退する現代の会津若松をどう見るか



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最終更新日  2025年05月09日 20時43分02秒
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