すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

2016/05/08(日)13:14

あの頃は、勤労青年たちにおんぶにだっこ状態だったのか?教会の収入について考える。(統一教会見聞録)

教会のこと(253)

私が見聞してきたことから推測してみる。 教会の収入部分についてだ。 ある地方の教区での話。 名簿上約500家庭の教勢だが、礼拝に参加する人たちは、約200名程度だったように思う。 これは、あくまでも教区の収入ではなく、教会の収入分です。 礼拝献金は、1回の礼拝で、だいたい、10万から15万程度だったように思う。 1ヶ月…50万程度。(これは、ちょっと多すぎかな) 1/10の月例献金をする人たちは、主に勤労青年たち。献身者たち。 とは言っても、献身者の月例献金などは、ほんのわずかだ。 わずかな額を月例献金にあてる人たちは、ご主人が反対している婦人たち。 祝福家庭と言われる人たちの月例献金は、さまざまだ。 自分たちの考えに基づいて、1/10をする人もいれば、3000円程度を献金する人もいる。 月例献金…280万~300万程度。(この程度かな。) 勤労青年80人×2万5000円=200万円くらいかな。 そして、教育段階の青年たちにも、1/10の月例献金をお願いしていた。 この当時は、かなりの部分を勤労青年に頼っていたことがわかる。 また、教会の収支が赤字になれば、教区から借り入れをして補てんしていましたね。 まあ、これも経理部長が同一人物だから可能なんだろう。 この時代、月例献金だけなら、もっと集めることができたであろう。 常に、特別献金がつきまとい、清平しかり、宣教地しかりと… あっ。一和基金ってのもあったなあ。 一年間に人参茶4本を購入して、毎月、1万4000円程度(金額は、不確か、すみません。)支払っていたように思う。 これが、教区のお店を支える原資になったはずだ。 つづく。

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