2016/05/08(日)13:14
あの頃は、勤労青年たちにおんぶにだっこ状態だったのか?教会の収入について考える。(統一教会見聞録)
私が見聞してきたことから推測してみる。
教会の収入部分についてだ。
ある地方の教区での話。
名簿上約500家庭の教勢だが、礼拝に参加する人たちは、約200名程度だったように思う。
これは、あくまでも教区の収入ではなく、教会の収入分です。
礼拝献金は、1回の礼拝で、だいたい、10万から15万程度だったように思う。
1ヶ月…50万程度。(これは、ちょっと多すぎかな)
1/10の月例献金をする人たちは、主に勤労青年たち。献身者たち。
とは言っても、献身者の月例献金などは、ほんのわずかだ。
わずかな額を月例献金にあてる人たちは、ご主人が反対している婦人たち。
祝福家庭と言われる人たちの月例献金は、さまざまだ。
自分たちの考えに基づいて、1/10をする人もいれば、3000円程度を献金する人もいる。
月例献金…280万~300万程度。(この程度かな。)
勤労青年80人×2万5000円=200万円くらいかな。
そして、教育段階の青年たちにも、1/10の月例献金をお願いしていた。
この当時は、かなりの部分を勤労青年に頼っていたことがわかる。
また、教会の収支が赤字になれば、教区から借り入れをして補てんしていましたね。
まあ、これも経理部長が同一人物だから可能なんだろう。
この時代、月例献金だけなら、もっと集めることができたであろう。
常に、特別献金がつきまとい、清平しかり、宣教地しかりと…
あっ。一和基金ってのもあったなあ。
一年間に人参茶4本を購入して、毎月、1万4000円程度(金額は、不確か、すみません。)支払っていたように思う。
これが、教区のお店を支える原資になったはずだ。
つづく。