山口県出身の総理大臣たち。(ただし、僕は、菅直人は認めていません。)
あるブログのデタラメさが異常なので、ここに、山口県から出た、歴代総理を記しておこうと思う。伊藤博文公は、光市になっているが、これは平成の大合併によって、そのようになった。もともとは、大和町だ。さて、”田布施”だが・・・このあたりの歴代の議員さんには、安倍さんの弟の岸さんをはじめ、昔は、佐藤栄作さんや岸信介さんがいる。佐藤信二さんもいる。それにしても、萩市出身が多いね。まあ、当たり前か~。田布施は、二人だけね。それも兄弟だからね。 ↓↓↓ http://www7a.biglobe.ne.jp/~yuji-tabisaki/1.5yamaguchi.htm 山口県でランキングを語るならば、なんといっても総理大臣の輩出数だろう。 初代伊藤博文をはじめ計8人が歴任し、8人合わせた在任期間はなんと36年。 (2013年8月現在)。 多く輩出した理由は、明治維新の中心となり支えたのが山口県(長州藩)人であり、 維新後の政界に多く出世していったことによるものでしょう。そういった歴史的背景もあってか、県民性で昔は「日本の政治は山口県人が引っぱってきたんだ」というプライドの高さも伺えました。 最近はそんなこともないんでしょうけどね。伊藤博文(1841~1909)-光市出身ー吉田松陰の松下村塾の門下生であり、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎らと尊王攘夷・倒幕運動に参加。 明治維新後は初代内閣総理大臣を務め、第5代・7代・10代と通算4度も総理大臣に就任し、大日本帝国憲法の草起・制定の中心的役割を果たしました。 1863年に長州ファイブとして英国留学をした際に英語を覚えており、この「英語力」が総理大臣就任への決定的な要因でした。なお、初代総理大臣就任時は44歳という若さであり、2012年現在の歴代総理大臣の中で最も若くして就任した人物です。 在職通算日数は2,720日でした。山県有朋(1838~1922)ー萩市出身ー伊藤博文と同じく松下村塾門下生の一人で、文久3年(1863年)に高杉晋作が創設した奇兵隊に参加。その後頭角を現し、奇兵隊の軍監となります。 明治新政府では軍政家として手腕をふるい、日本陸軍の基礎を築いて軍国の父とも称されるようになりました。第3・9代の内閣総理大臣に就任しています。 在職通算日数は1,210日でした。桂太郎(1847~1914)ー萩市出身ー2012年現在の歴代総理大臣の中で、通算在職日数が最も長いのが桂太郎です。第11・13・15代を務めました。 在任中には日英同盟や日露戦争勝利といった大きな実績を残しています。たえず惜しみなく笑顔を作りながら相手の肩を叩いて好感度を演出することから、 「ニコポン首相」のニックネームもつけられている。 在職通算日数は2,886日でした。ー桂太郎旧宅ー寺内正毅(1852~1919)-山口市出身ー第3代韓国統監を務めた後に初代朝鮮総督に就任し、総督としての功績が認められ、 第18代内閣総理大臣に就任。 在籍通算日数は721日でした。田中義一(1863~1929)ー萩市出身ー昭和2年に第26代内閣総理大臣に就任。 翌年2月に普通選挙による初めての総選挙を実施しました。 在職通算日数は805日でした。岸信介(1896~1987)ー田布施町出身ー第57・58代の内閣総理大臣に就任し、 26ヶ国を訪問するなど積極的に首脳外交を行いました。また、日米安全保障条約の改定に取り組み、昭和35年に新条約を締結しました。 在職通算日数は1,241日でした。佐藤栄作(1901~1975)ー田布施町出身ー岸信介の弟で、第61・62・63代内閣総理大臣に就任することにより、 日本で唯一の兄弟首相の誕生となりました。 在任中にアメリカに占領されていた沖縄返還の実現や、非核三原則の制定など多くの実績を残しました。 昭和49年に日本人初となるノーベル平和賞を受賞。 通算在職日数は桂太郎に譲るものの、連続在職日数は佐藤栄作が歴代1位です。 通算在職日数は2,793日でした。安倍晋三(1954~)ー長門市ー戦後最年少で戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣(第90代)に就任したのが安倍晋三です。在任中は「美しい国づくり」プロジェクトに力を注ぎました。 父は政治家の安倍晋太郎であり、祖父には岸信介、大叔父には佐藤栄作がいる政治家一族としても知られています。 出生地は東京ですが、本籍・選挙区は長門市です。 通算在職日数は366日でした。 2012年12月、再就任し第96第内閣総理大臣となりました。