リハビリ病院の夏の音楽会
ふと思い出したので忘れないように書いておきます。母がリハビリ病院に入院して1ヶ月位だったので8月位だったと思います。ある日、看護師さんから、患者さん達のための楽しい会があるので出来たら参加してくださいね、とお誘いがありました。母は当時朦朧としていることが多く、こちらが話しかけた内容が理解出来ているか良くわからない状態でした。食事はクリーム状のものがやっと食べられるようになっていましたが、自分で座ることも寝返りも出来ず、三角クッションを数十分ごとに差し替えていて移動で車椅子に座ってもらってもぐったりしています。これからどうなるのか、どうしたらいいのか毎日何度も何度も考えて、精一杯の状況でした。そこに、会の名前はわすれてしまいましたがお楽しみ会の話です。よくわからずに、詳細を聞くと、病室からすぐの廊下の横にあるフリースペースで皆で歌を歌ったり、楽器が演奏できる人は演奏したり楽しい会なのでぜひ参加してくださいとのことです。でも、母は歌を歌うどころか、言葉も発せないし、音楽だってわかっているのかもわからなので母の状態でも参加できるんでしょうか?と聞きました。すると、聴くだけでもいいんですよ、とのことで、どういう形態なのか、どういう会なのかもよくわからずその時間、車椅子を押して皆が歌っているところに行きました。皆楽しそうに歌を歌ったり誰かがピアノを演奏したり、皆で鈴(カラオケにあるような)を振ったり楽しそうにしていましたが、母はぐったりして、皆が歌をうたっていることもわからないようでした。手に鈴をもってもらって(私の手で押さえて)母の手を動かして鈴を振ったりしましたが、鈴自体が重く感じたようで、腕で動かせませんでした。母は3ヶ月間経鼻栄養だけで、食事をしていなかったので筋肉も脂肪も落ちて痩せてしまっていたので鈴を振ることも難しかったのだと思います。ぐったりしているのに鈴を振らせるのはつらそうでほんの少し振って、あとはその場にただいましたが、他の方は車椅子でも、しっかりしてお元気そうで、あ~脳梗塞と言っても、車椅子と言っても全然違うんだなあと、他の方達との距離を感じました。歌を歌える方や、自分で車椅子を動かせる方がどんなにお元気に見えたか。しっかりした意識がある方が、別世界の人のようでした。その会に参加した日、これは母にとって役に立つ、楽しい会ではなかった、と思いましたけど、そして毎日があまりにも忙しくてその会のことを後で考える暇はありませんでしたけど、今思えば母は朦朧としても音楽がわかっていたのだろうな何らかの良い刺激になったのだろうなほんのわずかでも良い刺激があるのはないより幸せだな参加して良かったなと思います。リハビリ病院には4ヶ月ほどいましたが、その会はその時だけでした。あれは何の会だったのか。七夕と言っていたような気がするけど七夕よりあとの時期だし、旧暦の七夕なのか、お盆の会だったのか。当時は仕事をしながら、退社後リハビリ病院に向かい、消灯時まで自己リハビリをして、10時位に帰宅で、毎日いろんな事を考えたり検索したりしてあまりにも情報がありすぎて忘れていました。あの時は全く検討もつかなかったけど、母がとりあえず意識を戻して少し会話も出来て良かったなあと思います。たった3年で亡くなってしまうとは思わなくて今も諦めきれないし、母がいないことがよくわからないんですけど一緒に頑張ってくれてありがたかったなと思います。だからきっと今も一緒にいてくれると思ってどうにかやっていっています。今日は7月のお盆の明けです。きっと来てくれたと思います。って、いつも一緒にいると思っているのに、お盆の時は来てくれるってつじつま合わないけど、私にはわからない世界だからきっと両方ありなのかもしれないです。いつも大事に思っているご先祖様達、父方の祖父母、曾祖父母、母方の祖父母、曾祖父母、父母、叔父叔母達、どうぞ幸せでいてもらえますように。そしていつも一緒にいてね。下:リハビリ病院退院後、自宅介護になり自主リハビリをいろいろ工夫して続けました。毎晩、寝る前に布団の中で体を起こし歌を8曲歌っていて、私が腕を持って動かしながら歌に合わせた簡単体操もしていました。これは滑舌や嚥下訓練にもなって効果的だったと思います。画像をクリックすると詳細が見られます。