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帰り道。
鋼鉄一枚を隔てた先で今まで命であったものが切裂かれ、もしくは踏み砕かれてばらばらになり消えていった。 鋼鉄の上では、変わらず…いや、むしろそのことに対して広がる話題。 恐怖や悲鳴などでなく、そこにあるのは純粋過ぎるほどの好奇心。 今こんなことに遭遇したんだけど… え、どうなんってんのか見れないかな? 悼む言葉も何もなく、まるで何事もないように、しいていえば、話のネタが見つかったくらいにしか変わらない世界。 ある人は大笑いし、ある人は電車の遅れに苛立ち。 なんて、軽いものだろう。 命なんて。 一瞬で消えて…関係のない人間にとっては、本当にどうでもよくて。 日常で、「死ねよ」だの「死にたい」だのが飛び交うのに嫌気が差していたけど、そんなの飛び交って当たり前だった。 いつどの瞬間にも目の前に死はある。 どうしようもないほどの虚無感が、体のすべてを吸い込んでいくようで。 どうしようもない吐き気に襲われて。 いろいろ考えた。 今すぐそばで人が死んでも、関係のない世界の、色彩の欠けた軽薄さ。 その中にいる自分への不可解。 人の命の軽さ。 それはモノと同じ程度でしかなく。 それを重くできるのは人とのつながりのみ。 つながりを持てば、その相手の中で命は重みを増していく。。 あの場にいた人すべてが、簡単に笑って済ませるような程度にしか思っていたとは思わない。 そして、悲しみを抱えることが正しいとも、押し付けることが正しいとも思わない。 そもそも、まったく無関係の人間なんていつどこでも死んでいる。 それを一人分知っただけで悲しむだけでどうかしている。 ただ、当たり前にある死への恐怖、空虚、それを生めるために別な感情が欲しくて。 それじゃ足りなくて、周りにも悲しみを求め… 自分は悲しんでいると満たされる、自己満足 周りにも自分の正義を押し付けて正しさを証明しようとする欺瞞。 なんて薄っぺらなんだろう。 どういう反応が正しいかなんて、ないんだろう。 ただ・・・薄っぺらでも、何も考えないでいるよりは、いい。 そう判断した。 でも、容赦なく襲いかかるのは、すべての軽さ、醜さ。 今まで信じてこれたものが一瞬で崩壊していくような… 希望があるからこそ生まれる絶望… 希望には永遠はなく、絶望だけが永遠と無限の広さを持ちえる。 それが身にしみて、怖くて、思わず助けを求めた。 今までも、多少はつらくても、助けを求めないように・・・ 甘えないように、相手に背負わせないようにしていた、今回も、こんなことはなしてもつらいかもと思った・・・でも。 そんなこと関係なく、僕は楽になりたかった。 助けを求めないと、壊れてしまいそうで。 電話した。 いろいろ話した。 それだけで、なんだかすっきりした。。 最後には、笑えていた自分。 あっという間に、あのときの感情や出来事をおさえ、笑うことができる自分。 でも・・・ その自分を愚かだと思うより先に。 僕は、人とのつながりの大きさを、強く感じた。 ただ、気持ちを吐露し…それを受け止めてもらえるということが、どれだけ大きいのか。 人とのつながりが、どれだけ自分を強く…いや、自分が弱くても支えてくれるのか。 想いは多分、軽薄なんかじゃない。 少なくとも、こうして接点のある間に生まれる想いは、何であれ。 接点のないところの想いは…軽薄じゃなくて、そもそも想いが存在できないだけだと。 軽いんじゃなく、逆に、大きく重いものだからこそ… そういう風に現れるんだろう。 ただ、僕は認めたくない。 命って、あんな簡単に消えて良いもんじゃない。 少なくとも、その場に立ち会う人に、あんな風にしかみられない死に方があるなんて、嫌だ。 なぜ人は死に急ぐ? 死んだほうが楽だから? 死を決めるのは覚悟なんかじゃない、生きる覚悟を決められずにあきらめた先にある逃げ道でしかない。 どんなにつらくても、自分から死ぬなんて認めない。 どんなにつらくても、生きるためにがんばっている人が、どれだけいる? どれだけ生きたくても命がなくなってしまう人がどれだけいる? 名前もしらない、姿も見ていない、ただそこに在ったらしい命、そしてその消え方。 それを僕は憎む。 認めない、許せないものとして、覚えている、戒めとして。 哀れみも、同情もかける気はしない、遺族には失礼だろうし、冷たく響くかもしれない。 それでも僕は、何もおもわなかったりも、忘れたりもしない。 僕も、いつか死ぬだろう。 そのとき、同じように回りの人は無関心や好奇心しか持たなくても。 それでも、自ら命を絶ったりするもんか。 そして、繋がり有る人に絶たせたりするもんか。 死は、いつでもそこに有る。 目の前で繰り広げられただけで、当たり前のことだけど忘れがちなことをおもいださせ・・・重い気持ちにさせる。 生も、いつでもそこに有る。 有り方はさまざまだけど、輝きもさまざまだけど。 そして、生は当たり前ではないことだけれど。 ただ、生きて活きているその姿は、人の気持ちを明るくさせるだろう。 僕が最後まで選ぶのは… 後者でしか、ありえない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年07月31日 12時33分48秒
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