582058 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

PR

X

全1217件 (1217件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >

2021.11.28
XML
​​​​​​​ソンタルジャ「草原の河」元町映画館​​​

 「映画で旅する世界」の特集で見た2本目のチベット映画です。ソンタルジャというチベットの監督の「草原の河」という作品です。
 見終えて、邦題の「草原」はいらないと思いました。チベットとかモンゴルとの映画には「草原の」と枕詞をつけると・・・、という感じなのでしょうが、監督の原題が「河」とエンドロールで出てくるのを見ながら、「なんだかなあ」という気分になりました。​​

​ 5歳くらいでしょうか。上のポスターに後ろ姿で映っている少女、ヤンチェン・ラモちゃんのお母さんは、二人目の赤ちゃんを身ごもっています。ラモちゃんは、このところお母さんのおっぱいが恋しくてなりません。で、こうやって遠くの山を眺めていたりします。
​ お母さんは、畑に麦撒きをしながら「こうして土に埋めておけば春になったらたくさんの麦になるのよ。」ラモちゃんに教えます。それを聞いたラモちゃんは、大切はクマのぬいぐるみを、こっそり土に埋めて、たくさんのクマさんになるよう祈ります。

 ある日、オオカミがおうちの近所にやってきて、放牧しているヤギさんたちを襲います。で、子ヤギさんのお母さんが食べられててしまいました。残された子ヤギさんは、おうちの近くの柵の中で飼うことになりました。
 で、ラモちゃんは、一人ぼっちになってしまった子ヤギさんと仲良くなります。まだ、小さいラモちゃんですが、友だちになった子ヤギさんにおっぱいをあげたり、柵で囲ってオオカミから守ったり、一生懸命世話をします。なのに、父さんは、子ヤギさんを他のヤギさんたちの群れに追い返します。で、おおぜいの仲間についていけない子ヤギさんははぐれヤギになってしまい・・・・。

 チベットの草原の、厳しくも、豊かで美しい自然や、縺れたり、切れ切れになったり、もう一度結び直したりする家族の絆を5歳の少女の目を通して描いている映画でした。
 出会うと、すぐにいじめたりからかったりしてくる近所の男の子たちとか、大好きなおっぱいをラモちゃんから取り上げる原因らしい、お母さんのおなかの赤ちゃんのこととか、オジーちゃんのことをいつも悪く言いうお父さんとか、ラモちゃんにも悲しいことや辛いこと言はたくさんあります。

 中でも、お父さんラモちゃんをオートバイに乗せて、山で修行しているオジーちゃんの所に連れて行ってくれたときに、自分は会おうとしないばかりか、お母さんが用意してくれたお土産の麦こがしを捨ててしまったことを、お母さんには黙っているように言ったりするのはわけが分かりません。
 家族と別れ、河の向こうの山の洞窟に住んで、村の人たちからは「立派な行者」として尊敬されているオジーちゃんですが、お父さんは死にそうになっていたオバーちゃんに冷たかったオジーちゃんを許すことが出来ないらしいのです。
​​ まあ、こんなふうに書いていくと、延々と書くことがあるのですが、映画の終わりになって、そんなお父さんオジーちゃんのあいだに立ったラモちゃん「春になったら、お母さんの新しい赤ちゃんや、ぬいぐるみのクマさんの赤ちゃんたちが、みんな生まれてくるよ。」と、二人の仲直りをとりなすかのようなシーンの美しさは忘れられないシーンになりそうでした。
 ラモちゃんを演じたヤンチェン・ラモさんは上海の映画祭で主演女優賞をとったそうですが、さもありなんという存在感としぐさや表情でした。イヤ、ホント拍手!するしかないですね。
監督 ソンタルジャ
脚本 ソンタルジャ
撮影 ワン・モン
美術 タクツェ・トンドゥプ
音楽 ドゥッカル・ツェラン
エンドタイトル音楽  ダンゼン・チージャ

キャスト
ヤンチェン・ラモ(ヤンチェン・ラモ:少女)
ルンゼン・ドルマ(ルクドル:母)
グル・ツェテン(グル:父)
2015年・98分・G・中国 原題「河 Gtsngbo
20211101no102・元町映画館



​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​






最終更新日  2021.11.28 01:01:03
コメント(0) | コメントを書く


2021.11.27
​​ロベール・ブレッソン「やさしい女」KAVC​​
​​
 監督がロベール・ブレッソン、原作がドストエフスキー、この二つの条件で、見ないわけにはいかないという結論に達してやって来たKAVCでした。50年前の作品です。朝一番、の10時過ぎの上映という悪条件にもめげずやってきたのは、何かがよく分かることを求めてではありません。何しろ、ロベール・ブレッソンですから。薄暗い、モノクロの映像のなかのロバと少女の表情に、ある種呆然としながらも、なんだかよくわからいまま揺さぶられた相手です。どうせ、わからないに決まっています。だから、どうっだっていうのでしょう。​​

 今回はカラーでした。誰もいないベランダでテーブルが倒れ、白いショールが空中に舞うシーンで映画は始まりました。
 「死んでいないもの」という小説の題名がありましたが、最後のシーンまで繰り返し、その題名を思い浮かべていました。
​​​ 死んでしまった女(ドミニク・サンダ)について、残された男(ギイ・フライジャン)が、祈っているメイド(ジャン・ロブレ)に語り続ける作品でした。​​​
 男が語っている部屋の真ん中には、最初から最後まで、ベッドから足が少しはみ出している女が横たわっています。この、ベッドからはみ出ている足というのが気にかかりって、記憶に残りました。
 養老孟子「身体巡礼」(新潮文庫)で触れていますが、死者に対する人称ということを想起させる映画でした。
​ 死体に1人称はあり得ないが、2人称の「あなた」であるかぎり死者は死体になりきれない。ゆっくりと3人称、つまりは、未知の他人、ただの死体になってゆくという話です。2人称である限りにおいて、死者は「死んでいないもの」ということなのですが、この映画は男にとって女は3人称でしかありえないということを語っているように思えました。​
 映像はベッドに横たわっている「私の恋人」あるいは「妻」として、すなわち、2人称の存在として語り続けている男の記憶と、カメラだけが知っている一人の女の素顔の組み合わせなのですが、語り続ける男にとって女は永遠に「あの女」、3人称でしかありえない空虚な事実と、女が1人称として垣間見せる表情が謎のまま差し出されていることが印象深い作品でした。
​ 男の職業が質屋の鑑定士であることが、なかなか意味深だと思いましたが、ただただ「謎」として存在する女を演じた​ドミニク・サンダ​拍手!でした。ともかく、そこに映っている表情がなのでした。もっとも、この表情を撮ったというか、そのまま映し出した、いや、それ以上に、こんなふうに「女」を描いた監督ロベール・ブレッソン拍手!ですね。蛇足ですが、​​色がついても、ブレッソンブレッソンでした。​​
 やっぱり、というか、覚悟していた通りというか、何がなんだかよく分からない魅力的な映画でした(笑)。
監督 ロベール・ブレッソン
製作 マグ・ボダール
原作 フョードル・ドストエフスキー
撮影 ギスラン・クロケ
美術 ピエール・シャルボニエ
音楽 ジャン・ウィエネル
キャスト
ドミニク・サンダ
ギイ・フライジャン
ジャン・ロブレ
1969年・89分・フランス
原題「Une femme douce」
日本初公開:1986年3月29日
2021・11・23‐no113・KAVC
​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.27 11:10:51
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.26
​​​​​週刊 マンガ便 おぷうのきょうだい「俺 つしま 2」(小学館)​​

 「俺、つしま 2」(小学館)です。​
 新しい登場人物、いや、登場ネコ君はテルオしず子さんです。つしま君の放浪時代の友だちです。テルオの昔の名前はデニーロだそうです。飼い猫時代の思い出が彼にもありますが平和な暮らしを捨てて放浪しているタイプで、まあ、そういう顔しています。で、金網で捕獲されていってしまいます。
​ しず子さんは、どうもテルオの子供を妊娠したらしくて、やさぐれ会から姿を消しますが、テルオが捕まった後、クラウディアと名を変えて再登場します。
 これが再開のシーンなのですが、しず子さんが産んだ子供は、テルオと同じ白黒ですが、体格はつしま君と同じ、チョー・ビッグです。上の右のページで、今の飼い主のおねーさんに抱かれているのがしず子さんの子供です。​

 ウーン、どっちの子供だったのでしょうね。
 ネコの社会だけで出なく、人間の社会も描かれています。登場人物は、つしま君が暮らす家のおじいちゃん(♀)と、やさぐれ会のツキノワの飼い主になったよっちゃん以外にもお向かいの田中姉妹とか魚屋のオヤジとか、結構ユニークです。
 付録に絵葉書がついていましたが、せっかくなので切り取っていません。第3巻もあるようで、ちょっとやめられませんね。

​​

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.26 00:21:26
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.25
​​​​​​太田光海「カナルタ」元町映画館​​

​ ポスターに写っている男の様子を見て、こわごわ見た映画でした。裸で映っている男の彫りの深い顔を見ながら、南アメリカ、アマゾン流域、熱帯雨林、首狩り族、数え上げていくと、なんだかどきどきしました。​
​​​​​ イギリスの大学で「映像人類学」とかを学んでいる太田光海という若い人が、シュアムール族というエクアドルの首狩り族の末裔の村、ケンタイム村で1年間暮らして撮った作品だそうで「カナルタ」というドキュメンタリー映画でした。
 「カナルタ」というのは「螺旋状の夢」と副題されていますが、寝て夢を見たり、未来のビジョンを夢想したり​することを意味する、現地の言葉のようです。​​​​

​​ おそらく、キャッサバという芋だと思うのですが、湯掻いた材料をスリコギのような道具でマッシュポテト状につぶし、その作業をしている女性が、どうも、生のままのキャッサバ口に含んで細かく噛みつぶして、マッシュポテトにした材料に繰り返し吹きつけながら練り込んでいくと、だんだんと流動化していくシーンが映し続けられます。チチャという、所謂、「口噛み酒」造りのシーンが、映画のはじまりにありました。​​
​ まあ、甘酒でもそうですが、だんだん発酵して出来上がっていく様子の見かけは、とても、おいしそうとは言えないのですが、場面が変わって力仕事をしている男たちが、子供が遊びで使うプラスチックのバケツのおもちゃのような器にポリタンクから、このチチャというお酒をなみなみと注いで回し飲みしはじめるのを見て、あっけにとられました。​
​​ あっけにとられるシーンは、これだけではありませんでした。チラシの写真で、森の中に立っている男、セバスティアン・ツァマラインという名ですが、彼が、掌(てのひら)あたりの具合が悪いといって、アリの巣に両手を突っ込み、ひじから先に無数のアリがたかるシーン、山刀で大けがをしながら薬草でなおしてしまう様子、薬草を石でたたき、直接手で絞り、汁を集めるシーン。森のなかを歩きながら、何気ない心境を語るシーンや、気が向いたといって歌を歌うシーン。それから、彼の妻​パストーラ​​「大蛇の夢を見て、格闘したことの結果、村長になった。」​と語るシーンがあるのですが、その説明にも驚きました。​​
​ セバスチャンの怪我のシーンでは救急車を呼ぼうかという話も出てきますが、地理的にはかなり奥地だと思うのですが、「現代社会」が、すぐそこまでやってきている「アマゾンの奥地」という、不思議としか言いようのない、近くて遠い「距離感」のなかに映画はあります。
 うまく言えませんが、映画が映し撮っているのは文明からやってきた青年が面白がってカメラを向けると偶然映っていた未開の奥地という距離感ではありません。
 文明のすぐそばで、普通に暮らしている人たちがいて、​その生活を丁寧に撮っていると、とてつもない
「奥地」が映し撮られていたのではないかと感じさせるところがこの映画を見ながら「あっけにとられた」理由だと思います。
​​


 チラシの写真を見たときには、不気味な未開人に見えたセバスチャンでしたが、科学文明の打ち寄せる岸辺に暮らしながら、「未開」のビジョンを生きようとしているかにみえる彼は、科学文明のなかでビジョンを失ったように思える我々に、「人間の自然」のなかには、まだまだ開かれていない奥地が残っていることを指し示してくれた映画のように感じました。
 アマゾンの意固地なおっさんを辛抱強く撮り続けた
太田光海監督拍手!
監督 太田光海
撮影 太田光海
録音 太田光海
編集 太田光海
サウンド マーティン・サロモンセン
カラーグレーディング  アリーヌ・ビズ
キャスト
セバスティアン・ツァマライン
パストーラ・タンチーマ
2020年・121分・イギリス・日本合作
原題「Kanarta」
配給トケスタジオ
2021・11・23‐no114・元町映画館
​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

にほんブログ村 映画ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​​​​​
​​​​​

​​​​​​​​​​​​​​​
​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.25 01:34:20
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.24
​​​11月はお誕生日ラッシュ!徘徊2018年11月24日 西脇・谷川・伊丹 愉快な仲間の一族には11月1日日生まれのサカナクンに始まって11月生まれが4人もいて、最後が23日とか、22日とか説が二つあるジュンコオババです。オババチッチキ夫人の故郷、西脇市で一人暮らしです。二人で焼酎をぶら下げていくと機嫌よく酔っぱらって、人生を説いていたので、まあ、当分大丈夫のようですね。

​​​​​​​​​​ 翌日はすたれてしまった商店街を歩いて新西脇駅まで歩きました。写真は加古川杉原川が合流する地点にかかっている鉄橋です。晩秋の青空と光る川面というなかなかいい風情ですね。

 
 鉄橋を正面から撮るとこんな感じ。線路はJR加古川線です。


 新西脇の駅は、これ以上のわびしさはなかなかない風情で、なんと、トイレなどというものももちろんないようです。徘徊老人には、これが一番ヤバイ!のですが・・・・。​

 駅前の空き地、広場じゃないですね、空き地です、には夏みかんがたわわです。もうすぐ冬ですね。
 ここから丹波谷川まで行って、福知山線伊丹まで、そこから阪急経由三宮JR神戸線高速バスで自宅へというのが今日の徘徊計画です。
​ 谷川行の車内は「老人会」的混雑で、なんと、立ちっぱなしでした。もっとも車窓には「へそ公園」とか、円応教とか、運転手さんの後ろ立って、で、ちっとも飽きないまま加古川をさかのぼりって谷川駅到着です。

 もちろん、乗り換えの待ち時間はたっぷりあって駅の外へでました。そこはなんと、恐竜の町なのでした。
なかなか、素朴な恐竜のモニュメントがあって、「ありゃりゃこりゃなんじゃ。」

 写真にとってみると、なかなかの顔つきで、これが結構面白い。

 まあ、それにしても何にもない駅前で、目の前に山が見えるだけです。恐竜がでそうな雰囲気は別にないのですが、丹波は恐竜で持ち上がっているらしいですね。。
​ 駅待ちのタクシーの運転手さんは開けたドアの窓に足をかけて昼寝していて、とても客商売とは思えない優雅さです。途中で特急が停まったのですが、もちろん誰もおりては来ませんでした。​
 「ああ、そうやトイレやトイレ。」
​ 40分ほど待ってやってきたのは篠山口行各駅停車でした。各駅停車といってみたくなる風情の駅ですが、ホントはここは北播方面への乗換駅です。特急も停車します。​
 「オイオイ、ちゃんと連絡してんのか?まあ、ええけど、加古川と武庫川の分水嶺はどこやねん?まだ北に向かって流れとるやんなあ。」
 篠山口からは丹波路快速とかで、急に街の電車の雰囲気にかわりました。結局、河の流れがどこで変わったのかわからないまま、三田をすぎて宝塚、川を下るようにJR伊丹まですいすいでした。都会の電車は速いですね。(笑)

​ 今日の目的地の一つがこれでした。伊丹アイホール「青年団」公演ですね。
 ノンビリローカルを徘徊してきましたが一番混んでたのが、加古川線とはこれいかに?でしたね。しかし、まあ、乗り物徘徊も悪くない。​​​​​​​
​​

2018/11/24​​
​​​​

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.24 00:23:14
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:徘徊 西区あたり
​​​​​​​​​​​「こちらが本堂」 徘徊 2021年11月10日 太山寺あたり その3​


 奥の院をウロウロして、元の境内に帰ってきました。正面の建物が本堂なのですが、他の写真がピンボケで、これしかありません。実はこのお堂は国宝薬師如来さんがまつられているらしいのですが、近くから全景を撮るのを忘れました(笑)。​


 本堂のなかでも、パチパチ撮ったのですが、なぜかピンボケ。この廊下の写真だけです。本堂には薬師如来さんがいらっしゃるはずで、これも格子ごしに狙ったのですが、真っ黒でした。
 周りにはこんな建物もありました。護摩堂というらしいです。法隆寺の金堂のような感じですが、四角い建物でした。


 向こうに鐘撞堂も見えます。雨が降っていて屋根の下から撮っています。


 この左手が阿弥陀堂なのですが、建物の全景の写真を撮り忘れました。阿弥陀堂の廊下からの三重塔がかっこいいので忘れてしまったわけです。


​ 廂が写り込んでいますが、阿弥陀堂の廂です。なかなか渋い写真だと自画自賛です。で、廊下から阿弥陀堂のなかを格子ごしに覗いてパチリパチリとやってみると、奇跡が起こりました。​


 阿弥陀如来さんが写っていらっしゃったのでした。ちょっとすごいと思いませんか。
 まあ、これだけで、老人二人の再会も報われたというものではないでしょうか。日本語が少し変ですが、ご容赦ください。
 阿弥陀堂から御手水の所に戻ってきてパチリパチリしました。


​ 大きな石灯籠もありました。写真が大きのではなくて、灯籠がでかいのです(笑)。​


 ここからもう一度三重塔をパチリです。


 この後二人は、なんとつつじが丘の喫茶店にしけこんでおしゃべりしたのですが、まあ、そのあたりは割愛ということで、今回の「おひさしぶりの会」の報告はこの辺りで終わります。
 次回、このお寺に来るときは、もう少し、写真に根性を入れようと思った徘徊でした。

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​







​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.24 00:21:30
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.23
​​​週刊 マンガ便 おぷうのきょうだい「俺、つしま」(小学館)
 シマクマ君の家に、ネコはいません。同居人と暮らし始めて40年近くたちますが「人間の子供」、「文鳥」、「インコ」、「金魚」、「メダカ」以外は飼ったことがありません。県営住宅、市営住宅、公団住宅と住んできましたが、どこでもイヌ・ネコは飼育禁止でした。
 子供ころの記憶ではネコは家族でしたが、小学生ぐらいまでの事です。同居人の実家にはネコがいました。今はおばーちゃんが一人暮らしで、ネコは、もう、いません。
 シマクマ君がネコのことを気にかけるようになったのは、仕事をやめた頃、ベランダに迷い込んできた「ノラ」に出会ってからです。なんとなくベランダに上がり込んできた灰色系のキジネコ君だったのですが、まだ幼いようすのわりには、根性がすわっているというか、なかなかいい顔つきで、近所の人に見つからないように、ちょっとお食事などを提供してみると、当たり前の顔で召し上がって、なんだかゴロゴロした後、プイと去っていくのでした。
 ほぼ、毎日、日が暮れた頃にやってきてベランダと部屋の仕切りのところに座って食事を待つという態度です。不思議なことに慣れてきても、ほとんど声をあげることがありませんでした。
 部屋の住人が留守の場合も、じっとその位置に座っていたようで、戸が開いていても部屋に足を踏み入れたことが、ただの一度もないところが「ノラ」の仁義だったのでしょうか。
 もっとも、生(?)のダシジャコや鰹節は好物のようでしたが、だしをとった後のデガラシのだしじゃこには口もつけないという、なかなかな味覚の持ち主で、「お前、そういうことでは苦労するよ」とか言いながら食事のお世話をしていたわけですが、ある日を境にぷっつり来なくなってしまいました。
 で、もう、一年以上たつのですが、お隣の公団住宅を歩いていた同居人が見つけました。
「おったよ、元気にしてたよ。ぜったい、あいつよ、間違いないわ。

「子連れとかやった?」
「うーん、クロいのと一緒やったけどねえ。」
 そんな会話をしていたときに、ネットで見つけたのがこのマンガです。​​​著者がおぷうのきょうだい、書名は「俺、つしま」(小学館)です。表紙の肖像画でいちころでした。
 元ノラ猫で、今は男性だか女性だか不明の老人の屋敷に住みついた「つしま」くんの生活が描かれています。他に「ちゃー」くん「ズン姐さん」、時々やってくる「オサム」くんが主な登場ネコ君です。他には近所の「やさぐれ会」のメンバーとかが時々出演しています。​​​​​

 もともとブログに連載されていた(今もか?)「マンガ」だったようです。きっと有名な作品なのでしょうね。
読み終えて、なかなか心に残るシーン満載なのですが、ちょっとウルッときそうだったページがこれです。
​ 高齢のズン姐さんがこたつ猫になってしまったシーンです。​
 このマンガはいつもマンガ便を届けてくれるヤサイクンのお誕生日のプレゼントにするつもりです。彼は、一戸建ての住居をよいことに二匹もネコを飼っているうえに、ワンコまで一緒に暮らしています。三匹のチビラ軍団も最強です。きっと喜んでくれるでしょう。

​​
​​​​​​
PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.23 00:25:49
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.22
​​​​​​週刊読書案内 金子薫「道化むさぼる揚羽の夢の」(新潮社)​
​​​​​ 蛹の形をしたの拘束具に首から上だけ出した形で閉じ込められ、糞尿まみれのまま吊るされている「機械工」天野さんが、自らがであることを信じ、やがて、になって羽搏くことを夢想するお話を読みました。
 金子薫という1990年生まれらしい、若い作家の「道化むさぼる揚羽の夢の」(新潮社)という作品です。
 ​微睡の中で天野はしばしば蝶になっていた。夢の中で色取り取りの翅をはためかせ、晴天の下、花畑に舞っていることが多かった。
ー中略ー
 ああ、早く蝶になりたいものだ、それだけを願い、固く眼を瞑った。すると直後、スプリンクラーが散水を開始した。
ー中略ー
 瞼を閉じたまま、水滴を味わい、天野は考える。この雨は羽化の予兆であるに違いない。自分たちは越冬蛹で、降り注ぐ生温かい水は春雨なのだ。冬が過ぎ去り春が来た。無数の蛹が破れ、蝶が一斉に飛び立つ日は近い。(P6~P7)​​
 天野は眼を瞑って歓びを嚙み締め、内なる熱に身悶えしながら、変わっていく自らの躰と、迫りつつある昇天について思いを巡らせた。織物または硝子細工の如く美しい、二枚の翅を羽搏かせ、私はどこまで飛んでいけるだろうか。一頭の揚羽蝶はどれほど天に近づけるのだろうか。(P198)
​ いきなりネタバレのようですが、本書の始まりと終わりの一節です。​​​​主人公「天野」君「蝶」を夢想するに至るきっかけは、上に書きましたが「蛹型」の拘束具に閉じ込められた結果、「蛹」であるという、まあ、いわば無理やりな自己確認にあるわけですが、拘束を解かれて工場で機械工として働く作業着が「蝶」柄であり、彼が作るのもまた金属製の蝶であるという反復によって、「蝶」が作品のテーマ(?)のように君臨してゆきます。
 当然「蝶」とは何だろうという疑問がわくのですが、「蝶」は「蝶」であるにすぎません。比喩でも寓話でもない、ひらひら飛翔する昆虫であるただのです。おそらくそこが、この作品の肝だと思いました。
 2021年に発表されたということからでしょうか、コロナ禍の社会のありさまの寓話のように読まれている面があるようですが、おそらく何の関係もないと思います。
 いってしまえば、ある種「美的な観念小説」を目指した作品だと思いまいました。硬直した権力社会にトリック・スターとして登場する「道化」とか、「道化の笑い」の昇華としての「蝶」の飛翔とか群舞とかいうアイデアは面白いですが、荘子を持ち出すまでもなく、ありがちでしたね。道化と蝶というセットでは、いかに自由に描こうともイメージがあらかじめくっついてしまうのです。
 結果的に、細部の描写や言及に関して、よく勉強なさっているという感想を持ちますが、そういう言い草は、こういう小説だと誉め言葉にはならないでしょうね。
 最後に、クライマックスとして描かれた子供たちの手から金属製の蝶が舞い上がっていくシーンがありました。作家が勝負に出ている感じでした。​
 小さな道化たち、秀人、明弘、奏太、司、真弓は、手当たり次第に落ちている蝶を拾い、両の手に包んでいる。
何をするつもりなのかと眺めていると、黄色い蝶が一頭、秀人の合わせた手から抜け出し、舞い上がっていった。司の手からも、烏揚羽か黒揚羽、あるいは架空の黒い蝶が高く舞い上がっていく。其処彼処で、子供たちが捏ね廻した蝶が、どういう訳か本物になって自在に飛び始めていた。
―中略―
 太陽の光に照らされて、蝶たちが戯れあうように飛んでいる。偽の木が真の木に変化するのみならず、地面もゴムから土に変わり、花まで咲いている。(P197)

​​​​ 作家の描いてきた地下世界に初めて陽光が降り注ぐ、ここまでにはない「明るい」シーンですが、このシーンの後に、最初に引用した言葉「私はどこまで飛んでいけるだろうか。」というセリフ​​があって、その自問が印象に残りましたが、自問しているのが天野君なのか、作家自身なのか。最初から最後まで、作家的な自意識の過剰な作品だと思いました。
 ただ、こういう自己言及的というか、堂々巡りというか、自らの観念を掘り続けるかに見える作品を20代くらいの読者はどう読むのか、ウザイになるのかリアルになるのか、​​​​ちょっと興味があります。
 蛇足ですが、ヴィジュアル的なジメージとしては面白い作品、まあ、具体的な指摘はできませんが、最近のちょっとグロテスクな絵のマンガとか、ディストピア的イメージの映画とか、どこか共通している同時代的な感覚が漂っているような感じでした。
​​​

 ついでに蛇足で、アゲハです。これは本物。​


​​​​


PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.22 19:19:07
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.21
カテゴリ:カテゴリ未分類
「​​​​​​​​​​​オー!あたらしい仲間がやって来ました!」 ベランダだより 2021年11月7日​​​
 
金木犀です。玄関先にこの花が咲いて、いい匂いがし始めると11月ですね。


 我が家で大きくなった「愉快な仲間」たちにとっては故郷の花、懐かしい香りのようですが、11月といえば、我が家ではお誕生日ラッシュです。
 11月1日に始まって23日まで、サカナクン、チッチキ夫人、ヤサイクン、ジュンコババまで、文化の日も、勤労感謝の日もお誕生日です。​
 その中で、まだ、ここに暮らしているのはチッチキ夫人だけですが、彼女の11月3日あたりからあれこれ盛り上がります。
 
 松山のサカナクンの所からお誕生日のプレゼントで届いたのが「太秋柿」「紅マドンナ・ジュース」でした。写真ではよくわかりませんが、なんというか、最近チラホラ見かけることもあるのですが、異様に大きな柿で、富有柿と二郎柿を掛け合わせた新種の甘柿のようです。少し青い感じがしますが完熟でした。
 もう一つが、愛媛といえばポンジュースですが、これはベニマドンナポンジュースでした。もったいなくて封を切ることができません(笑)。 
 

 当日はピーチ姫が帰宅してきて、久しぶりのタコ焼きパーティでした。昔はもっと大きなタコ焼き器だったのですが、今回は、鉄製で熱源はガスですが、卓上タコ焼き器です。二人暮らしだと「たこ焼き」そのものがご無沙汰ですが、三人になるとパーティーになります。
 

 週末にはヤサイクン一家あーちゃんママチビラ君たちも勢ぞろいして、5人で登場です。ヤサイクンが仕込みから買い出しまで準備した焼肉パーティーでした。
 もっとも、チッチキ夫人が待望していたのがこのケーキです。今や、お誕生会の定番化した、「ツマガリのチョコレートケーキ」のホールです。
 ハッピー・バースデーの合唱でローソクを吹き消してご機嫌なチッチキ夫人が言いました。

 「これ七つに切るのは難しいから八つに切るね!」
 「はいはい、どうぞ、どうぞ、だれかが二つね。」
 「ふふふふ」
 とか、なんとか、チビラ君たちでにぎわった午後も終わって、再び老人二人の、まあ、さびしいような、とは言いながら落ち着くようなその日も夜半を過ぎて、宵っ張りのシマクマ君を残してチッチキ夫人もお休みタイム、草木も眠る丑三つ時だったでしょうか。
 「生まれました!女の子です。母子ともに元気だそうでーす。」
 「ええー、お名前は?」
 「明日の朝発表しまーす。」
 はい、新しい命の誕生で、ゆかいな仲間が一人増えたというラインのお便りでした。
 「おーい、無事生まれたってよ。」
 「そうなん、そうなん。よかったねえ。で、どっち?」
 「やっぱり、女の子やって。」
 すっかり寝入っていたチッチキ夫人を起こしたものの、遠く、信州は松本、カガククン家のことゆえ、jジジ・ババ二人で何かができるわけではありません。
 「これで、5人目のお孫さんやね。」
 「ユナちゃん姫も、おねーちゃんやね。」

 ただ、ただ、喜ぶだけです。
 夜が明けて頑張ったサキチャンママからラインです。
 「サラちゃん姫と名付けました!」
 というわけで、11月7日、お誕生日ラッシュの11月ですが、また、一人「さそり座の女」が加わって、ますますにぎやかになった喜びの朝でした。
「どうか、元気に大きくなりますように!」

​​​​​​​​​​​​​​​

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.21 01:19:37
コメント(0) | コメントを書く
2021.11.20
カテゴリ:徘徊 西区あたり
「こっちはお地蔵さん」​​​​​​​​​​​​​​​徘徊2021年11月10日 太山寺あたり その2


「三重塔のあたりの紅葉が早いねんな。こっちは、まあ、なんというか深山幽谷やな。」
「その奥、高速道路が走ってるはずチャウの?」
 橋のたもとあたりから渡ったあたりへと、そこここに石仏です。人里で打ち捨てられることになったお地蔵さんを持ってきたような感じです。

 
 寺の敷地の中なのですが、さほど世話されているわけでもなさそうな様子です。受付でいただいた案内を見ると、奥の院「地蔵堂」ということですが、一カ所にまとまっていらっしゃるわけではなさそうです。


 ゴロゴロと大きな石が転がっていて、自然石ともいえないのですが、その石の上に座っていらっしゃるペアもいらっしゃいます。ここには、何か、大きな建物があったのかもしれませんね。


​​​ こちらはお一人です。何となく傾いているところが気にかかりますが、どこかにあったものを、この場に集めてきたのでしょうか。​


 ここは何だろうという感じですが、お稲荷さんもありました。もっともお社に近づくことはできません。多分、修繕が必要なのでしょうね、立ち入り禁止のテープが張ってあります。​​


 こちらは首がとれているようですが、こういう風情は悪くないですね。ぼくは好きです。


 並んでいらっしゃる、背後には谷川が流れています。地蔵菩薩というのが、どういうところにいらっしゃる仏さんなのかよく知りませんが、なんとなく「賽の河原」という気分になります。


 赤い、前掛けを腰に巻いていらっしゃる感じですが、表情は素朴ですね。傾いているのは写真の撮り方のせいではありません。


 これが地蔵堂でしょうか。格子の中はよく見えません。ロウソク立てと賽銭箱はありますが、誰かがお参りしている気配はありません。凄い山のなかの雰囲気ですが、橋のすぐ近所です。

 お社つきというか、屋根付きというかの方が一人だけいらっしゃいましたが、表情は撮れませんでした。


 なかなか、無秩序というか、ほったらかしというか、いい感じですね。ここから引き返した、さっき渡った橋を渡ります。

 橋を渡り終えたところで、川の流れを撮りました。雨が降っているのですが、これが伊川の上流だと思います。


 けっこう大きな川に見えますが、そうでもありません。ただ、伊川谷という地名が明石の北側の神戸市の地域にあります。その地域を流れているのが伊川という川ですが、その源流近くなのでしょうね。
 40年前には、神戸の市営地下鉄がありませんでしたから、明石から神姫バスで「太山寺行き」に乗らないと来れませんでした。今は市営地下鉄の「伊川谷駅」から三重塔が見えますから、そんなに遠くはないと思います。

PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​


​​​​​​​​​​​​​​​​






最終更新日  2021.11.20 09:38:32
コメント(0) | コメントを書く

全1217件 (1217件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 >


© Rakuten Group, Inc.