2024/08/05(月)18:44
週刊 読書案内 伊藤比呂美「あのころ、先生がいた」(よりみちパンセ:イーストプレス・新曜社)
伊藤比呂美「あのころ、先生がいた」(よりみちパンセ:イーストプレス・新曜社)
風変りで、不思議で、恐ろしい詩を書く詩人がいます。伊藤比呂美さんです。まず彼女の代表的な詩について紹介すべきところなのですが、しかし、それは容易ではありません。父は老いて死にかけです
母も死にかけて寝たきりです
夫や王子様には、もう頼れません そんな言葉で始まる彼女の評判の詩集は「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」(講談社文庫)といいます。みなさんがお読みになれば、まあ、ぼくもそうでしたが、小説だと思うでしょうね。何しろ文庫本で300ページを超える長編詩なのです。ぼくには、異様に面白かったのですが、今ここで、どう紹介していいのかわからないのです。
そのかわり、というのもなんだけれど、「よりみちパン!セ」(イーストプレス・最近では新曜社)という中学生から高校生向きのシリーズがあるのですが、その中に彼女が書いた「あのころ、先生がいた」(よりみちパンセ:イーストプレス・新曜社)というエッセイ集があります。
その一節を紹介しましょう。
組替えの後、しばらくして、みんなの友人関係が落ち着いたとき、あたしはアベさんに、気がつきました。キムラさん以上に何もできない、ウラタさん以上にしゃべらない子で、まったくひとりぼっちだということ。
なぜあたしがそれに気がついたか。
それは、あたし自身、他に組む相手がいなかったからです。だからウラタさんとだってキムラさんとだって、ほいほい組んでいられたんです。
しつこく言いますが、あたしは肥満児でした。 他の女の子たちと群れるより、マンガや本を読むのが好きでした。組のリーダーだったけど、とくべつ仲のいい子はいませんでした。つまり、あたしもじゅうぶんにふうがわりで、じゅうぶんにひとりぼっちでした。
アベさんは、からだが飛びぬけて小さく、勉強も体育もできず、ただ黙ってすわっているだけの存在でした。あのなんとなく聞こえるシミズ先生の「伊藤、たのむな」に背中を押されて、行動をいっしょにするようになったら、気が合いました。
ウラタさんみたいに「口をきかない」と決めているわけではなかったから、隣にすわって、あたしからいろいろ話しかけ、おたがいがおたがいに慣れてくると、いろんなことを、あたしに話すようになりました。
そうして、しばらくは、何をするのもいっしょでした。アベちゃんはなにもできないから、あたしがひっぱっていくかたちで。
あたしが「アベちゃん」と呼ぶので、みんなも、先生も、そう呼ぶようになりました。
授業参観にあたしの父が来て、アベちゃんを見て、びっくりしていました。アベちゃんのことは、うちでもよく話してたんですが、父としては、ここまで何もできない子とは思っていなかったようです。
「だいじょうぶなの、あんたの勉強は?」と何度も父に聞かれました。そういう心配する父を、初めて「つまらない」と思いました。
夏休み前のある日曜日、とつぜん、アベちゃんが、予告もなしに、あたしの家に遊びにきました。アベちゃんちとうちとは、校区の端と端にあって、とても遠かったので、そんなことは初めてでした。
あたしはアベちゃんを、近くの公園に連れて行きました。そこにはちょうど白い花が満開で、あたしは図鑑をさんざん調べて、やっとその名前をつきとめたところでした。あたしはその花を、ひみつの宝物のように、アベちゃんに見せました。公園で、夕方までいっしょに遊んで、アベちゃんは帰りました。そして、次の日、アベちゃんは、学校に来ませんでした。
「アベちゃんは、なんとかヨウゴ学校というところへ転向しました」とシミズ先生がみんなに言いました。
「えっ」
あたしは息をのんで、おどろいて、ことばが出なかったんです。 それから彼女が何を考えたのか、知りたい人は本を手に入れて、続きを読んでください。小学生の頃から高校生時代まで。先生との出会いの思い出が描かれています。エッセイのスタイルで書かれている文章ですが、伊藤さんらしい、ある純粋なこころが表現されていると思います。彼女は、まあ、こんな詩人なのです。(S)
2018/06/07
ボタン押してね!
ボタン押してね!
とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起 (講談社文庫) [ 伊藤 比呂美 ]
間違いなく、傑作。
良いおっぱい悪いおっぱい完全版 (中公文庫) [ 伊藤比呂美 ]
ここから始まった、いとうひろみ体験。