2024/04/11(木)20:53
週刊 読書案内 丸谷才一「闊歩する漱石」(講談社文庫)
丸谷才一「闊歩する漱石」(講談社文庫) この案内で、蘊蓄ふうに書いている内容のほとんどは、独創ではないことを吉本隆明の案内で書きました。
たとえば、「三四郎」を「都市小説」、あるいは、新しい社会との「出会い小説」として読んで案内しているのは、丸谷才一の評論集「闊歩する漱石」(講談社文庫)の中に「三四郎と東京と富士山」というエッセイがあって、それに教えられていることは明らかなのです。
手元に2000年の初版があります。出版されたときに読んだことは間違いありません。それ以来、高校生相手のおしゃべりの場面においても、この「案内」のような内容をしゃべってきたことを、今、思いかえしています。
もっとも、もう20年近く昔の読書ですから、確たる記憶があるというわけではありません。その結果、ぼくが、自分自身でも、そう考えているという口調になってきたのかもしれません。
こう書くと、人間の言葉を口真似する鸚鵡や九官鳥のように、永遠に意味にはたどり着けないような気もしますが、はたして、そうなのでしょうか。
口真似を続けた結果、口から出てくる言葉の意味を分かっていると思い込む鸚鵡を想像すると、ちょっと、異様なのですが、人間にとっての様々な解釈や理解は、実は、そういうプロセスのものではないでしょうか。
独創とかにたどり着くのは生半可なことではないし、知っていると思っていることでも、本当は、どこで、どう知ったかということをきちんと報告することは、たとえブログとかであっても、処世のモラルとしても大切だと思うのですが、最近は、それを忘れ始めていることに気づくことが、われながら多いのに驚きます。
特に、丸谷才一のように学識の広さと深さが超絶していて、その上、おしゃべりな人から受け取った知識や納得は、時々、立ち戻ることがないと、自分自身の空回りに気づかない、ただの鸚鵡ということになってしまうので要注意ということです。
今回、案内をもくろんでいる、「闊歩する漱石」には、ほかに「忘れられない小説のために」、「あの有名な名前のない猫」という二つのエッセイが収められていますが、それぞれ、漱石の「坊ちゃん」と「吾輩は猫である」という小説を主題にしながら、丸谷一流の博覧強記がさく裂していて、痛快、かつ、超ペダンティックな文学論です。
面白いこと限りなしです。まず最初に俎上に挙がるのは、たかだか(?)「坊ちゃん」なのですが、この中学生用と思しき読み物を、あざやかに料理して見せる丸谷の、あらゆる食材を知り尽くした、あたかもフランス料理の腕利きシェフの趣を味わうことにもなります。
「あだ名の効用」に始まって、「もの尽くし」、「擬英雄譚的乱闘」、「典型としての人物描写」と料理の種類も多彩な中、しょっぱな、「綽名文学」の代表として、ラブレーの「ガルガンチュア物語」が出てきたところで、ミハイル・バフチンとかを思い出すグルメがいればとりあえず拍手!で済めばいいのだが、話は「源氏物語」へすすみ、「平家物語」、はては「千夜一夜物語」へと大皿に並べて澄ましていらっしゃいます。
次にやってくる「流謫の文学」の皿には、小樽の啄木から隠岐の小野篁まで、彩も鮮やかに盛り付けられ、それぞれの産地の食材の味わいの変化も、周到に用意され、決して飽きさせません。
メイン・ディッシュにはイギリス18世紀の大河小説、フィールディングの「トムジョーンズ」がストーリー、解説付きで差し出されます。もちろん漱石が倫敦でこの作品を読んだことが間違いないことに加えて、創作のインスピレーションを得たに違いないという、丸谷才一の独創的見解がソースとなってかかっているわけです。
今、こうして案内している丸谷才一のコース料理の現在位置は、ほんのとっかかりに過ぎません。ここから、いったい何がでてくるのか、テーブルに着いて、味わっていただくほかはないのですが、最後のデザートを口にしながら、ボクのような迂闊な客は、このテーブルで、ジョイス、プルーストへ続く、反19世紀小説、モダニズム文学へのコースを堪能したことに、ようやく気づくという趣向になっています。
残りの二つのテーブルも、様々な食材とソースが用意されていて、もうそれだけで、素人グルメには蘊蓄の山なのですが、そこはそれ、あのナイフが、とか、あの食材がと、料理人の後を追いかけたくなるのがミーハーの常というわけで、図書館とか、本屋さんとか、あれこれ忙しいことになるのですが、それもまた、鸚鵡の口真似から人間の口真似への進化のプロセスなのかもしれません。仕方ないですね。
まあ、しかし、丸谷才一の場合、料理の口当たりは抜群なのですが、口真似をするのは、少々、忙しすぎるし、骨が折れます。困ったものですね。(S)2018/10/29
追記2019・10・16
漱石関連に限らず、丸谷才一には「案内」したい評論が多い。小説では「笹まくら」(新潮文庫)が代表作なのだろうが、ぼくには「樹影譚」(文春文庫)が印象深い。新聞の書評欄も工夫とか、対談の面白さも読んでほしい。大野晋との「光る源氏の物語」(中公文庫)や「日本語で一番大事なもの」(中公文庫)も読み逃すわけにはいかない。
先日、丸谷才一が愛したイラストレイターの和田誠の訃報が伝えられた。「ああ、また一人、好きだった人が」と思いながら、丸谷才一の一冊、一冊の本を棚から引っ張り出して手に取って、才能を認め合っていたに違いない二人を思い出した。
丸谷才一の新刊に出会えなくなって何年経つのだろう、「お楽しみはこれからだ」というわけで、向こうで再会し、二人のコラボが本となってこの世に届けられたら、どんなに嬉しいだろう。和田誠という、丸谷いうところの「軽妙で批評にみちた大才」がこの世を去ったことを心から哀しいと思う。
追記2022・09・22
丸谷才一なんて、もう、若い人は誰も読まないのだろうかと思っていると、若い人ではありませんが、同居人がかぶれていました。棚から落ちた本を拾うと、他の仕事の手がとまるということで始まったようですが、どうするのでしょうね。
案内を読み直して、少し修繕しましたが、何言ってるのかよくわかりませんね。自分が書いたはずなのですが、書いたやつはめんどくさい奴だと思ってしまいました。
追記
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