ゴジラ老人シマクマ君の日々

2023/12/12(火)23:12

ジェームズ・マーシュ 「喜望峰の風に乗せてThe Mercy」シネリーブル神戸no36

映画 イギリス・アイルランド・アイスランドの監督(41)

​ ジェームズ・マーシュ 「喜望峰の風に乗せてThe Mercy」シネリーブル神戸 ​ 映画館徘徊、シネリーブル神戸、2019年最初の映画。​​  この映画館が昔から好きだが、今年の口開け(?)は海洋大パニック、ドキドキ映画という思い込みで、覚悟を決めて座り込んだ。  パニック、ホラー、怪奇、要するに怖い映画は苦手なのだが、ここはまあ、新年だし、波にヨットがひっくり返るくらいなことや、南氷洋で氷河とぶつかるくらいなことはあるだろうけど、青空と大海原が広がるシーンもあるに違いない、とか期待もある。 ​​​「おっ、珍しくお客さんもいるじゃないか。」​​​ 水の中から浮上していってカメラが空をとらえる。始まりは期待どおりだった。しかし、そこからがくだくだしい。 ​「うーん、なかなか海に行かんなあ。大丈夫かな、このおっちゃん。だいたい老けすぎてへんか。」​​ イギリスを出発してアフリカの南端、喜望峰を回って、オーストラリアの南を通って、アルゼンチンの南端ね、マゼラン海峡とかある、を回って大西洋に戻り、イギリスに帰ってくる。無寄港世界一周するっていうわけ。  海も船も知らないから、全くリアリティにかける観客なのだけれど・・・・。 「うーん、喜望峰とか、いったの?すさまじい嵐の海とかあったのか?氷河とか、鯨とかは?この人、世界地図の何処にいたの?全然、海洋アドヴェンチャーちゃうやん。」​ というわけで、喜望峰からの風は最後まで吹かなかった。ところが、ぼくは結構参っちゃったんですよね。最初の水中の映像の意味は終わりの頃にわかりますが、印象的なのは、待ち続けていた妻を演じていた​レイチェル・ワイズ​の二つのシーン。​  世間から見ればペテン師だった夫。残された家族を興味本位に取材する報道陣に対してドアの前に立ってこんなふうにいう。 ​​​「昨日までは大げさに称え、今日は愚か者だと笑う。どこに真実があるのでしょう。」​​​​​ 夫が行方を絶った後も、子どもたちを連れて、毎日港に出迎えに行く、その時、娘に向かって言う。​ ​​​「パパが、実際、帰ってくるかどうかじゃないの。待っているかぎり迎えに行くの。」​​​​​ それぞれの言葉を口にする彼女の表情のすばらしさ。ぼくは、この映画を「おもしろいよ。」といって誰にもすすめない。でも、このシーンはいい。​ ​​​​ セリフはうろ覚えだから、いい加減で、ちょっと作っているかもしれないのだけれど、夕暮れの三宮を歩きながら吉田秋生の「海街ダイアリー」の最終巻(第9巻)「行ってくる」を思い出していた。  ​​​​「行ってくるっていって、帰れないことって、あるよな。」​​​​​ 吉田秋生の「行ってくる」という題の付け方にとても感心して、マンガの内容は端折るけれど、「行ってくる」に対して、「待っている」人や場所がある。マンガはそこがいい。それで覚えているのだけれど、この映画では「待っている」けれど、「帰れない」。​​ ​ 別に、世界一周なんてすごいことじゃなくても、「帰れない」ことは誰にでもあるんじゃないか。​ 「子どもの頃にあった、そういうの。今、思えば、おかーちゃんは待っててくれるんだけど、だから、よけい帰れない。」​​​​ 原題は​「The Mercy」​。たぶん「神の慈悲」とか、「許し」とかいう意味だろう。​​​ ​​ 監督は喜望峰の風に吹かれる海洋スペクタクルなんて撮る気は、はなからなかったに違いない。    「帰れない」男と「待っている」女を撮りたかった。​ まあ、そう納得できれば、この映画は心に残る。決してバカバカしい映画じゃなかった。​​ 監督 ジェームズ・マーシュ James Marsh 脚本 スコット・Z・バーンズ 撮影 エリック・ゴーティエ 音楽 ヨハン・ヨハンソン キャスト コリン・ファース(ドナルド・クローハースト ) レイチェル・ワイズ(クレア・クローハースト) デビッド・シューリス(ロドニー・ホールワース ) ケン・ストット(スタンリー・ベスト) 2017年 イギリス 101分 原題「The Mercy」 2019・01・15・シネリーブル神戸no36 追記2019・11・25 ​吉田秋生「海街ダイアリー」の感想はここをクリック​してくださいね。 ​​​ にほんブログ村 にほんブログ村 ​ ​​​​​​ ​​​​​ ​​

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