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カテゴリ:読書案内「村上春樹・川上未映子」
村上春樹「猫を棄てる」(文藝春秋社)
久しぶりに村上春樹を読みました。「猫を棄てる」(文藝春秋社)です。 僕は今でも、この今に至っても、自分がずっと父を落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを ― あるいはその残滓のようなものを ― 抱き続けている。ある程度の年齢を超えてからは「まあ、人にはそれぞれに持ち味というものがあるから」と開き直れるようになったけれど、十代の僕にとってそれは、どうみてもあまり心地よい環境とは言えなかった。そこには漠然とした後ろめたさのようなものが付きまとっていた。 ぼくは、ここで村上春樹が語っている「後ろめたさ」は、少なくとも、ぼくたちの世代、彼のデビュー作と二十代の初めに出会い、彼より少し年下の、かつての少年たちの多くに共有されていたような気がします。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんにちは。
私も先日この本を読みました。 シマクマさんの文章の指摘の中に、 「それは、いつの時代でも父と子の間にある出来事と少し違ったのではないかというのが、この年になって感じる」 とありますが、その「少し違った」の正体はなんなのでしょうか。 シマクマさんもよくわからないとお書きですが、やはりここがわからないと、ちょっとシマクマさんの「共感」の中身が理解できないように思います。 私は、本書を読んで、んー、残念ながら、あまり大きな「共感」ができなかったのですが、村上春樹のお話しって、特に最近のお話は、大きなものでなくてそんな「雰囲気」だけでいい、という感じを大切にしているように思います。以上です。では。 (2020.09.07 06:56:21)
analog純文さんへ
コメントありがとうございます。 「純文」さんもお読みになったようなので、伺いますが、このエッセイ(?)に出てくる「ネコ」は、何だと思われましたか? ぼくは「ネコ」をめぐる、この二つのエピソードが「つくりごと」くさいと思ったのですが、「純文」さんはどう思われましたか。 「つくりごと」だとすれば、何故、この「ネコ」の話を書いたのでしょうね。 まあ、そんなふうに、あれこれ考えてみるのですが、なかなか焦点が合わない感じです。どう考えれば合うんでしょうね。でも、ぼくが、この二つのエピソードに惹かれていることは確かなのです。なんか、グダグダですね。 また書きます。ははは。すみません。 (2020.09.07 13:57:35)
ども、analog純文です。コメントのお返事ありがとうございます。
シマクマさんが、書かれていた「ネコ」ですが、私は、「ネコ」でいいと思います。村上作品は、むかーしの『羊をめぐる冒険』あたりから、作品中の出来事などについて、あまり意味を探っていてはどうも面白くないということを経験してきました。 ただ、二つ目の「ネコ」のエピソードから、私は芥川の「仙人」というお話を思い出しました。(少し前に芥川を読んでいたもので。芥川の「仙人」は、もう一つの「杜子春」です。) 一つ目のエピソードについては、私はごくそのままに読んだのですが、それではどんくさいのですかね。シマクマさんがおっしゃる「この二つのエピソードが「つくりごと」くさい」という、何か気になるところがあれば、お教えください。 ただ、実は図書館で借りた本で読んだので、もう手元にないんですがー。どうも、すみません。 (2020.09.07 16:49:33)
どもども。またanalog純文です。しつこくってすみません。
シマクマさんのブログを炎上させようという意図では決してありません。(あたりまえか。) シマクマさんのご指摘を受けて、柄にもなく「ネコ」の意味を考えていたのですが、アップした自分のブログの記事を読んでふと思いついたことがあります。それは…… 一つ目のエピソードの「ネコ」とは、父親の戦争体験である。 ……えーっと、あまりに突拍子すぎますかね。本作を読みかえさずに書いていますしねー。(手元にない。) でも自分の文章を読んで、そこから「ネコ」の意味を探ると、こういう結論になってしまいました。 何度もお邪魔して、どうもすみません。では。 (2020.09.07 17:13:18)
analog純文さんへ
先日お出会いした時に直接話そうと思っていたのですが、忘れていました。 この作品にでてくる「ネコ」についてです。 純文さんが「戦争」ということをおっしゃっていたのですが、ぼくはその意見について、突拍子もないとは思いません。ぼくもその線で考えていたのですが、父親と一緒に捨てに行ったのは「父」そのものだったのではないかというのが、ぼくの今のところの結論です。 父親にとって「父」とは何か、作家村上にとって「父」とは何か。その方向で、ぼんやり考えているのですが、何はともあれ、彼の「文学」における「父」の不在を、わざわざ書き始めている村上春樹の現在というのは、結構興味深いというのが、そのアイデアの端緒なので、ようするに当てずっぽうです。要領を得なくて済みません。(笑) (2020.10.18 11:26:21) |