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2020.11.30
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「100days100bookcovers no36」(36日目)
 ​水原紫苑「桜は本当に美しいのか」(平凡社新書)​


​​あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり​​
​ ​​​​謡曲の「井筒」紀有常女が謡う(これでいいのかな?)和歌はこんな短歌でしたね。「古今和歌集」巻1、春の部に 「さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人のきたりける時によみける」と詞書があって「読み人知らず」として載っていて、これに対する返歌が下の和歌です。​​​​
​​けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや​​
​ ​​​面白いことに、こっちには在原業平という読み手の名前が出てきます。「伊勢物語」の十七段に、二つの和歌の「詞書」も、まんま出ていますから、そっちが先でしょうか。​​​
​​​​​​ 謡曲の「井筒」というのは世阿弥の作ですね。そもそも、「伊勢物語」ネタで、二十三段「筒井筒」に登場した少女が思い出に浸るとでもいう「物語」だったと思いますが、世阿弥の天才は、待ち続ける、こういうお面をつけた女性が「井筒」を覗くところにあると思うのですね。
「井筒」というのは井戸のことですが、その井戸をのぞきこむと、まあ、そこに何が映るかというところに「ドラマ」があるわけです。​​​​​​

 なんていうふうに書くと、シマクマ君「お能」について知っているに違いないと「生徒さん」達は騙され続けた30数年だったわけですが、実は、ぼくは「お能」なんて100%知りません。どこかの神社の能舞台で現代演劇をやっているのを見たことはありますが、「お能」体験は皆無です。
 というわけで、DEGUTIさんの紹介を読んで、ただ、ひたすら「どうしようかな?」だったのです。
 白洲正子は食わず嫌いやし、松岡心平はちゃんと読んでないし、そういえば観世寿夫「世阿弥がどうたら」というのがあったけど、ああ、多田富雄「免疫の意味論」はどこにあったっけ。まあ、「お能」がらみのなけなしの知識の周辺を、そういう調子でウロウロしていたんです。
​ でも、まあ、偶然というのはあるものなのですね。最初に書いた「あだなり」の和歌が、コロナ騒ぎのステイホームで読んでいた一冊にジャストミートしていたのです。「井筒」と聞いて、そこだけ、なんか知ってるぞと思いだしたのがこの本です。​
 ​水原紫苑「桜は本当に美しいのか」(平凡社新書)​
​うすべにの けだものなりし いにしへの さくらおもへば なみだしながる​
​ ​なんていう現代短歌の歌人で、三島由紀夫に見出されたということが妙に有名な春日井健という歌人のお弟子さんです。
 登場以来、若い若いと思っていたら、今や還暦だそうで、新古典派の、何といっても名前がいい、水原紫苑「桜論」です。​
 「古今和歌集」から現代の「歌謡曲」まで、「桜」の毀誉褒貶を、まさに縦横無尽に論じている評論ですが、メインは「梅」から「桜」へと移り変わる「平安王朝400年」の時代と歌人の「詩意識」の変遷を100首以上の和歌に注釈を施しながら、紀貫之の「古今集」から、「新古今」、西行、定家へと辿る前半150ページでした。
 後半は、能から、江戸文芸を経て、近代文学の「桜」を話題にしています。たとえば、本居宣長にこんな和歌がありますね。
​​しき嶋のやまとこころを人とはは、朝日ににほふ山さくら花​​
​ 彼女に言わせればこうなります。
​​「ここには『枕の山』のような無邪気さが無い。これ見よがしな、いやなうたである。」​​
​ ときっぱりと切って捨て、こう言い加えます。
​​「まして、宣長のあずかり知らぬこととはいえ、太平洋戦争末期の1944年10月、最初の特攻隊が、この歌から「敷島隊」、「朝日隊」、「山桜隊」と命名されことを思うと、やり場のない憤怒を一体どうしたらいいのだろう。」​​
​ ぼくは、彼女の歌には当然漂っているわけですが、このナイーブな言い切りの、気っぷのよさのようなものが好きなのですが、現代口語短歌に対する評価も、シャープだと思います。
さくらさくらさくら咲き始め咲き終わりなにもなかったような公園 
                          俵万智
​ ​例えば俵万智のこの歌についても、こんなふうにいっています。​
「文体こそ口語だが、内容は王朝和歌そのままで、桜の加齢と空虚を簡潔に言い当てている。」
俵万智については、只者ではない実力はわかったが、基本的に健康な世界観が、死や破滅が大好きだった私とはあわなかった。」
​「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に                         穂村弘​
​ 人気の現代歌人、​穂村弘​のこの歌に対してはこうです。
​「もうすぐ私たちは死んでしまうのに、こんな子供みたいなことを言ってどうするのだろう、と思った。」​​
​ ね、この視点です、ぼくが好きなのは。
​ もっとも、最後の疑問に穂村弘はこう答えたそうです。​
​​「僕たちは死なないかもしれないじゃないか。」​​
​ というわけで、今回も「ネタ本」系なのですが、最近の読書報告ということでバトンを引き継ぎます。YMAMOTOさんよろしくね。​(Simakuma・2020・08・17​)


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最終更新日  2020.11.30 00:03:37
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