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2021.04.13
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​​ ​​小田香「ノイズが言うには」元町映画館
​ 
​​​世間では「鉱ARAGANE」とか「セノーテ」の監督として評判が高い小田香ですが、この作品が彼女のデビュー作であるようです。​​​
 映画学校の卒業制作という理由で、家族を動員して作られた映画だということは見ていてわかることで、ついでにいえば、ドキュメンタリー映画ではなくて、創作ドラマであるということも見ていればわかります。たしかに、そうなのですが、これはドキュメンタリー映画だと思いました。
​ 頭の中にある「ノイズ」がアニメーションで暗示されて、映画が始まりました。​
​​「カッチん」と呼ばれている女性が、遠くから帰ってきます。駅から友達に送ってもらった「カッチん」が、久しぶりの我が家に帰ってきて、自分の部屋にたどり着きました。帰ってきた「カッチん」は、かつての「カッチん」ではなかったというのが、映画の「ストーリー」の骨のようです。​​
​​ 父とは別居しているらしい母の住まいに集まり、「カッチん」の誕生会を開く姉妹と母親のまえで、チラシの言葉を使いますが、「カッチん」自身が「性的少数者」であることを告白します。​​
 そこから、この「告白」が、家族それぞれに引き起こした「事件」を映像は映してだしていきます。その過程で、「告白」の顛末一切を映画化するという経緯も映像化されています。
​ 母親、父親、「カッチん」自身、姉妹、友人、それぞれの表情とセリフが、現実の再度の劇化として「映画化」されているのです。​
​ 小田香という、やがてプロの映画製作者になる23歳の人物と、その家族のアイデンティティ・クライシスの現場が、あたかもそのまま「映像化」されたかのように描かれていく様子は、「私小説」という形式の「告白小説」的なニュアンスを感じさせますが、この映画を見ながら、「小説」「映画」は違うということを痛感しました。​
 「映像」であれ「写真」であれ、カメラを持つ人間の「ことば」なしに「作品化」が成立することはあり得ないと思うのですが、カメラは「ことば」と違って、描写対象、すなわち、被写体に対して、隠すことを許さない、直接的な「暴力性」を、その本来の「用具性・機能性」に備えているのではないでしょうか。
 「ことば」はイメージを喚起するにすぎませんが、「映像」は被写体から切り取ったイメージを、そのまま見る人に与えてしまうといえばいいのでしょうか。
 例えば、この映画における母親は、「娘」との再会の「喜び」、思いがけない告白に対する「困惑」という、普通の感情を写し取られながら、映画として「演技」する「いらだち」、加えて、写されたくない内面、母親の言葉にならない、あるいは、言葉にしたくないかもしれない「存在」のあり方まで切り取られています。
 そこから何が起こるのか、本質的に予想がつかないフィルムにくぎ付けになりながら、「映画」という方法の、二重、三重の実験をドキュメントしている現場に立ち会っているかの臨場感に、息をのむ思いで見終わりました。それが、ドキュメンタリーだといった理由です。おそらく、製作者も、何を映し出してしまうのか予想がつかなかったのではないでしょうか。

 結果的に、苛烈、酷薄といえるえぐり方で、登場している人物たちを映し出したフィルムとして、あのタル・ベーラが激賞したというチラシの文句に嘘はないでしょう。たしかに、この映画は傑作だと思いました。
​ しかし「私小説」の苛烈な刃は、「ことば」を書いている作家自身に向かうのですが、映像はカメラを回している制作者に対してだけではなく、被写体にこそ、その切っ先が向かうということを、カメラを回した張本人で、カメラに映った一人である小田香自身はどう思っているのだろうというのが、見終わった率直な気持ちでした。​
​ 続けてみた「あの優しさへ」という作品に、ぼくの疑問への見事な答えが待っていました。そのあたりは​「あの優しさへ」​の感想で書きたいと思います。今日のところはここまでということで、じゃあ。​

監督小田香
撮影 小田香とその家族
キャスト
小田香とその家族
2921・03・31元町映画館


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最終更新日  2021.04.13 15:15:52
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