2024/03/21(木)20:47
フラレ・ピーダセン「わたしの叔父さん」元町映画館no77
フラレ・ピーダセン「わたしの叔父さん」元町映画館 デンマーク映画だそうです。おそらく脳梗塞か脳内出血で倒れ、マヒの残る老いた叔父の、身の回りの世話をし、数十頭はいるのであろう乳牛の飼育を黙々とこなすクリスという20代の女性の生活を、淡々と描いた作品でした。
クリスがなぜ、この農場で黙々と暮らしているのかということも、父と兄を、ほぼ、同時に失ったらしい過去についても、叔父と獣医ヨハネスの会話から何となくは知られますが、詳しい経緯はわかりません。
教会の合唱の声に耳を澄ませたり、恋人らしき青年マイクとの出会いもあります。しかし、父の死で断念したらしい獣医の勉強も再開するかなと見えた、泊りがけで出かけた大学での講義の聴講という留守に、叔父が再び倒れます。
叔父の再入院という事件は、映画が始まって以来、少しづつ明るい世界に向かって開かれ始めていた窓のシャッターを、一気に引き下すかのように、全てをご破算にして、叔父と二人の生活が、再び始まり、映画は終わりました。
映画を見終えた、ちょうどそのころに読んだいた本の中にこんな話が書かれていました。 アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」第四巻に、とても印象的なシーンがある。
大魔法使いゲドの「伴侶」であるテナーという女性は、テルーという里子を育てている。テルーは、まだ小さな子供だが、言葉では言えないような陰惨なことをされて、顔の半分がケロイドのようにただれている。テナーは、心に難しいところをたくさん抱えるテルーを心から愛している。もちろんその顔の傷も一緒に愛を注いでいる。
しかし、こんなシーンがある。ある夜テナーは、ぐっすりと寝て居るテルーの寝顔を見ているうちに、ふと、手のひらで顔のケロイドを覆い隠す。そこには美しい肌をした子供の寝顔があらわれる。
テナーはすぐに手を離して、何も気付かず寝ているテルーの顔の傷跡にキスをする。(岸政彦「断片的なものの社会学」) 読みながら、ふと、思ったことなのですが、映画では、このお話の「美しい肌」と「ケロイド」が、ちょうど逆の構造になっていたのではないでしょうか。映画は、美しく、働き者のクリスの、普段は隠されたケロイドを、ただ、一度だけ露わに映し出します。しかし、そのシーンが暗示するケロイドの正体が、どういう経緯のものであるか、今後どうなるのかについて語るわけではありません。
観客であるぼくたちは当然ですが、叔父も、獣医のヨハネスも、恋人のマイク青年も、ゲド戦記のテナーのように、クリスの傷跡に静かにキスをして、彼女の生活を見守るほかすべはない、そういう作品だったのではないでしょうか。
デンマークの若い監督らしいですが、美しく、哀しい、しかし、人間の本当のありさまを描いたいい作品だと思いました。
監督 フラレ・ピーダセン
製作 マーコ・ロランセン
脚本 フラレ・ピーダセン
撮影 フラレ・ピーダセン
編集 フラレ・ピーダセン
音楽 フレミング・ベルグ
キャスト
イェデ・スナゴー(クリス)
ペーダ・ハンセン・テューセン(叔父さん)
オーレ・キャスパセン(獣医ヨハネス)
トゥーエ・フリスク・ピーダセン(青年マイク)
2019年・110分・G・デンマーク
原題「Onkel」
2021・05・10‐no45元町映画館no77
追記
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