ゴジラ老人シマクマ君の日々

2023/10/10(火)18:14

週刊 読書案内「私が出会った一冊 夏目漱石『硝子戸の中』」「吉本隆明全集28 1994―1997」(晶文社)

読書案内「吉本隆明・鮎川信夫・黒田三郎・荒地あたり」(11)

​​​「私が出会った一冊 夏目漱石『硝子戸の中』」                                    「吉本隆明全集28 1994―1997」(晶文社) 全部で30数巻ある吉本隆明の全集(晶文社版)の一冊、第28巻です。市民図書館の新刊の棚に並んでいたので借りてきました。1994年から1997年に書かれた文章が載っている巻です。​吉本隆明​も、2012年に亡くなって10年たちました。先日、若いお友達と話していると「吉本とか、文章が難しいですよね。」とおっしゃっるのを聞いていて、「ああ、そういうもんか。」と思いました。​​​  ボクにとっては、高校時代にその詩と評論に出会った人で、「自立」とか「擬制」とか「模写」とか、とにかく二文字熟語の人で、情況への発言とかの悪口・雑言の凄まじさが痛快で面白くて読み始めましたが、その当時は、詩人で批評家の谷川雁とか、作家の埴谷雄高というような人の文章は、まあ、そういう言葉遣いの文章でしたから、あまり気にしたことがなかったので、「難しい」という言い方にちょっとたじろぎました。 ​​ で、借りてきた「吉本隆明全集28」をパラパラやっていて「これならどうですか?」という文章を見つけました。1997年の山梨日日新聞に掲載されたエッセイだそうで、この全集が初めての収録のようです。本来なら夏目漱石の「読書案内」に恰好の文章だと思うのですが、穏やかで、素朴な方の吉本隆明らしさ滲んでいる、なかなかいい文章だと思います。​​ 私が出会った一冊  夏目漱石「硝子戸の中」  おなじクラスの仲よしと、いつものようにふざけあっているうちに、お前は赤シャツだとはやしたてられた。赤シャツって何だというと、夏目漱石の「坊っちゃん」のなかに出てくるんだという。スポーツ好きのそのクラスメートが小説を読んでいることも意外だったが、自分がからかわれても、何のことかわからないこともショックだった。  早速、日曜日になると、本を買うからと、父親からお金をもらって、神田の本屋街に出かけた。道がよくわからないので、新佃島の家から渡しを渡り、真っすぐ有楽町まで歩き、省電の線路沿いに神田へ出て、本屋街をたずねていったと記憶している。  文庫本の棚が道路から見える本屋さんにいきなり入ると、やみくもに漱石の「坊っちゃん」を探した。見つからず、たまたま並んでいた「硝子戸の中」という背文字の星ひとつの薄い文庫本を買って早々に引きあげた。短文の随筆集みたいなものだったが、印象がつよく、また暗く重たい感じだった。  なぜそう感じたか解剖できたわけではなかったが、この本の最初の印象がいまでも無修正のまま、わたしの漱石についての固定したイメージになっている。とりあえず「坊っちゃん」も、登場人物の嫌みな赤シャツも、すっとんでしまったが、漱石という文学者の暗さや重さと釣り合った文章の力強さは、今まで読んだどんな文章とも異質なものだった。 こんなふうに歯切れよく、悪びれずに自分が日常出会った記憶を書き記す世界があるのだと、はじめて知った。ちょうど十代の半ばごろだったが、わたしが文学書にのめり込んでゆくきっかけになったはじめての本が、この「硝子戸の中」だった。偶然手にした本だったが、後年になって何度も、あのとき「坊っちゃん」に出会えないで「硝子戸の中」に出会えたことは幸運だったと思い返した。(P248~P249)​ ​​​​​​いかがでしょうか。文中の新佃島というのは月島の東の端の方でしょうね。省電は、省線電車、今のJRの山手線のことでしょうか。よく知らない土地なので、吉本少年がどの程度の距離を歩いて夏目漱石と巡り合ったのか、ぼくには定かではありません。彼は1924年、大正13年の生まれですから昭和10年代の東京です。​ ​ 「硝子戸の中」をポケットに入れた少年は、来た道を神田から東京駅、有楽町あたりまで歩いたのでしょうかね。隅田川の方へよれて行けば別のルートで佃の渡し場あたりに出られると思うのですが。​少年はどこを歩いたのでしょうねえ。 ​ ​​ ​​​​​​​​​​​​​

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る