2022/09/06(火)00:39
週刊 読書案内 南伸坊「笑う茶碗」(筑摩書房・ちくま文庫)
南伸坊「笑う茶碗」(筑摩書房・ちくま文庫)
単行本は2004年の新刊です。今ではちくま文庫になっています。著者の南伸坊は「ガロ」の編集長をしていたりした人で、路上観察とかハリガミ考現学とか、1980年代に才気あふれる活躍をした人です。
いろいろやっていらっしゃったことは、まあ、バカバカしいといえばバカバカしいのですが、面白いといえば面白いわけで、結構はまりました。なにが面白いと言って、まあ、イラストレイラーということもあるのでしょうね、しょっちゅうお目にかかるお顔には、才気とかいうような鋭いものはまったく感じないのですが、だれもがすぐ覚えるに違いないというようなところです。
1947年の生まれですから、2000年を超えたあたりから「老人」を標榜して、ネコに俳句を作らせたり、問題の顔を使っての「本人の問題」を追求するなど、徹底した遊び感覚の人です。
本書は「月刊日本橋」という、東京のタウン誌の連載です。はっきり言って、ちょっと時代とともに古びたようなところがあって大して面白くないのですが、ぼくのようなズレた人には受けるかもしれません。
いまどき、ケータイ
いまどき、ケータイ電話を買ってしまった。つまり、いままでケータイ電話を持ってなかった。買わなかったのは、ケータイ電話に批判的だったからではない。目のカタキにしてたわけでも目くじらを立てていたわけでもない。
ようするに必要なかったのだ。たいがい事務所にいて、手許に電話が置いてあるし、外出先で電話の必要があるときは公衆電話からかければよかった。
ただ、一度だけこんなことがあった。古河に蓮見に行った時だ。真夜中から明け方まで待機して、蓮の香りをかぐ。満喫して、さて、駅まで帰るタクシーを呼ぼう、というのでいつもそこから電話していた公園入口の電話BOXのところまでいくと、そのBOXがコツゼンと姿を消していたのだった。あれは何年前だったか?
ともかくしかたがない。どこか赤電話のあるところを探そう(赤電話は実はとっくの昔からない。あるのは緑電話だが、近頃は緑電話とも言わないし、そもそもその緑もどんどんなくなっているのだった。)(P160) ケータイ電話が普及して、公衆電話が消えたのは90年代の事だと思いますが、実はボクは2020年まで、ケータイを持っていませんでした。
シンボーさんのように、タクシーを呼ばないと動きが取れないような場所に旅した経験も皆無ですし、外出中に誰かと電話で連絡を取る必要が、ほぼ皆無な生活でしたから、学生さんとかや、自分の若い家族たちが所持することは、トランシーバごっこの延長くらいにしか感じていませんでしたし、実は、今でも感じていません。
というわけで、この後、彼がケータイを手に入れるまでのバカ話が、あれこれ書かれているわけです。で、それも、さほど面白いわけではないのですが、まあ、「クダラネー」とか感じながら読んでしまう本です。
なんか、あんまりすすめてませんね。マア、そういう本ですね(笑)
でも、こういう感じが「面白かった時代」は確かにあったんですよね。若い人は、どう思うのでしょうかね?