ゴジラ老人シマクマ君の日々

2024/02/22(木)11:34

週刊 読書案内 宮崎駿・池澤夏樹 他「堀田善衛を読む」(集英社新書)

読書案内 ジブリの本とマンガ(5)

​宮崎駿・池澤夏樹 他「堀田善衛を読む」(集英社新書)​​ ​​宮崎駿の新作アニメ映画「君たちはどう生きるか」が、今年(2023年)の夏前に公開されて、さっそくでかけて愕然というか、唖然というか、あらためて、宮崎駿にカンドーしてきました。​​​​​​​「ボクはこう生きてきた、君たちはどう生きるか?」​​​​ ​​​​​69歳のボクにさえ、イヤ、その年齢だからこそなのかもしれませんが、その問いかけが鋭く迫ってくる傑作だと思いました。  映画については、他にも書きましたから、ここでは触れませんが、そうはいっても、これが最後の仕事だろうというのが、ボクの率直な感想でした。​宮崎駿​は1941年生まれですから、今年82歳です。ボクは、この作品を彼の最後の作品として見ましたという気分でした。​​​​​ ​​​​​ ところが、2023年の9月の月末、「映画製作会社のジブリ・スタジオが日本テレビの子会社になった。」というテレビ・ニュースがながれて、その中で、宮崎駿自身は自作のアイデアを練っているという鈴木敏夫の言葉があって、もう一度、唖然としました。​​​​​​​​​「ジブリが日本テレビの子会社になる?!」​​​ 本当はこれだけで、現在の日本という社会の鬱陶しさについてあれこれ言いたいところなのですが、引っかかったのは​​​宮崎駿の新作?​​​ という言葉のほうでした。​​ ​​​​​​​​ で、この本を思い出したのです。「堀田善衛を読む」(集英社新書)です。  本書は、「ゴヤ」(集英社文庫)、「方丈記私記」(ちくま学芸文庫)の作家、堀田善衛の生誕100年を記念して、2018年に富山県の高志の国文学館で開かれた「堀田善衛―世界の水平線を見つめて」という展覧会での、インタヴュー、講演の書籍化で2018年に出された本です。​​​​​​​​ ​​​ 今回、この本を思い出したのは、この中に宮崎駿のこんな発言があったとこを思い出したからです。(上に、所収されている文章についてか行きましたが、ここで引用する宮崎駿の文章は、2008年の講演の転載のようです)​ ​ 堀田さんという人は、私にとっては非常に大事な人です。(中略)  堀田さんが芥川賞を受賞された「広場の孤独」という本と、「祖国喪失」という短編集の中に入っている「漢奸」を、ちょうど二〇歳過ぎぐらいの時にたまたま読んだのですが、この体験が、その後ずっと長い間、自分のつっかえ棒になってくれました。(中略)  ボクは一九四一年、昭和でいうと一六年、太平洋戦争の始まった年に生まれました。戦争が終わった時は四歳でした。父親に負ぶわれて逃げる中で、B29が落とす焼夷弾が降ってくるのを目撃した最後の世代だと思いますが、戦争に負けて、小さい子どもなりに屈辱感に満ちていたのです。  同時にそれは,自分のいる日本という国が、何という愚かなことをして周りの国々に迷惑をかけたのだという、恥ずかしくて外に出られないような感覚でもありました。何を支えにこの国で生きていけばいいのだろうと。そういうことで日本がすっかり嫌いになって行ったのです。  「広場の孤独」という作品は、朝鮮戦争が始まった時期の東京で、ある新聞社を舞台に、そこで働く主人公が歴史の歯車にいやおうもなくまき込まれ、いやおうなくコミット―参与してしまう中で、どう生きるか苦しむ姿を描いています。アメリカの資本主義下で戦争に加担するのか、共産党やソ連なのか・・・・。  結局、最後に主人公は、日本からが逃れて亡命するという道を拒絶する、という筋なのですが、この作品から僕は、たとえ日本について嫌いだと思うところがあっても、”それでも日本にとどまって生きなければならない“という実に単純化したメッセージを受け取ったのです。​​ ​で、「漢奸」に関しての話が続きます。長くなるので、省略しますね。そして、彼が大切にしている三つの作品の話になります。  もう一つ僕が大切にしている堀田作品に、「方丈記私記」があります。これは昭和二〇年三月、東京大空襲の最中に堀田さんが「方丈記」を読み、自身の体験と重ね合わせて、そこから新たに発見したことについて書かれたものです。  「方丈記」。  そう、今日はこの話をしなきゃいけないんですけど・・・・(中略)  その堀田さんが、何かの機会にお会いした時に、「方丈記私記」を映画にしないかとおっしゃっていました。「あげるよ」と。  僕は「方丈記私記」を初めて読んだ時、夜中に寝床で読んでいたのですが、まるで平安時代に自分がいるのではないかと思えて、立ち上がって思わず窓を開けてしまったほどの感覚に陥りました。外には火の手がほうぼうに上がる平安時代の京の町があり、その上、見たはずのない東京大空襲の時、3000メートルの高さまで下りてきて焼夷弾を落としていくB29の腹には地上の火が映って明るかった、といろんな人が書き残していますが、それがいっぱい見えてきそうなぐらい、リアリティのある小説でした。  「そういうものを、ちょこちょことやればいいんだよ、劇画で」とおっしゃるのですが(笑)、「いや、それは難しいです」と。「路上の人でもいいよ」だとか(笑)、いろいろなことをおっしゃるのですが、以来、「方丈記私記」が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。  それには、実は知らないければいけないことや、分からないことが、まだまだいっぱいありますから、折りに触れて何か拾って、ひょっとしたらこれは映画になるかなとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません。  鴨長明がどういうまなざしで生きていたのかについて、もう少し深く立ち入らないと、簡単に映像にはできないだろうと思うからです。  見た人が、鴨長明と堀田さんと同じように生きた気分になって映画館からよろよろ出てきて新宿の町を歩く時、実は自分は平安時代の京都をさまよっているんだと思える―そんな映画だったらつくりたい。  「方丈記私記」を読むと、そういう気持ちになるのですから。しかし、だからこそ、これは映像になかなかできないだとも思うのです。​ 長々と引用しましたが、ご理解いただけたでしょうか? ​​宮崎駿の最終作は堀田善衛の「方丈記私記」だ!?​​​ どうでしょう、スクープになるでしょうか?(笑)ボクとしては、かなり期待を込めて待ちたいですね(笑)。 ​​​​​​ まあ、1998年に亡くなって、25年経ってしまったのですが、​堀田善衛​なんていう作家が、今読まれるのかどうか、よくわかりません。宮崎駿が私淑している作家であることは結構有名ですが、彼の読みは素直で、深いと思います。ボクにとっては「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻)、「ミッシェル」(集英社文庫・全3巻)が宿題として残っていヒイキ作家なのです。  で、本書で堀田善衛を論じている方々に関心をお持ちの方には目次のラインアップが参考になるかと思いますので載せておきます。じゃあ、また。​​​​​​ 目次  はじめに 『方丈記私記』から 第1章 堀田善衞の青春時代 池澤夏樹 第2章 堀田善衞が旅したアジア 吉岡忍 第3章 「中心なき収斂」の作家、堀田善衞 鹿島茂 第4章 堀田善衞のスペイン時代 大高保二郎 第5章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿 終章 堀田善衞二〇のことば 年表 堀田善衞の足跡 付録 堀田善衞全集未収録原稿―『路上の人』から『ミシェル 城館の人』まで、それから…​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​ ​ ​​ ​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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