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カテゴリ:映画「元町映画館」でお昼寝
笠井千晶「拳と祈り 袴田巖の生涯」元町映画館
![]() 今回、見たのは笠井千晶という監督が、2024年9月26日の再審無罪という判決を機に公開した「拳と祈り 袴田巖の生涯」というドキュメンタリー映画でした。 映画は2014年、東京拘置所から釈放された袴田巌さんが乗る自動車のシーンから始まりました。そこから、彼自身と彼の無実を信じ続けてきたお姉さんの袴田秀子さんの生活が映し続けられていますが、ボクの脳裏に刻まれたのは 彼の歩く姿!でした。 はじめは、故郷、浜松に帰ってきて暮らし始めた秀子さんのマンションの部屋の中でした。部屋から外に出ることが出来ない袴田巌さんは、部屋から部屋へ、行ってはかえり、また、行ってはかえり、歩き続けます。 やがて、なんとか外に出られるようになると、帽子をかぶり少し猫背で、がに股、半歩づつ前に進むかのようによちよち歩き続けます。その、袴田巌さんの後をカメラがついて歩き、彼の後姿を撮りつづけます。 ボクは、その後姿に見入りながらことばを失いました。 目の前のスクリーンを 歩いているその男は80歳を越えていて、まだ、死刑囚なのでした。 で、死刑囚の姉という境遇を58年間生き抜き、弟の無実を信じ続け、ついには弟の冤罪を晴らした袴田秀子という女性の笑顔に圧倒されました。最後に 「もう、死刑囚じゃないよ。」と弟さんに笑いながら語りかけられた時、彼女は90歳でした。 言葉を失うとはこういうことですね。正直、全編を見終えた今も言葉を失ってしまっている映画でした。 ボーっとして見るしかない映画の迫力ということに思いを致すならば、このお二人の生活をカメラとマイクをを持って20年以上もの年月、徹底的に追い続けた笠井千晶という監督にも唸るような気持ちがこみ上げてきます。 繰り返しになりますが、見ているあいだも、見終えた後も、なんと言っていいかわからない、なにを言えばいいのかわからない、ただ、浮かんでくるのは彼の後ろ姿なのですが、その後姿をボンヤリと思い浮かべながら、 人間という生き物がこの世に生まれて生きるということがどういうことなのか? ボクも、もちろん、その一人であるところの人間というものについて、漠然とした思いが浮かんでくるのでした。 ![]() 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。 語っている人は自分を何様だとお考えなのでしょうかね。 検察がしなければならないことは、まず、裁判においては一人の人間を死刑にするに十分な説得力を持ちうる証拠物件を示すことであり、その証拠物件の正当性を証明することですね。で、もしも、その証拠について捜査過程での捏造が裁判所に疑われたのであれば、その疑いを晴らすことだとボクは思いますが、エライ人たちというのは自分は振り返らなくてもいいようにできているのですね。 「無実」の人間を68年間も「死刑囚」として、まあ、法的地位だか何だか知りませんが、取り扱ってきたことについてどう考えていらっしゃるのですかね。 映画の中で、袴田巌さんが「検察庁」という看板を見て 「ここには用がないから帰る。」 といって、踵を返されたシーンがありましたが、そこには誰も笑うことのできない袴田巌という一人の人間の人生の姿を、ボクは感じたのですが、彼を死刑囚として「取り扱った」人たちは、そのあたりについてどんなふうにお考えなのでしょうね。 描写されている世界に圧倒されて、どうしていいのかわからないのですが、やっぱり拍手!ですね。すごい作品でした。 監督・撮影・編集 笠井千晶 整音 浅井豊 音楽 スティーブン・ポッティンジャー ナレーター 中本修 棚橋真典 タイトル題字 金澤翔子 キャスト 袴田巖 袴田秀子 2024年・159分・G・日本 2024・11・18・no149・元町映画館no267
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最終更新日
2024.11.22 11:55:16
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