|
カテゴリ:読書案内「現代の作家」
日野啓三「落葉」(「落葉 神の小さな庭で」集英社) この作家を読み直し始めたきっかけは、2024年の10月に見た「国境ナイトクルージング」という、中国と朝鮮の国境を舞台にした、まあ、中国映画といっていいと思いますが、その映画の中で「天池」という、白頭山の頂上近くにあるらしい池というか、湖の話が出てきて、
「そういえば、日野啓三に「天池」(講談社)という作品があったよな」と思いついたからなのです。 で、書棚にあるはずの「天池」を探したのですが見つからないまま、そのあたりにあった「落葉 神の小さな庭で」(集英社)という短編小説集を何となく読み始めて、ハマっています。 私は二〇〇〇年の一月一日昼すぎ、書斎の机に向かって芥川賞候補作のコピーを読んでいるうちに、いつのまにかずるずると椅子からずり落ちていた。とくに頭痛とか意識の混濁とかがあったわけでははない。まるで体ごとふたつの年の隙間か、ふたつの世紀の境界の裂け目に落ちこんだような具合だった。 ここまでが、始まりの描写です。 そこから幾つもの検査、二度の開頭手術とその後の治療の一か月近い間、私は何の苦痛も意識しなかった。後から来た妻と息子の顔はじめ幾つもの顔が現れるのを見、話しもしたが、(後からきくと、この段階での私の話は天才的に支離滅裂だったそうだ)、その会話の内容は記憶していない。 「落葉」です。 早春の夕暮れだった。病室内は水底のような薄明かりと落ち着いた静けさがありありと感じられ、私の頭の中から落葉がいっぱい出てきたということが、透き通るようにリアルだった。一生落葉の中を歩いてきた気がした。カサコソというかすかな乾いた音がいつも頭の中で聞こえていた。 で、小説はこんなふうに終わります。 その医師は私が夏の末に退院する日も、また、 2024年の秋、ボクが取りつかれた日野啓三という作家の「落葉 神の小さな庭で」(集英社)という短編集の冒頭にある「落葉」という短編の全文です。 小説の全文を書き写すのは久しぶりです。学生の頃、気に入った作品、まあ、小説であれ詩であれ、ノートに書き写すことを続けていた時期があります。別に小説や詩が書きたくて、その練習をしていたわけではありませんでしたが、 書き手が書き始めるときの呼吸のようなもの にたどりつきたいと思っていたような気がします。忘れましたけど。 で、今回はというと、書き出しだけ写して「読書案内」に、という目論見で始めて、まあ、短いですし、やめられなくなって全文引用です。 日野啓三という作家がこれを書いたのは2000年の、多分、秋です。単行本の出版は2002年の5月、で、彼は2002年の10月14日に亡くなります。73歳でした。 亡くなったころ、だから、20年前に購入して読んだ作品です。ボクは50歳でした。同じ棚に短編集の「梯の立つ都市 冥府と永遠の花」(集英社)とか、帯に遺作と大書きされてる「書くことの秘儀」(集英社)という評論集が並んでいるところを見ると、その頃 ええ作家やな。と思っていたことは確かなようです。 で、20年です。日野啓三がこの作品を書いた年齢に追いつきました。作家が頭に言葉を浮かべ、で、それを書きつけていく 「書く」という行為の間合いのようなもの が、ありありと浮かんでくるかのような読書です。まったく、初体験の驚きに似たドキドキ感がボクの、こっちは、頭というよりは心というべき場所に広がっていくのです。 年をとるということは、それほど悪いことではないのかもしれませんね。まあ、なにはともあれ、お読みになってどうお感じになるのかは人それぞれですが、折角なので全部写しました。 実は、巻末に所収された「神の小さな庭で」は、日野啓三という作家の、おそらく最後の作品だと思います。「落葉」を一枚、一枚、拾いあつめるかのような彼の小説が、最後の最後に この場所 までやってきた作家に目を瞠りました。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.12.11 22:03:23
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「現代の作家」] カテゴリの最新記事
|