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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2024.12.09
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​日野啓三「落葉」(「落葉 神の小さな庭で」集英社)​
​​​​​ この作家を読み直し始めたきっかけは、2024年の10月に見た「国境ナイトクルージング」という、中国と朝鮮の国境を舞台にした、まあ、中国映画といっていいと思いますが、その映画の中で「天池」という、白頭山の頂上近くにあるらしい池というか、湖の話が出てきて、​
「そういえば、日野啓三に「天池」(講談社)という作品があったよな」​
 ​と思いついたからなのです。​​​​​
​​ で、書棚にあるはずの「天池」を探したのですが見つからないまま、そのあたりにあった「落葉 神の小さな庭で」(集英社)という短編小説集を何となく読み始めて、ハマっています。
 私は二〇〇〇年の一月一日昼すぎ、書斎の机に向かって芥川賞候補作のコピーを読んでいるうちに、いつのまにかずるずると椅子からずり落ちていた。とくに頭痛とか意識の混濁とかがあったわけでははない。まるで体ごとふたつの年の隙間か、ふたつの世紀の境界の裂け目に落ちこんだような具合だった。
 そう言えばこの年の新年は、ふたつの年やふたつの世紀を分ける境界だけではなかった。千年紀(ミレニアム)という耳慣れぬ言葉が年末からあちこちで使われるようになった。千年単位でふたつの時代が大きく分かれる境界のようだった。とすればその境界の裂け目も溝も眩むほど深く暗かったのだろう。
 私は宙に浮いたような気分のまま、薄明の裂け目を落ち続けて、やがて気がつくと体全体が椅子の脚もとの床に頽れていた。
 「何事か?」と驚きながらも、意外にはっきりと意識は意識していた—あれが、昨年夏に鼻腔ガン手術のあとに撮影した脳の断層写真に思いがけなく出現した脳の中心部の動脈瘤がはぶれたのだ、と。鼻腔ガンの治療が一応終わった退院の日に、全く不意に出現した直径七ミリの動脈瘤の黒い映像を指して、その病院の脳専門医は言った—これが破れたときにあのクモ膜下出血になる、即死か半身不随だ、と。
 そのことをはっきり思い出して、今、「クモ膜下出血」という非常事態がわが身に起こりつつあるのだ、と思ったが、とくに取り乱すことはなかった。むしろ、脳出血の際には一秒も早く病院に行かねばならない(患者を動かしてはならない、という昔の常識はとんでもない間違いなのだ)ということをはっきり思い出し、電話機のある二階の居間へと、階段を四つん這いになって、やっと這って登った。そして救急車を呼び、このところ何度か入院して手術している慶応義塾大学病院に電話して、脳外科の医師に「動脈瘤が破れたらしいのでこれから行く」と知らせ、身のまわりの物をバッグにつめた。
 その時点で妻が現れたので、「クモ膜下出血らしいので急いで病院に行く」と告げると、「気をつけて」と顔の横で手のひらをヒラヒラさせて、無邪気に笑って言った。脳の動脈瘤が不意に発見されて以来、「クモ膜下出血」という言葉は幾度もわが家で話し合われていたはずなのに。
 思わず肩をすくめて担架にかつがれて、救急車に入れられたあとはさすがに緊張していたが、慶応病院の救急部に到着して、すでに待っていた脳外科の医師たちと看護婦に「新年早々お世話になります」と挨拶するとともにすっと意識が薄れた。(P11)
​ ​ここまでが、始まりの描写です。​
 そこから幾つもの検査、二度の開頭手術とその後の治療の一か月近い間、私は何の苦痛も意識しなかった。後から来た妻と息子の顔はじめ幾つもの顔が現れるのを見、話しもしたが、(後からきくと、この段階での私の話は天才的に支離滅裂だったそうだ)、その会話の内容は記憶していない。
 記憶している手術後の初めての会話は、担当の医師との次の会話である。
 私のベッド脇に立って、その医師は不意にさり気なくこう言った。
「あなたはおもしろいひとらしいね」
「ヘンなひとだな」だったかもしれない。
そしてひと呼吸してこう言ったのである。
「頭を開いたら、落葉が詰まっていたよ。とてもいっぱい、どうしてあんなに落葉だったんだろう」(P11)
​ 「落葉」です。​
 早春の夕暮れだった。病室内は水底のような薄明かりと落ち着いた静けさがありありと感じられ、私の頭の中から落葉がいっぱい出てきたということが、透き通るようにリアルだった。一生落葉の中を歩いてきた気がした。カサコソというかすかな乾いた音がいつも頭の中で聞こえていた。
「ずっと秋の夕暮れでしたよ」
 とぽつりと言いながら、この医師は詩人だな、と思った。年の頃、四十七、八歳、長身で鼻下に控え目に髯を貯え、目は澄んで優しい。脳外科の専門用語をこの世のものならぬ事柄のような口調で話す。話し方はクールに即物的ないし論理的である。
 脳外科にかかるのは初めてだったが、敬愛に近い親近感をひそかに感じていた。意識と精神のリアリティーを繊細に感じとりながら、脳に対しては大胆に即物的に対応する。・・・・・長身の後ろ姿にどこか深い疲労と寂寥の気配がある(いまや脳神経外科は最も患者の急増しているセクションである)
 どんな道具でどういう風にして私の頭蓋骨を切開したか知らないが、頭蓋骨を切り開きながら、少なくともその中にこもったカサコソというかすかな音の堆積を、この医師は確かに聞き取ったのだろう。私の切られた頭蓋骨の切り口からこぼれ落ちて床にたまった落葉の小山さえ、この医師なら本当に見たかもしれない。それは私の運命に対する比類ない詩的洞察であり、私は頭を切り開いて(心ではなく)、正体をさらしたわけだ。
 この話をいきなり始めたときのように実にさりげない足取りで、医師が黄昏の気配のように私のベッドを離れていった後、担当の看護婦がかがみこんで浮き浮きと言った。脳外科の看護婦たちはなぜかきれいで、心やさしく聡明な人が多い。
「せんし、どうしてあんなこと言ったのかしら。わたしは手術のときついていたから知っているけど、落葉なんて一枚もあなたの頭から出てこなかったわよ。先生は自分のことを言ったのかもしれないね」
私は秋の夕暮れのように微笑した。(P13)
​ で、小説はこんなふうに終わります。
 その医師は私が夏の末に退院する日も、また、
「どうしてあんなに落葉が出てきたんだろう」と言っていたから、彼は少なくとも多量の落葉の気配を感じ取っていたのだ、誰の頭の中にせよ、と私は思っている。
 それとも、ふたつの千年紀の間という大いなる裂け目から、人類の歴史の正体が見えたのであろうか。血にまみれて降りしきる限りない落葉が。(P13)
​​​​ 2024年の秋、ボクが取りつかれた日野啓三という作家の「落葉 神の小さな庭で」(集英社)という短編集の冒頭にある「落葉」という短編の全文です。​​​​
​ 小説の全文を書き写すのは久しぶりです。学生の頃、気に入った作品、まあ、小説であれ詩であれ、ノートに書き写すことを続けていた時期があります。別に小説や詩が書きたくて、その練習をしていたわけではありませんでしたが、​​
​​書き手が書き始めるときの呼吸のようなもの​​
​ にたどりつきたいと思っていたような気がします。忘れましたけど。​
​ で、今回はというと、書き出しだけ写して「読書案内」に、という目論見で始めて、まあ、短いですし、やめられなくなって全文引用です。​
​​​​​​​​​ 日野啓三という作家がこれを書いたのは2000年の、多分、です。単行本の出版2002年の5月、で、2002年10月14日に亡くなります。73歳でした。​​​​​​​​​
​​​​​​​ 亡くなったころ、だから、20年前に購入して読んだ作品です。ボク50歳でした。同じ棚に短編集の「梯の立つ都市 冥府と永遠の花」(集英社)とか、帯に遺作と大書きされてる「書くことの秘儀」(集英社)という評論集が並んでいるところを見ると、その頃
​​​​ええ作家やな。​​​​
 ​と思っていたことは確かなようです。​​​​​​​
​​​ で、20年です。日野啓三がこの作品を書いた年齢に追いつきました。作家が頭に言葉を浮かべ、で、それを書きつけていく​​
​​「書く」という行為の間合いのようなもの​​
 ​が、ありありと浮かんでくるかのような読書です。まったく、初体験の驚きに似たドキドキ感がボクの、こっちは、頭というよりは心というべき場所に広がっていくのです。​​​
 年をとるということは、それほど悪いことではないのかもしれませんね。まあ、なにはともあれ、お読みになってどうお感じになるのかは人それぞれですが、折角なので全部写しました。
​​​​​​​​​​​ 実は、巻末に所収された「神の小さな庭で」は、日野啓三という作家の、おそらく最後の作品だと思います。「落葉」を一枚、一枚、拾いあつめるかのような小説が、最後の最後に​​​​​
​​この場所​​
​ までやってきた作家に目を瞠りました。​​​​​​​​​​
 


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​​​​​​​​​​​​​​​​​ 追記
 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)​​​​

 

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最終更新日  2024.12.11 22:03:23
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