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100days100bookcovers 97日目その1
サラ・ピンスカー『いずれ すべては 海に中に』(市田泉訳・竹書房文庫) ![]() 前回のSODEOKAさんからの「引継」テーマは、 「個人」と「世界」の関係ということになるか。個人と世界を、対立、葛藤するものとしてではなく、重なり合うものとして見る視点というか。個人の公共性と世界の個人性とでもいうか。 候補は2冊あって、最初はどちらにしようかと思っていたのだが、この企画の担当も今回で最後なので、例外的に2冊とも紹介することにする。 まずは1冊め。 『いずれ すべては 海に中に』 サラ・ピンスカー・著 市田泉・訳 より 「一筋に伸びる 二車線のハイウェイ」 (竹書房文庫) 書名は元々は、ブランクを空けたところで改行された三行に分けて上下逆さまに表記され、小説名は、同じくブランクを空けたところで改行された二行に分けて表記されている(写真参照)。 原題は、書名が『SOONER OR LATER EVERYTHING FALLS INTO THE SEA』、小説名は、「A STRETCH OF HIGHWAY TWO LANES WIDE」。 ![]() 2022年6月に出たSF短編集である。作家の名前はこれまでに聞いたことがなかった。 ブックマークしてある、たぶん個人運営の書評サイトで紹介記事を読んでから気になっていた。気になった最大の理由は、短編集冒頭に置かれたこの短編についての記述だった。 450ページほどの文庫ながら、価格は税抜き1600円。図書館を当たってみたら、置いてあるにはあるが、出版されて間もないこともあって予約が30人とかになっている。Book Off Onlineを当たっても見つからない。どうしようかと思っていたが、それからだいぶ経ってから結局新刊書店で購入することにした。 13の短編が収められているのだが、SFでもあり、帯にも記されているように「奇想」短編集でもある。率直なところ、すべての短編がよかったわけではないが、やはり冒頭の短編は印象に残った。その短編の内容を簡単に紹介する。 カナダで暮らすアンディは21歳のとき、農場で使うコンバインの事故で右腕を粉砕される。「1本まるごと、肩と右の鎖骨と、付随するあらゆる部分も含めて」 そして彼がまだ意識を回復しないうちに、両親は決断する。 目覚めたとき、「アンディの右腕はロボットアームで、頭にはインプラントが埋め込まれていた」。 「ブレイン・コンピュータ・インターフェイス」 母親はそう言った。「運動皮質に電極とチップが埋め込まれてる」母親は続けた。 「あんたはサイボーグってわけ」 父親の話によれば、アンディはどうやらプロトタイプのアームを装着していて、周囲もそれがちゃんと動くか注目しているらしい。 手に信号を送る神経が残っていないので、これまでのリアルな義手はあまり役に立たないという。 痛みはあった。 ただ、医者はじきに鎮痛剤の投与をやめた。痛みとうまくつきあったほうがいい、と。 アンディは様々な痛みの違いがわかるようになり、それを表現できるようになった。痛みに包まれた痛み。もはや存在しない箇所のうずき、等々。 退院予定日の直前、アンディは感染症に襲われる。 「医者は抗生物質を投与し、たまった膿を抜いた。その夜、熱に浮かされながら、アンディは自分の腕がハイウェイだという夢を見た。目覚めたときもその感覚は残っていた」 「今、アンディは道路になりたがっていた。というか、彼の右腕がなりたがっていた。アンディがたじたじとするくらい、猛烈になりたがっている。アンディの内側と外側から、言葉にならない憧れが同時に湧き上がってくる。いや、それだけじゃない。腕はただ道路になりたいのではなかった。自分が道路だと知っていた。具体的に言うと、コロラド州東部にある、二車線で長さ九十七キロの一筋に伸びるアスファルト道だ。山までずっと見通せる道だが、山にたどり着けなくても満足している。両側に家畜脱出防止溝(キャトルガード)があり、有刺鉄線のフェンスがあり、草地が広がっている。 アンディは退院する。が、右腕が道路であることは変わらない。 アンディは農場での仕事に復帰する。馬の世話をし、トラックの整備をする。 「別のトラックが何台か、雪の降るコロラドのハイウェイをゆっくり走っていて、そのハイウェイはケーブルと電極によって、彼の脳からなぜか心(ハート)に達した人工の経路によって、アンディにくっついている。アンディは凍てついた自宅のドライブウェイに横たわり、両腕を脇につけて、トラックがガタゴトと次々に通り過ぎるのを感じた」 腕は、気温やら、空気中の汚染物質の濃度やらもアンディに伝えてくる。 「アンディの場所――農場とハイウェイの両方に、雪解けは遅れて訪れた。にぎやかな春がくれば楽になるかと思っていたが、それどころか、ますます引き裂かれた気分になった」 友人の一人は、アームのチップはリサイクルされたものかもとか、新しいスマートロード(車を自動で走らせてくれる道路)用だったのかも、と言うが、真相はわからない。 腕は、自分がこことは違う別の場所の道であると思っている以外は問題はなかった。ふつうにちゃんと動いてくれる。 でも時折、腕は言葉を使わずにアンディに話しかけてくる。アンディをひっぱったり、Uターンしろと言ったりする。 「おれはここにいて、ここにいないとアンディは思った。あるいは腕が思ったのかもしれない。アンディは故郷を愛しているんだと腕に伝えようとした。そう口にしながらも、今いる場所――サスカチュワンとコロラドの両方に完全に所属したいと願っていた。こんなのはまともな考えじゃない。二つの場所で同時に暮らせるやつなどいやしない。それはジレンマだった。」 その後、腕がどうなったかは、ここでは触れない。興味のある方は図書館等で書物に当たっていただきたい。さして「劇的」な展開ではなく、しごく「現実的」な終わり方をするとだけ言っておく。 まず、このアイディアがずいぶんおもしろいと思った。自分の腕が、自身を道路だ思っているだなんて、そう考えつくアイディアではない。 そして、私自身が物心つくころから「アンドロイド」に、ある種の憧憬を抱いていたことにも思い当たった。端的にアンドロイドになりたかった。そういう発想がどういう経路で芽生えたのかはすでに記憶の埒外である。でも、今もその残滓がないわけではない。 そして、この短編は、あるロックバンドのあるオリジナル楽曲のことを私に思い起こさせた。 オーディオスレイブ(Audioslave) の「I Am The Highway」がそれである。バンドは2001年に結成され、2007年に解散した。 ちょっとだけ脇道にそれて、このバンドのことを書く。 オーディオスレイブは、解散した2つのメジャーなバンドのメンバーが集まって結成された。 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの、脱退したヴォーカリストを除くドラム、ベース、ギターのメンバーとサウンドガーデンのヴォーカリストだったクリス・コーネルによるオーディオスレイブは、グランジ系ハードロックのサウンドに、コーネルの強力なボーカルが乗るというコンビネーションが人気を博し、2002年のデビューアルナムから3枚のスタジオアルバムと1枚のライブDVDを発表した。 そのデビューアルバムに収められていたのが、ゆったりとしたバラードタイプの「I Am The Highway」である。 楽曲のサビの歌詞の一部を書き出す。詞はクリス・コーネルの手になる。 I am not your rolling wheels和訳など不要だろうが、一応、下に。 私はあなたの転がる車輪ではない 「魔法の絨毯」はふつう「magic carpet ride」と表現するようだが、ここでもほぼ同意だと思われる。 "I"は、他の部分から考えて、おそらく「人」である。 そのうえで、上のような歌詞が歌われる。 自身のバンドに「Soundgarden」「Audioslave」と名付けるようなネーミングセンス(おそらくコーネルが名付けたのだろう)から想像できるように優れたリリシストであるコーネルらしい詞だ。 「私」が「あなた」のパーソナルな「もの」ではなく、ハイウェイであり、空であり、稲妻であり、夜であるというのは、「私」は「世界」の一部であり世界に共有されているということだ。 個人である自身と、「公器」である自身は己の中で葛藤も産み出すはずだが、この詞の中でコーネルは葛藤ではなく、公器であることを宣言する。 私は、お前の転がる車輪ではなく、車輪が進む道路そのものだと断言する。 そればかりか、空、稲妻、夜といった時空に広がる「環境」でさえあるという。 私たちがふだんさして気に留めない、環境やインフラの要素に彼は自身を、人間のあり方を重ねようとする。 このスケールの大きさ、射程の長さ、宇宙的な広がりは、結局は人間が自然や宇宙と同じ物質でできており、そこで生まれて死ぬという至極当然なこと、そして一人の人間が他者や社会と、そして自然や環境とつながっていくしかない存在であることを確認させてくれる。 私は個人であるが、同時に社会の公器であり、世界に共有される「自然」の一部でもある。 「個人」は、不可侵性と、公共性ないし共有性を生まれながらに併せ持っている。 「一筋に伸びる 二車線のハイウェイ」を読みおえて、私は、見たことも行ったこともない土地の道路になった自身を想像してみる。コロラドでも、マリウポリでもワルシャワでもピョンヤンでもジャララバードでも、ガザでもエルサレムでもいい、どこかの道路。 自身の上を通り過ぎる風や陽射、車、人々のことを想像してみるのは、そこが戦地である際の憎悪や悲哀を除けば(それが可能ならば)、悪くない気分だった。 ピンスカーは、作家であるとともにミュージシャンでもあるそうだから、もしかしたらオーディオスレイブのこの楽曲を知っていたのかもしれない。 だからといって、この短編についてどうこう言いたいわけでは決してない。むしろ、そうであるなら楽曲をきっかけにしてこんな具体的で魅力的なストーリーを産み出した才能を称賛したい。 最後に一つ。さきほど名前を上げたクリス・コーネルは、残念ながら、再結成されたサウンドガーデンのツアー中、2017年に亡くなっている。後に自死の可能性が高いという発表がなされた。享年52歳。 個人的には、すごくショッキングな出来事だった。 YouTubeにUPされた楽曲のリリック動画のリンクを貼っておく。 https://www.youtube.com/watch?v=hWlkmkZW2hk T・KOBAYASI・2024・02・18
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