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J・G・ロビンソン「思い出のマーニー」(越前敏弥・ないとうふみこ訳・角川文庫)
![]() J・G・ロビンソンの「思い出のマーニー」です。実は、訳本はたくさんあって、笠間さんは岩波版でお話しになっていたと思いますが、ボクが手に入れたのは角川文庫で越前敏弥・ないとうふみこの新訳版でした。 ちなみに、著者は正式にはジョーン・ゲイル・ロビンソンで、1988年に78歳だかで亡くなった、イギリスの女性の作家です。 文庫の表紙のカヴァーはジブリのアニメ風でしたが、10年ほど前にジブリでアニメ映画化されているらしいです。ボクはアニメも、原作も知りませんでしたが、読み始めて見ると、結構、大作で 一晩で! というわけにはいきませんでしたが、主人公のアンちゃんが、 「それで、どうなるの?」 という展開に引っ張られて、無事、読み終えました。 今更ですから、話の筋は追いませんが、実は一番気にかかったことは、主人公はお父さん、お母さんのいない、所謂、孤児なのですが、 ちょっと待てよ、この時代くらいまでのヨーロッパの子ど向け文学の主人公って、なんで孤児ばっかりなの?でした。 「家なき子」のレミ、「アルプスの少女」のハイジ、「赤毛のアン」のアン、「フランダースの犬」のネロ、で、まあ、「オリヴァーツイスト」のオリヴァー、そういえば「トムソーヤーの冒険」で、ハックルベリーはもちろんですが、トムとシドの兄弟も、お父さんがどうだったかは忘れましたが、お母さんはいません。伯母さんとの暮らしです。 今、上に挙げた作品は、だいたい、19世紀の前半から20世紀初頭の100年間くらいに書かれた作品で、日本では戦後に育った子どもたち(だから、今、60歳から80歳くらいの老人たち)が絵本とか、少年少女文学全集とかで出会って、まあ、誰でも知っているお話しですね。 一番新しい「思い出のマーニー」が1967年ですから、その分、ボクなんかより少し若い人たちに読まれた本で、初めて読む老人には 一味違う・・・気がしましたが、まあ、その一味は後でちょこっと触れることにして、問題は、 「なんでみんな親がいないの?」 なのですね。 と、まあ、振りかぶっては見たものの、ボクごときに答えが見つかるはずはありませんね(笑)。でも、思い出したのがフィリップ・アリエスというフランスの歴史学者の「子どもの誕生」(みすず書房)という、おもしろい本があったことですね。 あやふやな記憶でいうと、ヨーロッパ社会で「子ども」が、今でいう「子ども」として扱われるのは17世紀よりこっちで、今でいう小学校が法制化されるのは、上に並べた作品群の時代、だから19世紀の半ばですよね。ついでですが、近代的な小説形式が生まれたのだって、まあ、そのちょっと前なわけで、ディケンズの「オリバー・ツイスト」が子ども向けに書かれたりしたわけではなさそうですが、 「なんで孤児の話なの?」 の答には、ちょっとたどりつけそうもないですね。たぶん、当時のヨーロッパ社会の実相が背景にあるんだろうなという予感はしますが、まあ、駄法螺の域を出ません(笑)。 で、まあ、このへんで、ボクが、初めて読んだ「思い出のマーニー」は、 一味違うなあ・・・ と感じたことを書いて、駄法螺は終わろうと思います。 トム・ソーヤーもハックルベリーも、あのアルプスの少女だって、親がいないことをクヨクヨ考えたりした記憶はありませんが、「思いでのマーニー」の主人公アンちゃんは、心のどこかにそのクヨクヨを抱えていて、そこを起点にして描かれている節があるんですね。 生い立ちが不幸な少女のこころの世界 とでもいうのでしょうか。これって、きっと、ボクたちが知っているある時代以降の「今ふう」なんじゃないでしょうかね。 最後に、この物語のマーニーの正体がわかったときに、読んでいるボクが 「ああ、そうか、そうだったのか。」 と納得するのはそのせいじゃないかというわけです。 読んでいない人には、何を言っているのかわからないかもしれませんが、気にかかる方はお読みくださいネ。なかなか面白い「幻想・心理小説(笑)」でしたよ(笑)。
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