いちむらみさこ「ホームレスでいること」(創元社) ここのところ、順番に読んでいる「あいだで考える」シリーズの4冊目はいちむらみさこ「ホームレスでいること」(創元社)です。副題は「見えるものと見えないもののあいだ」です。
なんとなく、意味深な副題ですが、日ごろ、徘徊老人とか自称して町歩きを日課のようにして暮らしながら、見ているようで、見ていないこと、見ていても気づかないままで暮らしていることに気づかされる1冊でした。
いちむらみさこさんは、都内の公園の一角にブルーシートのテントを建てて、そこで20年、ホームレスとして暮らしている方のようです。都内の公園の具体的な名前も出てきますが、関西に暮らしているボクにはよくわかりません。しかし、彼女が本書の中で「公園で暮らしているホームレスの姿が見えていますか?」
と問いかけていらっしゃるのを読んだときに、やっぱり、ハッとしました。
但馬の田舎の村から、学校に通うために神戸に出てきたのが50年前です。学校を卒業し、なんとか職に就き、結婚して、中古の公団住宅を20年がかりのローンで手に入れ、4人の子どもを育て、彼らがみんな出て行って、30数年勤めた仕事を退職、徘徊老人と自称して、日々、街を歩いていますが、夜には同居人のいる「家=ホーム」に帰るのがあたりまえで、疑問なんて感じたことのない日々です。
70年の間、「家」があることが当たり前であったボクの目に公園で暮らす人たちが、本当に見えているのだろうか?
読み始めて、まず、最初に浮かんだ問いがそれですが、読みながら、もう一歩深い「問い」を問わないわけにいかないのが
本書の「力」
だと思いました。
哲学者の野矢茂樹が 朝⽇新聞の2024年10月12日付けの「好書好日」で書評していますが、こんなふうにまとめています。
さまざまな人たちが登場する。ここに描かれているのは、でも、その人生の一端にすぎない。一人ひとりに、それぞれの人生がある。その重みを受け止めてほしいと、いちむらさんはこの本を私たちに差し出す。
書評を読みながら、一人ひとりに、それぞれの人生があることを忘れて、自分自身の人生こそが!
というような気分で、やれ読書の、やれ映画のとはしゃいでいるのは「見るべきもの」を見ないままの、いわば、夜郎自大な自己満足にすぎないんじゃないのか?
というのが,ボクにとっては、もう一つ奥の問いでした。ボケと向き合いながらの徘徊老人ですが、歩き方の問い直しですね。これもまた「はげみ」かもです(笑)。




追記
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