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100days100bookcovers 99日目
内田百閒「阿房列車・サラサーテの盤」 2024年10月11日 ![]() 読後に何かコメントを書いていたら気の利いたことも書けたのに、でぐちさんのオススメを読んでからもずいぶん時間が経ち、なんだか記憶が曖昧になってしまいました。 『そして何もなくなった』 みたいな感じで情けないことこの上ない。 ずーっと99日目の作品としてどれがいいかなと思いながら、例年にない酷暑の夏を過ごし、ようやく秋の気配とともに、ある作家と作品が浮かび上がってきました。 内田百閒とその作品です。アガサ・クリスティーのミステリーの世界にどっぷりと連れ込まれるかのように、やられたなとしばし余韻を楽しむことができる素晴らしい作品でした。そもそも 内田百閒の存在自身がミステリーですね。 内田百閒といえば漱石門下のひとりとして文学史を教える中に名前が出てくる程度という認識で、実はこれまで作品も作家自身もよく知らなかったのです。 1889年生まれ1971年没。岡山の造り酒屋の裕福な家で育ち、父の死で経済的に困窮する中で岡山中学校、第六高等学校(現在の岡山大学)、東京帝国大学文科大学(文学科独逸文学専攻)で学ぶ。芥川龍之介ら漱石門弟とも交流し、大学などで独語を教えたり校閲の仕事をしたりしながら小説、随筆を発表する。また、関東大震災、東京大空襲の被害を受け、掘立小屋に住み、借金王と呼ばれた。全くエピソードに事欠かない。 ![]() 『特別阿房列車』 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」という飄々とした一文が有名な『特別阿房列車』は東京・大阪の往復旅行記で、鉄道にただ乗り移動すること自体を目的とするような旅である。また借金による旅費調達と、東京駅構内での右往左往が多くを占める。この『特別阿房列車』をスタートに『阿房列車』(あほうれっしゃ)という紀行文シリーズ全15編を収めた『第一阿房列車』『第二阿房列車』『第三阿房列車』全3巻は、鉄子の私にとってバイブルのように興味深いが、これからぼちぼち読んでいくことにしようと思っている。酒井順子の『女流阿房列車』(新潮文庫)も百閒先生を彷彿とさせていて、なかなかよかったです。 『サラサーテの盤』 あらすじの説明のしようがない作品。ご存知の方も多いと思うが一応紹介しておく。 夜になると1か月前に死んだ友人の妻(おふさ)が、夫の遺品を返してほしいと訪ねてくる。それだけでも怖いのに、何度も訪ねて来て、今度は夫が貸したサラサーテの盤を返してほしいという。さがしても見つからなかったが、後日友だちに又貸ししていたことを思い出して、そのレコードを返しに行く。彼女はそのレコードをかけ、サラサーテの声がしたときに、「いえ、いえ」と云い、「違います」と云い切って目の色を散らし、泣き出した。 「サラサーテの声がした」というのは、このサラサーテ自奏のチゴイネルヴァイゼン(ツィゴイネルワイゼン)の10インチ(SP盤)レコードは、演奏の中盤でサラサーテの声が入っているという。その伏線が最後のおふさの反応につながるわけだが、おふさにはサラサーテの声がどのように聞こえたのだろうか。 友人中砂との過去の交友や中砂と先妻の間に生まれたきみ子という幼子をふさこが育てていることなど、過去と現在の往来とともに、生と死が交錯しているようで、本当に気にかかる。冒頭の一部を紹介すると… 風がいつの間にか止んで、気がついて見ると家のまわりに何の物音もしない。しんしんと静まり返った儘、もっと静かな所へ次第に沈み込んで行く様な気配である。(中略)頭の上の屋根の棟の天辺で小さな固い音がした。瓦の上を小石が転がっていると思った。ころころと云う音が次第に遠くなって廂に近づいた瞬間、はっとして身ぶるいがした。廂を辷って庭の上に落ちたと思ったら、落ちた音を聞くか聞かないかに総身の毛が一本立ちになる様な気がした。 おふさの登場の直前、砂のにおいがするのは、夫の姓は中砂というのに関係があるのだろうか。風といい、においといい、表現の確かな力を感じる。ちなみに1980年には鈴木清順監督により「ツィゴイネルワイゼン」という題で映画化された。昨年4Kリマスター化されて話題になったものだ。私はずいぶん昔だが、上映当時の妖艶な映画を観て、とても印象に残っている。その原作が『サラサーテの盤』だったというのは今回知ったところだ。 また、黒澤明監督の遺作となった映画「まあだだよ」も内田百閒がモデルで、彼の随筆を原案に、戦前から戦後にかけての教師時代(法政大学)の教え子との交流を描いている。こちらは見ていないが、興味深い。 幻想的な世界観とユーモラスな一面の両方を兼ね備えた作家、内田百閒。1967年、日本芸術院の会員候補になるが、「イヤダカラ、イヤダ」と断ったことも愉快だ。旧仮名遣いにこだわったり、初めて出会う熟語が多かったりしたのも面白く感じた。ルビがあるので読めたものもあれば、ルビなしの熟語は困ったが、異世界の迷宮に連れていかれるような気がしてなんとも心地よかった。ちなみに作品名から難読語を3つピックアップしますので、読んでみてください。答えは最後に ①『阿房列車』 ②『梟林記』 ③『布哇の弗』 彼をこよなく愛する小川洋子が、 「生涯、百閒以外、読んではならないという状況に陥ったとしても、ああ、そうですか、とあっさり受け入れるだろう」と述べているのは、ふたりが岡山出身だからでなく、内田百閒のとてつもない無限の魅力によるのだろう。ちなみに小川洋子が子どもの頃住んでいた家から百閒の生家(既に跡形もないが)は歩いて5分もかからないところだったとあとがきに書いてあったのも興味深い。 100日目はShimakumaさんにお任せします。ずいぶんお待たせしてすみませんでした。楽しみにしています。 ① 『阿房(あほう)列車』題名は秦の始皇帝の建てた阿房(あぼう)宮に由来する。2024年10月11日N・Y
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最終更新日
2025.05.06 22:46:58
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