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橋本治「橋本治という行き方」(朝日新聞社)
![]() いいものはいい!という開き直りなわけで、今回の案内は橋本治「橋本治という行き方」(朝日新聞社・朝日文庫)です。 というわけで、 「ボクはいいと思うんですけど、こんなことをいう人も、昔はいたよ。」というご案内です。我が家の書棚には、この方の出版物が概ねそろっているのですが、ここのところ「言文一致」について、 そういえばなんか言ってよな。 というわけで「失われた近代を求めて(上・下)」(朝日選書)とかを探し出して引っ張り出したときに、一緒に落ちてきたのがこの本です。「失われた近代を求めて」の親本が2014年ですから10年前、こちらは2005年ですから20年前の本です。こちらは、今では朝日文庫に入っています。 あの頃、橋本節というか、平気で「わかんない」を連発して、実際、全編にわたって、わけわからないグネグネ論旨なのですが、人気あったんですよね。目次は下に貼りましたが、「なぜ書くか」から「物語の土壌」まで、一編、5ページ弱の 「生き方・書き方・考え方エッセイ集」 です。 で、まあ、電車のおともに読み始めて面白かったのが、こういうところでした。 二〇〇一年9・11のウサマ・ビンラディン対アメリカの「戦争」だって、「たった一つしかない正解の座」を賭けて争われているものでしかないと思うから、あんまり関わりたくはない。そういうものは、「たった一つしかない正解の座」を必要とする人間同士だけで争われるべきなのだ。冷戦だってそうだった。「冷戦は終わった」と言っても、その「終わった」の内実は、国によっていろいろだ。負けた側にとってはただ「終わった」だが、勝った側にとっては、「終わった=勝った」なのだ。「冷戦という名のこの戦争」は終わっても、それが「戦争そのものの終わり」にはならない。私にとって「冷静の終わり」は、「戦争そのものの不可能」なのだが、「勝ったからまた勝てる」と思っていれば、「戦争」そのものは終わりえない。「これは新しい質の戦争だ」とも言える。アメリカの「捨てられない強気」はそのせいだろう。空しい。(P34) ボクは、この読書案内を、ひょっとしたら、ほんの数人かもしれませんが20歳くらいの大学生さんとかが読んでいるんじゃないかという、淡い期待を持ちながら書いているのですが、もしも、20歳前後の学生さんとかで、この引用の「空しい。」に共感を感じる人がいらっしゃるとしたら、とりあえず 「あなた」はセンスがありますよ!と言いたいですね。 正解がネットの検索の世界にすべて出そろっているかの現代社会を生きている20代の方々の中で、この社会、なんか変だなという実感なしに、この「空しい」には反応できないと思うのですね。 で、まあ、そういう方は、本書に限りません。橋本治とか、ちょっとお読みになってはいかがでしょう。まあ、めんどくさいですけどね(笑)。 目次
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