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相馬庸郎「日野啓三 意識と身体の作家」(和泉書院)
![]() 相馬庸郎先生の、これまた、おそらく最後のお仕事である日野啓三論集、「日野啓三 意識と身体の作家」(和泉書院)です。 先生と敬称をつけたのには理由があります。ボクにとって相馬先生は大学生だった頃、近代文学の教授として5年間お世話になり、卒業後、神戸で震災があったころから、お仲間に加えていただいた「現代小説を読む会」という読書会で同席させていただく機会があり、先生の最晩年、10年余りの年月、 「せんせい」と呼び続けさせていただいた方です。 日野啓三の短編集の出版が2002年、この論考が出版されたのは2010年、その間に8年の間隔がありますが、日野啓三の晩年の作品群が出版されていた当時です。 考えてみれば20年も昔のことなのですが、ボクは相馬先生が読書会の席でこの作品集をはじめ、作家の晩年の「天池」(講談社)、「梯の立つ都市 冥府と永遠の花」(集英社)などに収められた作品について語られていた場所に十数人の皆さんと同席していたのです。 もちろん、「落葉 神の小さな庭で」(集英社)も、その中にあって、ボクは先生の感想を直接聞いたはずなのですが、お顔は思い浮かぶのですが、声は聴こえてきません。 先生が2015年にお亡くなりになって10年の年月が流れたのですね。今回、本書を手に取り、 1 もう一つの戦後文学 という書き出しの文章を読みながら、先生のお声が吶々と、しかし、力強く聴こえてくることを実感しました。 その言葉づかいもさることながら、 「ひとは如何に生くべきか」という問いこそが、近・現代文学そのものに課せられた宿命的な問いだ。と喝破されている、その文学的態度の宣言にこそ、相馬先生の声の響きが聴こえてきました。こみあげてくる懐かしさの中で、この書き出しを読みながら、もう、50年ほども昔のことなので定かではありませんが、確か、石川啄木の評論の購読授業だったと思います。同席の生真面目な学生の発言に対してからかいの発言をした学生だったボクに対して 「シマクマ君、そういういい方はダメですよ。」と穏やかに窘められた経験がありありと思いだされたのでした。 本書は相馬先生の最後のお仕事で、下に貼った目次を御覧になればおわかりだと思いますが、1975年、「あの夕陽」で芥川賞をとった日野啓三の、1992年の作品「断崖の年」以降の作品について、 一作、一作、丁寧に読みこまれた論文集です。 日野啓三は読売新聞社の外報部の特派員としての軍政下の韓国、戦争最中のベトナムでの経験を文学化した作家ですが、肝臓癌が発見された後の「断崖の年」以降、「台風の眼」から最晩年の「落葉」にいたるまで、闘病生活での自己凝視が作品の特徴ですが、本書において相馬先生は、それぞれの作品について一作、一作、噛みしめるように丹念に論じていらっしゃって、ボクの中では、あの、相馬先生の「声」が響き始める読書でした。 と、まあ、ここまで書いてきて下の目次にある作品論からの引用を思いついたのですが、実は、某女子大の図書館からの借り出し本で、すでに返却してしまったというわけで、本書が手元にありません。とりあえず、目次は載せておきます。興味を感じられた方は、どこかの図書館で借りだしてお読みください。 目次
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