河瀨直美「たしかにあった幻」シネリーブル神戸
今週は見たい作品がないんですね。で、しようがないのでやって来たのが河瀨直美監督の「たしかにあった幻」です。 重篤な心臓病を患っていいて、臓器移植の順番を待っている子供たちの病院院に務めているフランス人の女性コリーという人を主役として描いた物語でした。決して、一言でつまらないと裁断するような内容ではありません。何せ、臓器移植という方法以外に生きのびる可能性を閉ざされた子供たちの世界を描いていらっしゃるわけで、見ているこちらも。やっぱり、オロオロしてしまうわけで、それだけでも、この作品には価値があると思うのですが、映画としては描き切れていないというか、河瀨直美という監督さんに「それで、あなたはどうお考えなのですか?」
まあ、そんなふうに問い詰めたくなる結末でした。 フランスからやって来たコリーという女性は、医師ではなく、臓器移植のコーディネーターというポジションのようですが、病院で子供たちや付き添いの大人たち、病棟の関係者たちがフランス語で応答するシーンで始まりましたが、ボクには。それが、まず、異様でした。
その後のシーンで、迅という日本の青年と彼女が出会うのですが、屋久島の山の中で出会ったその青年が、やっぱりフランス語を喋るんですが、そこでポカーンです。
その後の生活の描写では。コリーの片言ニホンゴが出てきてホッとしましたが、「夢」であろうと「幻」であろうと、映画全体の非現実性というかについて文句を言う気はありませんが、映画が、真摯な外国人を登場させることで「日本」という社会の中で「臓器移植」とか、「行方不明者」とかがどう考えられているかという、かなりヴィヴィッドな話題を、法であるとか、死生観であるとかいう、背景を際立たせながら展開させていっているわけで、そのあたりのチグハグ感はちょっと驚きでしたね。 愛し合っていたはずの人が、突然消えてしまったという当事者の姿も、臓器移植において提供する子どもや家族、それを受け取る子ど本人や家族の姿は、それぞれ、映画として語るには、かなりな物語だと思うのですですが、「目をつむれば、そこにあの人がいる」
まあ、そういう纏め方で描くというのは、ちょっとした賭けというか、蛮勇というかという印象を受けました。 ただ、海であるとか、森であるとか、光であるとか、イメージ喚起映像を駆使することで描き上げた監督の荒業ともいえる作品でしたが、話題が話題だけに、移植された心臓が少年の胸で動き出したシーンには、やっぱり、胸撃たれました。
高校時代に実家を失踪した迅という少年の義母の役で出ておられた中島朋子さんのお顔を見たときには、ちょっと震えましたね。「北の国から」のじゅんとホタルの兄妹は、ボクの中では永遠の子どもたちなのですね。 監督・脚本・編集 河瀨直美
撮影 鈴木雅也 百々新
編集 ティナ・バス
音楽 中野公揮
キャスト
ビッキー・クリープス(コリー)
寛一郎(迅)
尾野真千子
北村一輝
永瀬正敏
中野翠咲
中村旺士郎
土屋陽翔
中嶋朋子
2025年・115分・G・日本
2026・02・12・no029・シネリーブル神戸no359