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カテゴリ:読書案内「現代の作家」
温又柔「恋恋往時」(集英社) 2026年になって、最初に読んだ小説がこれです。初めて読む作家です。読んだのは温又柔「恋恋往時」(集英社)です。名前は「おん ゆうじゅう、Wen Yourou」と読むそうです。台湾の台北市で1980年に生れて、3歳から日本で育った、多分、台湾の人です。 ウキペディアによれば「日本の作家」とされていますが、日本語で書く作家であることは間違いなさそうですが、日本の作家と呼ぶべきなのかどうか、ちょっと疑問です。 空港にいる。出国審査場は三つのゾーンに区切られていた。右端には、出国する日本人が並ぶための列が複数用意されている。中央のゾーンには、日本に来ていた旅行者や渡航者が帰国の手続きをするためのカウンターに続いていた。そのどちらでもなく、ベルトパーテーションで隔てられた最も左側にある、一つしかない列の最後尾に私はつく。すぐ前に並んでいたのは、小学生ぐらいの二人の子どもとその両親という家族連れだった。偶然にも、四人は私と同じパスポートを手にしている。それで、つい耳をそばだてる。幼い兄と妹は日本語で話しているけれど、彼らの両親は中国語で喋っている。妹の声が甲高くなると、ウルサイヨ、と母親が日本語でたしなめる。父親も子どもたちの方を振り返り、あんまり騒いでたら台湾のお祖父さんにお前たちはいい子じゃなかったと伝えるぞ、と中国語で言い聞かせる。だってお兄ちゃんが笑わせるんだもん、と言い訳する女の子は日本語のままだったが、ぼくは声を出していないから祖父ちゃんに叱られるのはこいつだけ、とおどけてみせる男の子は流暢な中国語になっている。この家族は普段からこんな感じなのだろう。それぞれが、自分にとって最も喋りやすいことばで喋る。家族が相手なら、何語を喋っても伝わるはずだとお互いに信じているのだ。空港に来ると、こういう家族をよく見かける。(P8~9) 本書の最初に収録されている「二匹の虎」という作品の書き出しです。ちょっと長くなりますが引用を続けます。
本書には、この作品のほかに「被写体の幸福」、「君の代と国々の歌」、そして表題作の「恋恋往時」の三作、合計、四つの作品が収められています。 「二匹の虎」から引用した、上の場面で、書き手である「私」は祖父母が暮らしていた、台湾にある父の実家に帰るために羽田空港で飛行機を待っている場面です。 で、書き手である「私」がここから書いていくのは、台湾での一族再会のシーンとか、そこで繰り広げらる中国語、台湾語、日本語という三つの言葉がぶつかり合う、「私」が生きている世界です。 小説中の「私」が、この作家の創作であることは、まあ、お読みにならばわかると思いますが、よく似た情景を描いている四つの作品の「私」が、必ずしも同じ人物ではないことから明らかです。 描かれている時間は、西暦2000年を過ぎたあたり、戦前の大日本帝国による植民地支配の中で「日本語」を公用語として学校で学んだ世代が「私」の祖父母、戦後、国民党が「北京官話=中国語」を話す人たちとして登場した時代に育った人たちが、父母、伯父、伯母として、その次の世代がいとこたちと、姪とか甥として暮らしている「現代」です。 それぞれの作品に登場する「語り手」である「私」に共通しているのは、引用にある子供たちのように、まあ、「日本語」に限りませんが、複数のことばで暮らしてきたことです。 温又柔という人は、「台湾生まれ日本語育ち」(白水Uブック)という本で「国語」ということに対して語り、高く評価された人です。この小説は、読みようによれば、その論議、あるいは、思考の小説化というふうに読めると思います。そう読むことに、格別の異論があるわけではありません。しかし、それぞれの作品で描かれる「家族の会話」のシーンには、この作家の小説家としての力量が輝いているとボクは思うのです。こんなシーンです。
旅先での会話と、その場での回想のシーンです。子供の頃を思い出すシーンには異なった言葉を生きている母と娘という「台湾生まれ日本語育ち」の作家の創作意図があることは明らかですが、家族の姿の描写には、 ボクの好みの小説家が潜んでいると思います(笑)。たぶん、続けて読んでいくと思うのですが、皆さんいかがでしょう。 2026-no015-1230
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