|
高橋源一郎・辻信一「『雑』の思想」(大月書店) ![]() 「弱さ」から始まって「あいだ」へたどり着いた高橋源一郎と辻信一の共同研究が、「弱さ」を考える思考の過程で、「あいだ」にたどり着く前に、まず、見つけたのが「雑」だったようです。 「雑然」の「雑」ですが、近代以降、その時代、時代の「現代」を考える思想や理念の多くが、それを取り去ることでスマート化してきた、まあ、世界史的に見れば200年ほどの「合理主義」の歴史があるわけですが、その近代思想が合理化して整理したり、纏められないから捨てたりしてきた世界としての「雑然」の世界あったわけで、まあ、そこを振りかえってみようという目論見です。 「弱さ」から「雑」へと、お二人の研究というか、興味・話題は広がっていったのですが、ボクは「あいだ」から「雑」へと、お二人の思考の流れを遡ってきました。要するに、「あいだの思想」を面白がって、続けて読んだのがこの本でした。 というわけで、今日の案内は「雑の思想」(大月書店)です。 まず、面白かったのが、「雑を深める・広げる」と題されて、第3章に登場されている田中優子さん、法政大学の総長をされた江戸文学、江戸文化のエキスパートですが、彼女が紹介されている、この「寺子屋の図」でしたね。 渡辺崋山の「一掃百態図」の中にある絵ですね。 で、田中さんは と、まあ、こういうところから現代の大学教育あたりに話が進んでいくのですが、それは、ともかく、ワクワクするのは、 この寺子屋の様子の面白さ!ですね。 高橋さんの「不適切ってなんだっけ」(毎日新聞出版)という本だったと思いますが、「6ヵ国転校生」(集英社)という本が紹介されていて、そこで、世界の小学校の教室の机の配置の話が出てきて、実は、教卓に教員が一人立って、生徒がきちんと方形に配置された机で、全員、同じ方向を向いて坐るという形式は世界的にはロシアと日本だけなんだそうですね。なんで、明治の日本とソビエト・ロシアの小学校が同型の教室教育なのかという問題は、また別の権力形態の相似性とかを浮かびあがらせてしまいますが、それ以前の、この「雑」の在り方の面白さが、江戸という時代にあって、この寺子屋の図です。 子供の時以来、40年に渡る仕事上でも、それが当然だと思い込んできたわけですから、愕然!というか目から鱗!というか、でしたね。 「考える」ということを育てるのが教育の目的の一つだと思いますが、軍隊型の一方向注入システムに何の疑いも持つことなく「自分らしい感じ方を」とか口にしていたわけですからねえ。 そういえば、まあ、映画の中ですけど、ヨーロッパの小学校の教室のシーンとか見て「????」とか感じたりすることがあるのですが、疑うべきは己の思い込みですね。 で、二つ目が、最終章での鶴見俊輔「限界芸術論」(ちくま学芸文庫)、鶴見和子「南方熊楠」(講談社学術文庫)をめぐる会話でした。 鶴見和子さんの南方熊楠、「限界芸術論」の柳田国男、柳宗悦、宮沢賢治。 鶴見和子、鶴見俊輔の姉弟もそうですが、今や、忘れられつつある四人のお名前がスゴイですね。 ご存じですか?近代日本の 「はみ出し者」の四人(笑)!それぞれ、熊楠なら「生物学」、柳田は「歴史学」、賢治は「文学」、柳宗悦はうーん、何だろう?やっぱり「歴史学」かな。とにかく、収まりきらない凄さの四人です。この四人を取り上げた鶴見俊輔と鶴見和子についてのお二人の発言も、ボクには刺激的でした。 さあ、もう一度読み始めてみようか。 まあ、老いの読書の杖のような対談ですね。一応、目次を貼っておきます。 2026-no025-1240 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読書案内「橋本治・加藤典洋・内田樹・高橋源一郎・他」] カテゴリの最新記事
|