酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社)
今日の案内は河出書房新社の「道徳の系譜」というシリーズの1冊で、今では文庫化されている酒井隆史「暴力の哲学」(河出書房新社)です。 同居人が読んでいて面白いというので、市民図書館の本ですが、引き続き借りっぱなしで、映画を見に出かける行き帰りの電車とかバスで読んだ本です。
20年前の出版で、まあ、暴力一般に対する論考で、なんとなく、プーチンあたりの振る舞いの異様さについて、頭を整理できるかなとか思って読み始めたのですが、イスラエルとアメリカによるイラン攻撃という国家テロが起こってしまって、
ドンぴしゃり!
の本になってしまいました。 最初から「暴力」をめぐっての、いわば歴史的名著の紹介のようなお名前が出てきて、ボクのような70年代に学生だった人間にはなつかしいことかぎりなしなのですが、なんといって面白いのは第2章以降、「セキュリティー」というキーワードをめぐる、現代社会の戦争についての論考ですね。
本書は2004年に出版された本ですから、ここ数年、世界に蔓延する戦争状態についての論考が直接あるわけではありません。第1章はヴァルター・ベンヤミンによる暴力批判論、ガンジーに始まる非暴力の思想あたりから始めて、暴力を行使する人たちの「敵」に対する、だから、アメリカなら差別していた白人による、差別されていた黒人に対する「恐怖」が生まれてくる歴史的過程の例として、キング牧師の「恐怖の治療法」という考え方を紹介しながら検討し、ハンナ・アーレント、ミッシェル・フーコーあたりの「暴力批判論」へと展開します。
で、第2章では、安全に暮らしたい自分たちにとって、正体不明である他者に対しての「恐怖」
そこを煽ることで「セキュリティー」=「安全確保のための暴力」の正当性
を当然視して、先制攻撃する、安心するために危険は始末する、という「現代の戦争論」へと展開するのですが、2026年の今、目の前でイスラエルによる、「ハマス」という宗教的政治組織の危険性を理由に繰り返されているガザ地区へのジェノサイド爆撃、アメリカ、イスラエルによる指導者の危険性を理由にした国家テロ行為としか思えない戦争行為を見ていて、この本を読むと、20年前の著書とは思えない、ぼくたちが暮らしている今の現実の暴力に対するリアルな状況説明になっていることに驚きますね。 一般の家庭でも、玄関先に監視カメラを設置するようなセキュリティーの考え方が常識化していますが、カメラで映し出される「不審」の対象に対する判断の主体が誰なのか?
ということが、深く考えられているとは思えません。
で、それが国家レベルになったときに、「危険だ」とか、「敵だ」とかいう判断には、実は何の普遍性もない可能性があることを一般市民に忘れさせ、不安をあおる。不安を醸し出すための情報操作が当たり前にできる。まあ、聞くところによるとネットに限らず、公共テレビによる情報内容にも、かなりな偏りがあるそうで、その結果、一部の政治家による暴力肯定論、戦争必要論がまかり通る社会になっている。
なんだか、とても疲れますね。 まあ、現代という社会における「戦争とは何か?」を考え始めるには格好の入門書だと思いました。ちょっと、難しいかもですが、できれば若い人たちに読んでほしい本でした。 一応、目次を貼っておきます。
目次
第1部 暴力と非暴力
第一章 暴力という問題の浮上
第二章 暴力と非暴力
第三章 敵対性について
第2部 反暴力の地平 主権、セキュリティ、防御
第一章 セキュリティ―恐怖と暴力
第二章 防御と暴力―「ポスト人民戦争」の政治?
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