「パパラギ」(岡崎照男訳・立風書房)
今日の案内は「パパラギ」(立風書房)という本です。「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」
と副題があります。
1920年だかにエーリッヒ・ショイルマンというドイツ人が出版した本だそうです。副題の様に、その時代、今から100年ほど前に、生れてはじめてヨーロッパ=パパラギたちの国を訪問したサモワの酋長が、サモワの人たち相手に演説した内容が書籍化されたということになっていますが、100年に渡る研究の結果、偽書だということが明らかになっている因縁付きの本です。 どうして、そんな怪しげな本を今?
ボクも、そう思って読んだのですが、これが面白いんですよね。100年前の現代文明批判!
ボクがこの本を知ったのはかなり以前なのですが、今回、市民図書館から借りだしてきたのは高橋源一郎と辻信一の対談集のどこかで紹介されていたからですね。実は、岡崎照男によるこの訳本が出たのは1980年ころで、その頃一度話題になった記憶はありました。
「えっ?どうしたのこの本?家にあるんじゃないの?」
図書館から持ち帰った本を見たときのチッチキ夫人のことばですが、ボク自身も、何となく、そんな気がしていたのです。「うん、でも、どこに突っ込んでるかわからんし。」
というわけで読み始めました。 80年代に話題になったのは、高度経済成長に寄りかかっていく日本という社会について、「パパラギは日本人だ!」
まあ、そんな、振りかえりがリアルだったからですが、それから50年近く経って、徹底的な効率至上主義のコンピュータ社会の成立を目前にすると、ちょっと、シャレにならない迫力で迫ってくる、現代社会批判の書というふうに読めますね。 面白い文明観察の山なのですが、ボクが面白かったのはこういうところです。
「精神」という言葉がパパラギの口にのぼるとき、彼らの目は大きく見開かれて、すわってしまう。
中略
考えること、考えたもの、思想、― これは考えたことの結果である― はパパラギをとりこにした。彼らはいわば、自分たちの思想に酔っぱらっているようなものだ。日が美しく輝けば、彼らはすぐに考える。「日は今、なんと美しく輝いていることか!」彼らは切れ目なく考える。「日はいま、なんと美しく輝いていることか」これはまちがいだ。大まちがいだ。馬鹿げている。なぜなら、日が照れば何も考えないのがずっといい。かしこいサモア人なら暖かい光の中で手足を伸ばし、何も考えない。頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全部で光を楽しむ。皮膚や手足に考えさる。頭とは方法は違うにしても、皮膚だって手足だって考えるのだ。(P108)
あのですね、ボクなんて、こういう「考えることの病気」を目標に、自分でも、お仕事相手の学生さんたちにも、一生懸命説いてきていたパパラギだったんですよね。それが、全部、AIとかに任せられることになった今、「からだ全部で光を楽しむ」ことどころか、それ以前に、「考えるという病気」を、まず知らない、現代のパパラギたちはどうしたらいいんでしょうね。
まあ、そういう、ある意味、老人の繰り言にすぎない思いが浮かんでくるあたりに、この本の面白さがあるわけです。 お暇でしたら、100年前の文明批判
一度お読みください。ギョッとするかもですよ(笑)。 2026-no051-1266