「常世の舟を漕ぎて」(語り・緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫・SOKEIパブリッシング)
高橋源一郎に惹かれて読み始めた「弱さの思想」→「雑の思想」→「あいだの思想」(それぞれ大月書店)という共同研究をというか、連続対談ですが、一緒に研究というか対談していらっしゃる辻信一という、「ナマケモノ倶楽部」とかの代表をなさっている文化人類学者を面白がるようになって半年ほどたちます。
で、その辻信一が緒方正人という方の聞き書きを本にしていることに気づいて仰天しました。「常世の舟を漕ぎて」(語り緒方正人・辻信一編・ゆっくり小文庫)というこの本です。
緒方正人さんてご存じでしょうか?1970年代から80年代にかけて闘われていた、いわゆる水俣病訴訟闘争で名をはせた若きリーダーでした。その彼が闘争の現場から身を引き、木造の小さな舟を漕いで水俣の海に漕ぎ出していく経緯を辻信一に語っているのがこの本でした。 冒頭に石牟礼道子さんのこんな文章がありました。
神話の海へ 石牟礼道子
それをいうとき正人さんは羞んだ様子になった。
「じつは木の舟ばつくりよるとですよ。村にはまだ内緒ですばってん。」
認定申請をとり下げて以来、なにか容易ならぬことがこの人の心に起きているのを感じていた。若い支援者が来て、
「正人さん、鯛網の仕かけの時にひっくり返ったそうですよ。見舞いに行ってみたら、手足を突っぱって痙攣して、じっさい見れば、恐ろしかですねえ」
と言ったことがあった。
おだやかに目をしばたたいている表情を見て、起きあがれる方角を探し当てつつあるのだと思い、わたしは何かしらまぶしかった。
話を聞いているうちに驚くべきことを知った。もの心ついて以来、一度も木の帆かけ舟を見たことがないというのだ。今の舟はみなプラスチック製だそうである。してみれば沖に浮いているのはすべてプラスチック船だったのか。少しはプラスチック船があるかもしれないが、多くは木の舟だとばかり思いこんでいた。これはわたしには深い衝撃だった。そうか、日本はそうなってしまったのか。
リサイクルショップの店で度々見かける、職人たちの手道具の山が胸をよぎった。家電器具の間に山師さんの大鋸(おが)や手斧(ちょうな)、大工さんの鉋(かんな)や曲り尺、左官さんの鏝のいろいろ、鍛冶屋の大鋏、石工の鑿や玄能等が錆をふいて、かえりみる人もない。あの中に船大工の手斧もまざっていたかもしれない。
せきこんでたずねた。
「舟大工さんの、よう居んなさいましたねえ」
「はい、それが運よく見つかって。造船所の親方のおやじさんと、うちの信だおやじつきあいだった縁で、親方が舟大工さんば見つけてくれて。はじめ木の舟ちゅうことば言うた時、たまがらしたです。木の舟つくる者はおらんですし。話すうちわかってくれて、引き受けてもらいました。プラスチックはもとはチッソがつくり出したしなものですもん。海のゴミとおなじごたる気のして、舟もですね」
海の上の溶けないゴミとしての船、とは言っても、その船でなければ現実の漁は成り立たなくなっているのだろうが、強化プラスチック船よりも効率の低い木の舟を、わざわざつくるという気持ちは痛いほどわかった。木の舟に乗らなければ、たどりつけない所があるというわけだろう。
「常世の舟、ち、書いてもらえんですか。」
ああそこへゆきたいのかと納得した。一族全て、死神たちの世界に引きずりこまれてきた人なのである。わたしは祈りをこめて書いたが、自信のない字になった。
本書の巻頭に石牟礼道子さんが寄せた「神話の海へ」と題された祝辞の冒頭です。 辻信一さんによる緒方正人さんの「聞き書き」、「常世の舟を漕ぎて」の初版が世に出たのは1995年くらいでしょうか、その後、増補を重ね、「熟成版」として完成したのが2020年のようです。
ボクは70年代に学生生活を送り、石牟礼道子の「苦海浄土」にゆさぶられたわけですが、緒方正人という方は、水俣病認定闘争史の文字通りリーダーであった方として、お名前だけは知っていました。
今回、この本と出会い、緒方正人さんという方が1953年生まれの方で、ご存命であることを知り嬉しく思いました。
二十代のボクが、遠くの星のように仰ぎ見ていた石牟礼道子さんが1927年生まれ、闘争のリーダーであった川本輝夫さんが1933年生まれ、お二人とも、もう、この世の方ではありませんが、ボクにとっては親の世代の方たちでした。「エッ?緒方正人さんてボクの一つ上?」
ボクが、この本を手に取って、最初に感じたのはそういう驚きでした。同じ50年を生きてきた人なのですね。 本書では緒方正人の50年
が語られていました。そこで生まれ、そこで生きていくことを余儀なくされた人間のことばが、訥々と語られています。読みすすめながら、彼の「チッソは私であった」という、驚くべき発言の力が読んでいるボクを揺り動かす読書でした。鍵になるのは「常世の舟」という言葉です。石牟礼道子さんが「ああ、そこへゆきたいのか」
と納得された舟の名前ですが、できれば、本書をお読みになって納得の意味を知っていただきたいですね。 本書は、何度かの増補の結果出来上がった本のようで、後半には、ここ10年の発言も収められています。たとえば、こんな感じです。
畏怖を取り戻す
水俣病で騒ぎになっているのと並行して、不知火海のちょうど向かい側にある御所浦島で、山を丸ごと削るような採石が進められてきた。それが今、その石を沖縄の辺野古の埋め立てのためにもっていく計画なんです。ここの他にも瀬戸内海、鹿児島、奄美など、あっちこっちからかき集めてくるらしい。だって十メートルぐらいも積み上げて、大型艦船が横づけするような基地を作る計画なんだから、石や土が莫大にいるわけですよ。
採石自体がもう大問題なんです。だって山の天辺まで削ろうっていうんだから。おまけに土砂をとったあとの四十メートルもの深い穴に、今度はどっかの毒性の強い残渣みたいなのをもってきて、二重に儲けようとしている。島の人たちはほとんどが反対で、立ち上がって声を出したんです。俺たちもこっち側で反対運動を起こした。
今のところ動きは止まっています。業者は改めて採石の許可申請を出しているんだけど、恐らくはこれ以上問題をこじらせんようにと、県が抑えているのかもしれない。
あそこはね、恐竜の化石が出るところなんですよ。俺は言うんですよ。「そげんことしたら、恐竜たちの逆鱗に触れるぞ」って。沖縄の辺野古の基地建設は、一見遠く離れていて自分たちとは関係ないように見えるけど、実はもうこうして、すぐ目と鼻の先で起きているわけです。
採石が始まったのは、俺が中学校に上がった頃だから、五十年近く経っている。ものすごくきれいな所だったんですよ。削る前は。キジが多くてね。よく漁の合間に浜に上がって昼飯食ったり、一休みしとったら、キジがすぐそばまで寄ってくる。民家がないせいか、あんまり警戒心ないんでしょう。
うちからも海の向こうに見える。外で喋ってると、天気がいい日にはダイナマイトの音がよく聞こえたりしよったもん。発破の音がして砂煙が上がるのが見える。以前、俺が苦しんでいる時には、心臓をえぐられるようで、もう一番それがきつかった。体が反応するんです。本当に肉体を削られるようで、こたえるんです。自分が苦しかったから、御所浦の人たちはなんであれをやめさせないんだろうか、といつも思っていた。
人間が、長いスパンで物事を考えきれなくなっているんだとつくづく思う。(P336)
目の前の海を眺めながら、人間はどこへ向かっているのか・・・
多分、そういう問いの日々を生きていらっしゃる方のことばですね。 本書の最後にはこんなことばもあります。
神の体と書いて、「神体性」というのがあるとすると、人間がその神体性を失くしていってるんだろうなって思うんです。どんどん機械化されてきてしまった。情報とかに振り回されないようにした方がいい。一応耳には入れても、自分の判断や自分の感覚を大切にする。そうしないと、人間、オロオロしちゃうんです。「どこで誰が何を捕った」とか、「値段はいくらか」とかろ右往左往して。
機械や情報に頼る。そこで人の力が必要なくなったんですよ。体の力も、心の力も。手漕ぎの頃なんて漁師の体力はそら、ものすごかったですよ。うちの親父たちなんか。それに勘も精神力も我慢強さもすごかった。今の漁師の能力はおそらく昔の人たちの五分の一くらいしかないんじゃないかな。機械がひとつ壊れりゃ漁に出ないんだから。
霊性も神体性も失ってきた。それでも全部失くなったわけじゃない。ゼロになったわけじゃないとは思うんです。だから諦めずに、そこからまた少しずつやっていくしかないんです。(P340)
「神体性」なんて言い方が、少し理解できる年齢にボクもなったようです。ここから少しずつ考えることを続けていきたいと励まされる言葉でした。
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