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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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映画「シネリーブル神戸」でお昼寝

2020.11.24
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​​​​ロイ・アンダーソン「ホモ・サピエンスの涙」シネリーブル神戸


​ 映画を見終えるまで、ロイ・アンダーソンという監督について何も知りませんでした。予告編を見て、チラシにある、シャガール「街の上」という絵を模したかに見えるシーンに興味を惹かれました。​
 そもそも、「街の上」という絵は、ぼくでも知っている有名な絵ですが、この絵のイメージで、作家の村田喜代子が小説「屋根屋」を書いていたのを思い出しました。
 その小説では、空中で抱き合う男女という、イメージを、どんなふうに段取りするのかというのが、まあ、作家の腕の見せ所だったように思いますが、さて、この映画はこのシーンをどんなふうに使うのかと、興味惹かれたわけです。

 なんと、映画が始まると同時に、このシーンが始まりました。もちろん意味不明で、そのあとタイトルが出て、男と女が街を見下ろすの高台のベンチで、向こうを向いて座っている、チラシの下にあるシーンから、もう一度始まります。
 曇った空と、街の向こうの山のない風景が延々と映し出されます。途中、男が女にないか言いましたが、忘れてしまいました。
 ぼくは、その時、「ひょっとしたら、このまま眠り込んで、目覚めた時に映画は終わっているんじゃないか、何度見直しても必ず眠り込む、そういう仕掛けなのではないか。」などということをぼんやり考えていたのでした。
 で、眠り込んでしまったのかって?
 不思議なことに寝ることはありませんでした。一つ一つのシーンは、それぞれ1回のカットで写されているようです。数えていませんからわかりませんが、30シーンぐらいあったと思います。1カットが終わると暗転して、さっきのシーンとは何の脈絡もない次のシーンが始まります。
 何に引き込まれたのかはわかりませんが、必要最小限のナレーションが、映像の連鎖のコンテクストにたどり着きたいぼくにとっては、唯一の助けなのですが、とうとう、映画の「ストーリー」を理解することはできませんでした。
​ 「街の上」のシーンは、映画の中ごろに、もう一度出てきます。二人の下に広がる「街」は、どうも廃墟のようです。​
​​ 「絶望したヒットラー」や、「シベリアの地平線まで列をなして歩く敗残兵の行進」という、意味の分かる「歴史的」なシーンもあります。​​
​ 「神を信じられなくなった牧師」は、複数回登場します。牧師は精神科医の診察を受けますが、解決はしなかったようです。​
 数え上げていけば、面白いシーンは、いくらでもあります。どのシーンも面白かったと言ってもいいかもしれません。もっとも、なにが面白かったのかって聞かれると困ります。


 で、何だったんだろう。「悲しく」も、「おかしく」も、「腹立たしく」もない。それが、帰り道の感想でした。
 とはいうものの、ぼくは、この監督の作品が映画館でかかれば、きっと見に行くと思います。この監督が映像を羅列することで暗示しているかに見える、世界の切り取り方について、今回、何となく感じた、正体不明の「共感」を確かめたいと思うからです。
 なんか、感想になっていませんが、正直に書くとこうなってしまいました。あしからず。


監督 ロイ・アンダーソン
製作 ベルニラ・サンドストロム  ヨハン・カールソン
製作総指揮 サーラ・ナーゲル  イザベル・ビガンド
脚本 ロイ・アンダーソン
撮影 ゲルゲイ・パロス
美術 アンデシュ・ヘルストルム  フリーダ・E・エルムストルム  ニックラス・ニルソン
衣装 ユリア・デグストロム  イーザベル・シューストランド  サンドラ・パルメント  アマンダ・リブランド
編集 ヨハン・カールソン  カッレ・ボーマン  ロイ・アンダーソン
ナレーター イエッシカ・ロウトハンデル
キャスト
マッティン・サーネル(牧師)
タティアーナ・デローナイ(空飛ぶカップル)
アンデシュ・ヘルストルム(空飛ぶカップル)
ヤーン・エイェ・ファルリング(階段の男)
ベングト・バルギウス(精神科医)
トーレ・フリーゲル(歯科医)
2019年・76分・スウェーデン・ドイツ・ノルウェー合作
原題「About Endlessness」・「OM DET OANDLIGA」
2020・11・24・シネリーブル


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最終更新日  2020.11.24 23:38:57
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2020.11.21
​​​ロバート・バドロー「ストックホルム・ケース」シネリーブル神戸



​​ ボブ・ディランが劇中歌を歌っているのを予告編で見て、飛びつきました。まあ、とにかく、ディランの声がスクリーンから聞こえてくるということがうれしいじゃないですか(誰に呼びかけてるんでしょうね?)。​​
​​ それにしても、チラシに出ている「新しい夜明け」と言い、「今夜はきみと: Tonight I'll Be Staying Here with You」といい、懐かしいのですが、ラブソングなのですよね。
 でも、この映画、銀行強盗の話のはずなのですが・・・・。そんな気分でやって来たシネ・リーブルでした。​​

​​ なんだか、アメリカっぽいオニーさんが、カーボーイ・ハットかなにかで登場しました。ピシッと決めている感じで、ディラン「新しい夜明け」かなんかを歌ったのか、聞こえてきたのかの気がします。​​
 で、自動小銃を振り回しなら銀行強盗が始まりました。普段、予想もしない、まあ、ありえないことが起こるというのは、こういうテンポなのでしょうね。なんだかとてもノンビリしています。
​​ 自動小銃で威嚇したり、友人の釈放を要求したり、それらしい強面で頑張っているのですが、イーサン・ホークという俳優さん扮する強盗ラース君は、どうも、うまくいく感じが、全くありません。​​
 なんとか人質をとって銀行に立てこもり、いやいや、こんなところに立てこもってどうするの、という展開で、最初の要求が女性の生理用品でした。この辺りまで、コミカルタッチで描かれていて、「笑う」映画なのかなあとか感じながら、なんだか笑えません。
​ 「身につまされる」といういい方がありますが、この、なんというか、ラースという主人公の頼りなさが、他人ごととは思えないのです。​
​​ 根本的に「悪意」が理解できないタイプの人の、過剰な無邪気さのようなものが、この男を包んでいて、おそらく、そこのところが人質であるはず銀行員の女性ビアンカクララにも伝染する感じなのです。​​
​ もう、途中からは、人質も一緒に「銀行強盗団」になってしまう風情なのですが、犯人ラースに、その状況を疑う「悪意」が感じられないのですから、人質たちがそうなっても不思議な感じがしないのです。​
​ で、とどのつまりは、「Tonight I'll Be Staying Here with You」というディランの曲の通りの成り行きで、まあ、訳せば「今夜はきみと一緒にいるよ」となってしまうのでした。
 「クライム・スリラー」とチラシなんかでは宣伝しているのですから、当然、まさかの展開なのですが、「男と女」「人と人」という関係で考えるなら、むしろ「凡庸」で「普通」の結末だったと感じました。​

​​ むしろ、挿入歌として歌われているボブ・ディランの数曲の歌の歌詞そのままに映画が進行し、ディランの歌が、ラブ・ソングなのに、なぜか、悲しいように、映画のラストも、ちょっと悲しいという所にこの映画のよさを感じました。​​


​​ それにしても、人質だったビアンカが、事件の後、服役しているラースに面会するシーンで、スウェーデンの刑務所が映りますが、すごいですね。映画全体にも、そのニュアンスが漂い続けていますが、施設の雰囲気だけでなく、根っこにある「罪」と「罰」の考え方の違いには、やはり、驚きました。​​

監督 ロバート・バドロー
原作 ダニエル・ラング
脚本 ロバート・バドロー
撮影 ブレンダン・ステイシー
美術 エイダン・ルルー
衣装 リア・カールソン
編集 リチャード・コモー
音楽 スティーブ・ロンドン
劇中歌 ボブ・ディラン
キャスト
イーサン・ホーク(ラース)
ノオミ・ラパス(ビアンカ)
マーク・ストロング(グンナー)
ビー・サントス(クララ)
2018年・92分・カナダ・スウェーデン合作
原題:Stockholm
20201109・シネリーブル​​

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最終更新日  2020.11.21 18:24:33
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2020.11.14
​​​​トム・ムーア  ロス・スチュアート「ウルフウォーカー」シネリーブル神戸


​​ 久しぶりのアベック映画鑑賞会です。チッチキ夫人はお仕事帰り、シマクマ君は一日がかりで、翌日の宿題をこなして、夕方5時からの三宮、シネリーブル神戸でした。​​
​​​ お目当ては「ウルフウォーカー」、アイルランドの「カートゥーン・サルーンCartoon Saloon」というアニメ・スタジオの作品で、アカデミー賞に連続ノミネートされていて、ポスト・ジブリの呼び声もある「ケルト3部作」の第3作だそうです。​​​
​ まあ、こう書くと分かっているかのようですが、監督も、スタジオ名も、もちろん「ケルト3部作」の残りの作品も知りません。ポスターを見て、「オッ、これは!」と思って狙いをつけていたのですが、明日が最終日と気付いて、慌ててやって来たにすぎません。​
 で、見終わって、どうだったか。もちろん納得でした。
​​ アイルランドのキルケニーという町と、その町を取り巻く牧草地、そして、その向こうに広がる森を舞台にしています。時代は中世なのでしょうか、ストーリーを大雑把にいえば、町の少女森の少女が出会い、仲良しになるお話です。

​​
       ​ 映画.com
 まず気に入ったのが「絵」でした。いかがでしょう。この雰囲気、まんま絵本で読みたい感じです。
 本当は町を取り巻いている城壁を遠くから見はらしている絵が印象的だったのですが、町の中を描いたこういう絵もとてもいいと思いました。向うに見える、門の外が「野生」が、まあ、「オオカミ」がといってもいいのでしょうが、跋扈する、外の世界です。

​ 門の内側の世界で暮らす少女ロビンが洗濯や料理、掃除や水汲みを仕事として働いていて、生まれてからずっとそんなふうに働いてきた女性から叱られ、命じられている世界の描き方が、なんともいえずいいとおもいました。少女はまだ10歳くらいなのですがね。​
​ そして、町の少女ロビンは、この直線で描かれた町の世界から、外の世界の冒険を夢見ています。​
​ 町が直線で描かれているのに対して、森は、下のチラシにもありますが、淡く、美しい色と曲線で描かれています。奥へ進んでいくと、とても力づよい渦のように描かれていきます。
 森の少女メーヴは、激しく渦を巻き続ける描線の象徴のように自在に飛び跳ね、考える以前に、ひらめく感覚に導かれ、美しい遠吠えでオオカミたちとこころを通わせる、個性的な「野生」の少女として描かれています。​

 次に惹きつけられたのは、主人公の二人が、二人とも少女だったことです。ついでにいえば、もう一つ共通するのは、「母」がいない少女ということです。
​​ 町の少女ロビンはイギリスからやって来た狩人のおてんば娘ですが母がいません。本当にこころを伝えられるのはハヤブサのマーリンだけです。​​
​​​ 森の少女の母は、森の洞窟の奥の神殿のようなところで、眠ったまま目覚めることができません。彼女は狼たちの女王でもあり、いや、それ以上に野生の世界の王というべきかもしれませんが、その母の魂を、森の少女メーヴは、狼たちと探し続けています。​​​
​​​ そんな、二人の少女が町と森の出会う場所で出合い、町の少女もまた、アイルランドの伝説の中に、今も生きている「ウルフウォーカー」へと変身するという、夢の様なプロットが、まずを描かれます。
 やがて、母のいない町の少女が、​
「囚われの狼」となっていた友達の「母」を城の中に見つけ出し、「ウルフウォーカー」​​​である自らに宿る「野生」に突き動かされるように護国卿との戦いに挑み、最後は森の少女と力を合わせて母を救うというのがストーリーなのですが、共に戦ったのが少女二人であったという所に、いたく、納得しました。​​​​​
 ちょっと説明しがたいのですが、少女二人であって、少年と少女ではないというこの映画の設定は、とても興味深いと感じ入ったのでした。


監督 トム・ムーア  ロス・スチュアート
脚本 ウィル・コリンズ
音楽 ブリュノ・クーレ  KiLa  オーロラ
声優
オナー・ニーフシー(ロビン)
エバ・ウィッテカー(メーヴ)
ショーン・ビーン(ビル)
マリア・ドナル・ケネディ(モル)
サイモン・マクバーニー(護国卿)
2020年・103分・アイルランド・ルクセンブルク合作
原題「Wolfwalkers」
2020・11・11シネリーブル

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最終更新日  2020.11.14 15:50:19
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2020.11.10
​​​​​​ダニエル・ロアー「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」シネリーブル神戸​​

​​​
  1970年代のはじめの頃、ボブ・ディランのバックバンドとして演奏しているグループとして「ザ・バンド」を知りました。「偉大なる復活」という二枚組のアルバムを下宿のステレオ装置で繰り返し聴きました。​​​

​​ たしか、一枚目の裏面に入っていた「クリップル・クリーク Up on Cripple Creek」・「アイ・シャル・ビー・リリースト I Shall Be Released」・「オールド・ディキシー・ダウン The Night They Drove Old Dixie Down」・「ステージ・フライト Stage Fright」が、ぼくの「ザ・バンド」のすべてで、メンバーの名前さえよく知らないまま、あっという間に解散してしまいました。「アイ・シャル・ビー・リリースト」ディランの曲だと思いますが、ぼくは、この演奏が好きでした。​​
 あれから40年の時が流れて、チラシの写真の左に立っている三人は、もうこの世にはいません。
​​ 生きているメンバーのロビー・ロバートソンガース・ハドソンの二人も、当たり前のことですが、70歳を越えた老人です。​​
​​ 映画は、そのロビーの回想の映像化でした。アルコールや薬物、解散後のトラブルをめぐって、様々に伝えられていますが、ぼくにとっては、ぼくの「ザ・バンド」がどんな姿で描かれているのか、あの名曲は聞こえてくるのかという興味で映画館にやって来ました。​​
 見終わって、しばらくぼんやり座っていました。彼らの音楽が生まれて50年の時が経ち、精悍な顔だったギタリストは穏やかな紳士として思い出を語っています。そして、映画は、その曲が生まれた瞬間の、あるいは、その曲と出合った瞬間の「よろこび」を、あの頃の思い出と一緒に、もう一度蘇らせてくれました。


 ぼくは、チラシに写っている5人のメンバーの顔つきが、あの頃からずっと好きでした。この映画は、それを再確認してくれました。それで、充分です。
監督 ダニエル・ロアー
原案 ロビー・ロバートソン
撮影 キアラッシュ・セイディ
編集 イーモン・オコナー ダニエル・ロアー
キャスト
ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)
リック・ダンコ(ザ・バンド)
レボン・ヘルム(ザ・バンド)
ガース・ハドソン(ザ・バンド)
リチャード・マニュエル(ザ・バンド)
マーティン・スコセッシ
ボブ・ディラン
ブルース・スプリングスティーン
エリック・クラプトン
ピーター・ガブリエル
ジョージ・ハリスンジョージ・ハリスン
ロニー・ホーキンス
バン・モリソン
タジ・マハール
2019年・101分・カナダ・アメリカ合作
原題「Once Were Brothers: Robbie Robertson and the Band」
2020・11・09シネリーブル

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最終更新日  2020.11.14 01:25:36
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2020.10.26
​​​​​​マルコ・ベロッキオ「シチリアーノ 裏切りの美学」シネリーブル神戸


 傑作「ゴッドファーザー」が1970年代につくられ、1950年代からのマフィアの歴史をほぼ20年に渡って描いたわけですが、それから50年の時が経過して、その間に社会の様相が大きく変わったことを実感させる映画でした。
 「シチリア・マフィアの実態」について、とか、イタリアにおける「マフィア対検察の戦い」がどうであったか、とか、事実に基づくエピソードが展開されているわけですが、マフィアというギャング組織そのものも、登場する、個性あふれるギャングたちや検察官が、如何にあがこうと、「アンチ・物語」であるほかない「後期資本主義」的な社会全体の論旨が、「一族」の「血の結束」の物語を生きていたはずの「マフィア」という集団をさえも呑み込んでいった歴史を描くほかないことを実感させてくれた映画でした。

​​ もう、「家族の掟」や、一族の「血の絆」を「物語」の起動力にする「語り」は不可能であるということなのでしょうね。それは映像の上で展開する、啞然とする「暴力シーン」や、冷酷極まりない「殺人シーン」を、ある種ホコリっぽい、乾いたものにしているように感じました。
 日本映画で言えば、70年代だったでしょうか、例えば、ボクなんかが鷲掴みにされた「仁義なき戦い」なんていう映画も、不可能な社会になっているのかもしれません。
 そういう意味では、映画の原題は「裏切り」だと思いますが、誰が何に対して「裏切り」行為を働いているのか、誰にもわからない社会の中に生きている「索漠」とした現実を活写した映画だったと言えるかもしれませんね。
​​
監督 マルコ・ベロッキオ

脚本 マルコ・ベロッキオ  ルドビカ・ランポルディ  バリア・サンテッラ  フランチェスコ・ピッコロ
撮影 ブラダン・ラドビッチ
美術 アンドレア・カストリーナ
衣装 ダリア・カルベッリ
編集 フランチェスカ・カルベリ
音楽 ニコラ・ピオバーニ
キャスト
ピエルフランチェスコ・ファビーノ(トンマーゾ・ブシェッタ)
マリア・フェルナンダ・カンディド(クリスティーナ・ブシェッタ)
ファブリツィオ・フェラカーネ(ジュゼッペ・“ピッポ”・カロ)
ルイジ・ロ・カーショ(サルヴァトーレ・“トトゥッチョ”・コントルノ)
ファウスト・ルッソ・アレシ(ジョヴァンニ・ファルコーネ)
ニコラ・カリ(サルヴァトーレ・“トト”・リイナ)
ジョバンニ・カルカーニョ(ガエターノ・バダラメンティ)
ブルーノ・カリエッロ(アルフォンソ・ジョルダーノ)
アルベルト・ストルティ(フランコ・コッピ(アンドレオッティの弁護士)
2019年・152分・R15+・イタリア・フランス・ブラジル・ドイツ合作
原題「Il traditore
20200908シネリーブル神戸

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最終更新日  2020.10.26 00:05:25
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2020.10.25
​​​​​ジョー・タルボット「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」シネリーブル

 

​​​ アメリカの若い監督の映画を続けて2本見ました。1本目がビン・リュー監督「行き止まりの世界に生まれて」2本目がこの映画「ザ・ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」です。​​​
 2本に共通するのは「貧困」と「スケート・ボード」、そして「サンダンス映画祭」で世に出た映画ということでした。「行き止まり・・・」がロックフォードという経済成長の失敗の象徴のような街が舞台でしたが、こちらは、アメリカでも有数の「金持ちの町」、サンフランシスコが舞台です。
​​ スケボーの上で暮らしているかのような、黒人青年ジミーと彼が居候している部屋の持ち主で、脚本家か俳優の夢を見ている、ちょっとどんくさい、同じく黒人の青年モントという二人の青年の掛け合い芝居でした。​​
​​​​​ 映画は二人乗りのスケート・ボードが、街を滑り降りていくシーンから始まります。サンフランシスコでしょうね。いつも本を抱えているモントと海。ジミーが覗きこむビクトリア様式というのでしょうか、見かけ以上に立派で古い家。モントの目が見えない祖父(?)と一緒に観るテレビ。ジミーのインチキなオヤジ。たむろする黒人の青年たち。空家になった屋敷に忍び込み、住み始めるジミー​​​​​
 ひとつひとつのエピソードは魅力に満ちているのですが、見ているぼくの中で、物語が起動しないそんなシーンが続きます。魅力的なシーンを支える「物語」が破綻しているかのようです。
​ 結末にたどり着いて、スケート・ボードを叩き折るジミーの姿がありました。そこには「空虚」で「アイデンティファイ」することも許されない「貧しい」若者がたっていました。
 「現代」という社会が、あるいは、サンフランシスコという街の実相がありありと浮かび上がってくるような気がして、思わずため息をつきました。
​ ジミーはこれからどうやって、この街で暮らしていくのでしょう。​

 ドキュメンタリーなタッチで描かれたドラマでしたが、面白いシーンが「思わせぶり」な印象を残した映画でした。このギャップは、監督の若さのせいでしょうか。いろいろ工夫を感じさせた映画ですが、少し残念でしたね。

監督 ジョー・タルボット
原案 ジミー・フェイルズ  ジョー・タルボット
脚本 ジョー・タルボット  ロブ・リチャート
撮影 アダム・ニューポート=ベラ
美術 ジョナ・トチェット
衣装 アマンダ・ラミレス
編集 デビッド・マークス
音楽 エミール・モセリ
キャスト
ジミー・フェイルズ(ジミー)
ジョナサン・メジャース(モント)
ティシーナ・アーノルド
ロブ・モーガン
マイク・エップス
フィン・ウィットロック
ダニー・グローバー
ソーラ・バーチ
2019年・120分・PG12・アメリカ
原題「The Last Black Man in San Francisco
20201019・シネリ-ブル

​​​追記2020・10・31
​​ 映画を見たあとですが、ブレイディ・みかこ「ヨーロッパ・コーリング」(岩波書店)という本を読んでいて気付いたことがあります。​​
​ この映画の主人公「ジミー」は、大人になる前に「家」を失っているのですね。それは、雨風をしのぎ、家族と夕食をとり、オジーちゃんとテレビを見るという、人間にとって「生活」をするための、生きていくための「場所」、「ホームレス」という言葉の「ホーム」にあたる場所です。​
​ その「家」を、二十歳を過ぎたばかりに見えるジミーは既に失っているのです。ぼくはこのことの意味を、映画を見ながら気づくことができませんでした。​
 彼が、何故、かつての「我が家」に忍び込むのか。かつて父親が彼に語った「家」の歴史が「ウソ」だったことがどういう意味をもつのか。
 この映画は人生を始めたばかりの青年が、打つ棄てられた人間としての「自分」を発見する映画だったのです。ぼくが「思わせぶり」と感じたシーンは、ひょっとしたら、ぼくの見損じだったのかもしれません。

 まあ、どこかで、もう一度出会うかもしれない日までの宿題ができたというわけです。いやはやなんとも、という気分ですが、しようがありませんね。

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最終更新日  2020.10.31 14:26:07
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2020.10.23
​​バーツラフ・マルホウル「異端の鳥」シネリーブル神戸

 


 ポスターの、この写真にビビって、見ようかどうしようかと躊躇しましたが、見て正解でした。監督はチェコの人で、写真に大写しされているのがカラスですから、てっきり「カフカ」的不条理の世界かと予想していましたが、圧倒的なリアリズム映画でした。
 おそらく10歳になるかならないかの少年が、小さな生き物を胸に抱えて走っています。ネコなのか、それともウサギなのか、判然としませんが、ともかく林の中を走って逃げています。
 何者かに追い付かれ、生き物は取り上げられ油をかけられてその場で焼き殺されます。少年は殴り倒され、泥まみれになって家に帰ってきます。
 家の前には井戸があります。井戸からくみ上げた水で少年の顔を拭いた老婆が、厳かに言い放ちます。
 「自業自得だよ。外に出るなといったじゃないか。」
 少年の顔が映し出され、老婆の顔が映し出されます。じっと、老婆を見ている少年の目が印象的です。

 映画が始まったようです。

 画面の下に「名前」と思われるクレジットが出て、場面が変わります。クレジットごとに、少年が出会う人物の名前が出ているようですが、覚えきれません。全部で、八つか九つの出会いの物語でした。
​​​​​​​​​​ 覚えている人物を数え上げると、伯母呪術師の老女オルガ粉屋ミレル鳥飼クレッフ肺病やみの司祭密造酒業者ガルボスドイツ国防軍兵士ハンス水辺にすむ山羊飼いの女ラビーナ赤軍の狙撃兵ミートカ、そして、少年の父親です。
​​​​​​​​​​
​​ 伯母は、最初のシーンで少年の顔を拭いてくれた老婆ですが、彼女が少年の伯母であったことは、帰ってきて解説を読んだ結果わかったことです。
​​
​ 彼女は「靴」をきれいに磨くことが「男のたしなみだ」と少年に教えますが、自らは井戸の水を沸かしたお湯で足を洗いながら、椅子に座ったままであっけなく死んでしまいます。
 夜明けでしょうか、ふと、目覚めて、伯母の死を知った少年は、驚きのあまり手にしたランプを取り落とし、その火が燃え広がり、住んでいた家は跡形もなく燃え落ちてしまいます。
​​ 「外に出る」ことを余儀なくされた少年に襲い掛かるのは村人たちでした。打ち据えられる少年に助けの手を差し伸べたのがオルガでした。​​

「この黒い眸、黒い髪、悪魔の申し子に違いない。この子は、この子と関わるものすべてに、不幸をもたらす。」
​​​​​ 村人の前で、呪術師オルガが宣言します。悪魔の子は呪術師に買い取られ、「魔法」をあやつるオルガの助手として暮らし始めます。
 村に悪疫が蔓延し、悪魔の子も高熱を出し、生死の境をさまよいます。呪術師は少年を土に埋め、「悪霊退散」の呪文をかけ、一晩放置します。そこにやって来たのがカラスでした。
 情け容赦なく襲い掛かる、無数のカラス。血にまみれた少年の頭部。遠慮会釈なく映し出すこの映像を「リアル」だと感じながら見ている自分の「感覚」が不思議でしたが、オルガに助け出された少年の高熱は下がり、彼は再び生き始めます。
 やがて、​オルガ​が死に、庇護者を失った少年に村人が襲い掛かります。無防備な少年の黒い瞳と黒い髪めがけて、村人たちはカラスのように襲い掛かります。
 水辺にうち捨てられた少年は川に流され、水車小屋に流れ着きます。粉ひきのおやじミレルが三人目の庇護者ですが、彼は嫉妬と性欲に狂った老人でした。カメラが執拗にとらえるミレルの眼差しを少年はじっと見つめています。
 映画は少年の黒い瞳に見据えられた「人間」たちが、暴力へと昇華していく「欲望」の虜であることを描き続けているかのようです。


 この少年が、なぜ、こんな世界をさまよい続けなければならないのか、見ているぼくには、いつまでたっても「物語」の輪郭が見えてきません。
 始まったばかりの少年の旅は、まだまだ続きますが、とりあえずここで「異端の鳥」(感想その1)を終えたいと思います。
監督 バーツラフ・マルホウル
原作 イェジー・コシンスキ
脚本 バーツラフ・マルホウル
撮影 ウラジミール・スムットニー
美術 ヤン・ブラサーク
衣装 ヘレナ・ロブナ
キャスト
ペトル・コラール(少年)
ウド・キア(ミレル)
レフ・ディブリク(レッフ)
イトゥカ・ツバンツァロバー(ルドミラ)
ステラン・スカルスガルド(ハンス)
ハーベイ・カイテル(司祭)
ジュリアン・サンズ(ガルボス)
バリー・ペッパー(ミートカ)
アレクセイ・クラフチェンコ
2019年・169分・R15+・チェコ・スロバキア・ウクライナ合作
原題「The Painted Bird
20201020・シネリーブル


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最終更新日  2020.10.23 17:02:44
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2020.10.19
​​ビン・リュー「行き止まりの世界に生まれて」シネリーブル


​​​ チラシの写真をご覧いただくと、スケート・ボードで滑っていく3人の少年が映っています。手前の少年がキアー・ジョンソンという黒人の少年であることは確かなのですが、残りの二人が、映画に出ていた誰なのか、よくわかりません。
 イリノイ州のロックフォードという町らしいです。「アメリカで最も惨めな町」なのだそうです。彼らが滑走している道路は、もちろん、公道、普通の路上です。
 スクリーンには冒頭から、このチラシのようにスケボーで滑走する少年たちが映し出されます。見事に滑っていく少年たちの姿を追いかけるカメラワークに感心しながら見ていて、はっと気づきました。カメラも滑っているのです。
​ 映像は滑っていく少年たちを、同じように滑りながら撮り続けるもう一人の少年がいることを示しています。それが、この映画の監督ビン・リューでした。そして、そのカメラワークにこの映画のよさが詰まっていると思いました。
​​​​​ この映画がクローズアップして取り続けるスケボー少年は3人でした。笑顔が何とも言えないキアー・ジョンソン、ほとんどアルコール中毒のように酒を飲み続けるハンサムは白人少年、ザック・マリガン。そして仲間たちの姿をカメラで追い続ける、ビン・リューです。
​​​ この3人ですね。
 映画は3人が10代の半ばから今日まで、どうやって暮らしてきたのかを追います。そんなフィルムが何故可能だったのか。ぼくの感想では、真ん中に立ってるビン・リューがビデオおたくだったからです。
 おそらく中学生だったビン・リューは、路上で出会った友達のカッコイイ「技」を「​​
Minding the Gap」、「溝に気を付けて」という気分で、撮り残したかったに違いありません。結果的に彼は、3人の「人生」そのものをとることに成功しています。

​​​​​​​「お父さんに、殴られたりしたことはあるの?」​

​ 父親のいないビン・リューが、殴ることでしか自分を伝えられない父親と暮らすキアー・ジョンソンに尋ねます。​

​「そりゃあ、・・・・」​​

​ 口籠りながら、笑顔がはじけます。彼は、こんなふうに笑うために路上に出て、腕を磨いてきたのです。
 ガールフレンドとの間に子どもが出来て、父親になったザック・マリガンは「家庭」を作ることに失敗します。彼はアルコールがやめられないのです。
 10年が過ぎて、町を出ていく決心をしたキアー・ジョンソン。生きていることがみじめで、辛くて仕方がないと口走るザック。そして、映画をプロとして撮る道を歩み始めたビン・リュー
 カメラは、スケート・ボードの滑走を追いかけた同じ角度で、二人の友人と自分自身の「人生」を撮り続けます。「​
 Gap」は、いろんな形で、これでもか、これでもかと出現します。
 「​ Gap」​​をなんとか越えようとあがく少年たちの姿を、あるがままに捉えた映像は、掛け値なしの「愛」を表現していると思いました。


 なんといっても、カメラマンであるビン・リューも一緒に滑走しているのですから。
 この3年間、何10本かのドキュメンタリーを観てきましたが、この映画には、今まで見たことのない「あたたかさ」を感じました。
 それと同時に「行き止まりの世界に生まれて」と名付けた、配給会社の邦題のつけ方に、なんだかよくわかりませんが、どうも心に引っかかる「上から目線」を感じたことも付け加えておきたいと思いました。

  監督 ビン・リュー
  製作 ダイアン・クォン ビン・リュー
  撮影 ビン・リュー
  編集 ジョシュア・アルトマン  ビン・リュー
  音楽 ネイサン・ハルパーン  クリス・ルッジェーロ
  キャスト
     キアー・ジョンソン
     ザック・マリガン
     ビン・リュー
     ニナ・ボーグレン
     ケント・アバナシー
     モンユエ・ボーレン
  2018年・93分・アメリカ 原題「Minding the Gap
  20200928・シネリーブル



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最終更新日  2020.10.19 02:00:24
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2020.09.21
​​ジュゼッペ・トルナトーレ「海の上のピアニストイタリア完全版」シネリーブル神戸


​ 新コロちゃん騒ぎで閉館していた元町映画館の復活の日のプログラムの一つが「ニュー・シネマ・パラダイス」でした。
 1989年に、ぼくより二つ若いジュゼッペ・トルナトーレ監督が撮ったこの映画を公開から30年たった2020年に初めて見たぼくは、とにかく、この監督のほかの作品も見たいと思っていました。
​​
 早速、シネリーブルが願いをかなえてくれました。
 「ニュー・シネマ・パラダイス」から
10年後、1998​年にトルナトーレ監督が撮って、おそらく、公開当時、評判を呼んだに違いない「​The Legend of 1900、邦題「海の上のピアニスト」をプログラムに載せてくれたのですから、駆け付けないわけにはいきません。​
 台風一過の火曜日に勇んでやって来た三宮、シネリーブル神戸でした。ナルホド評判をとった映画なのですね。年配の方が結構いらっしゃいます。
 ニューヨークでしょうか、ビル街の底のような通りを、太めですが、うらぶれた男が歩いています。楽器屋でしょうね、お店に入ると不機嫌そうな店主がいて、うらぶれた男はトランペットを売り払うようです。
 手放すトランペットで、最後の演奏を始めました。響いてくる音楽がすべての始まりでした。
​​ ヨーロッパとアメリカを結ぶ大西洋航路を往復する大型客船ヴァージニアン号で一人の赤ん坊が拾われます。拾ったのは黒人の機関士、船倉で窯を焚いているダニー・ブートマンです。彼は赤ん坊に「ダニー・ブードマン・​​T.D.Thanks Danny)レモン・1900なんていう立派な名前を付けて喜びますが、赤ん坊の成長を待つことなく事故死してしまいます。
 赤ん坊を産み落としたのが「ヴァージニアン号」というのは、意味深ですね。名前が「1900」ですから、二十世紀に降臨した「神の子」というわけでしょうか。
 実際、1900は「神の子」にふさわしい神童ぶりを発揮し、天才ピアニストとして成長します。映画は美しい音色と、目くるめく映像で目が離せませんが、かなしい予感を湛え続けています。ファンキーで超絶技巧のピアノソロや、グランドピアノのスケーティングなんて、ホント、映画でないとみることはできません。もうそれだけで納得してしまいました。
 しかし、結末は、予感どおりでした。涙が流れるというわけではありませんが、ある「時代」が海の藻屑となって消えさっていくかに見えるラスト近くのシーンは、やはり、胸をうちました。


 ニ十世紀初頭、大西洋を渡った人々の際限のない欲望の象徴、資本主義の都ニューヨークの摩天楼をはるかに望みながら、結局、船に戻ってきて、伝説となった「1900」は19世紀の神の子だったのでしょうか。
 トランペットの演奏を聞き終わった楽器屋の主人が、トランペットを返すシーンを見ながら、映画音楽の天才、エンニオ・モリコーネも、2020年の春亡くなったことをふと思い出しました。
 ジュゼッペ・トルナトーレ監督の、ある時代に対する思い入れのようなものを堪能した映画でした。拍手!

  ​監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
  製作 フランチェスコ・トルナトーレ
  製作総指揮 ラウラ・ファットーリ  マルコ・キメンツ
  原作 アレッサンドロ・バリッコ
  脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
  撮影 ラホス・コルタイ
  美術 フランチェスコ・フリジェッリ
  衣装 マウリツィオ・ミレノッティ
  編集 マッシモ・クアッリア
  音楽 エンニオ・モリコーネ
  キャスト
    ティム・ロス(ナインティーン・ハンドレッド)
    プルイット・テイラー・ビンス(マックス:トランぺッター)
    メラニー・ティエリー(少女)
    ビル・ナン(ダニー・ブートマン)
    ピーター・ボーン(楽器屋店主)
    ニオール・オブライエン
    アルベルト・バスケスクラレンス・ウィリアムズ3
    ガブリエル・ラビア

  1998年・170分・イタリア・アメリカ合作
  原題「The Legend of 1900
  20200908シネリーブル神戸


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最終更新日  2020.09.30 20:05:03
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2020.09.19
エリック・トレダノ オリビエ・ナカシュ「スペシャルズ!」シネリーブル神戸

  政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話

 ​ 朝からシネリーブルアートヴィレッジパルシネマ、どこで何を見るか悩んでいました。
 シネリーブルには見たい映画が複数ありましたが、結局、選んだのは「スペシャルズ!」でした。話題作「最強の二人」の監督コンビの新作らしいのですが、「最強の二人」を見ていないので、判断の材料になりません。
 結局、選んだ理由は「終わった後、もう一本観よう。」でした。
​ 躊躇した理由は「題名」でした。副題はいいのですが、「スペシャルズ!」ってなんやねんという気分でした。
 ところが結果は大当たりでした。同じフランス映画で「レ・ミゼラブル」にノックアウトされたのが、今年の春でしたが、現代フランス映画に連続してぶっ飛ばされました。
 映画を選ぶときに、躊躇していたもう一つの理由は「自閉症」という言葉にありました。
 ぼくは長い間、「普通」の学校教育の現場で暮らしてきました。「自閉症」という言葉が、その、教育現場でどんなふうに扱われてきたか、「学習障害」や「多動」といった言葉が「職場」でどういう意味を持ったのか、振り返ると気が滅入る事象が次々と浮かんできます。

「おたくのお子さんについて、ぼくは医者ではありませんから、特別に出来ることはありません。」

 進級して、ぼくのクラスになったある生徒の母親が、前担任の発言をそう伝えてくれました。そして、一言こう付け加えました。

「先生も、そうなんですか?」

 その後の顛末はここには書きませんが、この映画が「そういう世界」を描いているのであれば・・・・という躊躇でした。
​ 結果的に「スペシャルズ!」と題された映画は「そういう世界」を描いていました。そして、見終わったぼくはぶっ飛ばされたのでした。
 「現代」という社会では資格によって認定された「職業名」が、その責任範囲を明確にし、例えば、病院で有資格の医師が患者を診察、治療し、学校では教員が生徒と出合います。
 この社会の常識では、この映画のような「無認可の自閉症支援施設」や、「資格を持たない支援員」は「危険」であったりするわけです。
 しかし、それならば、高速道路の真ん中を、その場の「危険性」に気付きもせずに歩いている青年を、一体どういう「資格」の持ち主が救うことができるでしょうか。
 それが、この映画が、見ているぼくに、真っ向から問いかけてきた問いでした。
 問いは厳しいのですが、答えはシンプルでした。ぼくなりに言いかえますが、「いきもの」である「人間」として、「人間」である「他者」と出合うということでした。
 映画の中に、動物による療法の場面でしょうね、自閉症の子供たちに触られる馬の顔と、その馬の見ひらいた眸がアップされる印象的なシーンがあります。
​​​​​​​ もう一つのシーンは、コミカルといっていいかもしれないシーンです。主人公の一人、ブリュノが、仕事に出かけることが不安なジョセフ青年5秒間ほど、肩を貸す場面です。額をブリュノの肩に、ジーっと押し付けたジョセフは、気が済むと走って仕事場に向かいます。
 ジョセフはボタンがあれば押したくてたまらないし、好きになった人には頭を押し付けたくて辛抱できない青年です。そのために職業訓練に失敗してしまうのですが、その二つのシーンが語っていたのは、​ブリュノ​は子供たちに触られる馬であり、馬はジョセフに肩を貸すブリュノだということでした。​​​​​​
 自閉症児たちの生活の予測できない「危険」を避けるために、彼らを「安全」の中に閉じ込める考え方があります。その考え方は彼らから「自由」に生きることを奪います。
 激しい発作を起こした少年に対して、「安全」確保のためのマットレスが大急ぎで床に引かれ、その上で少年が看護士二人がかりで抑え込まれるシーンがあります。「資格」を持った医療従事者の判断は的確で、敏速です。ベッドに寝かしつけても発作のおさまらない場合には、鎮静剤が処方され、マットレスを張り巡らせた部屋に「閉じ込める」ことになるのでしょう。
 映画は無資格者の支援が自閉症の人間にとって、いかに危険であるか、容赦なく実相を映し続けます。仕事欲しさに「支援」者を目指す、貧困で、文盲で、癇癪持ちの黒人青年ディランの行動は、最も危険な「支援」の実例として映し出されているかのようです。
 しかし、映画が問いかけていたのは、「危険」にさらされている自閉症の人々と、最も危険な「支援」者ディラン青年との「出会い」の可能性でした。
 この可能性を否定してきた私たちの社会は自閉症の人々だけでなく、私たち自身をも「医者ではない」という、「資格」を盾にした言い訳の中に閉じこめてきたのではないでしょうか。

「私の子供は人間という『いきもの』なのですが、あなたも人間という『いきもの』ですか?私の子供のそばに立ってもらえますか?」

 あのときの母親が、ぼくに尋ねていたのはそういう問いだったのではないでしょうか。
 そのことをまざまざと思い起こさせたこの映画は忘れられない作品になるに違いありません。

​​​​ 調べてみると、バンサン・カッセルブリュノレダ・カティブマリク以外のキャストの多くは、自閉症支援施設で仕事をしている若者や自閉症児だそうです。​​​​
​​ 二人の名優が、「俳優」とか「演技」という「資格?」を脱ぎ捨てたかのような姿でスクリーンに登場するありさまは、なにげないシーンにドキュメンタリーの迫力を感じさせました。
 ちなみに、フランスでの原題はHors normesで直訳すれば「ノーマルの外」、「異常」でしょうか。映画全体が、何が「異常」なのかを問うていると見たぼくには、こっちのほうがいいですね。
​​
​​ エリック・トレダノオリビエ・ナカシュというの二人の監督に脱帽でした。こうなったら「最強の二人」を見ないわけにはいきませんね。​​


  監督 エリック・トレダノ  オリビエ・ナカシュ
  製作 ニコラ・デュバル・アダソフスキ
  脚本 エリック・トレダノ  オリビエ・ナカシュ
  撮影 アントワーヌ・サニエ
  編集 ドリアン・リガール=アンスー
  音楽 グランドブラザーズ
  キャスト
     バンサン・カッセル(ブリュノ)
     レダ・カティブ(マリク)
     エレーヌ・バンサン
     ブライアン・ミヤルンダマ
     アルバン・イワノフバンジャマン・ルシュール
     マルコ・ロカテッリ
     カトリーヌ・ムシェ
     フレデリック・ピエロ
     スリアン・ブラヒム
  2019年・114分・フランス
  原題「Hors normes
  20200915シネリーブル神戸​​​


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最終更新日  2020.09.19 11:19:13
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