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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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全10件 (10件中 1-10件目)

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読書案内「映画館で出会った本」

2020.05.20
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四方田犬彦『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書​)


​​ 四方田犬彦の登場は眩しかった。1980年代の初めころ「構造と力」(勁草書房)「チベットのモーツアルト」(せりか書房)中沢新一「映像の召還」(青土社)四方田犬彦というふうに、ニューアカ御三家の一人として登場した。年が一つ上なだけの青年の文章に愕然とした。要するに、繰り返し読んでもわからなかったのだ。​​
​ あれから、なんと半世紀近くの時が経ち、久しぶりに彼の映画解説を読んだ。「『七人の侍』と現代」(岩波新書)という、いわば、初心者向けの入門・解説本だった。​
 50年前に、同世代を蹴散らした記述は鳴りを潜め、懇切で丁寧な語り口に笑いそうになった。四方田犬彦の上にも時は流れただということを実感した。
 一章は黒澤の死をめぐっての個人的な感想ではじめている。そこから「映画ジャンルと化した七人の侍」と章立てして二章に入り、1960年にハリウッドのジョン・スタージェスによって、「荒野の七人」(原題Magnificennt Sevenn:気高き七人)としてリメイクされたところから話を始めて、あまたのアジアの映画から果てはアニメ映画「美女戦士セーラームーン」に至るまで、影響関係を解説・紹介したうえで、「七人の侍」という映画が成立した1954年という時代背景にたちもどるという展開だった。
 1954年とは、平和国家を標榜する一方で自衛隊がつくられ、第五福竜丸の被爆が「死の灰」という言葉を生み、本多猪四郎が「ゴジラ」を撮った年であることに言及したうえで、黒澤の「構想」と苦難の「制作」過程を解説し、革命的「時代劇」として大ヒットするまで。いわば「七人の侍」成立の「映画製作史」を論じたのが五章「時代劇映画と黒澤明」でした。ここまでが、いわば本書の前半です。
 
後半では戦後社会の新しい観客を前に超大作として登場した作品の内容が俎上にあげられる。
 
六章、七章では「侍」、「百姓」、「野伏せ」という階層・階級の戦後映画論的な意味を指摘したうえで、まず、個々の「侍」たちの背景を暗示し、個性を強調した演出の卓抜さが論じられる。
 続けて、戦乱の中で「百姓」から、浮浪児となったに違いない、「菊千代」が母親を殺されて泣き叫ぶ幼子を抱きしめて「こ、こいつは…俺だ!俺も‥‥この通りだったのだ!」と叫ぶ姿が、1950年代の観客に呼び起こしたにちがいないリアリティーと親近感のありか、「農民」の敵として登場する「山岳ゲリラ」、すなわち「野伏せ」たちの描き方に宿る日本映画のイデオロギーに対する批判と、それに縛られていた黒澤の孤独について、それぞれ論じられている。
​ 映画の細部についての言及は、筆者の博覧強記そのままに、さまざまな映画や、歴史資料を参照しながら繰り広げられて、興味深い。さすがは四方田犬彦だというのが、ぼくの率直な感想だった。



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最終更新日  2020.09.15 01:18:28
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2020.02.16
​​​宮崎駿インタビュー「風の帰る場所」(文春ジブリ文庫)


​​​「ロッキン・オン」社渋谷陽一がネット上で、自社の雑誌に掲載した「中村哲」のインタビュー​を公開しているのをのぞきながら思い出した本です。​​​
​​​​  渋谷陽一が編集長をしていた(多分)「CUT」とか「SIGHT」という雑誌に、その時、その時、掲載された、「宮崎駿」のインタビューを、雑誌掲載時には、やむなくカットした部分もあったらしいのですが、完全ノーカットで収録した「風の帰る場所」と題されたジブリ文庫です。​​​​
​​ 2013年に出版された本ですから、もう、かなり旬を過ぎているかもしれません。2013年といえば、「風立ちぬ」を作った宮崎駿が長編アニメーションからの、何度目かの引退を宣言した年ですが、宮崎駿に今でも興味をお持ちの方にはお薦めです。​
 ​
​​​​​​​​​​​​この文庫には、5回のインタビューが入っています。宮崎駿の作品のアーカイブにそっていえば、『風の谷のナウシカ(1984)』・『天空の城ラピュタ(1986)』・『となりのトトロ1988』・『魔女の宅急便1989後のインタビューが「風が吹き始めた場所」(199011月)です。ジブリ・スタジオの設立から、宮崎アニメの特質まで、かなり基本的なポイントがつかれています。
 『紅の豚1992の公開直後がのインタビューが「豚が人間に戻るまで」19927月)です。
 このアニメは珍しく「大人向け」なんですよね。もともとは日航の機内サービス用の短編の計画だった辺りから、大人向けの「宮崎」の本音が面白いインタビューですね。
『もののけ姫1997の公開後が「タタラ場で生きることを決意したとき」19977月)ですが、この辺りから、いろんな意味で「超」がつき始める、ジブリなのですが、宮崎本人の苦悩も深い、そんな感じですね。
 「ナウシカと千尋をつなぐもの」20017月)・「風の谷から油屋まで」200111月)の二つのインタビューは、それぞれ『千と千尋の神隠し​2001​』の公開のあとですが、特に、後者は出発からの回想風に構成されています。
 渋谷陽一は本書の「はじめに」で「なんでこんなに喧嘩腰なのか、自分でも呆れる」と書いていますが、インタビュアーとしての遠慮会釈なしの構えが、宮崎駿を刺激しているのでしょうか、率直で正直に自分をさらけ出している感じがして、「破格」に面白いインタビューになっていると思いました。
 当時、一番旬の時代の、世界の宮崎駿に、媚びることも怖ることもない渋谷陽一もかっこいいですね。​​​​​​​​​​​​
 
あれこれ引用し始めるときりがないので、とりあえず、宮崎アニメの肝ともいえる「風」について一つ引用しますね。

あのー、ただ自然という現象を描く時に、例えば空気というものも、それから植物も光も全部、静止状態にあるんじゃなくて、刻々と変わりながら動態で存在してるものなんですよね。
 ええ
 それを見ている人間も歩いている自分も、その感受性も刻々と変化するでしょう。いつもなら「いいなあ」と思える気色が、今日は条件が全部揃っているのに全然目に入ってこないとかね。それから、何でもない下らない状況なのに、やたら気色がよく見えるとかね(笑)
(笑)
 それは、みなさん経験していることだと思いますよ。そうすると、こう「いい景色ですね」って言うときに、ただ一枚絵を書いただけで済むっていうものではないはずだっていう、そういう強迫観念はありますね。
 ふーん
「魔女の宅急便」の冒頭に風が吹いているなんていうのは、あったかいポカポカした風景で「わあ、ステキね」っていうんじゃなくて、騒がしくて、それでちょっと冷たい風が、僕は吹いててほしいっていうふうに思ったんです。ええ、ええ、それが、「行こう!」っていうふうに決める時の、そういう彼女にとってふさわしい風景じゃないかと思ったもんですからね。だから、湖も立ち騒いでてほしいとかね。あんまり立ち騒がなかったですけど(笑)
ははははは。
(風の吹き始めた場所)
​ なぜ、ここを引用しているのか、わかっていただけたでしょうか。「映画の時間の中で、『風』がとまるのはおかしい。」​強迫観念として、そう考える宮崎にぼくは感動しました。背景は「書き割り」として止まっているものだと思い込んできた、ぼくは、初めて動く「風」を彼のアニメで見た時に「ヘンだ」と思いましたから。映像がすごかったんですね。
  次は「ナウシカ」の結末についてです。「ナウシカ」にはコミック版がありますが、結末はちがいます。渋谷陽一が、そのあたりを聞いています。​
​​

渋谷
 アニメーション版「ナウシカ」のラストなんですけれども、あれは非常に宗教的な終わり方をしていて、それに対して、以前、反省があると宮崎さんはおっしゃってたんですね。僕はすごくよかったと思うんですけどね。
宮崎
 
いや、あれは宗教的に終わらざるを得ないんです。今やってもやっぱりね、そういうところに持っていくだろうと思うんですよ。だから、それに対しての自分の備えがあまりにも浅かったっていうことですよね。
(中略)
 
ただ僕は、あのとき映画の大ラストのところで絵コンテは進まなくなっちゃたんですよ。なぜ進まないかっていったらね、王蟲を一匹も殺したくないんですよね。「もう殺したくない!人間は殺しても王蟲は殺したくない」っていう気持ちが強くて(笑)。それで最後、パクさんが、「殺しャアいいんだ!」って怒鳴ってね。「じゃあ殺す!」って、それであっという間に絵コンテができたんですよね。とにかく自分は偉大な生き物だと思ってるんですよね。だから、「殺したくない。そんな映画の手管のために殺したくない」って(笑)。逆上状態って言うんでしょうけど、そういうふうなことを自分が生きている上で、一番大事な問題だと思い込んじゃうんですよね。だけど、映画って逆上状態になって作るものですからね。だからもう初めから。ああ云うふうに終わるのは予感としてあったんですけれども、最後の最後は迷いました。
​​(「風の谷から油屋まで」)​

 ​​​「ナウシカ」は、結局、一番好きな作品なのですが、​なんか、すごいことを言ってると思いませんか。実は、もっといろいろ言ってるんですが、その結末についてのこの葛藤は初耳でした。ちょっとうなりました。
 これ以外にも、「紅の豚」について語っている「豚が人間に戻るまで」のなかにも、大人向けアニメの「豚」ファンには、なかなか必読の発言がありますよ。ほかのインタビューにも、随所に宮崎駿の自意識のありようや率直な自己暴露が、笑える発言が山盛りなのですが、そのあたりは本書でどうぞ。​​​

 ​実は2013年には、このシリーズの後編「続 風の帰る場所」が出ています。それについてはまたいずれということですね。​


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最終更新日  2020.11.02 01:36:17
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2019.10.12
​​高橋ヨシキ「シネマストリップ 戦慄のディストピア編」(スモール出版)


 
ここのところ、徘徊のお供にカバンに忍ばせているのがこれですね。「高橋ヨシキのシネマストリップ」(スモール出版)のシリーズ
 一応、お断りしておきますが、ストリップのシネマじゃなくて、シネマのストリップですよ。
​まあ、図書館で見つけて手に取ったときに、「ストリップのシネマ」と勘違いしていた可能性はないとは言いませんし、その上、この表紙のイラストも、「ふーん」という感じがしないわけではありませんが、読みはじめてみると、これがなかなかやめられない「映画のカワハギ」でした。

​ 高橋ヨシキさんがNHKのラジオ番組でしゃべっていらっしゃる内容の書籍化らしいのですが、映画のちょっとした蘊蓄とか、「この映画なにがいいの?」って感じやすい人にはうってつけじゃないでしょうか。

 かくいうぼくは、80年代の中ごろから映画というものを全く見ていない生活で、昨年の四月から、ようやく映画館に戻ってきたような次第で、この本でしゃべっていらっしゃる映画のほとんどは見たことがありません。ふつうは、それが難点になるのですが、読みはじめると、「とりあえずこの章は・・・」と思わせるのが高橋さんの芸というべきなんでしょうね。たぶん、「語り口の平明さ」について、かなり注意を払っていらっしゃると思います。
 もう一つは、内容の広がりですね。

​​​​ たとえば、14本目のストリップは「エイリアン」です。この映画はぼくでも知っています。
 内田樹さんが「映画の構造分析」(文春文庫)だったかで、アメリカ映画のフェミニズムについて分析されていて、面白がっていたら、風丸良彦という人が「村上春樹短編再読」(みすず書房)という本の中で、ほとんどパクリのような引用をしていたので覚えているのですが、興味をひかれた人はそちらをお読みいただくとして、ストリップの本文はこんな感じです。​​​​

​ ホラー映画の世界では、「女の人が最後まで生き残って怪物と対決する」というパターンがあよくありますが、最近はそういう定型を「ファイナル・ガール」と言ったりもしますが、「エイリアン」は「ファイナルガール」ものの決定版でもあります。興味深いのは、1979年の映画にもかかわらず「「ベクデル・テスト」を完全にクリアしているところです。「ベグデル・テスト」は映画において女性がちゃんと(添え物、あるいは性的な対象としてだけでなく)描かれているかを判別する簡単なテストで、「最低でも二人の女性が登場するかどうか」「その女性同士の間に会話があるかどうか」「その会話の中に、男性について以外の話題が出て来るかどうか」が問われます。シンプルなやり方で作品のジェンダーバイアス(性的偏見)を計ることのできるテストですが、「エイリアン」は三項目すべてをパスしています。脚本時点で男性を想定していた主人公を女性にしたことで、そのような結果が生まれたのかもしれませんが、映画製作の人たちも「エイリアン」に倣って、主人公の性別を反対にしてみる…というの試みをもっとやってみる価値はありそうです。​
​ ね、ベンキョウになるでしょ。まあ、映画ファン相手にラジオのようなマスメディアでしゃべるためには、いろんな意味で、「広さと深さ「」、同時に「まとまり」がないとだめでしょうから、市バスとかで読んでいると、「運転手さん、もうちょっとゆっくり走ってていいよ。」ということになるのです。

 今回はディストピア編でしたが、「エイリアン」何故ディストピア映画なのか、首をひねる人もいらっしゃるかもしれませんね。高橋君の結論はこうでした。

人間をある種の「駒」と考え、個人の思惑や生死をないがしろにするるのはディストピア社会の大きな特徴の一つですから、その意味で「エイリアン」は全く伝統的なディストピア映画なのです。

​ 理解していただけましたか?宇宙船ストロモ号の乗組員は全員、まあ、アンドロイドのは別にしてエイリアン捕獲のための撒き餌、すなわち、会社の「駒」でしかなかったって、最後にわかりますね、覚えてますか?

 この手のはなしのお好きは人はどうぞ。どの解説も、飽きさせないし、おもしろく読みましたよ、ぼくは。ベンキョーになりましたが、すぐ忘れちゃうんですよね。S

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最終更新日  2020.10.16 10:34:24
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2019.09.09
  ​​​小林信彦「生還」文藝春秋​​


​​​ 作家というべきなのか、評論家というべきなのか、はたまた、編集者というべきなのでしょうか。最近では「本音を申せば」(文春文庫)と題して、週刊誌に連載を続けていらっしゃったコラムニスト小林信彦さんが脳梗塞で入院、退院後、リハビリ中に、二度の大腿骨骨折から「生還」されました。年齢的にも、ほとんど再起不能といっていいくらいの「大事(おおごと)」なのですが、その闘病記を「生還」(文藝春秋)で読むことができます。​​​

 本書を、偶然手に取って読み終えたぼくは、ただ拍手!拍手!

 三十代くらいの人が、この書き方をお読みになれば、「何をそんな?」、と思われるかしれませんね。今六十歳を過ぎたくらいの人たちの中で、二十代に「映画」とか「お笑い」とかに興味を持った人たちは、みんなこの人にお世話になったんじゃないでしょうか。

​​​ 晶文社から、中原弓彦の名で出ていた「日本の喜劇人」「世界の喜劇人」という二冊は、当時すでに幻の名著と呼ばれていましたが、ようするにぼくには映画の教科書でした。古本屋で探して手に入れたのです。​​​

  ​さて、「生還」ですね。

自宅の一階和室で倒れた後、救急車でM病院に運ばれた後あたりで記憶が亡くなっている。
 これが、思いもかけない出来事の始まりでした。

海の上に無数のヨットがいるようである。

高いところからそれらを見ているようで、無数の波が立っている。ボンヤリ見ている分には気持のよい長め、と言えるかもしれない。

​総ては、天井の眺めなことがわかってくる。天井には無数の模様がある。​

​ 目覚めた彼が見た世界。このシーンが実にリアルなんです。近親や知人に、同様の体験をされた人がいたら聞いてみてください。ベッドの天井のこのシーンが「生還」の第一歩のシーンだとおっしゃると思います。
 彼は、どんどん「生還」してゆきます。記述が、少し飛ぶ感じのところがありますが、それはそれでリアルですね。 

 

 今回は五十何年ぶりの入院なので、ほとんど初めてのような気分で、まわりを見回していた。だから、〈ダンケさん〉のことだの、戦争中の歌をうたおうといって高木東六作曲の「空の神兵」をうたったこと(恥ずかしくて大きな声を出せなかった)など、食堂だけに限っても色々な観察をした。私に歌を強制した背の高い老人は戦中はだろうと思うが、いつも、(若者はあの戦争のことを忘れているにちがいない)と思って、苛々ているように見えた。まだこういう人がいるのか、と私は感じていた。去年の一月から二月、私の入院前に鈴木清順監督が九十代で亡くなっていた。私はこの人にあったことがあるが、戦時中に出た黒澤明、木下恵介、吉村公三郎の三人の名をあげて、誰が好きか、とどうでもいいことを訊いた。清順さんは「吉村公三郎です」と松竹のモダニストらしい返事をした。モダニストだけれども、清順さんは大川の向こうの生まれらしく、つまりはあちら風であった。それでなければ「ツィゴイネルワイゼン」で大谷直子の指の粋を、ああいうふうに協調できるものではない。
​ こういう、話をまだまだ書いていただきたい。そう思うのは、ぼくだけでしょうか?

 高校を出て、専門学校(三年)を出ただけ、ここで働いているという彼女は、この春、就職したばかりという二十一、二歳のひとだった。リハビリは人間同士の〈ウマが合う〉ことが大切だと、この人に教えられた。
 ​腹を立てながら、学んだりしている。ここにも小林信彦がいますね。

 


 長い戦後を私は夢中で走ってきた。そして立ち止まったいま、友人たちを想いかえすと、ほとんど、亡くなっている。最近、知名人の死を新聞で知ると、みな、私よりも年下であった。

 八十五年の人生は、主として荒涼たる眺めの続きであったが、楽しいこともあった。ただ、その最後に、脳梗塞を起点とする生活が待っているとは知らなかった。この悪魔につかまったら終わりである。それがどのようなものか、しつこく書き記したつもりだが。

 とにかく、生きていても、死んだときと同じような状態になってしまう

 呼吸はしているのに、息を引き取った後のような、世の中の音がすべて消えてしまったような感覚は独特である。

 そして、首が外れる。クルクル回るので、目がチカチカする。窓からは赤い光、青い光が入ってくる。

​​​​ これが、八十を過ぎて「生還」した人のリアルです。「首が外れる」って何でしょう。小林信彦が書くと、本当はリアルなことが、シュールに見え始める。​​​

「生還」を書く予定は、まだ最初の退院もする前に、出来ていたと言えなくもない。このころには、私の発想、感じ方がおかしくなっていた。他人の表現を借りれば、〈足が地面から数センチ浮いている〉ということだろうか。

​ いかがでしょう、すっかり小林信彦ですね。彼は「生還」しました。めでたい、実にめでたい。今回の「案内」はこれで終ります。

ぼくは彼の生還を祝って、この夏、日本橋という所を徘徊してきました。想像していた以上に、観光地でしたが、ぼくがとぼとぼしたところは、ちょっとドブ臭い下町でした。まあ、それがうれしかったわけですが(S)。

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最終更新日  2020.10.15 02:24:37
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2019.08.09
​​​​​​井上光晴「明日 一九四五年八月八日長崎」(集英社文庫)


  ​​ 一九四五年八月九日、午前十一時二分。​​

  この小説のなかに、この時刻が出てくるわけではありません。
 空襲が続く戦火の中でとり行われる結婚式をめぐる苦労話や、並べられた祝いの膳のご馳走や、召集を免れている花婿をめぐるやっかみ半分の世間話。空襲警報で中断した披露宴。友人の式に参列しながら、式のあいだじゅう、音信を絶った恋人と妊娠三か月の我が身に思い悩む看護婦。
 戦争未亡人との関係を指弾された青年の失踪。後輩の行方を気に掛ける市電運転手と、その妻とのささやかな約束。
 何が配給されているのかも知らず、品切れになっていることにも気づかない行列の珍妙な大騒ぎ。
 産気づいた花嫁の姉と、そこに駆けつける産婆。庭に紛れ込んでくる小さな子供のあどけない声。
 二人になった新郎新婦の初夜の誓い。
 そのどれもが話の途中で終っています。彼らはその後どうなって、どうするのか、すべて明日、夜が明けてからのことなです。
 夜明け前に、ただ一つだけ、結果が出た時刻が記してありました。新しい命がこの世に生まれ出た瞬間です。

​​ 突然、終わった。すべてが消えた。声にならない私の息は母の息と重なる。その時、鋭く空気を顫わせてひとつの叫びが湧いた。生まれたのだ。私はいま産み終えたのだ。はじめて耳にする声のなんと美しいこと。声は力強く放たれ、それから次第に甘い響きに変わっていく。

「よかった、ツル子」

母の手が私の腕を掴む。その手はとても熱い。

​「お手柄ですばい。」と、産婆さんがいう。「坊ちゃんですたい。どうですか。」「男ん子よ、ツル子。よかった。・・・・」​

「四時十七分やったですよ」産婆さんはいう。

八月九日、四時十七分。私の子供がここにいる。​

​​​​​​​​ ここに初めて具体的に記された日時が出てきました。花嫁の姉、ツル子が男の子を出産した時刻です。
 ここまで読んで、この小説の一つ一つのエピソードの「底が抜けている」、その理由に気付かない人はいないだろうと思います。
 作家が、この作品で描いているのは八月九日の「昨日」の世界です。
 人々の些細な争いや、喜び、どこにでもありそうな言葉のやり取り。無残な戦場のうわさや、不条理に対する嘆き、人目を忍んだ勝手、勝手な行動。生きるためのずるさや、なにげない親しみについての丁寧な描写が、かえって読み手に異様な空虚を感じさせるこんな小説はそうあるものではないと思いました。
​​ 井上光晴にこんな作品がることをぼくは知りませんでした。ぼくにとって彼は「ガダルカナル戦詩集」「地の群れ」で印象深い作家でしたたが、今では娘で、作家の井上荒野の方が有名かもしれない人でしょう。忘れられていく作家なのかもしれません。
 ぼくは知らなかったのですが、この小説は黒井和男監督によって、​「TOMORROW 明日」という題名で映画化されているそうです。​子どもを産むツル子を桃井かおりが演じているそうですが、ぼくは、偶然その資料をどこかで読んで、この小説を知りました。
 核武装などという、物騒な言葉がタブーであることの意味が忘れられつつある現在、思い出してもいい作家だと思いました。
追記2020・07・29
 現実の事件を、読者の前提として描いている作品です。​​​​​​​映画の脚本として書かれたのかなあという印象もあります。
 読者に「現実」という下敷きを要求する描き方には、小説の作法として「批判」もあり得るでしょう。しかし、今このときというのは、いつだって切り立った断崖に臨む崖っぷちである可能性を思い起こさせるというリアリティはあると思いました。

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最終更新日  2020.10.28 02:24:23
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2019.07.19
​​​鈴木敏夫 「禅とジブリ」 (淡交社)
 この本を案内しようとと思ったのは表紙をスキャナーで写真にとってみると、手抜きの構成のようなんだけれど、これが結構面白い。たった、それだけ。「禅とジブリ」、この写真ネ!


 鈴木敏夫という人は、知る人ぞ知る「スタジオジブリ」のプロデューサー。宮崎駿高畑勲の仕事を支えてきた人。もともとは徳間書房の編集者だったらしい。その鈴木敏夫が三人の僧侶と出会う。
 ぼくは、基本、この手の学者やタレント、経営者の「人生論系の本」は読まない。だって、めんどくさいじゃないか。世間では、本屋の棚を見る限り氾濫していて、よく読まれているらしい。この本も、そういうめんどくさい系の一つであることは間違いないが、ジブリの鈴木敏夫という名前に惹かれた。
 読みはじめると、宮崎駿が2018年現在の、今、準備している作品があるらしい。ここ数年、社会現象化しているあの「君たちはどう生きるか」だという。
 やれやれ・・・

 「プロデューサが参禅のおしゃべりで、監督は超ハヤリの人生論かよ。」
 なんとなく、時代の黄昏を感じて、ついでに思い出に浸ってしまう。

 ジブリの、宮崎駿高畑勲のアニメーションは「風の谷のナウシカ」以来ずーっと、我が家ではハヤッテいて、そういえば、ドアを開けて入ってくると暗いだけの玄関の壁ではナウシカとチビのオームが、あの頃からズット散歩している。「ナウシカ」はジブリ以前の作品で、「天空の城ラピュタ」から「トトロ」がスタジオ・ジブリの仕事の始まりだったと思う。
 今は30歳をはるかに超えている、ヤサイクンサカナクンたちが小学生だった。みんなでトトロの歌を歌っていた。

  あるこう  あるこう わたしはげんき♪♪ 
  あるくのだいすき♪♪

 これって人生論じゃないよね。でもまあ、徘徊ソングなわけで、「君たちはどう生きるか」って、まあ、宮崎駿がどう描くか、やっぱり興味はあるけど。
 さて、その鈴木君が禅宗のお坊さんと会ってしゃべる。黙って座禅を組めばいいようなものだが、それでは本にならないからおしゃべりをすることになる。登場するお坊さん、どなたの名前も知らないなと思っていると、最後の一人は玄侑宗久、芥川賞作家である。そこにこんな会話がある。
鈴木:高畑さん、宮さん、この二人を見ていて、年齢を重ねても、二人共いまだに映画を作りたい。ぼくの想像では、たぶん死ぬまで「枯れる」なんて考えない人たちだと思うんですよ。ギンギラギンのまま。

玄侑:なるほど。禅で言う「枯れる」とは、どちらかというと「余白の美」に近いと思います。(略)特に高畑監督は映画の中で余白とか、虚の部分を重視されていますよね。


鈴木:していますね。単純に絵だって、年を重ねてからの作品には必ず余白があります。

玄侑:だから、作品の中で枯れておられるんじゃないですか?高畑監督の「かぐや姫の物語」なんてまさにそうだとおもいます。あの、月から使者が迎えに来るラストの光景と音楽はちょっと忘れられないですね。

鈴木:仏教の来迎図ががモデルです。高畑さんは、来迎図の菩薩たちが持っている楽器全部調べて、それぞれの音色を再現して演奏してもらった。最後の曲はそういう曲ですね。​
​ 宮崎駿の引退宣言については「問答後談」のなかでこんなことを書いている。

 宮崎駿は「今、ここ」の人である。加藤周一さんに倣うなら、明日は明日の風が吹くし、昨日のことは水に流す人だ。(略)だから、引退宣言を繰り返してきた。
 あまり知られていない話を披露するなら「風の谷のナウシカを作った直後にも「二度と監督はやらない」と宣言した。質の向上のために仲間たちに罵声を浴びせなくてはいけないのが監督の役割。「もう友人はなくしたくない」が、その理由だった。
 あれはもう三年以上前になる。盛大な引退記者会見を開いた。それを再び、去年放送のHKスペシャルでひっくり返した。監督への復帰宣言だった。まさに「終わらない人宮崎駿」である。
 「これまで等身大の自分をさらけ出した作品は作ってこなかった。最後はそれをやりたい」
 宮さんとしてはやり残したことがあると言い出した。おいおい、これまでだった、十二分に自分をさらけ出していると言いたかったが、ぼくは失笑をこらえつつ同意した。
         ―略―
 で、問題はこの先だ。宮さんは、この正月で満七十六歳になった。宮崎家は親戚を含めて八十歳を越えた人は皆無らしい。去年の秋、長兄が七十七歳で亡くなり、宮さんのお父さんは享年七十九歳だった。
 「作っている途中で死ぬかもしれない」
​ その気持ちが彼を駆り立てる。ぼくの老後の楽しみはどこへ行ってしまうのか。しようがない。宮さんと共に生きてきた人生だ。協力せねばと覚悟した。 ​

 ​高畑勲​は、この本が編集されている最中、2018年四月五日に亡くなった。
​​​ 宮崎駿は、新作アニメに没頭しているらしい。三月二十一にに書かれたプロローグに、三年がかりで出来上がった絵コンテに対する鈴木敏夫の批判と宮崎駿の反応が書かれている。​​​
「‥・・・詰め込み過ぎですね」
「自信作です」
​「要素はいずれも面白い。しかし、お客さんが置いてけぼりを食らう」​
 一か月半の後、新しい絵コンテが完成し、それを読み終えた鈴木は、その時の心境をこう書いている。
​ 目の前の宮さんは、天才以外の何物でもなかった。七十七歳にして成長を続ける、この老監督のどこにそんなエネルギーが残っていたのか、ぼくは、宮さんのその強靭な精神力に対して恐れおののいた。​
​ 読み終えて、プロローグに戻ってみる。宮崎駿の新作を心待ちにする気分になる。今度こそ、最後の作品になるかもしれないんだから。​
 それにしても、表紙の写真の僧と鈴木敏夫の配置、やっぱり、かなり工夫されているんじゃないだろうか。 2018/12/17

追記2019・07・13
今現在、宮崎駿の新作は、まだ公開されていない。​数年かけての完成らしいから、まだまだなのだろう。それにしても、結局、仕事に戻ってくる​宮崎駿はエライ!

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最終更新日  2020.10.26 18:48:50
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2019.06.26
​​​​​​​中島京子「長いお別れ」(文藝春秋)

​​​​​​​​​ 映画館で、​映画「長いお別れ」を見ました。気になったところが何か所かあって、中島京子の原作の小説「長いお別れ」(文藝春秋)を読みました。
​ 原作は「全地球測位システム」から「QOL」まで、八篇の短編を時間の流れに沿って並べた短編集の体裁で作られていました。読めばわかることですが、映画との一番大きな違いは、家族として登場する人物の数でした。映画では娘は二人でした。小説では三人で、上二人か既婚者。主人公昇平曜子という老夫婦の孫の数も違います。例えば、アメリカにいる姉娘の子供で、映画でも「長いお別れ」を経験する役どころである少年崇くんは一人っ子ではなく、兄がいて次男であるというふうに。

 小説全般について解説し始めると話が長くなりそうなので、ここでは映画を見ていて気にかかったことについてだけ、触れてみます。
​​ 映画は山崎努松原智恵子の老夫婦の快演で、納得したのですが、見終わって、最初に気にかかったのは、遊園地にやってくる、主人公、元中学校長東昇平さんは、何本傘を持っていたのかということでした。​​
​ 雨模様を気にした彼が、子どもたちと、一緒に出掛けた妻曜子を迎えに行くという記憶に促されて、傘をもった徘徊老人として遊園地にやってくる。ポスターでも山崎さんは傘を持って立っています。
 その傘が何本だったのか、まあ、どうでもいいようなものだけれど、妻のぶん、あるいは、自分のぶんは持っていたのだろうか、大人用の傘がどうして一本なのだろうというところが見ながらひっかかったのです。​

 ところが小説には、遊園地で見知らぬ姉妹に頼まれてメリーゴーランドに乗る話はあるのですが、映画の中にあった「家族のお迎え」という記憶のシンボルである傘の話は出てこない。このエピソードは小説にはありませんでした。あらら。
​  映画を作った人は、このエピソードで、認知症の老人と、その介護家族の間にある心のありさまの、お互い様というか、相互性ということを描くことで、「家族の愛」の物語を作り出そうという工夫をしたようですね。​
​​ それでは、小説はと考えると、次に気にかかった、次女の蒼井優山崎努の縁側での会話のシーンにヒントがありました。​​
「お父さん、私、またダメになった」
「そう、くりまるなよ」
「でも、くりまるよ!」
「そうかあ?」
​ 「くりまっちゃうよ。震災のあとで、みんな、家族のきずなが大事とか、つながりたいとか、そういうふうになってるんだもん。」​
​ この会話は映画の中で、見ている人みんなの記憶に残るシーンだと思うのですが、小説ではこうなっています。
電話機を取るなり、昇平はやや興奮気味に話す。
「おほらのゆうこうが、そっちであれして、こう、うわーっと、二階にさ、こっとるというか、なんよというか、その、そもろるようなことが、あるだろう?」
芙美はあまりのわけのわからなさに、どうしていいかわからなかった。しかし、論理的に対応する必要も感じなかったし、そもそも気力がなかったので、しばらく絶句したのちに、
「あるね」
と答えた。
ふーん、と、どこか満足げな鼻息が聞こえてきた。
「すふぁっと、すふぁっと、といったかなあ、あれはゆみかいのときだね、うーっとあびてらのかんじが、そういう、あれだ、いくまっと。いくまっとじゃない、なんだっけ、なんと言った、あれは?」(「つながらないものたち」) 
​ きりがないからやめるが、電話の向こうの認知症の父と、何度目かの失恋で心が折れている娘の、上記のような、なんというか、壮絶な会話があって、映画のシーンの「くりまる」が出てきます。
 そして、そのあとこうなります。
「来ないよ。連絡なんて」
「ああ?」
「来るわけない。だって、向こうはもともと」
​ 「そりゃなあ、ゆーっとするんだな」​
​​​​  つながらないはずの「ことば」が父と娘をつないでゆくのです。ただ、大事なことは、ここにあるのは世界と「つながれない」父と娘の「孤独」を「ユーモア」というべき言葉のやり取りで重ね合わせた、実に小説的な表現だということです。
「家族の愛」というステロタイプには回収しきれない「ことば」の作り出す「世界」を描こうとする作家の意志のようなものを感じさせる描写で、この小説の白眉というべき部分だとボクは思いました。
 映画が「くりまる」「ゆーっとする」という印象的な二つの言葉を、遠くを見ながら口にする昇平と、それを「ことば」として受け取る娘を映し出すことで、解釈を観客にゆだねているのは、映画という方法にとして俊逸な演出だったのではないでしょうか。
 
​さて、もうひとつ気にかかっていた「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」という言葉についてはどうだったでしょう。
 小説から引用してみます。映画ではどうだったかよくわからないのですが、小説では小学校三年生だった孫のが、久しぶりに帰国して祖父と会うシーンで出てくるセリフです。​

は反芻するように続けた。
「言ってることが、言いたいことと違っちゃってるけど、考えてることはあるんだよね。ねえ、おじいちゃん・考えてることはあるんだよね?」
「うん?」
昇平は体育座りする小三をちらりと見ると、また、庭に目を戻して言った。
「このごろね、いろんなことが遠いんだよ」
「遠いって?」
​ 「いろんなことがね。あんたたちやなんかもさ」(「おうちへ帰ろう」)​
​​​ この会話は、それから7年後、アメリカで中学3年生になったが、所謂、不登校の生徒として校長室で校長先生と面談しているシーンへとつながって、こう書き継がれていきます。
 祖父の死を知った直後の出来事なのですが、この場面は映画のラストシーンでもあります。
「祖父が死にました」
男の子は突然そう言った。グラント校長は話すのをやめて、静かにタカシを見つめた。
「いつ」
「おとといの朝でした」
「そうか。おいくつだったね」

「八十とか、そのくらい」
「そうか。ぼくの父といくらも違わない。どうか、心からのお悔やみを受け入れてほしい。ご病気だったの?苦しんだんだろうか」
「ずっと病気でした。ええと、いろんなことを忘れる病気で」
「認知症か」
「なに?」
「認知症っていうんだ。ぼくの祖母もそうだった。」
「十年前に、友達の集まりに行こうとして場所がわからなくなったのが最初だって、おばあちゃんはよく言ってます」
「十年か。長いね。長いお別れだね」
「何?」
「長いお別れって呼ぶんだよ。その病気をね。少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから」​​(「QOL」)​​
​ 七年前に、自分がどこにいるのかわからなくなった、「元中学校長」の祖父が、幼い孫に対して「いろんなことが遠い」と語ったセリフは、「校長先生」によって、「いろんなことが遠く」、人生の行方を見失いそうになっている「中学生」に語り掛けられる「ことば」として、いわば、謎解きされます。
 作家はここでも、このセリフの「ことば」を、それぞれの登場人物に重ね合わせて使っているように見えます。その上で、作品を「長いお別れ」と題したことも、説明されるわけです。そして小説はここで終わりを迎えます。
 映画は、このラストシーンで、少年の未来にかすかではあるけれど、光を与えようとした作家の意図をうまく表していたとは思えませんでした。
 監督が描いたのは、葬儀を終えて居間でくつろぐ妻と娘たちの姿だったのですが、小説はこのシーンを描いていません。
 作家と監督との間で描きたいことが、微妙にすれ違っていたんだと小説を読み終えて感じました。どちらが、どうということではありません。「いろんなことが遠い」ということは認知症の老人にだけやってくるわけではありません。ただ、ぼくとしては映画の終わらせ方に少々疑問を感じたということでした。
 映画​「長いお別れ」の感想は、この題名をクリックしてみてください。
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最終更新日  2020.10.25 01:50:34
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2019.04.30
​​​​​​​​​​​​綿井健陽「リトルバーズ- 戦火のバグダッドから」(晶文社)
  2019年の春、どういう偶然なのか「イラク戦争」の内幕暴露映画を3本続けてみた。「記者たち」という映画を見たのは偶然だったが、見終えてみると、ぼくの中の何かに火がついた感じで、「バイス」、「バグダッドスキャンダル」と見ながら、思い出した。​​​

 綿井健陽のドキュメンタリー・ブック「リトルバーズ」
     

​ 今から15年前、2004年のことだが、当時の高校生向けの「読書案内」でぼくはこんなふうに書いている。​
※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 
​​ ​​先日、体育館で観た『リトルバーズ』の監督、いや、報道記者といった方がいいのかもしれないが、綿井健陽について、朝日新聞が夕刊で連載している『ニッポン人脈記』のなかに紹介を見つけたのでココに載せてみます。​​​​
 イラク戦争のさなか、幼い三人きょうだいが空爆で死んだ。その墓標に誰かが書いた「お父さん泣かないで。私たちは天国で鳥になりました」切ない言葉が、フリーのビデオジャーナリスト綿井健陽(わたい・たけはる)(33)の胸を突いた。 綿井は、2003年の開戦後1年半にわたってイラクを取材。膨大な映像から今年4月、戦火の中の家族を描くドキュメンタリー映画を作った。
 
題名は墓標から「リトル・バーズ(小さな鳥たち)」とした。 泣くのはいつも弱い者。そんな、戦争への怒りを込める。 開戦が不可避になっていた2003年3月11日未明、撤退を始めた日本の新聞、テレビと入れ替わるように、綿井は陸路バグダッドを目指した。
 
「爆弾を落とされる側」から報告したかった。 紛争地報道で実績はある。だが、いつにない不安に身を硬くしていた。バグダッドは真っ先に空爆の標的になるだろう。市街戦も予想された。
 
「無謀だろうか」揺れる綿井を、ベトナム戦争報道で名をはせた新聞記者の言葉が支えた。「一国の崩壊に立ち会えれば、記者冥利(みょうり)に尽きる。」 サンケイ新聞の近藤紘一(こんどう・こういち)
 
1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン市)が陥落し、戦争が終わる。国外へ逃れる人々で恐慌状態の中、近藤はこの言葉を自分に言い聞かせ、現地からニュースを打電し続けた。綿井が3歳のときだ。
 
「【四月二十八日夕 サイゴン発】クレジットを打ったあと、しぜんに文章がでた。『サイゴンはいま、音をたてて崩壊しつつある。つい二ヶ月、いや一ヶ月前まではっきりと存在し、機能していた一つの国が、いま地図から姿を消そうとしている……』」(「サイゴンから来た妻と娘」=文芸春秋刊=から)
 
近藤はサイゴン特派員時代、ベトナム人と再婚し、妻の実家に転がり込んだ。妻も再婚で11歳の娘がいた。市場に近い下町での暮らしが、記事に「人のにおい」を吹き込んだ。妻子を連れて帰国、「サイゴンから来た妻と娘」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた。だが、86年に45歳で早世する。
 
綿井は長じて、戦争と人間を活写した近藤のルポに感銘を受ける。インドシナも訪ね、ジャーナリズムの世界に導かれていった。
 
2003年3月20日未明。米軍の空爆で戦争は始まった。米地上軍がバグダッドに迫る。市内から警官が消えた。制服を脱いで一般市民にまぎれたのだ。大統領宮殿が制圧された4月7日、綿井は中心街の広場から日本のテレビに向けて中継リポートをした。「フセイン政権がいま、音をたてて崩壊しつつあります」ここ一番の場面で使ったのは、28年前の近藤の言葉だった。
 
開戦時、バグダッドには約20人の日本人フリーランスがいた。綿井と同じホテルに村田信一(むらた・しんいち)(41)がいた。炎上する大統領宮殿に向けてシャッターを切った。元自衛官。最前線で銃撃戦を撮るのが生きがいだった。いつしか「撃った撃たれたは戦争の一部」だと気づく。銃後にも膨大な光景があるのだ、と。 

 ​村田の脱帽する一枚が、米UPI通信の酒井淑夫(さかいとしお)(99年没)がベトナムで撮った「より良きころの夢」だ。酒井は繊細だった。「無残な死体や、瀕死(ひんし)の負傷者がどうしても写せない」と悩んだ。一歩引いた目線で本領を発揮する。砲撃のやんだ雨期の戦場、つかの間の眠りに安らぐ米兵の写真は、68年にジャーナリズム界最高とされるピュリツァー賞を受賞した。ベトナム戦争が終わって30年。「泥と炎」と形容された戦場から、報道写真やドキュメンタリーの多彩な群像が生まれ出た。(ニッポン人脈記・2004・朝日新聞)
 ジャーナリストはその現場に何故行くのか、という問いにはいろいろな答があるでしょう。しかし彼らがそこでしか写す事のできない映像や写真、あるいは、そこで実際に見て書かれた記事や打電された電文の中で真実を伝えようとしてきたことは共通しているに違いないと思います。
​ 『リトルバーズ』というフィルムを構成している映像は、文字通り命がけの現場で撮られたものです。『あなたはここに何をしに来たんだ。』という、破れかぶれな質問をアメリカ兵にぶつけるカメラマンの発言には、ミサイルが撃ち込まれた現場に一緒にいて、そこにいる人たちの姿をを見てしまった人間のこらえきれない怒りを感じたのは、ぼくだけではないと思います。​
 歴史の現場での真実を求める情熱、崩壊する国家の姿を報道するというヒロイズム。それだけではこのこの発言は生まれないし、この映画もできなかったのではないでしょうか。
 ぼく達の前に差し出されたあの映画は『どうしてこんなことを』という怒りと哀しみを表現しているとボクは思いました。それは、社会が報道に求めているとされる客観的事実性を超えた、主情的、主観的な問いかけとして迫ってきました。
 「正義のミサイルが他でもないこの子供たちの上に撃ち込まれたことをどう考えますか?」
​ 戦争という現場を向こう側から見てしまったに違いないカメラマン綿井健陽が、そう問いかける厳しさをぼくは受け取りました。そして、あなたに問かけたいと思いました。​
「あなたはどう考えますか」
 アメリカから戦車に乗ってやってきたあなた。
 異国の食事に驚いて笑顔をふりまいている自衛官のあなた。
 学校の体育館でこのフィルムを見ているあなた。
 TVが戦争を実況中継し、ミサイルの軌跡を打ち上げ花火のように眺めるようになった現在、ミサイルが破壊するものがなんであるのか、想像力の真価が問われているのではないでしょうか。
 あのフィルムのブック版として出版されたのが、この「リトルバーズ-戦火のバグダッドから」(晶文社)です。
 本の中でも、戦場の哀しい家族や少女の瞳が印象的です。綿井がいのちがけで写真にとらなければ、我々はこの表情を見ることができないのです。もちろん、見て何を考え、何をするのか。我々自身の問題です。
 ページを繰るたびに少女の眸は問いかけてきます。

「あなたはどう考えますか?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
 脅しのような問題提起をしながら、ぼく自身が何をしたのか。その後の暮らしを振り返ると、ほとんど批判を免れない体たらくです。しかし、あの「アルカイダ=ビン・ラディン」ウォンテッドに始まる「イラク侵攻」騒ぎが、当時の高校生たちにとって「海の向こうで戦争が始まる」他人事だったことにいら立ちながらの案内でしが、自分自身の中にも何かをため込んでいたようです。
 「イラク侵攻」ペテンシリーズ第4弾は、思い出の「リトル・バーズ」でした。​
週刊 読書案内 綿井健陽「リトルバーズ 戦火のバグダッドから」(晶文社)2019-no22-233
発行所 The astigmatic bear`s lonely heart club  ​発行日 2019/04/30​
追記2020・02・06
「イラク侵攻」ペテン師シリーズ第1弾「記者たち」・第2弾「バイス」・第3弾「バグダッド・スキャンダル」はタイトルをクリックしてみてください。​​


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最終更新日  2020.10.23 01:14:00
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佐藤泰志「海炭市叙景」(小学館文庫)​



​ 2010年に映画になりました。残念ながら見ていませんが、監督は熊切和嘉。帯の写真は映画の写真からとられているようです。​
 この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って書き始めました。ある作品がいい作品かどうかなんて、学校の国語の時間にはもっともらしく解説されるのですが、本当はそんなことは、読んだ人が決めればいいことであって、客観的にいい作品なんてものはあるんだろうか。教室でかたる仕事をしながらいつもそんなふうに感じてきました。
 それにしても、この小説がいい小説だと上手に言うことが出来れば。というのは、読み終わった人の多くはどちらかというと暗くて哀しい印象に捉われるだけかもしれない、そんな小説だからです。​

​ その上、この作品は未完です。佐藤泰志という作家はこの連作小説を短編小説のように雑誌に掲載していたのですが、書き終えることなく、自殺してしまったらしいのです。それが1990年の10月のことで、もう20年以上も前のことです。彼は何度か芥川賞の候補として名が出た人であるらしいのですが、それも、もちろん1980年代のことです。​

 ところで、人というものはどこからかはわからないけれども、この世に投げ出された存在であるという考え方があります。この小説は、人という生きものが、投げ出された存在である自分というものと格闘しつづける姿を書き綴った作品でした。

​ この案内を読んでくれる人たちの中で、お正月の朝、二人の全財産がポケットにある230円ポッキリだという、27歳の兄と21歳の妹という境遇を想像できる人はいるでしょうか。それが「まだ若い廃墟」という最初の小説の設定です。​
 妹は兄が389メートルの山を歩いて下りてくるのを、ふもとの待合所で待ち続けています。なけなしの所持金をはたいて、初日の出を見に登った展望台のロープウエイの帰りの料金が、一人分、足りなかったのです。

 帰りのロープウエイに乗るとき、兄は残った小銭でキップ一枚しか買ってこなかった。どうしたの、とわたしはその理由を知っているのに、きかずにいられなかった。百も承知だ。兄は前歯を覗かせて笑い、ズボンのポケットから残りのお金を出し私の手に渡した。

​​

 一時間待ち、二時間待ち、三時間待ち、とうとう六時間になろうとしている。時間はだんだん濃密になる気がする。なんということだろう。
 女が売店の少女に、「この人、頭が少しおかしいわ」と聞こえよがしにいっていた。「厭になっちゃう」少女は大声を出した。「そうでなくったって、元旦から仕事に出てきているっていうのに」あやまらない。誰にもあやまらない。たとえ兄に最悪のことがあってもだ。兄さん、私はあやまらないわよ。もしも、どこかで道に迷いそこから出てこれなくなったのだとしたら、それは兄さんが自分で望んだ時だけだ。
 街を見下ろす展望台のある山の中で遭難死した、貧しい青年を巡るエピソードでこの連作小説は始まります。街の中の、どこにでもある哀しい話が、季節のめぐりとともに書き継がれ、秋の始まりに作家自身が描き続けてきた「投げ出された生」に耐え切れなくなったのではと考えさせるような絶筆となりました。 ​
​あやまらない。だれにもあやまらない。たとえ兄さんに最悪のことがあってもだ。​
​ つぶやき続けて待合室のベンチから立ち上がれない二十歳を少し過ぎた女性の姿を思い浮かべながら、読者の僕にはとめどなくわきあがってくるものがあります。
 そして、うつむきながら、小説に向かって、こんなふうにつぶやいている自分を発見することになるのです。

 「うん、あやまる必要なんかないよ。」

 やはり、うまくいうことができませんね。今では、もう古い作品かもしれませんが、「お読みいただければ・・・」そう思います。(S)
​​追記2020・01・10​
​同じ作家の「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)の感想はこちらをクリックしてみてください。​


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最終更新日  2020.10.23 01:15:22
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2019.04.21
​​​​​佐藤泰志「きみの鳥は歌える」(河出文庫)​​


​​ 以前、佐藤泰志「海炭市叙景」(小学館文庫)について、この小説がとてもいい小説だと、上手に伝えられたらうれしいと思って案内を書いたことがある。​​
 ​​その佐藤泰志のデビュー作が「きみの鳥はうたえる」(河出文庫)。2018年、映画になったので読み直した。映画は、この小説が描いている決定的な「暗さ」を避けることで、青春映画として成功している。
​​ ​佐藤泰志の小説の「暗さ」や「貧しさ」が、読者を遠ざけるようなところがあると思うけれど、彼が描き続けた世界には明るさは似合わないのかもしれない。ひとが生きるということを、小説として描く。作家が「生きている人」として描く登場人物の「ぼく」「静雄」は、どうにもやりくりのつかない「今」を、こちら側の世界から投げ出された人として生きるほかはないという様子だ。​​​
 ​彼らは高校を出て、そのままアルバイト暮らしを始めて、偶然知り合った友人同士として、今ふうにいえば部屋をシェアして暮らしている。学校に通って将来に備えているわけでもないし、「静雄」に至ってはアルバイトもやめてしまい、ポケットにある資金が尽きたときの算段すら放棄している。​
 ​​​​​「ぼく」がアルバイトをしている本屋の同僚だった「佐知子」も、「ぼく」が放つ、出たとこ勝負のいい加減な快活さに逃げ込むようにして、この部屋にやってきた。しかし、彼女はやがて、「ぼく」との刹那的に繰り返される肉体関係にではなく、深く静かに絶望している「静雄」に惹かれてゆく。
​​​​​ 
映画が描くことをやめたのは、ここから後だ。
​​ 兄と一緒に病気の母を見舞ったはずの「静雄」は、世界から投げ出された人になっていた母を殺し、彼の身を案じた「佐知子」はあとを追うように街を出る。残された「ぼく」はすべてを知るが、アルバイトに出かけ、いつもの酒場に立ち寄る。​​
 小説がここで終わることを、納得できない人たちは、新人作家の失敗小説と評する場合もあるだろう。映画を作った監督が、この結末を予想すらさせない映画的なラストで締めくくったのも、そういう読みの結果だったのかもしれない。
 ​​​​しかし、今、映画の最後で、120数えて佐知子の部屋に向けて歩き出した「ぼく」を思い浮かべながら、このシーンは佐藤泰志には決して描けなかったし、「静雄」の母親殺しと、その顛末の描き方もこれ以上書き込む必然がなかったのではないだろうか。​​​​
 ​「投げ出される」とはそういうことだ。佐藤泰志の絶望的な出発点がここにあったのではないだろうか。それでも、彼は、その世界を書くことでこっち側の世界とつながろうとしていた。それだけは確かなことだったと思う。​

2019/02/03

追記2019・11・20

​​映画「君の鳥は歌える」の感想はこちらをクリック​してください。​​
「海炭市叙景」の感想はこちらをクリックしてください。

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