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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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読書案内「昭和の文学」

2022.01.31
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​​野呂邦暢「諫早菖蒲日記」(「野呂邦暢小説集成5」文遊社)​​

 2021年の暮れごろに青来有一という作家の「爆心」(文春文庫)という作品を読んで、「長崎の作家って・・・」と考えてしまったのが始まりで、2022年はこの方で始まりました。

​ 野呂邦暢(のろくにのぶ)です。ちょうど学生だった頃に「草のつるぎ」という作品で芥川賞をとった人ですが、京都大学の受験に失敗して自衛隊に入ったという経歴だけ覚えていました。​
​​ 「草のつるぎ」はたしか・・・と探しましたが見つかりません。アマゾンとかで調べるととんでもない値段になっていて、図書館を調べると「野呂邦暢小説集成」(文遊社)が所蔵されていました。第五巻「諫早菖蒲日記・落城記」を借りだして読み始めました。​​
 美しい装丁の本です。「小説集成」として集められているわけですから当たり前ですが、600ページを超えていて、かなり分厚い1冊です。
 開巻、1行50文字1ページ40行の密度で「諫早菖蒲日記」250ページ​です。一瞬たじろぎましたが、読みは始めてはまりました。
まっさきに現れたのは黄色である。
黄色の次に柿色が、その次に茶色が一定のへだたりをおいて続く。
堤防の上に五つの点がならんだ。
堤防は田圃のあぜにいる私の目と同じ高さである。点は羽をひろげた蝶のかたちに似ている。河口から朝の満ち潮にのってさかのぼってくる漁船の帆が、その上半分を堤防のへりにのぞかせているのである。
ゆっくりとすべるように動く。
朝は風が凪いでおり、さもなければ西の逆風が吹く。けさはいつになく東の風である。帆をはるのはめづらしいことだ。
川岸に群れつどう漁師の身内どもが見える。先頭の船が帆柱にかかげた大漁旗をみとめてどよめいていることだろう。今しがた私が遠眼鏡で確かめたものである。舟付場に女子が近づくのはかたくいましめられている。去年までは私が舟溜りへおりて魚の水揚げを見物していても母上はだまっておられた。しかし、去年の暮、嘉永の御代が安政となりかわってからは、母上は何かにつけて口やかましく女子の心得を説かれる。十五歳といえば、男子なら元服する年齢である。いつまでもし志津は子供のつもりであってはならぬと申される。(P11)
​ ​​​語っているのは藤原志津、父は諫早藩という、幕末に進取の誉れの評判で名を残した佐賀藩の親類格とはいいながら、一万石に足りない小藩ではありますが、吉田流砲術師範藤原作平太、叔父は蘭学を学んだ藩医藤原雄斎という武家の娘です。​​​
​ 数えで十五歳、男の子なら志学ということで、元服ですが、女の子である志津は母親から大人の女性である心構えと立居振舞を躾けられながらも、生き生きと動き始めた心を抑えることができません。​
 漁師たちが働く船着き場に直接出かけることを15歳になったからということで禁じられている少女の「遠眼鏡」を手放すことができない好奇心、あるいは、子供であること、女であることを越え出ようとする、その年齢の生命の力を見事に描いた書き出しです。
​ この冒頭をお読みいただいただけでもお分かりだと思いますが、この小説の唯一の欠点は、この日記が、いつの時代であろうと15歳の人間によって書かれたとは信じがたい文章で書かれていることだと思います。
 しかし、日記が語る書き手の姿は、悩みであれよろこびであれ、まさしく、みずみずしくさわやかで、15歳の少女そのものであるところに、この小説の書き手である野呂邦暢という夭逝した作家の並々ならぬ力量が躍如としていると思いました。​

 ゆっくり、時間をかけて読みすすめるにふさわしい作品だと思いましたが、中でも、この作品の中盤にあるホタルを巡る美しい描写の若々しさが印象に残りました。
 佐賀藩の鍋島公の接待の席に、殿様から命じられたお役目で家中からお茶を点てる数人の、彼女と同年配の少女たちが呼び出され、無事お務めを果たした夜の日記の一部です。
​ それにしても私はいつ蛍を見たのであろう。茶道具をととのえるとき、少将様をお待ちしているとき、蛍など一匹も目に映じなかったようである。少将様が四面宮から慶巌寺へ移られたのち、私たちは道具をしまい、慰労として拝領した佐賀最中をふところに帰宅した。そのどこで蛍を私は見たのであろう。
 淡い緑色の光を放つ点が、木立から草むらから漂い出し、墨色の闇をうずめる。綾様のえりくびで光る蛍もいたように思う。光る虫は宙にむらがり、ちらばるかと思えば一つによって、暗闇に大小さまざまな光をともしたかと思われた。きりもなく水面からわき出し、川辺を縦横無尽に飛びかい、水にそのかげをうつした。
 帰ってから私は母上に少将様のご様子を申し上げることかなわなかった。おぼえているのは川原のそこかしこで息づくように点滅している青みがかった微光のかたまりのみである。お叱りをこうむらなかったのであるから、手落ちはなかったと思う。かりにいささかの手落ちがあっても、ほしいままに見た蛍どもの景観にくらべたらそれがなんであろう。私は青緑色に輝く光のなだれを全身であびたように感じた。母上は私がいただいた佐賀最中を仏壇にそなえられた。(P143~144)
​ ​お上や大人たちが、家中の少女たちの大人の世界への顔見世として、その場をあつらえ、期待を込めて美しい着物を着せられ、化粧を施されてその場にいることは百も承知しているのです。しかし「少女」であり「娘」でもある視線は、緑色に点滅し、群がる「ホタル」の淡い美しい光を捉え、その光の明滅する淡々しい世界へ彷徨いこむかのように捉えられながらも、やがて我に返ってきて、頂き物の最中に思いを戻してゆく描写です。
 いかがでしょう。初めて大人として振る舞うことを求められた少女の不安と、しくじらずに切り抜け、できれば評判をとりたい娘の緊張とともに、そこはかとなくユーモアまで漂わせている周到さで、思わず微笑みたくなる文章作法だと思いました。これは、とても15歳の少女の技ではありませんが、読み手を堪能させるには十分といって過言ではないでしょう。​

 小説作品の好みは人それぞれではありますが、群を抜いた傑作だと思いました。ただ、難点は著作集以外には、高価な古本しか入手方法がないことです。ある図書館にはあるようです(笑)。とりわけ、歴史小説のお好きな方には是非一度お読みいただきたいと思った作家でした。


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最終更新日  2022.02.15 23:35:25
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2022.01.21
​​​​堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿「時代の風音」(UPU・朝日文庫)​​

 先だって、堀田百合子さん「ただの文士」(岩波書店)を案内しましたが、ついでと言ったらなんですが、堀田善衛入門の1冊としては、こんな本もありますよね、と思い出したのがこの本です。

 ​堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿「時代の風音」(UPU・朝日文芸文庫)​
 実はこの本は、すでに朝日文庫に入っていて、入ってから25年経つ古い本です。1992年に元の単行本が出版された本ですから、今年、2022年でちょうど30年前の本ということです。
 文庫の表紙カバーは朝日文庫の定番ですが、単行本はカバーが宮崎駿が描いた海賊船の、マンガ風のイラストで、これがとてもいいと思います。どちらにしても古本でお読みになるなら、値段は大差ありません、表紙がステキな単行本を選んだ方がいいんじゃないでしょうか。
 思わず、言わずもがなですね。昨今の風潮では、読んだ後の「書籍」はごみ扱いですから、まあ、買うということからしてあり得ないのかもしれませんが(笑)。

​ さて、この対談、三人ですから鼎談ですが、の当時、宮崎駿「紅の豚」を完成させて、いったんジブリを離れていた時期のようです。ヒマだったのでしょうね、会いたい人と会っておしゃべりをしているのですが、宮崎駿堀田びいきは筋金入りのようで、あこがれの人にあってうれしくてたまらない少年の雰囲気が本全体にあります。​
​​​​ もしもお読みになれば感じられると思いますが、鼎談とはいいながら、宮崎駿にとって、彼の意識の上でも、それぞれの作家の実力の上でも、相手がすごかったのですね、いや、すごすぎたというべきでしょうか。博覧強記の権化のような司馬遼太郎と、1930年代上海を知っていて ― これがまずスゴイ ― ヨーロッパで暮らしながら「藤原定家」「ゴヤ」「モンテーニュ」の伝記を書いた堀田善衛です。語り合いのなかでは、全く勝負にならない小僧っ子として​宮崎駿​が聞き役でした。​​​​
​​​ 振り返ってみれば​司馬遼太郎​1990年堀田善衛1998年、ともに鬼籍に入り、20年以上の年月が経ちました。司馬遼太郎が対談した本としては、ほとんど最後の本だと思います。彼も、堀田善衛と会ってのんびり話していることが楽しくてしようがない雰囲気です。ひょっとしたら遺言といってもいい「声」が残されているのかもしれません。​​​
​​ 宮崎駿にしても、この後、ディズニーと組んで世界征服するジブリの経営はともかく、この対談の話題の中に「物の怪」の話も出てくるのですが、「もののけ姫」から2020年代に至る、その後の宮崎駿を考えると、彼自身の時代の証言というか、その時、彼は何を考えていたのかということを感じさせるという意味でも面白い記録です。​​
​ 話題は多岐にわたるのですが、30年たって振り返ると、三人三様に、実にまともな状況認識だったことに感嘆!します。
 まあ、とりあえずぼくとしては、正直、堀田善衛に再入門しようかなという感じですね。​

 お若いみなさんも、このあたりから始められたらどうでしょうか。たとえば、ジブリのファンの方が、堀田善衛の社会時評や評伝、司馬遼太郎「街道をゆく」(朝日文庫)のシリーズをはじめとした歴史評論の世界をお読みになれば、宮崎駿「マンガの世界」が、実の歴史や社会と結構、地続きで構想されているらしいという面白さにも会えるような気がします。
 対談集で、おしゃべりしあっている本ですから、読みやすいですよ。いかがでしょう。
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最終更新日  2022.01.21 00:04:45
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2022.01.17
​​​​​​​​​​ 堀田百合子「ただの文士」(岩波書店)​​ 今日は2022年1月17日です。神戸の震災の「思い出(?)」はいろいろありますが、あのあと、職場の同僚の数人で始めた「小説を読む会」が今でも続いています。
 なんで、そんなことを始めたのかといえば、忙しかったからです。土曜、日曜にクラブ活動の「指導(?)」とかで出勤することが当たり前の職場でした。
 「あっ、その日はだめです。ベンキョー会があります。」
 とか、なんとか、そんな言い訳のいえる日を作りたかったというのが、ぼくの本音でした。

 で、その会の今月の課題が堀田善衛「方丈記私記」(ちくま文庫)なのです。はじめからのメンバーの一人が提案なさいました。20数年、作家の数でいえば、年に20人ほど、合計すれば500人ほどの「作家」の著作を読んできたのですが、そういえば堀田善衛って読んだことがありませんでした。
 推薦なさった方は、最近「めぐり合いし人びと」(集英社文庫)をお読みになって提案されたようです。サルトルとかネルーとかいう人との出会いも出てくる、作家の晩年、1990年ころに書かれた回想集です。その本に対して「方丈記私記」は70年ころの著作です。

 堀田善衛といえば、押しも押されぬ戦後文学、第二次戦後派の巨星ですが、「方丈記私記」は芥川賞受賞作の「広場の孤独」、「審判」・「海鳴りの底から」などの初期(?)、1950年代~60年代の小説群のあと、70年代「ゴヤ」に始まる評伝の大作群の仕事の入り口で書かれた、中期の傑作で、のちの大作「定家明月記私抄」 (ちくま学芸文庫)の肩慣らしのようなところもある作品ですが、いわば堀田版「鴨長明論」ともいうべき評論だったなあという、ちょっとあやふやな記憶が浮かんできましたが、そのとき、ふと、思いました。
「若い人たちは、そもそも堀田善衛とかご存じなのだろうか?」
 まあ、大きなお世話なわけで、お読みになって興味をお持ちになれば、他の作品も、というふうでいいわけですが、なんだか妙な老爺心が浮かんできてしまって、「ああ、あれがいい、あれを案内しよう」と思ったのがこの本です。
​ 堀田百合子「ただの文士」(岩波書店)ですね。
 何かの雑誌の連載なのか、書下ろしなのかはよくわかりませんが、1998年に亡くなった堀田善衛のお嬢さんが、最後の日々には「センセイ」と呼ぶようになった父親のことを、その記憶の始まりからを思い出して書いていらっしゃるエッセイ集です。​

​ 変な言い草ですが、読んでいて便利なのは日時を追ってエピソードが語られ、エピソードに合わせて、その当時の作品が、堀田百合子さんによって読み直されているところです。​
 目次はこんな感じです。
 目次

「サルトルさんの墓」

「芥川賞と火事」
「モスラの子と脱走兵」
「ゴヤさんと武田先生の死」
「スペインへの回想航海」
「アンドリンでの再起」
「埃のプラド美術館」
「夢と現実のグラナダ」
「バルセロナの定家さん」
「半ばお別れ」
 ​​1949年生まれ百合子さんの思い出が彼女自身の記憶としてくっきりとしてとしてくるのが​「モスラのこと脱走兵」​のあたりからで、百合子さんが小学生のころのことです。​​
一九六一年。
「三十余年の眠りから醒め 蘇る幻の原作!」
「えッ、この3人が原作者?安保闘争の熱気さめやらぬなか、戦後文学をだ評する3人の作家たちが、新しい大怪獣つくりにいどんだリレー小説。知る人ぞ知る、映画「モスラ」幻の原作、初の単行本化。遊び心と批評精神あふれる想像力の世界」
これは1994年に筑摩書房から出版された「発光妖精モスラ」の、何とも大げさな帯の文章です。初出は1961年の「週刊朝日別冊」、中村真一郎氏、福永武彦氏、堀田善衛、3人の合作小説(?)です。
映画になりました。砧の東宝の撮影所に、父と見学に行きました。中村先生、福永先生もご一緒でした。モスラが撮影所の真ん中にどーんと鎮座していました。モスラくんは大きな芋虫もどき、ゴジラより私は好きでした。七月、「モスラ」は全国の映画館で封切られ、なかなかの人気でした。夏休みが明け、学校に行くと、休み時間にどこからともなく、「モスラーヤ、モスラー」という歌が聞こえてきます。
​私は穴があったら入りたかった。この原作に父も加わっていることを友達に知られたくなかった。この映画が、いかに、どのような意味がこめられていようとも、そんなことは子供にわかるはずがないのです。子供社会は難しい。モスラの子(?)などと、絶対に言われたくなかった。(P43)​
​ ちなみに、「方丈記私記」の話は一九七一年、ぼくにとって長年懸案になっている「ゴヤ」の話題が出てくるのは一九七二年です。​
​ 一九七二年前半のころ、「朝日ジャーナル」誌より、翌73年からの連載の依頼がありました。「ゴヤ」です。父は、まだ早い、まだ取材が済んでいない、まだ見なければならない絵がたくさんある、と言って連載の依頼をいったん断りました。
母は言います。
 「来年は五五歳にになる。「ゴヤ」を書くには体力がいる。今、始めなければ、もう書けない。残りの取材は書きながらすればいい」と、父のお尻を叩きました。
父は色よい返事をしないまま、七三年六月にA・A作家会議常設事務局会議に出席するためにモスクワへ出かけました。帰国後、父は言います。
「来年からゴヤをやることにする。モスクワからの帰りがけ、パリとマドリードへ寄った。何とかなるだろう。半年連載して、半年休み。その間に次の取材をする」
大仕事を開始するときに、父は家族に向かって一大宣言をするのが慣わしでした。そして最後に、「よろしく頼む」と言うのです。
「ゴヤ」のときはもう一言ありました。
「取材費はすべてこちら持ち。朝日には頼まない。それで手枷、足枷がつくのはご免だ」
「今までさんざん自前でやってきたじゃないの」と、母は笑っていました。
 この後、母は「ゴヤ」執筆に父が専念できるよう、父の前に立ちはだかりました。編集者の方々は、母の関門を突破しないと、父に原稿の依頼ができません。父が電話に出ることはめったにありませんでしたから。出版界で噂されていたそうです。「披露山のライオン」と・・・・・。(P77)
​​​​​​ と、まあ、こんな感じなのですが、それぞれのトピックは「モスラ」の話であれば、ベトナム戦争に従軍するアメリカの脱走兵をかくまう話とか、「ゴヤ」であれば、親友武田泰淳の死であるとかと重ねて思い出されています。そこに、堀田善衛という作家の社会や歴史に対する基本姿勢のようなものが浮かび上がってきて、ぼくには印象深い話になっていました。
 もちろん、最後は晩年の堀田善衛の姿が描かれるわけですが、東京大空襲から25年たって「方丈記私記」を書いた作家が、その後、ナポレオン戦争の「ゴヤ」(集英社文庫・全4巻「紅旗征戎非吾」の「定家明月記私抄 」(ちくま学芸文庫上・下」)をへて、「エセー全6巻」(岩波文庫)ミシェル・ド・モンテーニュの肖像「ミッシェル城館の人」(集英社文庫・全3巻)の大仕事の話題がこの思い出の後半のメインです。
 で、ぼくの老爺心の本音は、「せっかく、堀田善衛を読むなら、ここまで付き合ってあげてね!」とでもいうべきものです。テレビのグルメ番組のようなことをいってますが、若い読書グルメの皆さんが、前菜「方丈記私記」に続けて用意されている、メインディッシュに気づいて頂きたい一心の案内でした。
 まあ、腹いっぱいどころではすまない量ですがね(笑)。​
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最終更新日  2022.01.19 10:16:43
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2022.01.03
​​​​​100days100bookcovers 番外​
​​ 幸田文「父・こんなこと」(新潮文庫)​​​​
 ​幸田文​「おとうと」を棚から引き出すと、自身のことを書いた「みそっかす」と雁首をそろえるようにして出て来たもう一冊が「父・こんなこと」という新潮文庫でした。
 父、幸田露伴の最晩年の姿を、婚家から孫娘を連れて実家に戻って20年近くともに暮らした、出戻りの娘が書いています。彼女は50近くになって父を看取り、初めて人前に出す文章を書いたはずですが、とても素人の文章とは思えません。​​

​ 今でこそ幸田文は戦後文学に、余人には及び難い独特な位置を占める作家ですが、「これがデビュー作か!」とうなりますが、文豪幸田露伴の死に際して彼女に書かせた編集者がいたことの「幸運」をつくづくとかみしめる読書でした。
​ 父はその報告を聴いていたが、にこにこと機嫌よく、おまえは私の葬式がどういうようになると思っているかと訊いた。機会である。子の方からやたらには切り出せない事柄である。狡猾さを気にしながら問を以て答えとした。「どんな風にするのかしら。」「おまえがきょう見て来たものとは凡そ違うものなのさ。溢れるほどに人が来るなんて思っていれば見当違いだ。」と云って笑い、「明の太祖の昔話にあるじゃないか。棺桶も買えない貧乏な兄弟がおやじさんを明き樽に入れて、さし荷いでとぼとぼ行く途中の石ころ道に、吊った縄は断れる、仏様はころがり出す、しかたがないから一人が縄を取りに帰ったなんていうのは、いくらなんでもあんまり厄介過ぎるから、まあ住んでいる処の近処並に極あっさりとやっといてくれりゃそれでいいよ。おまえには気の毒だがうちは貧乏だ、わたしの弔いのためにおまえが大骨折って金を集めたり、気を遣ったりして尽くしてくれることはいらない。傷むなと云ったっておまえは子だから傷むにきまっている、それで沢山なんだよ。」なごやかな心で柔かく話す時の父の調子、まったくいいものであった。よその父親は如何に娘に話すか知らないが、こういう時の父は天下一品のおやじだと思っている。どこのおとうさんととりかえるのもいやだと思う。だから叱られて泣く時にはたまらないが、思い出して我慢するのである。(P82~P83)
​ ​知人の葬式に、娘の​幸田文​を名代として参列させ、帰ってきた娘の報告を聞きながら、自らの葬儀について語る露伴の姿が思い浮かぶような文章ですね。
 父を慕う娘の素直さがなんの厚かましさもなく表れて、文豪の素顔と幸田家の日々の暮らしのあたたかさがこころのやり取りとして見えてくるようです。​

 続けて、その娘が父を看取り、送るのは自分の仕事だと決意したのはあの時だったことが記されています。​
​ 私が、父の葬儀は自分一人でしなくてはなるまいと思い込んだのは二十三の秋、たった一人の弟をなくしての通夜の晩に、花環のある部屋で杯を放さぬ父の姿を見て、しみじみ寂しかった、その時にはじまる。父もまだ元気で、頸から肩へよい肉づきを見せてい、私も若くむちゃくちゃで、ただおとうさんの時は文子がするとだけで、ほかには何も思わなかった。​
​ ​「おとうさんの時は文子がする」という子供の言葉に弟に対するこころの奥底の哀しみと、父へのいたわりが響いています。
​ 早耳な国葬云々の話が聞こえた。いあわせた下村さんに訊いた。「勝手にしていいの?」「え?」「お受けするようにきまっていることなの?」野太い声が笑って、「あなたの好きなようでいいんですよ。」父はそんなことを話さなかった。文子がお弔いをすることと思っていた。私もそう思っていた。松の多い、苺のできるこの土地、雨風を凌いだこの家には一年有余の馴染がある。国葬は栄誉なことであるが、私がするなら、借りた伽藍より、ここから父を送ることはあたりまえであった。
 ​​​「おとうさんの時は文子がする」という小さな気構えを支えに父の最後を看取り、送ろうと生きてきた娘には、思いもよらなかった文豪幸田露伴の死をめぐる世間の大騒ぎです。それ相応に年月も重ねてきた娘が、そんな世間を相手に、もう一度「若くむちゃくちゃ」な気持ちに立ち返る姿に、幸田文という人の本領があるのでしょうね。​​​
​ その当時の世間を思えば並大抵の決意ではなかったでしょうが、家族を送るという誰しもが出会う人生の時への見事な身の処しかたが、障子の桟の拭きかたを語るかのように語られているところが幸田文の文章だと思います。​
 日常の小さな思い出が書かれてる1冊ですが、それにしても、初めて彼女の原稿を受け取り、目を通した編集者はうれしかったでしょうね。
 永遠に古びない「娘」の気持ち、読んでみませんか。
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最終更新日  2022.01.05 22:30:54
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2021.12.22
​​​​​​週刊 読書案内 幸田文「みそっかす」(岩波文庫)​​

 ​はじまり

 明治三十七年九月一日。暴風雨(あらし)のさなかに私が生まれたという。命名の書には忠文とだけ。第一子は母体を離れぬうちに空しくなったが、これは男子であったそうな。位牌には夢幻童子とあった。第二子は女、歌という。父は三子に男を欲していたという。そこへ私が出て来たのである。​(P9)
​ ​先日、順番が回ってきた「100days100bookcovers」幸田文「おとうと」(新潮文庫)を紹介しようと引っ張り出すと、書棚の隣に並んで立っていたこの文庫が一緒に出てきました。やたらとタバコをふかす部屋の本たちの悲惨は、今更いうまでもないことなのですが、「おとうと」と肩を並べていた三冊の本が一緒に引き出されて来たのでした。​
​ 貼りつき合っていたのは新潮文庫版「おとうと」、「父・こんなこと」、そして、この、​岩波文庫​「みそっかす」でした。要するに長年の煙草のヤニに貼り付けられて、さわられもせずに立たされていた薄汚れた三冊なのですが、久々に人の手に触れて、「我も我も」と日の目を求めて出てきたというわけです。なんだか「あわれ」を感じ、とりあえずティッシュで拭い、開いて読み始めました。​
​ 出版の記録は1951年となっていますが、昭和24年、1949年に書かれた作品です。幸田文「文章家(?)」になった、最初期の作品の一つで、彼女の出生から小学校の卒業までの生活を綴った随筆ということになっていますが、「自伝小説」というほうがいいかもしれません。​
 上の引用は作品の冒頭ですが、こんな記述が続きます。
 ​恵まれた子を喜ばぬということはもちろんあり得ないけれど、男子を待ち望んだ心には当て外れの淋しさがあったのだろう。産褥の枕もとから立ちあがる父と入れかわりに、葛湯をすすめに行った下婢おもとは、母がほろほろと涙を流しているのを見、「女だって好い児になれ、女だって好い児になれ」と繰り返しているのを聞いたという。お産につかれて敏感になった女心が、すぐに父の張り合いない淋しさを映して、続けて女の子を二人生んだという理由のない間のわるさに涙したものであろうか、あわれに思いやられる。(P9~P10)​
​​ 生まれてきた女の子が​幸田文​自身なのですが、「これが幸田文」とでもいうべき筆運びだと思いました。描写の対象との距離の取り方が絶妙で見事なものです。
 ついでなので、最後の「卒業」の章を写してみます。
  卒業

 上の学校へ行くものは級の三分の一に満たず、男生徒も半数はなかったのである。入学試験のための特別学習などということも、大したことはなかった。妙なことに卒業が間近くなると、男女生徒のいがみ合いをぱたっととまった。学業を続けるもの、家事にとどまるもの、働きに出るもの、めいめいそのもの同士が極々自然に少しずつ寄り合い、少しずつだんだんに話しあい、相通うものをほのかに感じつつ、なんとなく残り惜しみつつ、やがてさよならをいう卒業式になった。みんないい着物を着て来、おとなしくして騒がない。父兄も大勢来たが、私の父もははも来なかった。校長、村長の、訓辞・祝辞あたりから、みんなめそめそ泣きだし、男の子のないてるのもある。が、私はちっとも悲しくならない。泣かなくては悪いとおもったが泣けなかった。同し土地にこうして知りあって住んでいるものが、なんで別れなどということになるのだか、どうしてもわからなかった。小学六年間の友達が、その後三十年四十年と消息しあうということは、実際あまりない珍しい話なのである。現に私の経験は、百名に近い同級男女のうち大部分のものに、その後一度も相会わないのである。このままでいずれは知らず死んでいくのだろう。かりそめの別れは、ついの別れにつづく。大切な時に釘が一本脱けている私の根性というものは、しょうがないものである。​(P205)
​ 明治37年1904年生まれの幸田文の小学校の卒業式といえば大正時代のことで、今から100年以上も前のことですが、小学校を出ると、もう、働きに出るというあたりが今とは全く違います。
 戦後生まれのぼくたちの感覚では中学校までが義務教育ですから、この卒業式の感覚は昭和の子供たちにとっては中学校の卒業式の感覚に近いのですが、現代の二十代、三十代の方であれば、高校の卒業式といってもいいかもしれません。

​ この後、幸田文の小学校の卒業式の話は続きます。果たして文ちゃんは泣いたのでしょうかというところで、紹介を終えようかとも思ったのですが、とりあえず、最後まで紹介します。​​​​
 免状の授与になった。みんなが泣くのをやめて伸びあがった。私は総代になれなかった。が、それもさして気にはならず、なぜなら先生に帳面を見せてもらって、ほとんどの順位をずっとまえから知っていたので詰まらなかったのである。式は終わりに近く、卒業生は「仰げば尊し」をうたうのである。泣きぬれて歌えない子もいた。女生徒がそんな風なので、男性とは歌のテンポをおそろしく伸ばしはじめ、オルガンにははるかに外れて、まことにぶざまな合唱である。「身を立て名をあげ、やよ励めよ。」突如、私はどっと襲われた。身を立て!名をあげ!二宮尊徳だ、塙保己一だ、ああなんということだろう。どうして身を立てることなんて私にできるもんか。勤倹力行とか刻苦勉励とかなんていうのは私は大嫌いだった、窮屈で苦手だった。卒業式だというのに、まだ「身を立て名をあげ」の宿題がのこっているとは、どういうわけだろう、できるはずもないのに。それでは到底この学校へは二度と遊びには来られない、と思ってはじめて別離の感が身をつつみ、はげしく泣き、「いざさらば」と唱った。(昭和二十四年二月)(P205~P207)
 ​​いかがでしょうか。自らの小学生時代の出来事を40年後に振り返っている文章ですから、当然、「事実そのまま」というわけにはいかないでしょうし、いくばくかの記憶捏造も加わっているに違いないわけですが、こうして書き写していて、面白くてしようがないような文章ですね。
 最後の​「どっと」​来て、その後の内心に対する書き込みがあって、「はげしく泣く」結末までの「間」なんて、何とも言えないですね。​​

​​ 今、「自分」のことを書くにあたって、どうしてもゆずりたくないものが、確かにある幸田文「根性」が躍如としていると思うのですが、いかがでしょう。​​
 全編にみなぎるのは、その「こだわり」です。普通、そういう文章は読んでいて肩が凝りそうなのですが、凝らないのが彼女の文章の特徴です。
 おそらく、対象を見る「視点の高さ(?)」にその秘密があるように思うのですが、「視点の高さってなんやねん?」には上手に答えられません。この作品は自分が相手ですが、自嘲でも、自負や気負いでもない位置から見ている感じですね。できそうで、できないポジション取りだとぼくは思いました。
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最終更新日  2021.12.22 00:58:44
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2021.11.08
​​​​週刊 読書案内 加賀乙彦「日本の10大小説」(ちくま学芸文庫・1996年刊


 かつて、イギリスの作家サマセット・モーム「世界の十大小説」(岩波文庫)というエッセイで選んだ作品をご存知でしょうか。
ヘンリー・フィールディング「トム・ジョーンズ」(1749)
ジェイン・オースティン「高慢と偏見」(1813)
スタンダール「赤と黒」(1830)
オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」(1835)
チャールズ・ディッケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」(1850)
ギュスターヴ・フロベール「ボヴァリー夫人」(1856)
ハーマン・メルヴィル「白鯨」(1851)
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」(1847)
フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」(1879)
レフ・トルストイ「戦争と平和」(1869)
​ の、まあ堂々たる10作ですが、1954年現在の選択なので世界の「近代文学ベスト10」というおもむきですが、今、成立年代を見直すと、ほとんどが、日本なら「江戸時代」の作品であることに、ちょっと驚きました。
 まあ、日本人では亡くなって久しい博覧強記の批評家、篠田一士「二十世紀の十大小説」、最近では、河出書房新社「世界文学全集」を編集した池澤夏樹「現代世界の十大小説」を選んでいますが、池澤のラインアップのなかには石牟礼道子「苦海浄土」が入っていて話題になりました。
​​ 今日は、世界のじゃなくて加賀乙彦「日本の10大小説」(ちくま学芸文庫)の案内です。​​
​ 加賀乙彦は、もともとは精神科の医者で、フランスの精神病院を描いた「フランドルの冬」(新潮文庫)とか、死刑囚を描いた「宣告」(新潮文庫)で有名な作家です。本書をお読みになっていただければご理解いただけると思いますが、とてもオーソドックスな批評の書き手でもあります。​
​ で、こちらが加賀乙彦流「日本の10大小説」というわけです。
「愛の不可能性」―夏目漱石『明暗』
「女の孤独と聖性」―有島武郎『或る女』
「故郷と山と狂気」―島崎藤村『夜明け前』
「愛と超越の世界」―志賀直哉『暗夜行路』
「四季をめぐる円環の時間」―谷崎潤一郎『細雪』
「愛と戦争の構図」―野上弥生子『迷路』
「根源へ向う強靱な思惟」―武田泰淳『富士』
「暗黒と罪の意識」―福永武彦『死の島』
「人間の悲惨と栄光」―大岡昇平『レイテ戦記』
「魂の文学の誕生」―大江健三郎『燃えあがる緑の木』
​ ​​​​有島武郎、武田泰淳、そして大岡昇平が選ばれているのがうれしいのですが、特に大岡昇平「レイテ戦記」を、ノンフィクションの「戦記」としてではなく「小説」として選んでいる見識が光っていると思います。​​​​
​​ 第1章から10章まで、それぞれの章が、作家や作品の紹介にとどまらない、論拠が明確でオーソドックスな文芸批評であるところが、この本の優れているところで読みごたえがありますが、第9章、「レイテ戦記」については、こんなふうに語っています。​​
 ​多くの戦記は体験者の記憶だけに依存したり、通り一遍の文献調査だけで書き上げられているが、そのような安易な記録法では、記憶違い、自己の正当化、他人への過小評価、出来事の誤解などの、錯誤や意図的操作が入り込んでくる。大岡昇平の言葉で言えば、「旧職業軍人の怠慢と粉飾された物語」になりがちなのである。彼は、既成の戦記を徹底的に批判し吟味し、日本側の膨大な資料だけでなく、アメリカ側の資料も広く渉猟して、実際の戦闘がどのように起こったかを、とことん突き詰める努力をした。例えば敗軍の参謀の手記には、自分の作戦の欠陥を軽くするために第一線の将士の戦いぶりの拙劣さを糾弾したり、アメリカの公刊戦史には、勝利を誇張するために、遭遇した日本軍の戦力を課題に記録する傾向があり、こういうウソを、大岡は、粘り強い読解と比較と推理とで見破る、事実を示そうとする。
  ​《中略》
 ここでいう事実とは、ある個人が、自分の体験を記憶によって変形させる前の、裸で生な、言ってみれば赤裸な真実である。これは事実を描くノンフィクションに属する作品であるが、しかしノンフィクションで洗い出された事実は、事実であると認定する瞬間に、作者の推理力経験や趣味がするりと入り込むのであって、結局、作者が「これこそが真実だと思う」出来事にすぎない。それは、人間の真実を描くための想像力を駆使して捜索するフィクションと人間の真実という一点で相通じている。​(「人間の悲惨と栄光」P231~232)​​​
​​​​ この加賀乙彦の解説を読みながら気づいたことですが、「レイテ戦記」(中公文庫)を書き終えた大岡昇平は裁判における事実の認定をめぐる疑惑を描いた「事件」(新潮文庫)推理作家協会賞を受賞しますが、戦場の「真実」にたどり着こうとした作家の苦闘を、「法廷小説」として推理小説化した傑作だったといっていいのではないでしょうか。​​​​
 ​「レイテ戦記」​は、お勧めするにはあまりにも長いので気が引けますが、「事件」のほうはすんなり読めていいかもしれません。
​ いや、今回は加賀乙彦「宣告(上・中・下)」(新潮文庫)をお勧めするのが筋かな。いや、これはやっぱり長すぎるかな?(笑)​​​​​

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最終更新日  2021.11.08 02:13:40
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2021.10.13
​​​​​​​​​​​​​​週刊 読書案内 耕治人「天井から降る哀しい音」 (講談社文芸文庫) ​​

​​ 講談社文芸文庫「一条の光・天井から降る哀しい音」という耕治人という作家の短編集があります。特に、最晩年の妻との暮らしを書いた「天井から降る哀しい音」、「どんなご縁で」、「そうかもしれない」は、「命終三部作」と呼ばれているそうですが、最近、60代の後半になって読み返して、他人事ではなくなっていることに、ちょっとビビりました。
 もっとも、これを書いた時に、作家耕治人は80歳くらいですから、何がかは分かりませんが、まだ、大丈夫です。
 今回は「天井から降る哀しい音」の案内です。​​

 台所と六畳の部屋のあいだに板の間があって、テーブルを隔て、二つの椅子が向かい合っている。そのテーブルで食事をとるが、新聞を読んだり、原稿をかいたりすることもある。
 今年の夏は何十年ぶりの暑さというが、九月に入っても残暑はきびしく。昼頃になると、額にあぶら汗がにじみ出た。クーラーが故障して、使えなくなったせいもある。
ところがその日は前日までの暑さが嘘のように秋を感じさせるようなさわやかな風が、朝から吹いた。
「あと五日すると敬老の日だね。いろいろ行事があるようだ。今朝の新聞に出ていた。
 昼食のあとで、狭い庭の方へ眼をやりながら、そんなことを言うと、家内が、
「昨年の敬老の日はどうだったのかしら」
「さあ、覚えていないね」
「去年の夏は南瓜をよく煮たわねえ」
「そう言われると、そんな気もする」
「しばらく煮ないから、今日あたりどうですか。南瓜はあなたの身体にいいのよ」
 遠慮がちに家内が言い出した。
(p103~104)
​ これがこの作品の書き出しです。会話をしているのは、お互いに80歳を目の前にした老夫婦です。小説は「私」の一人語りで終始する、いわゆる「私小説」の、いわば生活告白小説です。
​ 敬老の日を1週間後に控えた、ある秋の午後、夫の健康を気遣って「南瓜を煮たい」といった妻を買い物に送り出し、帰りを待ちます。​
​​ どこの八百屋に行くのだろうか。八百屋は駅前にもあるし、そこへ行く途中にもある。何件かあるマーケットでも扱っている。
忘れ物をしたり、あとから取りにいったりした家内を、八百屋の奥さんや魚屋の奥さんたちは、どう思っているだろう。言葉がすらすら出ないことがあるし、突然わけのわからぬことを言い出すこともある。そんなとき奥さんたちの顔に浮かぶ表情から、家内はなにか感じているに違いないが、泣きごとを並べたり、愚痴をこぼしたりすることは滅多にない。
 それだけに帰ってくるまでが気がかりだ。​(P115~116)​​​
​​ ページの進行を見ていただければお気づきでしょうが、南瓜の買い物に出かけるまでに、たとえば買い物に出るだけでも気がかりがつのることになった「家内」に関する過去の出来事の記憶が描写され、妻(家内)「私」の生活の実態が徐々に明らかにされています。​
 で、きげんよく買い物から帰ってきた妻が南瓜を料理する様子が語られ、突如、事件が起こります。鍋をかけていたガス台の周囲に引火しボヤが起こってしまうのです。
 鍋の火をつけ忘れていたのか、レンジのそばに置かれていたチリ紙に引火したのか、幸い隣人の発見で事なきを得ますが、その夜、南瓜の煮つけを食べることはできません。
​​​ その夜家内が九時ちょっと前にベッドに入るとわたしは座卓の前に座り、テレビの音を低くし、見るともなく見ていた。暫くそうしていた。それから立って家内の様子を見に行くと、寝息を立てている。いつものことだが、家内の寝息を聞くと、なとも知れない安らかなが気持ちになる。(P120)​​​
​​ ​美しくも哀しい話なのですが、小説世界には「私」しかいないところが、この作家の真骨頂といっていいと思います。「私」の生活の周囲の出来事は「私」の目を通じてしか描けません。「家内」の内面については、その私小説の原理に従えばということなのでしょうね、わからないから書きません。​​
​ その上、その内面を作家がうかがう手掛かりである「家内」自身の表情や発言も、確たるものを失いつつあるわけですから、描写そのものの確かさもぐらぐらしていかざるを得ません。80歳にならんとしている老人の「何とも知れない安らかさ」は相手が寝ていることに支えられているのです。​
 家内を起こし、急いで朝飯をすませることにしたが、食事をしているとき、家内はふと庭のほうに顔を向け、
「昨夜はすみませんでした」
 低い静かな声。顔を見て、正常に戻ったことがわかった。一日のうち何回か正常の時間が訪れる。そうでない時間も、そのあいまににやってくる。双方が入りまじってっていることもある。正常な時間が訪れると、その時間が長く続くことを祈らずにはいられない。(P137)
​ 私小説的な作家の自意識の世界が、たとえば「家庭」とか「夫婦」とかいう世界を書くときに、相手が自意識を失うことによって、作家が生きている世界、それは書かれている世界だと思うのですが、その世界の底が抜けていくという劇的な展開が、この「祈り」を書いた次の作品「そうかもしれない」でやってきますが、この作品でも、主人公の「祈り」はすでに相手を失っているかに見えるところが、この作品の描く「孤独」の凄まじさだと思いました。
 40歳を過ぎたころに読んだ時には、まあ、他人事だったのですが、今読み直して、その異様なリアリティにかなりへこまされました。

​​ 80歳でこの作品を書いた耕治人は、この作品を遺作のようにして、1988年に世を去るのですが、姓の「耕」「たがやす」と読むのだということを今回知って、胸が詰まる思いを実感しました。
 


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最終更新日  2021.10.13 00:34:39
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2021.07.30
​​​​​​週刊 読書案内 吉村昭「海も暮れきる」(講談社文庫)​​
​ 昔の職場の人や若い本好きの人たちと続けている、一緒に文学を読む集まりの課題になった吉村昭「海も暮れきる」(講談社文庫)という小説を読みました。​俳人尾崎放哉最後の八ヵ月を描いた作品でした。​​
 尾崎放哉といえば、一般には自由律、字数を定型でこだわらない俳句、の独特な作品で有名な人ですね。
 1885年、鳥取に生まれた人で、本名は尾崎秀雄、鳥取一中、一高、東京帝大法学部を出た、当時としては超エリートですが、30代で社会的信用と地位を失い、一灯園をかわきりに、知恩院須磨寺の寺男として生き延びますが、最後は1926年、大正15年、小豆島の草庵で結核のために41歳の生涯を閉じたそうです。
​​​咳をしても一人
​ この句が、いわゆる、人口に膾炙した代表作のようで、高校の国語の教科書にも出てきます。 ​
​足のうら洗えば白くなる​​
​ とか
​墓のうらに廻る​​
​ というのが、ぼくの好きな句ですが、
​​春の山のうしろから烟が出だした​​
​ というのが、辞世というか、最後に残された句だったようです。
 読み終えて、面白かったので同居人のチッチキ夫人にすすめました。彼女はゴロゴロしながら100ページほども読みすすんだところで、ため息まじりに言いました。
 「私、もういいわ。なんなん、この人。」
​ 彼女が読んでいたのは、主人公尾崎放哉が、すべてに行き詰まり俳句の伝手を頼りに、小豆島の草庵に転がり込んだあたりのようでした。​
 「まあ、そう言わんと、もうちょっと読んでみ。吉村昭いう人が何書きたいか、わかる気がし始めたら読めるんちゃウか。そしたら、案外、その、ウットオシイ、主人公に腹立てんと読める思うで。」
 結局、彼女は、二日ほどで読み終えたようですが、最後は、さほど腹を立てないですんだようです。
​ 吉村昭「あとがき」で創作のモチベーションについて、こんなふうに書き残しています。​
 放哉が小豆島の土を踏み、その島で死を迎えるまでの八ヵ月間のことを書きたかったが、それは、私が喀血し、手術を受けてようやく死から脱け出ることのできた月日とほとんど合致している。
 中略
 放哉は四十二歳で死んだが、それを私なりに理解できるのは放哉より年長にならなければ無理だという意識が私の筆を抑えさせた。そして三年前、「本」に十五枚ずつの連載型形式で放哉の死までの経過をたどり、二十九回目で筆をおくことが出来た。私がその期間の放哉を書きたいと願ったのは、三十年前に死への傾斜におびえつづけていた私を見つめ直してみたかったからである。(「本」は講談社の雑誌)
​ 吉村昭といえば史実にこだわる「歴史小説」の作家といっていい人だと思いますが、この作品の「面白さは」は、むしろ創作された描写にあると思いました。​
 放哉は、目を開きシゲを見つめたが、すぐに視線をそらせた。自分には到底言えそうになかったが、厠で座りこんでいた時のことを思うと、頼みこむ以外にない、と思った。
 「まことにすまんのですがね、その・・・、折り入ってきいてもらえまいか、と思うのですよ」
 「なんですね」
 「実に恥ずかしいことなのですが、厠に行けなくなってしまいましてね。それで・・・・」
 放哉は、また言葉を切ったが、天井に目を向けると、
 「便器を買ってきてもらえないないものでしょうか」
と、低い声で言った。
 便器を買うということは、それをシゲに仕末してもらうことを意味している。血のつながりもなく謝礼も出していないシゲに、そのようなことを頼むのは不当にちがいなかった。シゲが、そのまま庵から去ってしまう予感がした。排泄物の処理までするいわれは、シゲにはない。かれは目を閉じ、シゲの反応をうかがった。
 シゲの声が、すぐに聞こえた。
 「なにを今さら水臭いことを言いなさいます。下のものを今日からとりましょうよ。病人なら病人らしくわがままを言って下さいな。」
 かれは、胸を熱くした。ふとんの中で、手を合掌の形でにぎった。(文庫P281)
​ 作品の前半は社会的な人間関係に対する、不信と猜疑、わがままと傲慢の経緯が詳しく語られ、放哉の人格的破綻と句作の関係が描かれてきた作品ですが、ついに、虚勢を張って立つこともならぬ病状の窮まりにおいて、作家が「主人公」を救っている場面だと思いました。
​​​ 引用したこの場面は、さほど上手な描写だとは思いません。しかし、ここで描かれているのは尾崎放哉という希代の俳人の文学的境地ではなく、「死への傾斜ににおびえる」一人の弱者に対する、人間的な救いだと思いました。ここに、吉村昭「放哉」がいるといってもいいのではないでしょうか。​​​
 ぼくは、課題図書というきっかけでもなければ吉村昭という作家を読もうという読者ではありませんが、記憶に残る作品だと思いました。
 それにしても、尾崎放哉という俳人、ホント、めんどくさい人ですね。(笑)
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最終更新日  2021.07.30 00:04:53
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2020.05.28
​​​​「二人の実朝」
小林秀雄「実朝」(新潮文庫)・太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫)


 平家ハ、アカルイ。ともおっしゃって、軍物語の「さる程に六波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯(かいだて)に掻いて待つ所に、源氏即ち押し寄せて、鬨(とき)を咄(どっ)と作りければ、清盛、鯢波に驚いて物具(もののぐ)せられけるが、冑(かぶと)をとって逆様に着給えば、侍共『おん冑逆様に候ふ』と申せば、臆してや見ゆらんと思はれければ『主上渡らせ給へば、敵の方へ向かはば、君をうしろなしまいらせんが恐なる間、逆様には着るぞかし、心すべき事にこそ』と宣ふ」という所謂「忠義かぶり」の一節などは、お傍の人に繰返し繰返し音読させ、御自身はそれをお聞きになられてそれは楽しそうに微笑んで居られました。
 また平家琵琶をもお好みになられ、しばしば琵琶法師をお召しになり、壇浦合戦など最もお気に入りの御様子で「新中納言知盛卿、小船に乗って、急ぎ御所の御船へ参らせ給ひて『世の中は今はかくと覚え候ふ。見苦しき者どもをば皆海へ入れて、船の掃除召され候へ』とて、掃いたり、拭うたり、塵拾ひ、艫舳に走り廻って手づから掃除し給ひけり。女房達『やや中納言殿、軍のさまは如何にや、如何に』と問ひ給へば『只今珍しき吾妻男をこそ、御覧ぜられ候はんずらめ』とて、からから笑はれければ」などというところでも、やはり白いお歯をちらと覗かせてお笑いになり、アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。と誰にともなくひとりごとをおっしゃって居られた事もございました。
​ それにしても息の長い文章ですが、​​​太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫)の最も有名な一節です。以前「惜別」を紹介しましたが、同じ文庫に収められていた小説がこの作品です。「惜別」と同じく太平洋戦争のさなかに書かれた作品ですが、鎌倉幕府の三代将軍です。
 日本史をやっている人は知っていると思いますが、北条氏の陰謀の中を生きて、死んだ。悲劇の将軍源実朝の生涯を、お側に仕えた少年が二十数年後に語るという構成をとっています。
 「惜別」に比べてずっと工夫が凝らされていておもしろいと思いますが、今日はその話ではありません。実は、その作品を読みながら思い出した評論があります。
 小林秀雄の「実朝」(新潮文庫「モウツァルト・無常ということ」所収​)​です。
 小林秀雄といえば、ぼくたちの世代には入試現代文の鬼門、最後の難関と受験生から怖れられた文芸評論家ですが、今は教科書には掲載されていても、今、使っている筑摩書房の現代文の中にも実際ありますが、授業ではやらない人の代表のようになってしまいました。
 諸君に対しては失礼な話ですが、今の高校生の教養ではとても理解できないと教員の方が諦めている様子で、鬼門どころか彼岸ということになってしまいました。授業をする教員も此岸の人かもしれないところが寂しいのですが・・・。まあ、人のことは言えませんね。
 はははは。しかし、読みさえすればわかるのが書物というものだと思いますから、是非お読みください。​​​

 箱根の山をうち出でて見れば浪の寄る小島あり、供の者に此のうらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答へ侍りしを聞きて  

 箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄るみゆ

​ この所謂万葉調と言われる彼の有名な歌を、僕は大変哀しい歌と読む。実朝研究家たちは、この歌が二所詣の途次、読まれたものと推定している。恐らく推定は正しいであろう。彼が箱根権現に何を祈って来た帰りなのか。僕には詞書にさえ彼の孤独が感じられる。悲しい心には、歌は悲しい調べを伝えるのだろうか。―中略―
 大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、又その中に更に小さく白い波が寄せ、又その先に自分の心の形が見えてくるという風に歌は動いている。こういう心に一物も貯えぬ秀抜な叙景が、自ら示す物の見え方というものは、この作者の資質の内省と分析との動かし難い傾向を暗示している様に思われてならぬ。​

​ とまあ、こんな調子です。

 ところで、同じ、昭和18年に書かれたこの二つの作品は、まるで互いが互いをなぞるように書かれていると感じませんか。これは驚きでした。文学的にかなり遠い位置に立っていたのではないかと、勝手に思い込んでいた二人の近さを実感したぼくの読みかたは、勘違いなのでしょうかしら。
 二つとも、さして長い作品ではありません。一度読み比べてみてください。(S)
追記2020・05・28
 大昔に高校生を相手に書いていた「読書案内」の記事です。読んでくれるのは高校三年生だったと思います。なんだか独り言のようですね。今となっては懐かしいのですが、PCのデータから、時々転がり出てきます。それにしても、古いデータというのは、いつの間にか壊れるのですね。

 



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最終更新日  2020.12.13 16:51:40
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