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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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読書案内「翻訳小説・詩・他」

2020.10.28
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​​マルティン・ニーメラー『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』

​            ​ウキペディア
​ マルティン・ニーメラーという人について、よく知っているわけではありません。しかし、ここに掲載する詩は、今の私たちが暮らしている社会で、かなり大切な、一人でも多くの人が読むことが必要な作品だと感じています。
 私たちは、既に、この詩が「リアル」に現実を指さしている社会に暮らしていることに気付いた方がいいと思うのですが。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
               マルティン・ニーメラー


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、
私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、
私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、
誰一人残っていなかった

 ​マスメディアもマスコミも信用できない時代が始まっています。私たちは静かに、なにげなく、しかし、あきることなく抗う方法を模索することが必要なのではないでしょうか。

 

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最終更新日  2020.10.28 14:44:38
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2020.10.22
​カレル・チャペック「園芸家12カ月」(小松太郎 訳 中公文庫)​


 ​先日、友達と話しをしていると話題になって、この人を訪ねたんですよ。お住まいは書棚の隅の方だったのですが、お電話差し上げると、もちろん、お元気でしたよ。
「ぼくですか?ぼくはカレル・チャペックです。世間では小説家ってことになってますがね、実は園芸家なんだよ。」​
「ぜひいちど、うちへやって来たまえ。ぼくの庭をお目にかけるよ。」
 まあ、そういって誘われたものですから、出かけたんですよ。すると、彼は庭の中にしゃがみこんで、何やら忙しそうなのです。
 振り向きもせず、何かいおっしゃっているようです。
「ちょっと、植え替えをやっているんで‥‥」
「ああ、どうか、ごゆっくり」
 すると、ひとり言ですかね、何やらまじめな口調でブツブツおっしゃるの聞こえてきましたよ。
「世間では十月だという。そして自然が冬眠をはじめる月だと考えている。しかし園芸家のほうがよく知っている。園芸家は諸君に言うだろう。十月は四月と同じぐらい楽しい月だ、と。このことはぜひ知っていてもらわないと困る。十月ははじめて訪れる春の月、地下の芽が動き出し、ふくらんだ芽やが、ひそかにのびはじめる月だ。ほんのすこし土をひっかくと、親指のように太い、しっかりした芽や、やわらかな芽や、いっしょうけんめいに働いている根を発見するだろう。― なんといったって、いなめない。春だ!園芸家はよろしく庭に出るべし。そして植えるべし!(ただし、芽を吹きかけているスイセンの球根を、シャベルでコマギレにしないように注意が肝要。)
​ だからすべての月の中でも十月は、とくに植えつけと植え替えの月だ。」​​(10月の園芸家)​​
​ こういう場合、なんて答えていいんでしょうかね。「うちのチッチキ夫人もベランダで…」とかですかね。
​​「いかん!ここは何かが枯れたらしい。この禿げたところに何か植えよう。アキノキリンソウか、それともサエアシナショウマか。こいつはまだうちの庭には植えたことがない。sりゃ、いちばんふさわしいのはアスチルベにきまってるけど、しかし、秋にはジョチュウギクもここにほしいなあ。しかし、春のためにはドロニクムも悪くないぞ。まてよ、ヤグルマハッカを一本植えよう。サンセットか、でなきゃケンブリッジ・スカーレットを。それはそうと、ここへヘメロカリスを植えても見栄えがするだろう。」(10月の園芸家)​​
​ どうも、来客のことは、お忘れになっているようです。仕方がないですね、お暇するとするか。そう思って、ミドリの美しい芝を歩いていると、後ろから、声がかかりました。
​​「ああ、昔ね、イギリスの地主が言ったんです。『土をよく耕すんです。水はけのいい、超えた土でなくっちゃいけません。酸性の土ではいけません。あんまり肥料気があり過ぎてもいけません。重くってもいけないし、痩せていてもいけません。それから、その土をテーブルのように平らにして、芝の種をまいて、ローラーでていねいに土を押さえつけるんです。そして毎日水をやるんです。芝がはえてきたら、毎週、草刈り機で刈って、刈り取った芝を箒で掃いて、ローラーで芝をおさえるんです。毎日。水をかけて湿らせるんです。スプリンクラーで灌水するなり、スプレーするなりして、それを300年お続けになると、わたしんとこと同じような、いい芝生ができます。』ってね。どうです、うちもいい芝でしょ。」​​
​ で、思わず言っちゃったんですよ。
 「チャペックさん、おいくつですか?」って。
​ あなたも、チャペックさんの、自慢のお庭を、一度訪ねてみませんか。一年中、いつお出かけになっても、花がいっぱい咲いていて、まあ、向こうを向いたままではありますが、面白いお話をしてくださることは間違いありませんよ。​そてじゃあこれで。

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最終更新日  2020.10.22 00:24:53
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2020.10.20
​​​​​​​​カレル・チャペック「オランダ絵図」(飯島周 訳 ちくま文庫)


 今日の案内は​カレル・チャペック​です。1890年に生まれて、1938年に亡くなったチェコの作家ですが、21世紀になっても読まれ続けています。 
​​ ここに、ちくま文庫「カレル・チャペック旅行記コレクション」の1冊、「オランダ絵図」と題されたオランダ旅行記があります。​​
​ 1931年のことだそうですが、チャペックがオランダのハーグで行われた国際ペンクラブの大会に出席するための旅によって生まれた旅行記です。​
 どんな本を手にしても、そうなのかもしれませんが、特に「エッセイ」「旅行記」のような本を読むときには、その文章の書き手の人柄や交友関係、食べ物の好みや、服装や乗り物の趣味なんかが、なにげなくわかるというあたりが、とても大事なことだと思うのですが、そういう観点から言えば、この人の文章は、ほぼ間違いありませんね。
 くどくど講釈と垂れていても仕方がありませんから、この文庫の冒頭を引用しますね。 
 「いくつかの顔」と題された、まあ、いわばエッセイ全体のプロローグにあたる章なのですが、そこで彼は、会議で出会った作家たちを紹介しています。
​ ​ハーグで、私はかなり国際的な環境の中に、それも国際ペンクラブの会議場に身を置いていたのだから、そこで出会った一群の文学者たちの顔について、情報をお伝えすることができる。そこには三百五十にも達する顔があったが、何人かの顔は描くことができなかった。たとえばベルギーのピエラールやロシアのボリス・ソロコフ、ポーランドのカデン・パンドロフキー、その他大勢の顔は持ち帰っていない。しかしその代わりに、ホラ、これはイギリスの作家ジョン・ゴールズワージーである。​
 ​​昔よりも白髪が増え、月の光に照らされたように明るく微妙な顔をしている。非常に率直で抑制的であり、高尚な精神を備えた英国紳士である。
​ ​近眼で丸々としたこの顔は、ジョルジュ・デュアメル、フランスの詩人・批評家で医者の経歴を持ち、現代ヨーロッパの良心をなす人たちの一人である。​
 そしてこの笑っている顔は、デジデル・コストラーニ、ハンガリーの作家である。
 笑っているのは、わが国土(チェコ)にかれが滞在することを許可しなかった、わが国の役所に対する怒りをあらわさぬようにするためだ。かれの微笑は、静かな水面に広がる波紋の輪の様だ―その顔の外にまでその輪が作られている、とさえ言いたくなる。

​ これはハーマン・アウルド、ペンクラブの本部事務局の書記で、子供向けの読物作家であり、まさしく若々しいイギリス人だがちょっぴりアイルランド系で、生意気だがいい男である。​

​ そしてこのゲルマンの神は、ドイツの詩人テオドル・ドイブレル、かれの英雄めいた髭は、親切で正直な面を、賢明で太陽のように輝く詩人の顔を、無益に覆い隠している。​​


​​  この頑固そうなあご骨の、色黒で日焼けした男は、ヤーコブ・ヴァッセルマン以外の何ものでもあり得ない。ドイツの小説家で、いささか渋面の無口な男である。​​

​ 一方、こちらの浅黒い男はフランス人のベンジャマン・クレミュー、気まぐれな文学者の群の組織者で、自分の髭の幕を、爆発的な笑いで押し開く。​​

 ガリシア出身で、ちんぷんかんぷんの詩を書くおしゃべりで心底からのユダヤ人であるシャローム・アッシュと、その瓜二つである南スラヴ人のデュチッチ
 この二人を取り違えぬようにと、ペンクラブの会議ではこう言われていた ―「アッシュと話していると思うなら、それがデュチッチだ。デュチッチと話をしていると思うなら、それがシャローム・アッシュだ ― ただそんなふうにして、二人を見分けるのさ。」

 この黒い髭は、まじめな小柄な男、クロアチアの彫刻家メシュトロヴィッチの目印である。
 かれがわが国のホレイツのように長身だったら、おそらく小さな彫刻を作るだろうが、小男なので、逆に見の丈を超える大きさの像を彫刻している。
 最後にヨハン・ファブリシウスの笑顔を描く。

​ わたしがちょこっと接触した唯一のオランダ人だが、典型的とは言えない。なぜならば、典型的なオランダ男は、どちらかと言えば開放的でなく、何となくいかめしいからである。​​

 ​いかがでしょうか。カレル・チャペックには絵描きの兄ヨーゼフがいましたが、これらのスケッチはカレル自身の手によるものです。​​​

​ 似顔絵のタッチに、書いた本人の人柄が感じられて、思わずみんな載せてしましたが、まあ、こういう人なのですね。とはいうものの、こんなのは序の口というべきでしょうね。この本の前半は「絵」が楽しい、スケッチブックの「詞書」のようなおもむきですが、後半ではオランダの人々について​の切れ味のいい批評で構成されています
​ 長くなったついでに「フェルメール・ファン・デルフト」の章をちょっと引用してみます。​
 私は、風景画や風俗画、静物画や肖像画の各分野での愛すべき巨匠や準巨匠たちすべてを、数え上げてお知らせはしない。それらの立派な名前の中には、ダウやテルボルフ。ホッベマやカイプやメッツ、ホーフ、ヴォウヴェルマン、ファン・デル・フェルデ、ファン・ゴイェンその他多くが含まれる。
 この人たちと(座ってかれらの名誉を讃え、バルーン型の曇ったワイングラスを挙げながら)もっと語りたいものだ。
 しかし今は、愛すべきデルフトの町の名前を持つ、目もくらむような清純さに視線のすべてを注いでいる。すなわちフェルメールの輝かしき清純さである。
 手紙を読む少女、台所のメイド、青い服の夫人、デルフトの眺望。ただ平和で家庭的な生活へのいくつかの洞察にすぎないが、この明るく透明な、まるでしっとりとしたオランダの光のようなもの、この女性的な静けさ、輝くばかりの尊厳性、そしてアイロンや石けんや、さらに女性の香り立つ家庭の親しみ深い神聖さを、もはや他の何人たりとも傷つけることはできない。
 これらの絵の前に立って、巡礼者は、息をひそめ、なにも汚すまいと忍び足で立ち去る。何故なら、清純さの秘密は、不可思議でおごそかで、威圧的でさえあうから。
​​​​​ フェルメールがお好きな人は、チャペックがどの絵見たのかすぐにおわかりでしょうね。そして、実にシャープな批評に頷かれることだろうと思います。​​
​​ ちなみに、この後フランス・ハルス、レンブラントと話は続きます。ああ、ハルスというのは、もちろんオランダの画家ですよ。​​
 この「カレル・チャペック旅行記コレクション」は、ちょっとした外出にピッタリだと思います。いかがでしょうか?

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最終更新日  2020.10.20 11:59:54
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2020.09.30
​​エドゥアルド・ガレア―ノ「日々の子どもたち」(岩波書店) 


 2020831

​ エドゥアルド・ガレアーノ「日々の子どもたち」を読んでいます。20208月の暑い日にこの本を見つけ、あっちこっち読み散らしています。図書館の本なので返却期限が気になります。1ページから読み始めて36ページまで読んだというふうに読むことができません。今日読んだのはこのページでした。113日はチッチキ夫人の誕生日です。

十一月三日 断頭台
 男だけが断頭台で首を切り落とされたわけではない。断頭台で殺されて、そのことを忘れられた女もいる。王妃マリー・アントワネットほど有名人ではないのがその理由だ
 以下、具体例を三人挙げよう。
 オランプ・ド・グージュは一七九三年、フランス革命によって首を切り落とされた。女もまた市民であるという彼女の信念を諦めさせるためである。
 一九四三年、マリー=ルイーズ・ジローはパリで絞首台に向かった。「フランスの家族に対する犯罪行為」である堕胎を行ったことが理由である。
 同じ年のミュンヘンで、女子学生ゾフィー・ショルの首が切り落された。戦争とヒトラーに抗するビラを撒いたことが理由である。
 「ものすごく残念だわ」とゾフィーは言った。「こんなに太陽が輝いて、とても素敵な日なのに、わたしは行かないといけないのね」

 2020916

 この日、極東の島国では歴代有数の愚宰相がようやく辞職したそうです。お腹が痛いのだそうです。彼が行くべきところは「病院」ではないように思うのですが、通院の後、フランス料理を満喫したことをマスコミは寿いでいました。
 その日読んだのはこのページでした。

二月二十日 社会正義の日
 十九世紀末、ファン・ピオ・アコスタはブラジルに近いウルグアイ国境に住んでいた。仕事のために、あの隔絶された地域で村から村を行ったり来たりしていた。
 馬車での移動だった。一等席、二等席、三等席に乗る八人の乗客と一緒だった。
 ファン・ピオはいつも一番安い三等席の切符を買っていた。
 料金に差があるのがなぜか、いっこうにわからなかった。多く払う人も少なく払う人も、全員同じ条件だった。押し合いで、埃を食べて、揺れは止まらない。
 ある冬の悪天候の日、馬車が泥にはまって動けなくなって、なぜなのかがついに分かった。その時御者は命じたのだ。
「一等席の方、動かないでください!」
「二等席の方、降りてください!」
「で、三等席の方が・・・押してください!」

2020922

​ あいかわらず、「日々の子どもたち」を読んでいます。そろそろ返さないといけないので、気がせきますが、今日、目次の右側のページに、こんなことが書いてあることに気付きました。

そして日々は歩きはじめた。
そしてそれ、日々がわたしたちを作った。
そしてそのようにして、わたしたちは生まれた。
日々の子どもたち、
調べる人、
命の探索者。
         ― マヤ人による創世記より

 どうも、この本は、図書館に返すには惜しい本です。で、返さないわけにもいきませんから、もう一日引用します。

十二月二十二日 飛ぶ喜び
 ライト兄弟は一九〇四年のだいたいこの時期に飛行機を発明したと断言するものがいるが、その名にふさわしい最初の装置の創造者は、それから数年後のサントス・デュモンであると主張する者もいる。
 唯一確かなことは、三千五百万年前、トンボの体に小さな翼が芽生え、その翼が、数百万年かけて、飛びたいという欲望に掻き立てられて成長していったことである。
 トンボは空中を飛ぶ最初の旅行者だった。

​ とりあえず、図書館の本でお楽しみください。


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最終更新日  2020.09.30 00:52:50
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2020.07.23
​​​​キム・ヘジン 「中央駅」(彩流社)

「打ち捨てられた人間」といういいかたがあります。「アウシュビッツの囚人写真家」という小説を読みながら、その本に掲載された写真や、主人公の淡い恋の物語の中でに、人間」を回復しようとする登場人物たちの絶望的な姿を見つけ出し、考え込んでいる「気分」に浸っているぼくに強烈な「ノー」を突き付けてくる小説をと立て続けに二冊出会いました。
 一冊がチョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)、もう一冊が本書、​キム・ヘジン 「中央駅」(彩流社)​でした。
​ 二冊とも韓国の若い女性作家によって書かれているのですが、前者については既に感想を書いたので、きょうは「中央駅」を案内したいと思います。​
 二つの小説に共通していることがもう一つあります。82年生まれ」は「名前のない男」が書いた日記でしたが、この作品も「名前のない男」について書かれた物語でした。
 82年生まれ」では、語り手は作家から「名前」を剥奪されていた趣でしたが、この作品では「人間」としてふるまうために最後に残った財産である「身分証明書」=「名前」を売り払うことで「人間」であることをやめてしまう話です。
​ 一人の青年が「中央駅」の駅前広場を歩いています。ここが彼の棲家になって、まだそれほどの時間がたっているわけではなさそうです。
 作家の「あとがき」によればソウル駅ということらしいですが、韓国もソウルも知らないぼくにとって、中央駅は中央駅にすぎません。駅前広場はホームレスの生活の場ですが、そんなこととはかかわりなく、この駅でも再開発が進んでいます。
 男はキャリー・バッグ一つに詰め込んだ財産を引きずりながら一日中この広場をグルグル歩き続けます。日が暮れてたどり着いた場所が今夜の彼の家です。そこで、一番かさの高い家財道具、段ボールの寝具を広げます。
 この男の視線によって世界を捉え、世界に対するこの男の意識が一人称「俺」によって語られています。
 文章は率直で怒りと自己嫌悪を漂わせていますが、下品ではありません。
​​

​​​「現在形の直線的な文章で断崖絶壁に追い詰めては平地に連れ戻すような文体」​​​​

​ ​​訳者の生田美保「あとがき」で、こんなふうに評していますが、ぼくは、中上健次「十九歳の地図」を思い浮かべながら、「青春小説」という印象で読み進めました。​​
 男は、ある日、一人の女と出合います。女が男に対して最初にしたことは身体を差しだすことでした。二つめにしたことは寝入った男の全財産であるキャリー・バッグを盗み出し、それを酒に変えることでした。
 一夜の逢瀬で姿を消した女を男は探し回ります。再会した二人がしたことは、互いの体を相手に差しだすことでした。
 その行為のなかで、女にとっては寒さをしのぐための、男にとっては刹那的な欲望の処理のための、それぞれの肉体が道具として「交換」されていくようにみえます。
 社会で生きている人間であることの残滓を捨てきれない男は、行為の果てに、女の来歴と名前を知りたがります。もちろん、彼には、まだ、自らの「身分証明書」を捨てることができません。 

「私だってアンタのことは知らない。どうしてここにいるのか、何か犯罪を犯したのか、詐欺にあったのか、何ひとつ知らない。それでも、私はあんたのことが好き。それでいいじゃないの」(P110)
「そうよ。私はあんたが期待しているような、そんな人間じゃないわ。いったい、こんなところで私にどう生きてほしいの。」​(P111)​​

​ 家族を捨て、住み慣れた町を捨て、この広場で暮らし続けた女は生活の糧であった体を病気によって失いつつあります。とうとう、女は死に瀕した体の治療に必要な「身分証明書」を手に入れるために、かつて暮らした町を訪ねます。
 付き添った男は「町」が女を捨ててしまっていたことを確認しただけでした。

「ずいぶん変わっている。あの頃はこんなんじゃなかったのに」
 女はどちらに進むことも出来ずにその場に立ち尽くす。すぐに方向感覚を取り戻すだろうと思っていたが、何歩か歩いては立ち止まってを繰り返している。俺は、横断歩道の信号が変わって人々が急いで渡って行く様子を見ながら、ボンヤリと突っ立っている。​(P226)

​​ 「肉体」を、いや、「生命」を失いつつある女を救うために、男は、最後まで執着していた「名前」を売り「カネ」を工面します。しかし、手に入れた「カネ」もその夜のうちに盗まれ、結果的に「肉体」以外のすべてを失い、女の傍らに座り込みます。
 目の前には腹水でスイカのように膨れ上がった体を抱えて眠るように横たわっている女がいるだけです。
 広場の花壇の植え込みの陰で女の体をさすり続ける男がいます。いつの間にかというべきでしょうか、つながりを最後まで担保するはずの「言葉」も「肉体」も失いながら、ホームレスの男と女が「人間」の姿を取り始めます。
 さすり続ける乳房の手触りと、乳房に当てられている手の感触のほかには何も残されていません。
 とうとう、何もかもを亡くしてしまった所に小説はたどり着いたという納得が、読者のぼくの中で広がってゆきます。

 それは「愛」と呼ぶには、あまりにも荒涼とした世界ですが、思い浮かんでくる、例えば、ノラ猫の親子の仕草とは一線を画している要素が一つだけあると思いました。それは「Still Human=それでも人間」ということです。

​「何もかも亡くした状況でも、我々は自分以外の誰かを愛することができるのかを問いたかった。」​​

​ 作家がインタビューに答えた言葉だそうですが、人間が「何もかも亡くす」という様子を見事に描いた作品だと思いました。結末で「男」は、もう一つ、何かを亡くしてゆくのですが、それは作品を読んでお確かめください。
 30代の作家の「才能」と「可能性」、社会と人間に対する視線の鋭さを感じさせる作品でした。

​​ 追記2020・08・01
チョ・ナムジュ82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)​の感想は書名をクリックしてください。​​


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最終更新日  2020.08.01 18:56:49
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2020.07.09
チョ・ナムジュ 「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)​​



 もう、半年以上前のことですが、チッチキ夫人が一冊の本をテレビの上の、読み終わった本を並べる棚に並べながらいいました。
「この本、流行ってるの知ってる?」
「ああ、本屋で見たことはあるかも。」
「けっこう、面白いと思うのよ。」
「そうなん?」
 それから、さっきも言いましたが、半年たちました。図書館に返すために、テーブルの端に積み上げている本の小山から一冊抜き出していいました。

「これはすごいと思うわ。」
「ああ、図書館の、でも、もう返すやつね。読めたの?」
「うん、最近のベストですね。ちょっとずぬけてると思うねんよ。」
 彼女はこのところ韓国の現代文学にハマっているようで、ぼくのカードで勝手に図書館に予約を入れたりしています。
 CUONという出版社が10年くらい前から「新しい韓国の文学」というシリーズを地道に出していて、もう、20作を越えていると思います。そのあたりが彼女のターゲットですが、この2作は別の出版社でした。
​ 半年前の作品がチョ・ナムジュという作家の「​82年生まれ、キム・ジョン」で、筑摩書房でした。​
​​ で、最近の本がキム・ヘジンの「中央駅」で、彩流社です。​​
​ 図書館の締め切りのプレッシャーで「中央駅」を、まず読みました。作品の力強さ、予想もしなかった展開に、びっくり仰天して、思わず「​82年生まれ、キム・ジョン」を読みました。こちらも、結構納得しました。
 二冊読み終えて思わず叫びました。(叫んでませんが。)
 韓国文学はすごい!

 この二つの作品には、明らかな共通点が二つあると思いました。
 一つは、女性の、それも30代後半から40代の、ぼくからみるととても若い作家によって書かれていることです。
 二つめは、「社会の中の人間」を真正面から描くことで「社会」を活写していることです。

​​ 「中央駅」については別に感想を書きたいと思っているので、ここではチョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)を読みながら、まあ、読み終えてですが、考えたことを書いてみようと思います。​​

​​​​ 読み始めて不思議に感じたことが二つありました。二つとも登場人物の名前の表記に関することでした。
 一つめは、名前を与えられている人物が、個々の会話の中を除いて、例えば、主人公をキム・ジョン氏、その祖母をコ・スンプン女子といったように「敬体」で書かれてことです。​​
 作家は「小説の書き手」が、こういう書き方に「何か意図をこめている」ということを読ませたがっているのかなというのが第一印象でした。
​​ 二つめも名前に関することですが、主たる登場人物に限らず、主人公キム・ジョン氏の夫であるチョン・デヒョン氏以外の男性登場人物には名前が与えられていないことです。
 登場する男性はすべて、「父」、「弟」、「先生」という社会関係を示す名詞で呼ばれていて、何と会話のなかでも「実名」が出てきません。
 これは、家族や学校、職場での人間関係のリアルな描写を描いている小説としては、かなり異様なことだと思います。​​
 ぼくが、読みながら、名前にこだわったには理由があります。韓国や中国の現代小説を読むと、人名表記がカタカナになっていますが、以前は中国文学も朝鮮文学も漢字でした。
 ぼく自身もそうですが、翻訳の読者の多くはハングル表記も簡体中国語表記も知らないわけですから、翻訳の出版物が「名前」をカタカナで表記するのは当然なのだろうと思います。しかし、読み辛いのです。
 最近、韓国の映画を見るようになりました。「映画情報」や「チラシ」に記されている監督や俳優の名前もカタカナ表記になっています。これが覚えられません。
 ぼくの中にある「韓国」や「中国」に対する「視線」の質が問われる問題を含んでいると思いますが、いかんともしがたいというのが本音です。
 くわえて、ぼくにとっては、中国や朝鮮の人名が「カタカナ表記」だと、その人物の性別を読み取る手掛かりがありません。カタカナの読み仮名はふってありましたが、李夢龍、成春香、王龍、阿蘭というような表記に出会い、登場人物の性別に見当をつけながら読んできたという経験が通用しないのです。
 まあ、そういうイジイジ読みをしているからなんでしょうね、名前が気になるわけです。
 文体にも、いかにも事務的な書き方、「記録文」的な特徴がありましたが、それはさほど気にならないまま、最終章に至って謎が解けました。

​ キム・ジョン氏チョン・デヒョン氏の話を元にキム・ジョン氏の人生をざっと整理してみると、以上のようになる。​​

​ 最終章2016​​年」の書き出しで謎が解かれていました。精神的な体調を崩した、主人公キム・ジョンが通院することになった病院の、主治医による診療「カルテ」の記録だったのです。小説の書き手は精神科の男性医師でした。​
 記録は2015年秋」の発症の様子を描いた第1章に始まり、1982~1994年」から1012~2015​​年」まで、幼児期から学齢期、成人して結婚、出産に至る生活暦として記されています。
 小説としての、最初の読みどころは、この部分に書かれているさまざなエピソードとキム・ジョンの感想が描き出す、80年代以来の「現代韓国」の社会の描写にあると思います。
 韓国で、多くの、おそらく女性読者に支持され、「キム・ジョンは私だ」という言葉まで生まれた理由は、普通の女性の、今の社会のなかでの「生活の辛さ」がカミングアウトされているところにあると思います。
 読者は、このカミングアウトの「記録」が、偏見に偏ることなく、客観的に記録された事実であるようだという印象を抱き、自己投影できる「安心感」と「同情・シンパシィー」を育てながら読み進む仕組みになっています。
 「キム・ジョン氏」という呼び名の使用の一つめの成果と言っていいのではないでしょうか。​​
​​
​ しかし、小説はそれでは終わりませんでした。最終章は、先ほども言いましたが精神科医の独白です。この章を最後までお読みになればわかりますが、​1章から5章に至る、公平で客観的な「記録」的記述そのものが「男性性」の眼差しで書かれていたものであることが明らかにされます。
 読者に「シンパシィー」を作り出した「記録」を書いた医師もまた「男性性」の呪縛の中で、呪縛に気付かない「男性」として生きている人物だったのです。
 「公平」で「共感的」な文体そのものが、「男性性」の産物であったというわけです。
 ここまで読み終えた「男性」読者諸兄は、まあ、ぼくがそうだったということですが、作家の社会に対する「まなざし」の厳しさに打ちのめされるのではないでしょうか。
 言語行為、法、社会通念、すべてがミソジニーをその根本に隠し持っているという告発をさらりと書き上げたこの作品は、男尊女卑が社会問題化されている韓国にとどまらず、「嫁」などという呼称が平然とテレビ画面で連呼されている我々の社会に対してこそ有効な批判の書であると思いました。
 ところで、ずっと気にかかっていた「男性」の登場人物に「名前」が付けられていない不思議についてです。
 この小説全体は、「男性」精神科医の手記です。しかし、文章全体に、
ただ一点だけ、作家の「たくらみ」が仕込まれていました。女性には名前を与え、男性を社会的記号として描いている点です。
 その描き方に、作家
チョ・ナムジュ​​の、主人公キム・ジョンが生きる社会に対する「怒りの表象」があらわれているとぼくは感じていたのですが、巻末の解説で伊東順子氏が論じていました。解説は本文をお読みいただくほかありませんが、この描き方は「ミラーリング」という批判の手法だそうです。​​
 その点をこだわるなら、この小説全体が、作中人物によって書かれた「手記」ではなく、作家自身による「挿入」と読むこともできます。要するに小説の作法として少し変じゃないかということです。「語り手」と語られている内容が矛盾するというわけです。この登場人物が、本来そのように語ることができない「語り」を語ることで、小説として破綻しているとぼくは思います。しかし、この登場人物に語らせたことが、現実に対する批判の深さも獲得してもいるわけです。
 まあ、こだわるよりも、「作品」の主張に素直に耳を傾けるべきだろうとぼくは思いました。
 


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最終更新日  2020.07.09 00:03:42
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2020.07.03
​​​​ロラン・バルト「喪の日記」(みすず書房)​

​​
 ロラン・バルトが亡くなって40年経っていた。その40年の間、ぼくは何をしていたのだろう。20歳で初めて読んだが、わからなかった。お経か呪文のように後生大事に、憧れ続けてきたが、ある40年経っても、わからないものはわからないということがあるということがわかったような、気だけする。​​
 先日、
二十代の友人がバルトを読むことの「快感」をネットのどこかに書き記しているのを見て、嫉妬して図書館で借りた。

全面的な存在 
    絶対的である
重さはまったくない
​重さのない濃密性(P267)​

 読み終える寸前に襲い掛かってきた、以前の「わからない」感覚にうろたえた。そこからページを行ったり来たりし始めた。これも、いつかの仕草だ。

1115
 
​― 胸がはりさけそうになったり、いたたまれなくなったりして、ときおり、生がこみあげてくる(P53)​
自殺
​死んだら、もう苦しまなくなる、なんて、どうしてわかるのか?(P252)​
​ ​​交通事故で突如去ったロラン・バルト。彼が書き溜めていた、いや「書き溜める」なんていうことをバルトがしたとは思えない。しかし、数百枚のカードは整理されてあったらしい。​​

 1124 
 わたしが驚く ― ほとんど心配に(不安に)
なる ― のは、じつはこれは喪失ではないということだ(わたしの生活は混乱していないのだから、これは喪失のようにかたることはできない)。​そうではなくて、傷なのだ。愛する心に痛い思いをさせるもの。(P67)​


 母の死を「傷」としてを苦しむ男がいることに突き放されてしまいそうになる。しかし、喪失のように語れないという言葉で引き戻される気がする。​​

1978718
 
それぞれの人が、自分なりの悲しみのリズムをもっている。(P166

11
12
 ​きょう ― 私の誕生日だ ― 、病気なのだが、そのことを彼女に言えない ― いう必要がもうない。(P48)​
​ バルトの死から二十年近く経って、一冊の書物として編まれていた。そこには、まさに「エクリチュール」が、何の脈絡もない呟きとしてあるように見える。​
 脈絡をもとめて彷徨うのが「快感」だと、ぼくには言えない。40年前の記憶でもそうだった。
197869日 
 けさ、サン=シュルピス教会の奥まで入った。建物のなかにいると、ただ広漠とした建築に陶然となる。―わたしはすこしのあいだ腰をかけ、無意識に「お祈り」のようなものをする。マムの写真の本がうまく書けますように、と。そして気がついた。わたしはいつも子供っぽい「欲求」によって前へ前へと引っぱられ、いつも願いごとをし、なにかを望んでいる、ということに。いつの日か、おなじ場所に腰をかけ、目を閉じ、なにも願いごとをしないようになろう‥‥。ニーチェが言っていた。祈るのではなく感謝するのだ、と。
 ​そのようなことを喪はもたらすはずではないだろうか。(P141)​
 ​​いつの日にか、おなじ場所で。​

1979915
 
​とても悲しい朝がある・・・・・。(P248)​
​​​ ​やはり、バルトは、バルトで、ぼくは、ぼくだった。いつの日にか同じ場所で、ぼくには感謝することができるだろうか?
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最終更新日  2020.07.03 00:39:51
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2020.06.19
​ルーカ・クリッパ マウリツィオ・オンニス「アウシュビッツの囚人写真家」(河出書房新社)​ ​


  上に貼った
写真をご覧ください。この本の表紙を飾っているこの少女の記録が本書の中にあります。

チェスワヴァ・クフォカ(19281943
194212月に収容された少女。
囚人番号26947。記号​PPole。​
​ 名前と生没年、アウシュビッツ収容所の囚人番号、ポーランドの政治犯をあらわす記号PPoleだけが、この少女がこの世に「15年間」生きた記録とし記されています。その記録ととも残されていたのは、この写真と、アングルを替えた同じサイズの2枚の小さな肖像写真でしたが、その写真も本書には記載されています。
 
15歳で殺されたポーランドの少女が、確かに生きていた証拠の写真と記録を、証拠隠滅に奔走するナチス親衛隊の手から、死を賭して守り抜いた男がいました。ヴィルヘルム・ブラッセという写真技師です。​
 
彼はこのドキュメンタリィー・ノベルの主人公です。自由ポーランド軍に参加した政治犯として1940831日に逮捕されます。22歳の時のことでした。
 その結果アウシュビッツ収容所に連行され、以来19455月にアメリカ軍に解放されるまで、ほぼ5年の間、囚人番号3444として収容生活を送りました。

 写真技術とドイツ語がしゃべれることをナチスに利用され、アウシュビッツ収容所の「名簿記載」係として働き、奇跡的に生還しました。2012年、94歳まで生きた人だそうです。

​ 写真技師ブラッセ4万枚を超える犠牲者の名簿用肖像写真、ナチス親衛隊の将校や医師によって行われた、ありとあらゆる残虐行為の現場記録を写真に撮ることを仕事にさせられた人物だったのですが、生還したのち70年、二度とカメラを扱うことができなかったそうです。
 生還後、彼が覗き込んだファインダーには、目前の被写体ではなく、死んでいった何万人もの姿が映り続けていたそうです。
 ​
​​​​訳者関口英子さんによる「あとがき」によれば、彼は、生前、2006年にポーランドで作られたされたテレビドキュメンタリー「肖像写真家」で自らの体験を語ったこともあるそうですが、本書はルーカ・クリッパ(LucaCrippaマウリツィオ・オンニス(MaurixioOnnisという二人のイタリア人ライターが、そうした資料やブラッセへの直接インタビューの内容をもとに、共同で書き上げたドキュメンタリー・ノベルだそうです。​​​​

​ そのせいでしょうか、ブラッセの「名簿記載班」での生活は、最終的に彼が収容所での生活で偶然出会い愛した女性と、解放後、再会するというクライマックスに向けて「構成」されている印象を受けました。​
 
果たして、それがこの作品の評価を変えることになるのかどうか、読んでいただくほかはないと思います。

 表紙を飾っているポーランドの少女のあどけない眼差しは、この瞬間何を見ていたのでしょう。ヴィルヘルム・ブラッセが自ら撮影し、この世に残した、​証明写真の意味を、きちんと考える時代が、今、やって来つつあるとぼくは思います。いや、もう来ているのかもしれませんね。

 悲劇を生んだ全体主義の再来を防ぐためにも、それがいかに悲惨なものであろうと、私たちはブラッセの撮った写真から目をそらしてはならない。
​ 関口さん「あとがき」の最後の言葉です。こういう発言がリアルに感じられると思うのはぼくだけでしょうか。
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最終更新日  2020.11.25 00:37:04
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2020.04.24
​ジョン・ネイスン「ニッポン放浪記」(岩波書店)



​ 大江健三郎柄谷行人の対談集を読んでいて、この名前が気になりました。ジョン・ネイスンです。対談の中では大江の「個人的な体験」の英訳者として名前が出てきたのですが、後半ではなんとなくお茶を濁している様子で、具体的には話されていませんでした。
 
大江健三郎という作家が、批評家や文学者たちに対して「絶交」を宣言するというような、独特の対応をすることがうわさされる時期があったことが思い浮かび、二人の口の濁し方に興味を惹かれました。
 
​というわけで、図書館で借りだして読み始めました。ジョン・ネイスン「ニッポン放浪記」です。
 ​
ニュー・ヨークから10歳で引っ越したアリゾナの田舎町の少年時代の生い立ちに始まり、ハーバード大学でのエドウィン・ライシャワーとの出会い。1960年代初頭の日本留学。日本人女性との恋と結婚と破局。「午後の曳航」を翻訳しながら関係を絶った三島由紀夫「個人的な体験」を翻訳して、おそらく大江文学の英語圏での最初の紹介者になり、その後ノーベル賞受賞後には「新しい人よ目覚めよ」を翻訳し、友人としてもかなり深い関係がありながら、後に絶交された大江健三郎。ほかにも阿部公房、北杜夫との出会いや交友のエピソード。勝新太郎を撮ったキュメンタリー映画製作の思い出。最後は漱石「明暗」の翻訳と水村美苗との出会い。
 
戦後文学の現場に飛び込んできた、1940年生まれの若きアメリカ人が「ニッポン」と「映画」に憑りつかれた波乱万丈な60年のエピソードを書き記した回想録でした。
 
「日本通」の学者、翻訳家としては1910年生まれのライシャワーや、1920年生まれのドナルド・キーンの次世代を担うはずの人だったと思います。実際、プリンストンやカリフォルニア大学で日本文学を講じてもいたようなのですが、しかし、映画と事業にのめり込んだ後半生の姿は、いわば、しっちゃかめっちゃかな「破滅型」という趣で、読むには面白いのですが、本人は大変だったでしょうね。現在80歳、日本文学への、今、一度の愛を語って回想を終えています。
 
ここまでがこの本の総論です。少し付け加えますが、最初に興味を持っていた大江健三郎との関係については、案の定、「新しい人よ目覚めよ」を翻訳後、絶交され、その理由の不可解にネイスンが苦しむという記述がありました。納得です。
 
ところで、それとは別に、この本をぼくが「案内」しようと思った理由が、読みながら生まれていました。それは、アメリカ人で初の東大生になったジョン・ネイスンが国文学の大学院で一人の友人と出会うエピソードでした。

 ひとりだけ友人ができた。彼自身もはみ出し者だった。やがて私の人生で重要な意味をもつようになる男、野口武彦だ。国文学科の博士課程に入学を認められた数少ない学生の一人で、早稲田の学部生だった時に学生運動のリーダーとして機動隊とやりあったことがある。野口についてはそれくらいしか知らなかったが、実際に会ってみると、政治運動の声高な活動家だったとは想像できない。柔和でしなやかでクールで、どこか両性具有的な格好良さを身にまとっていた。
​ ​​​ジョン・ネイスン野口武彦氏との交友のさわり部分です。ぼくは本書を読みながら、ネイスンの記述がこの部分にさしかかった時に、思わず「あっ」と声をあげてしまったのです。
 ​​​
​​​​何をそんなに驚いているのかと尋ねられそうですね。
 この出会いの十年の後に野口武彦氏は神戸大学の教員を務めながら、ジョン・ネイスンMishima: A Biographyを、友情の証であるかのように『三島由紀夫―ある評伝』(新潮社)として翻訳・上辞することが本書には記されています。
 ​​​​
​ぼくは、その本の翻訳、出版、そして絶版騒ぎの最中、「柔和でしなやかでクールで、どこか両性具有的な格好良いい」先生の教室に、生意気に煙草なんぞを咥えながら座ってボンヤリしていたバカ学生だったのです。
 ​
​​​​若き日の野口武彦氏の、いや、ぼくにとっては野口先生のポルトレ、一瞬の肖像を鮮やかに描いたジョン・ネイスンの一連の記述は、60年代の文学的な青春の記録として、どなたがお読みになっても文字通り爽やかですが、個人的には何とも云い難い思いに駆られる文章でした。こんな、読書体験というものは、そうあることではないのです。
追記2020・04・24
大江健三郎・柄谷行人「全対話」(講談社)の感想はこちらをクリックしてください。
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最終更新日  2020.11.11 22:45:26
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2020.02.02
​​セルバンテス「ドン・キホーテ(全6巻)」牛島信明訳(岩波文庫)


​ ​「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」という映画の感想を書いていて、こっちが長くなったので別のタイトルになりました。
​​​ セルバンテス「ドン・キホーテ」が出版されたのは1605年なんですね。それは徳川幕府の始まりとか、イギリスのエリザベス一世とかいう時代でそのす。だから、このお話は1700年代の中ごろに生まれた「忠臣蔵」より古いんです。​​​
​​ なんでこんなことをいっているかというと、たとえば竹田出雲の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が始まりだと思いますが、その「忠臣蔵」であれば、戦後だけでも​映画化された回数は数えきれないですよね。最近も、見ていませんが「決算忠臣蔵」というタイトルの映画もありました。
 一方、エリザベス朝といえばシェークスピアですが、ナショナルシアターライブを続けて見ていると、イギリスの現代の演劇シーンのメインにはシェイクスピア劇がデンとすわっているんだなと感じます。​​​

​ じゃあ、「ドン・キホーテ」はどうなんだろうっていうのが気になるわけです。​
 日本語への翻訳はたくさんあります。新訳も出続けています。児童文学の全集には、多分、必ず(?)ライン・アップされています。
 で、愛馬がロシナンテで、相方がサンチョ・パンサで、ドルシネア姫がヒロインだとか、風車とたたかうとか、誰でも知って(そうでもないか?)いそうですが、最後まで読んだ人はなかなか居そうにありませんね。理由は簡単です。長くて、退屈なんです。
​​​​​​​ 今、「ドン・キホーテ」を読むなら、牛島信明訳岩波文庫版が、一番お手軽だと思いますが、全6巻のお話ですね。
 上に載せたのが、牛島訳岩波文庫の第1巻の表紙ですが、下に載せるのが第1巻から第6巻の表紙の挿絵ですが、本文の中でつけらているキャプションもつけてみますね。
 前編第1巻「ねえ、遍歴の騎士の旦那様、どうかわすれねえでくだせえよ・・・」(これは有名なシーンですね。サンチョが、ちょっとアブナイじーさんの家来になるんですが、一緒におバカをやるのは取引の結果なんですね。で、こういう出で立ちになるわけです。)


 前編第2巻「一頭の騾馬が死んで横たわっているのを見つけた」(絵がシュールですよね。)


 前編第3巻「ふつふつと煮えたぎる瀝青の大湖が現出したかとおもうと・・・・」


 後編第1巻「もうこのときにはドン・キホーテもサンチョのかたわらでひざまづき・・・・」ゴヤを思い出しますね。)


 後編第2巻「奥から巨大な烏や深山鳥が、群れをなしてどっと飛び出してきたので・・・」(これって、後編第1巻の場面なんですがなぜか第2巻の表紙に使われています。
 後編第3巻(申しわけないのですが、後編第3巻が見つからないので、写真だけね。キャプションは見つかり次第ということで、略します)


 挿絵は楽しいんです。でも、どなたか最後まで読んでカンドーしたって方はいらっしゃいますか?きっと投げ出した人の方が多いでしょうね。もしも、読み終えた方がいらっしゃるとすれば、読み終えたということに感動なさると思うのですが(ぼくはそうでした。まあ、そうはいっても、最後の遺言は、いろんな意味で感動的なんですが。)​​​​​​​

​ にもかかわらず、「ドン・キホーテ」が新たに訳され出版されつづけています。ロマンス語系の文学研究者の方たちの心を揺さぶり続けているのは何故でしょう。​
 全くの私見ですが、理由の一つは、この小説が、「小説の小説」、メタ小説の始まりだからでしょうね。ドン・キホーテは誰かの書いた「騎士物語」を生きながら、そのうち、別の誰かの書いた「偽のドン・キホーテ」と闘うという、実に、夢だか現実だかわからない人物なのです。
 数年前に、「一緒に読めば読めるでしょう。」と、知り合いを誘って読み始めました(もちろん日本語訳ですよ)が、
前篇を超える頃から非難の声が上がり始め、脱落者が相次ぐという結果になりました。というわけで、無理には薦めませんが、読んでみると案外かもしれませんよ。
 今回、ぼくは、日本語訳はともかく、ヨーロッパでの「ドン・キホーテ」に興味があったのですがよくわかりませんでしたね。​例えば映画にしても、芝居にしても、日本の「忠臣蔵」のようなところがあるのかどうかも。ただ、多分、誰でもが知っている「物語」であることは、間違いなさそうですね。
 というわけで、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」の感想に進みたいと思います。(タイトルをクリックしてみてください。)

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最終更新日  2020.11.02 01:33:30
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