ベランダだより 2022年6月30日 「そしったら咲きました!団子丸!」」
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2022.07.01
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全16件 (16件中 1-10件目) 読書案内 「芸術:音楽・美術・他」
カテゴリ:読書案内 「芸術:音楽・美術・他」
横尾忠則「タマ、帰っておいで」(講談社)
![]() 市民図書館の新刊の棚で見つけたのですが、2020年3月30日発行ですから、新刊ではありません。 横尾忠則「タマ、帰っておいで」(講談社)、副題が「REQUIEM for TAMA」とあります。愛猫「タマ」の追悼画集です。 2014年5月31日 ![]() 中表紙を開いた2ページ目にはタマの最後の日の日記が記されていて、その隣には「TAMA2005.11.8/14.7.1」とサインの入った「タマを抱いた自画像」がこんなふうに装丁されています。 次のページを開くと「タマへの弔辞」が述べられています。 玄関にタマの絵を飾って祭壇をこしらえたので、 実は、長い弔辞なのですが、その一節です。猫が絵の中に入っていく「ルーヴルの猫」というマンガを最近読みましたが、絵の中から帰ってくる猫がいても、案外、不思議ではないかもしれません。 次のページから日記とタマの絵が、先程のページのように見開きにセットで装丁されています。日記は2004・7月・6日から始まっていて、2018年・6月・1日まで、断続的ですが、続いています。 タマが亡くなった後も、絵は描き続けられていて、その絵が、この画集の、まあ、当たり前ですが肝です。2020年の絵まで、90点ほど載せられています。あらゆる姿態のタマの姿が描かれています。表紙の絵もその一つで、亡くなった直後に描かれた作品です。すべてタマの絵なのですが、見入ってると、横尾忠則自身を描いているのではないかと思わせる絵です。 ![]() これが裏表紙です。海岸に座っているタマの絵です。台所のテーブルで本をいじっているとチッチキ夫人が声をかけてきました。 「それ、いいの?」チッチキ夫人の母親は、なんと、横尾忠則と中学、高校の同級生なのですが、普段から、話題にしても、あんまり、この画家のことをいいようにいいません。普通の女の子からすれば、変な男の子だったようです。 同級生の画家と同様に、当たり前ですが、80歳を超えて、でも、彼と違って一人暮らしをしている「元普通の女の子」のところに、「そうはいっても」という気持ちで、同級生の画集を届けたようですが、芳しい反応はなかったようです。 ミーミというのは、今はもういませんが、彼女が長く飼っていた猫の名前です。 2016年4月10日 ![]() タマがいなくなって2年後の日記です。見開きの絵も記憶によって描かれた絵です。 この画集には、亡くなった後に描かれたタマの姿がたくさん出てきます。ことばが、記憶の中から紡ぎ出されてくることで、時間を越えたリアルを描くことには違和感はないのですが、映像もまた記憶の中から、筆先を通してキャンバスに移されているということを実感させる絵です。画家は安物のカメラのように目の前の被写体にピントを合わせて描いているのではないようです。 横尾忠則の、並々ならぬ愛猫家ぶりがさく裂していることはもちろんですが、「絵とは何か」をスリリングに考えさせて、いや、感じさせてくれる画集でした。 ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2022.05.17 01:18:20
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2021.04.29
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南伸坊「おじいさんになったね」(海竜社) 部屋でごろごろしていて、「無聊をかこつ」という古いいい方がありますが、こういうのを言うのでしょうかね。
チッチキ夫人もお出かけで、外のお天気はやたらによくて、でも、動く気がしない。パジャマから服だけは着替えてはみたのだけれど、畳の上に寝転んでしまって・・・、ふと棚を見ると、高野文子の「ドミートリ―ともきんす」(中央公論社)というマンガがはみ出ていて「ちょっと読んでみません?」と声をかけるので、引っ張り出してパラパラやっていると、なんだか偉い人がいっぱい出てきて、ちょっと、本格的に座り直そうかと姿勢を変えると、そこに、隣にあった本が落ちてきて、開いてみると、こっちが字ばっかりなのに、なんだか引き込まれてしまった次第で、こうして「案内」しています。 落ちてきた本が南伸坊の「おじいさんになったね」(海竜社)でした。装丁もイラストも文章も、みんな伸坊さんの仕事です。で、こんな「はじめに」から始まっています。 「ゲンぺーさん、おじいさんになったネ」とクマさんは言った。 先程、最初に手に取った「ドミートリ―ともきんす」というマンガには、湯川秀樹、朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎というビッグネームが登場するのですが、「おじいさんになったね」に登場するビッグネーム(?)は、「老人力」の赤瀬川原平、通称「クマさん」の篠原勝之です。マア、南伸坊も加えて三人ですね。 「うん?!こっちの方が面白そう。」 この気分は、本当は変ですね。両方とも、ただ並んでいたわけじゃなくて、一度は読んだことがあるはずなんですから。 で、まあ、そんなことは忘れていて、初めて読む気分でパラパラと読み始めて、笑うに笑えないことなのですが、なぜか笑ってしまったのがこの話です 「メガネに注文がある」 この辺りで、「案内」のまとめにすすもうかと思っていたのですが、ここまでお読みいただいて、あとは本をお探しくださいでは、ちょっとなあ、というわけで、とりあえず最後まで引用しますね。 〈引用つづき〉 2015年に出版された、このエッセイ集は「月刊日本橋」という雑誌に「日々是好日」と題して、2021年の今も連載が続いているエッセイをまとめた本です。 南伸坊さんは当時67歳、今のぼくと同い年で、エッセイで話題になっている「メガネの逃亡譚」はリアルな実感で理解できます。「おそるべき不条理」の世界も、笑いごとではありません。 そういえば、最近、後期高齢者の仲間入りをした知人が「毎日、新しいことばかりで、楽しいよ!」とおっしゃっているのを聞いて、「勇気づけられ(笑)」ましたが、まあ、「うれしい」ような、「かなしい」ような、恐るべき不条理の「大冒険」が、待っているのかもしれませんね。 残念ながら「はじめに」で登場した「クマさん」と「ゲンぺーさん」のエッセイ中での出番はありません。特に赤瀬川原平さん、別名、芥川賞作家尾辻克彦さんは、この本が出される前年、2014年に亡くなっておられて、まあ、残念ですが、思い出以外では登場しようがないということなのですね。 というわけで、このエッセイ集は「南伸坊とその家族」の「日常」の物語です。無聊をかこっていらっしゃる前期高齢者の方に最適かと思うのですが、いかがでしょう? こちらが「ドミトリ―ともきんす」です。お暇ならどうぞ。 ![]() ![]() ![]()
2021.03.15
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鬼海弘雄「靴底の減りかた」(筑摩書房)
![]() 友人から教えられた鬼海弘雄という人のエッセイ集「靴底の減りかた」(筑摩書房)を図書館の棚で見つけました。 鬼海弘雄という人は写真家なのですが、写真の題のつけ方とか、それぞれの写真に二言三言付け加えられた、キャプションというのでしょうか、も、「やるな」とは思っていたのですが、文章も達人でした。 漬物石を運んだ日 開巻一番、すごい文章が掲載されていて、あ然としました。中途半端な引用で申し訳ないのですが、まあ、これで、雰囲気は伝わるかなと。興味を持たれた方は、図書館なりで、実物の書籍のほうに進んでいただきたいと思います。かなり、納得されると思いますよ。 ぼく自身、鬼海弘雄という写真家について、いつだったか興味を持ったことがあるらしいのですが判然としません。書棚に「普通のひと」(ちくま文庫)という文庫版の写真集がありましたからまったく知らなかったわけではなさそうです。 もっとも「きかい」ではなくて「おにうみ」だと思い込んでいた程度の興味なので、いいたがりのぼくでも「知ってる」というわけにはいかったのですが、このエッセイ集を読んで、「ちょっと知ってる」に進化したわけです。 友人が紹介してくれた「ペルソナ」(草思社)という写真集には目を瞠りました。このエッセイ集にも写真は載っています。建築というか、「建物の風景」写真が中心ですが、「ペルソナ」や、「普通のひと」に載っている人物の迫力が、人間のポートレイトだからではなく、写真そのものの力によるものだということを感じさせる写真です。 ![]() 鬼海弘雄さんは2020年の秋に他界されていますが、本書は2016年に刊行されていて、載せられている文章はweb草思『ゆらりゆらゆら日記』、月刊「うえの」2012年~2015年、アサヒカメラ.Net「靴底の減りかた:」2010年~2013年20回連載の記事と、単発で書かれたエッセイ数編でした。 「バナナ男やカラからまわる風車」、「明るい暗室」、「女装するマッチョマンと偽看護婦」、「スティーヴ・マックイーンの佇む路地裏」、題名だけ挙げて行っても、ちょっとしたものだと思いませんか。 ちなみに表紙の写真は「囲いのあるパラダイス」、裏表紙は「野良ネコの散歩」と題されていました。 ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2022.01.06 21:03:21
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2020.08.26
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編集 飯沢耕太郎「子どもたちの日々」(福音館書店)
![]() 表紙の写真は植田正治の昭和24年(1949年)の写真「へのへのもへ」です。ぼくの勝手な感想ですが、植田正治は「超現実的」、所謂、シュールな印象の写真を撮る人だと記憶に残っていて、この写真も、そういうイメージで覚えていたのですが、こうして、今、見返してみると、異様に現実的な印象に駆られます。 ブログを読んでくれているらしい知人が東京にいます。ついでですから、昭和29年の東京駅八重洲口の当時の写真も載せておきましょう。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
最終更新日
2020.12.02 17:55:32
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2020.08.17
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ユージン・スミス「ユージン・スミス写真集」(クレヴィス)
ユージン・スミスの写真集が2017年に新しく出ていて、「文学」でいえばアンソロジーというのでしょうか、彼の写真家としての生涯の仕事を、時代順に並べた名写真集なのですが、何の気なしに借り出してきました。 水俣で写真をとる理由 何も付け加えることはありません。写真の見方や、評価の方法について、ぼくは何も知りません。ただ彼が残した、一つ一つの作品を見つめて、ぼく自身の中で動くものを探したいと思います。 ![]() 本書の裏表紙に載せられた「《アンドレア・ドリア号の生存者を待つ》1956年・ニューヨーク 」という作品です。写真は表層しか写しませんが、ここに「生きている人間」がいることは確かだと、ぼくは思います。 追記2021・10・13 この秋、水俣のユージン・スミスを描いた映画「Minamata」を見ました。映画を作っている人たちがスミスの写真を目にして、何かを動かされて、それを伝えようとしている映画だと思いました。 ある芸術作品から、何か「声」を聴いたときに、聞いた人間が、その聞いたことにうながされることを大切にすることを感じました。文学であれ写真であれ、その「声」が伝わっていくこと、その「声」を誰かに伝えたいと思うことを大事にしたいと思いました。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
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2021.10.13 22:57:30
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2020.02.29
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菊地信義「装幀の余白から」(白水社)
![]() 表紙だけでは、意味不明ですので、背表紙もスキャンしてみました。 ![]() 装幀家の菊地信義を撮った「つつんでひらいて」というドキュメンタリーを見て「装幀の余白から」(白水社)というエッセイ集を読みました。 いかがでしょうか。「山躁賦」という作品は、初期から中期へと、微妙な作風の変化が表れてきたころの作品集です。それにしても、菊池信義という装幀家に巡り合えた、古井由吉という小説家は、ある意味幸せな人だったのかもしれませんね。 追記2020・02・28 古井由吉の、最後の作品集「この道」(講談社)が目の前にあります。最後に収められた「行く方知れず」という作品の末尾あたりです。 皿鉢も ほのかに闇の 宵涼み 芭蕉 芭蕉の句が引用されて、最後の文章はこんなふうに記されています。 今、思えば、死が身近にあったことを思わせる壮烈な文章ですね。もちろん、装幀は菊地信義です。 それから映画「つつんでひらいて」の感想はここをクリックしてみてください。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]()
最終更新日
2020.11.01 03:54:03
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2020.02.11
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岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)
![]() 15年ほど前の「読書案内」の記事です。相手は高校生でしたが、今となっては話題が少々古いですね。2005年出版の本なので、《2004年書物の旅》に入れるのにも、少々抵抗がありました。というわけで、そのまま載せます。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ だいたい休みの日に何をしているのかと聞かれて返答に困る。何にもしていない。趣味と呼べるようなことは何もない。たいていゴロゴロして本を読んでいるが、本を読むことを趣味だと思ったことはない。ある種の中毒のようなものだろう。 ためしに岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)を読んでみると、これが意外に面白かった。 西洋芸術音楽は1000年以上の歴史を持つが、私たちが普段慣れ親しんでいるクラシックは、十八世紀(バロック後期)から二〇世紀初頭までのたかだか二〇〇年の音楽にすぎない。 こういうまえがきで始まるのだが、たとえば、誰でも知っているモーツアルトが登場するのは230ページ余りある本書の100ページを越えてからだ。そこまではどっちかというとヨーロッパ史における音楽の役割の講義という意味で面白いのがこの本の特徴だ。 音楽は社会と切り離せないんだそうだ。たとえば十六世紀の画家ティツィアーノの「田園の演奏」なんていう絵は全裸の女性が笛を吹いているピクニックの様子を描いているんだけど、それってどんな理由からなのかとか。それは、バロックと呼ばれる新しい音楽の誕生と関係があるらしいんだよね。 宗教改革がヨーロッパに広がり、グレゴリオ聖歌のようなカトリック教会の音楽に対してプロテスタント教会の音楽、誰もが口ずさめるコラールという音楽形式が生まれてきて、民衆に受け入れられていった結果なんだそうだ。 やがて、そこからバッハが生まれてくるという。世界史の先生でこんな講義をする人はきっといない。 ところでぼくが感じていた疑問にはどう答えているのかというと、答の一つは引用したまえがきにもあるとおり現代は『世界音楽』の時代に入っているということで、いろんな川の流れの混沌とした化合物になっているって言うことだ。 そして、もう一つの答として、著者は現代音楽の保守性について言及したあとで、こういっている。 ポピュラー音楽の多くもまた、見かけほど現代的ではないと私には思える。アドルノはポピュラー音楽を皮肉を込めて『常緑樹(エヴァーグリーン)』と呼んだが(常に新しく見えるが、常に同じものだという意味だろう)、実際それは今なお『ドミソ』といった伝統的和声で伴奏され、ドレミの音階で作られた旋律を、心を込めてエスプレシーヴォ(表情豊かに)で歌い、人々の感動を消費し尽くそうとしている。ポピュラー音楽こそ『感動させる音楽』としてロマン派の二十世紀における忠実な継承者である。くわえて、現代を「神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水」の時代だと喝破することで本書を終えている。 ぼくなりにまとめれば、ジャンルにはそれぞれの水脈があるわけだから、確かに違う音楽だといえる。しかし、たとえば流行するポピュラー音楽が共通の感受性、「感動したい」「癒されたい」に支えられ、形式的に新しさなんて何もないのに大衆的な消費の対象となってロマン派を継いでいるように、十九世紀にはじまった商品としての音楽はショパンであろうが流行歌であろうが、訳のわからない現代音楽であろうが共通の社会現象、感動を追い求める同じ形式のヴァリエーションとして見ることができるということだ。 みんなが聴いている音楽って、好みは違うかもしれないけど、案外似たものかもしれないということだね。なんだか話が難しそうになってしまったが、素人にも分かる西洋音楽史で、お薦めだと思いましたよ。 何せクラシック音楽史だから今度テレビ化される二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(講談社コミックス)で予習してから読むといいかもしれない。あの漫画はCDブックも 出ているそうだからね。(S)2006・10・03 追記2020・02・11 最近ではすっかりユーチューブとかのお世話になることが多い。サンデー毎日な日々なわけで、何となく同じ曲をBGMで聞くことが多い。この本を読んで、著者が気に入っていろいろ読んだ、案内したい本も多い、でも、読みなおす気力にかけていて…。困ったもんだ。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
最終更新日
2020.12.11 09:09:58
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2020.01.28
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2004年《書物》の旅 (その11)
別役実「思いちがい辞典」(ちくま文庫) ![]() 先日、(2004年の先日)別役実という劇作家の「賢治幻想 電信柱の歌」という演劇を観ました。傘付裸電球の街灯がついている電信柱の下に、宮沢賢治が佇んでいるというイメージのお芝居ですが、まあ、あくまでもイメージです。 「命の電話」というのがある。死にたくなった時にそこへ電話すると、死にたくなくならせてくれるというのである。一部には、「生きる希望を与えてくれるらしいぞ」という説もあるのだが、如何に「命の電話」とは言え、そこまで無謀なことはしていないであろう。利害得失のことを考えれば、生命保険会社あたりが金を出して、これを維持しているのかもしれない。 ぼくの友人には、本物の「命の電話」のボランティアをしている人もいるわけで、書き出しには「おいおい」というニュアンスがありますが、まあ、そこはそれ別役実ということでご容赦いただきたいわけですが、いかがでしょうか。というわけで、賢治の話はまた今度。(S)発行日 2004・11・4 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
最終更新日
2020.12.11 08:42:21
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2020.01.26
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「2004年《書物》の旅 その12」
藤沢秀行「勝負と芸」(岩波新書) ![]() 2019年の夏、久しぶりに東京に行きました。東京は都会だと妙に実感しました。何しろ行く所、行く所、人が多い。ぼくが山手線の電車に乗ったのは、実は今回も乗っていませんが、15年ぶりぐらい前のことです。東京タワーのあたりに泊まって、市ヶ谷の日本棋院に行きました。 ちょっとでも囲碁をたしなむ人には夢の場所ですが、今となっては、何処の駅で何に乗って、何処の駅で降りたのか、全く夢の中の出来事のように忘れ去っていますね。 当時、勤めていた高校で顧問をしていた囲碁部のキャプテンが全国高校囲碁選手権大会に出場したのです。県の優勝と準優勝の選手に出場資格が与えられる大会で、彼は兵庫県の個人戦で準優勝したんです。少しでも囲碁を知っている人なら「ほー、それは凄い。」というにちがいない事なんです。でも知らない人は全く興味の湧かないことでしょう。 知らない人が大半だと思いますが、今日はその話。 彼は高校に入学した時に初段でした。初段というのは、どこの高校にも、一人くらいはいるレベルなんですが、2年間で6段に昇段しました。6段というのは県のトップクラスの実力です。 世の中にはいろんなゲームがあって、囲碁だけでなく将棋やオセロ、麻雀やトランプカード。対戦相手が一人ではない、複数の相手と戦うゲームもたくさんあります。 囲碁は一対一で戦います。ラッキーとかまぐれという事はほぼありません。体調に左右される事はあるでしょうが、実力相応の結果しか期待できません。要するに本人の脳みそが出来ること以上のコトはできないゲームという訳で、マージャンやトランプカードなんかとはかなり違う感じがします。 ともあれ、ただの初段が、たった2年間で県のトップクラスの実力をつけるということはこのゲームにおいても、ほんとうは、かなり難しい。彼はどうやって「脳みそ」を鍛えたのか。切磋琢磨する道場に通っていたわけでもありませんし、今のようにネット囲碁が、まだそれほど盛んだったわけではない頃です。知らない人は不思議に思われるかも知れませんが、基本的に本なのでの です。 囲碁について出版されている本は大きくいって三種類あります。入門者や練習用の「入門書」「詰め碁集」。プロの碁の棋譜を載せた「打ち碁集」。それから「エッセイ」。 彼が愛用したのは「詰め碁集」と「打ち碁集」。要するにプロが作った練習問題とプロの打った棋譜を並べて覚えることで6段になったといっても大げさではないと思います。 たとえば趙治勳という天才プロ棋士がいますが、名人・本因坊といった囲碁のタイトルを総なめにした趙治勳が過去打った、有名な勝負は、その棋譜を彼はほぼ暗記していたと思います。それぞれ一局300手を越える勝負を碁盤の上にそらで再現することが出来たはずです。 2004・10・7 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
最終更新日
2020.12.11 08:45:53
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2020.01.17
カテゴリ:読書案内 「芸術:音楽・美術・他」
別役実「台詞の風景」(白水Uブックス)
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目 アポロンの神託通り、その父親を殺し、その母親を妻としてしまったオイディプスが、母親である妃の縊死を見届けた後、両目を指して自分自身を罰する場面である。もちろんこれは「報せの男」が「コロスの長」に報告している台詞であり、これが終わると同時に、「盲目となり、血にまみれたオイディプスが、従者に手を引かれて館の中よりよろめきつつ現れる」のである。 作品はエディプス・コンプレックスなんていう言葉でも知られているギリシア悲劇の傑作中の傑作ですが、その戯曲の簡にして要を得た解説です。これだけで、ちょっと岩波文庫を探し始めそうですが、モチロンこれで終る別役さんではありません。 馬鹿な話だが私は、こうした外国の偉大な作品に接するたびに、「そのころわが国では、いったいどんなものを書いていたのかな」と思いながら、こちらの文化史の年表をつき合わせてみることにしている。しかし、このばあいはどうしようもない。いまだにどこにあるのかわからない邪馬台国よりも、ほぼ七百年も前のことであり、我々は先祖はそのころ、泥にまみれて縄文式土器をひねっていたのだ。(別役実「セリフの風景」 ね、笑うでしょ。「ハーやっぱりギリシアとか中国はちがうな。」なんて、極東の島国の歴史の浅さを嘆き始める方もいらっしゃるかもしれませんが、でも、そこはそんなに突っ込まないで、さらりとこうです。 そう考えてみると、以来演劇は実に多くの、作品を作り出しては来たものの、それほど進歩していないのかもしれない。(別役実「セリフの風景」 で、最後に笑わせますね。さすが別役さん。うまいもんです。 ただ、ギリシア悲劇の最高傑作とされているこの作品も、当時の悲劇コンクールでは二等賞でしかなかったというから、評論家だけは、もうそのころからひどかったのだろう。(別役実「セリフの風景」 本書では、きちんと数えてはいませんが、自作を含む約八十作ほどの戯曲が俎上に載せられて、ご覧になったのように小粋に料理されています。 ほとんどが1990年代くらいまでの戦後の現代劇(だって本になったのが1991年ですから)で、シェークスピアとか戦前のものは一つもありませんが、戦後紹介されたヨーロッパやアメリカのものはあります。紹介者が紹介者なので「不条理系」のお芝居も結構出てきます。 ここではあえて劇作家の名前は出しませんが、ぼくには懐かしいライン・アップでした。皆さんにはいかがでしょうね?若い人は全く知らない人ばかりかもしれませんが、そこはあしからず。 ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2020.12.10 23:34:29
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