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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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全13件 (13件中 1-10件目)

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読書案内 「芸術:音楽・美術・他」

2020.08.26
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​​編集 飯沢耕太郎「子どもたちの日々」(福音館書店)

​​​ 表紙の写真は植田正治の昭和24年(1949年)の写真「へのへのもへ」です。ぼくの勝手な感想ですが、植田正治は「超現実的」、所謂、シュールな印象の写真を撮る人だと記憶に残っていて、この写真も、そういうイメージで覚えていたのですが、こうして、今、見返してみると、異様に現実的な印象に駆られます。​​​
 何をもって現実的だと感じているのか、われながら判然とはしないのですが、この少年は確かに、「あの頃」いた少年の一人だという確信のようなものを呼び起こしてくるのです。
 もちろん、昭和二十年代の最後に生まれたぼくは、この少年自身ではありません。しかし、この写真に流れる「空気」は知っていると思いました。
​​ もう一枚、この写真集にこんな写真がありました。

 長野重一という人の《児童公園のこども 東京 市ヶ谷(曙橋下)》という写真です。​​
​​​​ 「へのへのもへ」の仮面が、「仮面ライダー」に変わるのに要した時間が17年だという事実には興味を惹かれますが、この少年は、明らかに浦沢直樹の傑作マンガ「二十世紀少年」のモデルだと思いました。
 仮面ライダーのお面をつけた彼は、ぼくより少し年下だと思います。​​​​
 話しは変わりますが、神戸から明石あたりの町を、もう、二年以上も徘徊しながら、街の通りに小学生ぐらいの子供がいないことに、最近、ようやく気づきました。
 バギーにのったり、おかーさんの自転車に乗せらたり、手をひかれたりして行きすぎる、もう少し小さな子供には時々会うことができます。
 今日も、垂水の商店街を歩いていて、女性の話しかける声でふりむくと、おかーさんが荷台、いや、子供用に設置された後部座席でぐずっている女の子に、前を向いて歩きながら話しかけているのでした。
 立ちどまって見ていると、そばを通り過ぎながら、疑わしそうな目で、じっと、こちらを見ていましたが、老人の顔が見えなくなると、ご機嫌を直したようで、「あのねえー、あのねえー」と元気な声を上げていました。
​​もう少し、大きな子供たちはどこに行ってしまったんでしょう。
        木村伊兵衛「紙芝居屋のいる光景」「東京(月島)
 この写真集の編集者飯沢耕太郎は、1995年に出版されたこの本が編集された時点での「路上の子供たち」の行方について、語っていますが、たとえば木村伊兵衛の、あまりにも有名なこの写真のように、子供たちがいた時代があったことに、今となっては驚きます。​​​
​ これは東京の「月島」らしいのですが、こんなふうに子どもというのはいたものだったと思うのです。が、半世紀たった今、彼らはどこに行ってしまったんでしょうね。

 ブログを読んでくれているらしい知人が東京にいます。ついでですから、昭和29年の東京駅八重洲口の当時の写真も載せておきましょう。

         ​木村伊兵衛「東京八重洲口」昭和29年
 ぼくには、この写真に写っている工事中のビルが、一体何であるのかもわかりませんが、ひょっとしたら、東京の人は面白がってくれるかもしれません。
 そういえば、架橋のコンクリートの下のジャングルジムは、1964年より2年後の光景でした。​
 写真集を眺めるようになって、街を歩きながら、何となく風景の見方が変わりつつあるかもしれません。不思議なものです。


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最終更新日  2020.08.27 09:21:17
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2020.08.17
​​ユージン・スミス「ユージン・スミス写真集」(クレヴィス) 


​ ユージン・スミスの写真集が2017年に新しく出ていて、「文学」でいえばアンソロジーというのでしょうか、彼の写真家としての生涯の仕事を、時代順に並べた名写真集なのですが、何の気なしに借り出してきました。
​ 自宅に持ち帰り、表紙の写真を見て手がとまりました。The Walk to Paradise Garden.1946ニューヨーク郊外」という写真です。
 ぼくには四人の子供がいますが、末の娘と三男が手を取り合って歩いています。立木に覆われた、森の中の暗い坂道を登り切って明るい光があふれた場所にたどり着きました。
 立ちどまって、二人の姿を見あげているのは父親であるぼくです。ぼくのすぐ後ろには母親のチッチキ夫人が、俯くように足元を気にしながら歩いています。長男と次男は、先に行ってしまったようです。
 写真を見ているぼくは、子供たちが、明るい日射しを浴びて、若葉が輝く中を歩いている姿を思い浮かべています。何故だかよくわかりませんが、涙が溢れてきます。
 それが、いつ、どこでのことだったのか、記憶に探りを入れます。当然のことですが、どうしても思い出すことができません。
 ユージン・スミスという写真家の写真と初めて出会った気がしました。ぼくたちの世代にとって、ユージン・スミスといえば「水俣」です。
 この写真集にも十数枚の「水俣」が載っています。この記事にも写真を掲載したいのですが、遠慮します。代わりに、本書の冒頭に掲げられたユージンスミスのことばを載せたいと思います。

水俣で写真をとる理由

 写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま ― ほんのときたま ― 一枚の写真、あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの ― たぶん少なからぬもの ― は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探求に必要ん献身へと奮い立つことさえあるだろう。そうでないものも、多分、我々自身の生活からは遠い存在である人々をずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが、私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときに物を言う。それが私 ― アイリーン ― が水俣で写真をとり理由である。

                  ― W.ユージン・スミス

​ 何も付け加えることはありません。写真の見方や、評価の方法について、ぼくは何も知りません。ただ彼が残した、一つ一つの作品を見つめて、ぼく自身の中で動くものを探したいと思います。
​ 
 本書の裏表紙に載せられた「《アンドレア・ドリア号の生存者を待つ》1956年・ニューヨーク 」という作品です。​写真は表層しか写しませんが、ここに生きている人間がいることは確かだと、ぼくは思います。

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最終更新日  2020.08.17 01:09:42
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2020.02.29
​​​​菊地信義「装幀の余白から」(白水社)
​​
 表紙だけでは、意味不明ですので、背表紙もスキャンしてみました。


​​​ 装幀家の菊地信義を撮った「つつんでひらいて」というドキュメンタリーを見て「装幀の余白から」(白水社)というエッセイ集を読みました。​​​
 
スキャーナーで撮ってみると真っ白く見えますが、ほんの少しグリーンのニュアンスがあるクリーム色の本です。内容は新聞や雑誌に載せた短いコラムやエッセイですね。
 
本に使う紙の「風合い」だとか、朝一番に飲む「コヒーの味」だとか、実際に物を作る人にしか口にできない話が、飾らない文章なのですが、どこかに「つよさ」を感じさせるところが独特の味となっているエッセイが集められています。
 
とはいうものの、「さあ、紹介しよう」とかまえてみると、ちょっと困ってしまうタイプの「本」です。装幀の写真をご覧になってもわかると思うのですが、限りなく特徴を消し去った、だからこそ、実に個性的な「本」の姿なのです。
 
​​書きあぐねているさなかに、作家の古井由吉の訃報がネットに出ました。「つつんでひらいて」という映画では、古井由吉自身も出演し、「自己模倣に陥らない」と装幀家の仕事をたたえていたことが印象に残りましたが、映画では、彼の「雨の裾」という短編集の装幀のプロセスが丁寧にたどられていて、それこそ、目を瞠る思いをしたことを思い出しました。​​
 
亡くなった古井由吉が生涯をかけて書き続けてきた作品の、「本」としての「身づくろい」を一手に引き受けてきた装幀家が、その作家の死に際して何を感じ、何を考えているのか、生半可な想像はできません。ただ、傷ましく思うだけです。
 
​偶然ですが、このエッセイ集の中に、一つだけ「斯斯然然」、「かくかくしかじか」と読むのだと思いますが、その題で、古井由吉を話題にした軽妙な文章があります。​
 
本来ならば、装幀家である菊池信義古井由吉という作家を「物を作って生きる奥義を授かった」人であることを語っているエピソードを引用すればいいのかもしれません。しかし、それでは、古井の作品のファンであった素顔が伝わらないでしょう。こんなふうに古井由吉の作品を読んでいた一人の「読者」が彼の「本」を作っていたことを、全文引用して伝えたいと思います。

 美術大学の学生に、装幀した本で、一番思いの深い一冊は、と問われ、古井由吉さんの「山躁賦」と口にし、理由を聞かれて往生した。
 思いのたけは装幀にこめてあると、煙にまいてもよかったのだ。
 かれこれ三十年になる。古井さんの、旅を主題とした連作小説の、編集者の一人として、取材旅行に同行する機会を得た。掲載誌に挿絵がわりの写真を撮る仕事でもあった。
 原稿をいただき、真先に読み、ソエル写真を選んで、版元に渡さねばならぬのだが、読者として読みふけってしまい、仕事にならぬ。
から晩まで、歩き回り、同じものを眺め。飲食を共にした旅だから、作品へ取り上げられた物事に共感し、得心もいく。
 対象を見極め、内から如実に掴み取った言葉で紡がれた思いや考え、現実感がある。想念が、作者自身を刺激し、あらぬ物事が想起され、古典の文言が蘇る。そんなすべてが夢や幻覚へ崩れる文のありようは壮観としかいいようがない。
 「山躁賦」の文の教えは、物事の実相を見るということだ。物事は、美しくもなければ、醜くもない。実もなければ、虚もない。美醜や虚実を分つことで、世間があり、「私」ってやつも生じる。そういった世間や「私」からはぐれだし、物事と直面する。実相を見るとは、物事を、のっぺらぼうにみることだ。
 物を作ることは、それに目鼻を描くことではない。発見することだ。
文芸書の装丁を生業として、数年が過ぎた頃だった。編集者から、依頼される作品を装幀するだけでなく、作者が作品を孕む時空を共にすべく、望んだ仕事。思い掛けず、物を作って生きる奥義を授かった。
後日、件の学生が、古書店で「山躁賦」を求めたが、他の小説を読むようには読めない。実相を見るといったことも書かれていない。いったい、どう読んだらいいかと、真顔で聞かれた。
 具象画と抽象画があるように、小説にもある。斯斯の次第で、こんな思いや考えをいだいた。古典の文言が蘇り、幻覚が生じた理由が然然とあれば具象。読める、となる。
 「山躁賦」には、そんな斯斯然然がない。
 まず作者が何を言いたいのか、と考えることをやめる。
 次に文章を、書かれているものや事の違いで、文の塊をほぐす。次に、塊ごとに印象を言葉にしてみる。面白い、恐ろしい。不思議、意味不明、といったあんばい。
 そうして、なぜ、そう感じるのか、他人事のように己に問うてみる。引かれてある古典の文言も手掛かりになる。実際の旅であれば、おのずと解放されてある人の五感。作品を読む旅でも欠かせない。書かれてある風景から音を聞く。音の手触りを感じとる。見るものを聞く。聞こえるものに触る。そうやって紡ぎだす答えが、読者ひとりひとりの「山躁賦」だ。
「山躁賦」という作品を読むことは作者が旅したように、作品を旅することだ、その旅が、読者にもたらすのは「考える」楽しさ。物事に対して、生じる印象、なぜ、そう考えるのか、自問してみる、それが考えることのとば口だ。人は、自分で考え行動しているようでいて、案外、世間の考えを選んで生きている。
 件の真顔も、この春は卒業と聞いた。さてどんな旅になることやら。
​(「装幀の予覚から」所収「斯斯然然」)​

​​ いかがでしょうか。「山躁賦」という作品は、初期から中期へと、微妙な作風の変化が表れてきたころの作品集です。それにしても、菊池信義という装幀家に巡り合えた、古井由吉という小説家は、ある意味幸せな人だったのかもしれませんね。​​

追記202002​28​

 ​古井由吉の、最後の作品集「この道」(講談社)が目の前にあります。​最後に収められた「行く方知れず」という作品の末尾あたりです。​

 ​ 皿鉢も ほのかに闇の 宵涼み  芭蕉​

 芭蕉の句が引用されて、最後の文章はこんなふうに記されています。

気がついてみれば、寝床の中で笑っていた。声までは立てていなかったが、物に狂へるか、と我ながら呆れた。皿鉢ばかりが白く光るのも、暑さに茹る生身が、じつはいきながらになかば亡き者になっているしるしかと思うとよけいにおかしい。
 こんな笑いよりもしかし、老木が風も吹かぬのに折れて倒れる、その声こそようやく、生涯の哄笑か、未だ時ならず、時ならず、と控えて笑いをおさめた。

​​ 今、思えば、死が身近にあったことを思わせる壮烈な文章ですね。もちろん、装幀は菊地信義です。

 それから映画「つつんでひらいて」​の感想はここをクリックしてみてください。

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最終更新日  2020.11.01 03:54:03
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2020.02.11
​​​​​​​岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)


 15年ほど前の「読書案内」の記事です。相手は高校生でしたが、今となっては話題が少々古いですね。2005年出版の本なので、《2004年書物の旅》に入れるのにも、少々抵抗がありました。というわけで、そのまま載せます。​

 ※   ※  ※   ※  ※   ※   ※   ※   ※   ※

​​​​ だいたい休みの日に何をしているのかと聞かれて返答に困る。何にもしていない。趣味と呼べるようなことは何もない。たいていゴロゴロして本を読んでいるが、本を読むことを趣味だと思ったことはない。ある種の中毒のようなものだろう。
 ほかに何をしているかというとヘッド・ホンで音楽を聴いている。ジャンルは問わない。タダ、最近のポピュラー音楽はあまり聴かない。うるさいと感じてしまうからだ。
 年のせいか、単なる好みかわからないが「あゆ」も「モー・ムス」もついていけない。紅白とかミュージックナンチャラとかもダメ。もっとも、「モンゴル何とか」とか「ガガガ」とかはついていけるから、年ではなくて好みだろう。
 今はEL&P=エマーソン、レイク&パーマー「展覧会の絵」を聞きながらワープロを打っている。原曲はロシアの十九世紀の作曲家ムソルグスキーのピアノ組曲。チヤイコフスキーと同じ時代のクラシックの名曲だが、この演奏はイギリスのロック・バンドによるもので、結構有名な作品。
 クラシックとかロックとか、ジャズとか歌謡曲とかジャンルを分けてそれぞれ別の音楽のことのようにいうが、ぼくには何が違っているのか、本当はよくわからない。結局同じなんじゃないかと思うこともある。別に音楽を訊きながら昼寝するたびに悩んでいるわけじゃないが、「それって、よく分からないよな。」的にずっと気になっていたことだ。​​​​

 ためしに岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書​)​を読んでみると、これが意外に面白かった。

​ 西洋芸術音楽は1000年以上の歴史を持つが、私たちが普段慣れ親しんでいるクラシックは、十八世紀(バロック後期)から二〇世紀初頭までのたかだか二〇〇年の音楽にすぎない。
 西洋音楽の歴史を川の流れに喩えるなら、クラシック音楽はせいぜいその河口付近にすぎない。確かにクラシックの二〇〇年は、西洋音楽史という川が最も美しく壮大な風景を繰り広げてくれた時代、川幅がもっとも大きくなり、最も威容に満ちた時代ではある。だがこの川はいったいどこからやってきたのか。そしてどこへ流れていくのか。―中略―
 しかし今日、西洋音楽はもはや川ではない。私たちが今いるのは「現代」という混沌とした海だ。そこでは、全く異なる地域的・社会的・歴史的な出自を持つ世界中のありとあらゆる音楽が、互いに混ざり合ってさまざまな海流をなし、これらの海流はめまぐるしくその方向と力学関係を変化させつつ、今に至っている。この『世界音楽』という海に大量の水を供給してきたのが、西洋音楽という大河であることはまちがいないにしろ、川としての西洋音楽の輪郭は、かつてのような明瞭な形ではもはや見定め難くなっている…。​
​ ​​​​こういうまえがきで始まるのだが、たとえば、誰でも知っているモーツアルトが登場するのは230ページ余りある本書の100ページを越えてからだ。そこまではどっちかというとヨーロッパ史における音楽の役割の講義という意味で面白いのがこの本の特徴だ。
 音楽は社会と切り離せないんだそうだ。たとえば十六世紀の画家ティツィアーノ「田園の演奏」なんていう絵は全裸の女性が笛を吹いているピクニックの様子を描いているんだけど、それってどんな理由からなのかとか。それは、バロックと呼ばれる新しい音楽の誕生と関係があるらしいんだよね。
 宗教改革がヨーロッパに広がり、グレゴリオ聖歌のようなカトリック教会の音楽に対してプロテスタント教会の音楽、誰もが口ずさめるコラールという音楽形式が生まれてきて、民衆に受け入れられていった結果なんだそうだ。
 やがて、そこからバッハが生まれてくるという。世界史の先生でこんな講義をする人はきっといない。​​​​
 ところでぼくが感じていた疑問にはどう答えているのかというと、答の一つは引用したまえがきにもあるとおり現代は『世界音楽』の時代に入っているということで、いろんな川の流れの混沌とした化合物になっているって言うことだ。
 そして、もう一つの答として、著者は現代音楽の保守性について言及したあとで、こういっている。
​ ポピュラー音楽の多くもまた、見かけほど現代的ではないと私には思える。アドルノはポピュラー音楽を皮肉を込めて『常緑樹(エヴァーグリーン)』と呼んだが(常に新しく見えるが、常に同じものだという意味だろう)、実際それは今なお『ドミソ』といった伝統的和声で伴奏され、ドレミの音階で作られた旋律を、心を込めてエスプレシーヴォ(表情豊かに)で歌い、人々の感動を消費し尽くそうとしている。ポピュラー音楽こそ『感動させる音楽』としてロマン派の二十世紀における忠実な継承者である。​​
 ​くわえて、現代を「神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水」の時代だと喝破することで本書を終えている。
 
​​ぼくなりにまとめれば、ジャンルにはそれぞれの水脈があるわけだから、確かに違う音楽だといえる。しかし、たとえば流行するポピュラー音楽が共通の感受性、「感動したい」「癒されたい」に支えられ、形式的に新しさなんて何もないのに大衆的な消費の対象となってロマン派を継いでいるように、十九世紀にはじまった商品としての音楽はショパンであろうが流行歌であろうが、訳のわからない現代音楽であろうが共通の社会現象、感動を追い求める同じ形式のヴァリエーションとして見ることができるということだ。
 みんなが聴いている音楽って、好みは違うかもしれないけど、案外似たものかもしれないということだね。なんだか話が難しそうになってしまったが、素人にも分かる西洋音楽史で、お薦めだと思いましたよ。
 何せクラシック音楽史だから今度テレビ化される二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(講談社コミックス)で予習してから読むといいかもしれない。あの漫画はCDブックも ​​
出ているそうだからね。(S)2006・10・03

​追記2020・02・11​​​​
​ 最近ではすっかりユーチューブとかのお世話になることが多い。サンデー毎日な日々なわけで、何となく同じ曲をBGMで聞くことが多い。この本を読んで、著者が気に入っていろいろ読んだ、案内したい本も多い、でも、読みなおす気力にかけていて…。困ったもんだ。

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最終更新日  2020.11.02 01:45:27
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2020.01.28
​​​ 2004年《書物》の旅 (その11​)​
         別役実「思いちがい辞典」(ちくま文庫)

​​​​​​​ 先日、(2004年の先日)別役実という劇作家の「賢治幻想 電信柱の歌」という演劇を観ました。傘付裸電球の街灯がついている電信柱の下に、宮沢賢治が佇んでいるというイメージのお芝居ですが、まあ、あくまでもイメージです。
 さて、その別役実は人間社会の不条理なありさまを描くことを得意とした、現在の日本を代表する劇作家の一人です。著書は戯曲をはじめとして数え切れないほどあります。
 僕の手元にも、今、ちょっと見ただけでも「当世・商売往来」(岩波新書)・「日々の暮らし方」(白水Uブックス)・「思いちがい辞典」(ちくま文庫)という感じで、まだまだあります。こんな事いくら言っても、題だけではよくわからないですね。それでは、とりあえず「思いちがい辞典」の中から、「デンワキ(電話機)」と題されている一章を引用してみましょう。いかにも、別役実という文章です。長くなりますが読んでみて下さい。​​​​​​​

 「命の電話」というのがある。死にたくなった時にそこへ電話すると、死にたくなくならせてくれるというのである。一部には、「生きる希望を与えてくれるらしいぞ」という説もあるのだが、如何に「命の電話」とは言え、そこまで無謀なことはしていないであろう。利害得失のことを考えれば、生命保険会社あたりが金を出して、これを維持しているのかもしれない。
 同じことなら、葬儀社あたりに金を出させて生きたくてたまらない奴がそこへ電話すると、たちまち死んでしまいたくなるよう、「死の電話」というのもあってしかるべきようにおもわれるが、それはまだないのである。
 ともかく、電話という現代の錯綜した対人関係を縫う、この奇妙な回路のことを考える時、その最深部には常に、この「命の電話」と、可能性としての「死の電話」が想定されているような気がしてならない。
 いわゆる「電話機」というのは、電話という特殊な回路を通じて、いきなりその相手の「生」と「死」そのものに立ち会うことが出来るのであり、その可能性をにらみつつ相手をもてあそぶことが出来るのである。
 電話は、ことばを伝達する回路というより、むしろ皮膚と皮膚との接触感覚を送りこむ回路と言えよう。電話は「話す」のではなく「触る」のである。
 ひところ、子供たち同士の熱心な電話による会話が、問題になったことがあった。彼等は学校で、もしくはそれに類する公共の場所で、会話することが可能であり現にそうしている相手と、夜あらためて電話で長々と話をするのである。このことは、学校もしくはそれに類する公共の場所での会話とは、明らかに異なった種類の会話が電話では可能なのだ、という事実を示すものであり、それこそ、この種の「触りあい」もしくは「じゃれあい」にほかならないと、私は考えるのである。

 そして電話はまた、正面玄関からノックをして礼儀正しく訪問するというより、むしろ裏口から、ベルの音と「もしもし」という儀礼だけを、ほとんど儀礼とも思えないようなやり方で伝え、いきなり侵入してくる。
 言ってみれば電話は、「出合う」前に「忍びこむ」のである。気がついた時には、既にそいつは我々の内部にいるのだ。人が、手紙での借金依頼は容易に断れるのに、電話での借金依頼を断り難いのは、そのせいだろう。
 電話でその話を聞くことによって我々は、彼が借金をしなければならない事情を、いつの間にか共有してしまっているからである。私自身、手紙での原稿依頼はたいてい断っているのだが、電話でのそれは、たいてい引き受けてしまっている。

 かつて文明が手紙というものを発明した時、当時の人びとは賢明にも、手紙文体というものを作りあげた。日常用語でそれがやりとりされたら、それは単なる言葉の伝達ではなく、一方的に相手の生理に侵入し、その個体を損なうものにもなりかねないことを、よく知っていたのであろう。
 従って文明が電話を発明した時、我々が電話文体を作りあげなかったのは、致命的な失敗と言えよう。電話は、手紙よりも更に、我々の内部と内部を結びつけるものだからである。

 電話でもっとも無気味なのは、ベルがなって受話器を取りあげ耳に当てたとたん、「俺だよ」と言われ、それが誰なのかわからない数秒間であろう。しかもそいつは、そのとき既に我々の内部にいるのである。わけがわからないまま二、三応答があって、「間違いでした」と言って相手に電話を切られてしまうと、その無気味さは、更に確実なものとなる。
 つまり、受話器を耳にあて相手に「俺だよ」と言われたとたん、たとえそれが誰なのかわからないにしても、それを聞き、その相手を既に我々の内部に侵入しているものと認めることによって、彼と我々との間に、ある「暗黙の了解」が成立したと見なさざるを得ないからである。
 この種の、電話が電話であるというだけの理由で成立してしまう「暗黙の了解」ほど、電話という回路の特殊性を説明するものはないであろう。
 ある家庭の、夕食後の団欒の場でその主人に電話がかかってくる。彼は、その場の話題に半分関心を残しながら、電話でのやりとりをし、やがて電話を切る。同時にその場の話もひとくぎりついて、主婦が主人に「どなたからの電話?」と聞く。そこで主人が「えっ?」となるのだ。つまり彼は、誰からの電話かわからないまま、話をしてしまったことに、その時はじめて気がつく、というわけである。
 しかも、この場合重要なのは、にもかかわらず彼がその相手と確実に何ごとかを交し得たということであろう。もしかしたら、この家庭のこの場に電話を侵入させた相手こそ「電話魔」と言えるかもしれない。

​ このようにして現在、我々の文明のある地層に、電話回線を通じての奇妙な生理的共同体が形成されつつある。電話線を切ってしまわない限り、すべての「暗黙の了解」を拒絶し、独立してそれ自体完結した個体たらんとしているどんな人間も、溶解して半身でそれを共有せざるを得なくさせられつつあるのだ。
 不安神経症としての「電話恐怖症」は、このあたりから出てくるものに違いない。​

​​​​​​​​ ​ぼくの友人には、本物の「命の電話」のボランティアをしている人もいるわけで、書き出しには「おいおい」というニュアンスがありますが、まあ、そこはそれ別役実ということでご容赦いただきたいわけですが、いかがでしょうか。というわけで、賢治の話はまた今度。(S​発行日 2004・11・4
追記2020・01・28
 昔、高校生相手に「読書案内」と称して書いていた記事です。時間が15年ほど古いので、取り扱いに注意してください。別役さんは、べつに古びているわけではありません。
 2004年《書物》の旅(その1(その10・​​(その12
はそれぞれをクリックしてみてください。​
​​​追記2020・03・12
 今年の3月3日に亡くなったというニュースを、石牟礼道子さんの本の案内を書いていて知りました。別役さん石牟礼さんが苦しんだパーキンソン病だったそうです。82歳だったそうですが、ぼく自身が二十代から読み続けていた人が、次々と亡くなるのはとても哀しく、寂しいものです。今でも上演される戯曲がたくさんあるそうですが、エッセイだけでなく、戯曲なんかも、少しづつ「案内」していければと思っています。
追記2020・09・13
別役実​「台詞の風景」​(白水社)の案内は書名をクリックしてみてください。
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最終更新日  2020.10.30 13:55:01
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2020.01.26
​​​​「2004年《書物》の旅 その12」​
  ​藤沢秀行「勝負と芸」(岩波新書)


 
2019年の夏、久しぶりに東京に行きました。東京は都会だと妙に実感しました。何しろ行く所、行く所、人が多い。ぼくが山手線の電車に乗ったのは、実は今回も乗っていませんが、15年ぶりぐらい前のことです。東京タワーのあたりに泊まって、市ヶ谷の日本棋院に行きました。
 ちょっとでも囲碁をたしなむ人には夢の場所ですが、今となっては、何処の駅で何に乗って、何処の駅で降りたのか、全く夢の中の出来事のように忘れ去っていますね。
 ​当時、勤めていた高校で顧問をしていた囲碁部のキャプテンが全国高校囲碁選手権大会に出場したのです。県の優勝と準優勝の選手に出場資格が与えられる大会で、彼は兵庫県の個人戦で準優勝したんです。少しでも囲碁を知っている人なら「ほー、それは凄い。」というにちがいない事なんです。でも知らない人は全く興味の湧かないことでしょう。​
 知らない人が大半だと思いますが、今日はその話。
 彼は高校に入学した時に初段でした。初段というのは、どこの高校にも、一人くらいはいるレベルなんですが、2年間で6段に昇段しました。6段というのは県のトップクラスの実力です。

​ 世の中にはいろんなゲームがあって、囲碁だけでなく将棋やオセロ、麻雀やトランプカード。対戦相手が一人ではない、複数の相手と戦うゲームもたくさんあります。​
 囲碁は一対一で戦います。ラッキーとかまぐれという事はほぼありません。体調に左右される事はあるでしょうが、実力相応の結果しか期待できません。要するに本人の脳みそが出来ること以上のコトはできないゲームという訳で、マージャンやトランプカードなんかとはかなり違う感じがします。
 ともあれ、ただの初段が、たった2年間で県のトップクラスの実力をつけるということはこのゲームにおいても、ほんとうは、かなり難しい。彼はどうやって「脳みそ」を鍛えたのか。切磋琢磨する道場に通っていたわけでもありませんし、今のようにネット囲碁が、まだそれほど盛んだったわけではない頃です。知らない人は不思議に思われるかも知れませんが、基本的に本なのでの です。
 囲碁について出版されている本は大きくいって三種類あります。入門者や練習用の「入門書」「詰め碁集」。プロの碁の棋譜を載せた「打ち碁集」。それから「エッセイ」。
 彼が愛用したのは「詰め碁集」と「打ち碁集」。要するにプロが作った練習問題とプロの打った棋譜を並べて覚えることで6段になったといっても大げさではないと思います。

 たとえば趙治勳という天才プロ棋士がいますが、名人・本因坊といった囲碁のタイトルを総なめにした趙治勳が過去打った、有名な勝負は、その棋譜を彼はほぼ暗記していたと思います。それぞれ一局300手を越える勝負を碁盤の上にそらで再現することが出来たはずです。
​ 彼は名人の棋譜を「趙治勳傑作集(全3巻)」(筑摩書房)で何回も並べなおしながら、どうしてそこにいくのかがわからない「手」があることを発見します。解説を読めばわかったような気にはなりますが、わからないままその「手」を覚えます。何度も並べなおしながら、「どうして名人はこの局面でそこに行くのだろう。」そんなふうに考え始めるとめきめき強くなっていくのです。放課後碁盤に石を並べている姿を横で見ていると脳みそはコンピューターより優秀だ実感しました。​
 
​やがて、応用がきき始めるのですね。過去に、たとえば趙治勲が打った棋譜の場面が実際に彼が誰かと対戦して打つ場面に現れたりしません。なのに自分が打つ場面での考え方に変化が起こるのでしょうね。脳が変化して新しい変化に対応するようになったとしか言いようがないでしょう。あらゆる繰り返し練習の基本だと思いますが、囲碁というゲームの上達にとっても、とてもいい練習法だと思います。​
 
もっとも世の中には次元が違うというしかない人たちがいるもので、それが囲碁でいえばプロ棋士です。アマチュアの思考力は一場面からの展開に対する想像力ですが、プロは次の場面、その次の場面からの変化や展開を想像する脳の鍛え方をするようです。プロの実践棋譜でアマから見てよくわからない場面の重要性が、そこに隠されているのです。そういう疑問とであった時に脳は進化するのでしょうね。他の勉強の場合でもそんなことがあるんじゃないでしょうか。
 入学したての新入生に、偉そうに教えると称して2子置かせていた顧問は、そんなモーレツな勉強はしません。だから二年生になったころから彼と打ったりしませんでした。だって「なかなかやるね」なんて言っていた相手に「間違えてますよ。」といわれてしますのですからね。
 
​​​​​​というわけで、ヘボ二段の顧問の方はエッセイ集のお世話になる訳です。たとえば「日本の名随筆」(作品社)シリーズ「囲碁」で作家の大岡昇平尾崎一雄の素人囲碁談義を読むとか、これまた天才棋士だった藤沢秀行「勝負と芸」(岩波新書)なんていう回顧録を楽しむわけです。​​​​​​
​ たとえば「勝負と芸」には、破天荒な勝負師の生き方、勝負哲学が書かれています。しかし、元名人・名誉棋聖である彼の棋譜の面白さがわかれば、本当は、そっちのほうが面白いに決まっているでしょうね。(S)​

​​200410・7
追記2020・01・26
「2004年書物の旅その10」はこちらをクリックしてください。

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最終更新日  2020.10.30 13:57:52
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2020.01.17
​​​​​別役実「台詞の風景」(白水Uブックス)


 ​​今でも、この本が新刊書店の棚にあるのかどうか、いささか心もとないのですが、面白いものは面白いということで案内しましょう。
 劇作家の別役実さんの演劇コラム集「台詞の風景」(白水社)です。もともとは朝日新聞に載せていたコラムだったようですが、白水社のUブックスというシリーズになっています。。​​

​  演劇が好きな方には「劇場」で見るということを唯一絶対化する人もいらっしゃるのですが、戯曲を読むのが大好きという方もいらっしゃる。友人で、一緒にナショナルシアターを見ることもある「イリグチ」君などはそのタイプで、学生のときから「好きな読書は戯曲を読むこと。」という人でした。そういう人もいらっしゃるわけです。
 とはいうものの、小説ならともかく、「ト書き」と「セリフ」が延々と続く映画のシナリオや戯曲を最初から最後まで読むのはちょっと、という人もいらっしゃるでしょう。そういう、ぼくのような横着な人にこの本はピッタリです。
 新書版見開き一頁の半分が有名な戯曲の「極めつけのセリフ」の紹介で、残りに別役実独特のひねりにみちた解説がついています。読了時間約10分で、「ああ、あのお芝居!」と懐かしく思いだしたり、「これって、どんなお話?」と、とりあえずググったりできるわけです。次に批評的解説があって、最後はちょっと笑える。​
それが約80回経験できるというわけです。お疑いの方のために、ここで、ひとつ例を挙げてみますね。

 目
 すなわちあの方は、妃の上衣を飾っていた、黄金づくりの留金を引き抜くなり、高くそれを振りかざして、御自分の両の目深く、真っ向から突き刺されたのです。こう叫びながら。
 もはやお前たちは、この身に降りかかってきた数々の禍も、おれがみずから犯してきたもろもろの罪業も、見てくれるな。今より後、お前たちは暗闇の中にあれ。目にしてはならぬ人を見、知りたいと願っていた人を見分けることのできなかったお前たちは、もう誰の姿も見てはならぬ。
 このような慨歎(なげかい)の言葉と共に一度ならず、いくたびもいくたびもあのかたは、手をふりかざしては両の目を突き刺し続けました。
(ソポクレス「オイディプス王」藤沢令夫訳 紀元前四百三十)​
 アポロンの神託通り、その父親を殺し、その母親を妻としてしまったオイディプスが、母親である妃の縊死を見届けた後、両目を指して自分自身を罰する場面である。もちろんこれは「報せの男」が「コロスの長」に報告している台詞であり、これが終わると同時に、「盲目となり、血にまみれたオイディプスが、従者に手を引かれて館の中よりよろめきつつ現れる」のである。
​ だれもがこのアポロンの神託について知っており、誰もがこれを避けようと試みながら、そのそれぞれの試みが逆にこの神託をまっとうさせるという、きわめて必然的な流れがここに凝縮されており、我々はほとんどここで息を飲む。人間の悲劇のドラマツルギーとして、これほど洗練され、しかも完成されたものは、ほかにないのではないかと思えるほどである。​(別役実「セリフの風景」​​
​ ​作品はエディプス・コンプレックスなんていう言葉でも知られているギリシア悲劇の傑作中の傑作ですが、その戯曲の簡にして要を得た解説です。これだけで、ちょっと岩波文庫を探し始めそうですが、モチロンこれで終る別役さんではありません。
 馬鹿な話だが私は、こうした外国の偉大な作品に接するたびに、「そのころわが国では、いったいどんなものを書いていたのかな」と思いながら、こちらの文化史の年表をつき合わせてみることにしている。しかし、このばあいはどうしようもない。いまだにどこにあるのかわからない邪馬台国よりも、ほぼ七百年も前のことであり、我々は先祖はそのころ、泥にまみれて縄文式土器をひねっていたのだ。(別役実「セリフの風景」​​
 ね、笑うでしょ。「ハーやっぱりギリシアとか中国はちがうな。」なんて、極東の島国の歴史の浅さを嘆き始める方もいらっしゃるかもしれませんが、でも、そこはそんなに突っ込まないで、さらりとこうです。
 そう考えてみると、以来演劇は実に多くの、作品を作り出しては来たものの、それほど進歩していないのかもしれない。(別役実「セリフの風景」​​
​​​ ​で、最後に笑わせますね。さすが別役さん。うまいもんです。​
 ただ、ギリシア悲劇の最高傑作とされているこの作品も、当時の悲劇コンクールでは二等賞でしかなかったというから、評論家だけは、もうそのころからひどかったのだろう。(別役実「セリフの風景」​​
 本書では、きちんと数えてはいませんが、自作を含む約八十作ほどの戯曲が俎上に載せられて、ご覧になったのように小粋に料理されています。
 ほとんどが1990年代くらいまでの戦後の現代劇(だって本になったのが1991年ですから)で、シェークスピアとか戦前のものは一つもありませんが、戦後紹介されたヨーロッパやアメリカのものはあります。紹介者が紹介者なので「不条理系」のお芝居も結構出てきます。
 ここではあえて劇作家の名前は出しませんが、ぼくには懐かしいライン・アップでした。皆さんにはいかがでしょうね?若い人は全く知らない人ばかりかもしれませんが、そこはあしからず。


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最終更新日  2020.10.31 02:51:57
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2019.11.17
​​​​​​​​​​​​草間彌生「わたしの芸術」グラフィック社​​


 草間彌生「わたしの芸術」を借りてきました。90歳なんですね。巻頭に評論家の建畠昭のインタビューがあります。
建畠 自己形成期のバックグラウンドは日本だった。でも自分では日本人のアーティストとしてのアイデンティティを掲げてはいない。
​​草間 意識したこともない。精神病といわれて日本の美術界から村八分になったわけだからね。ニューヨークに行って戦ってみようと思ったんです。​​
建畠 その頃のニューヨークの動向は草間さんにとってエキサイティングだった?
草間 最初にエンパイア・ステート・ビルのトップに上がってね、見渡したわけよ。この街でやってることを、自分は全部手に納めてスターになりたいと思ったわけよ。当時、3000人のアクション・ペインティングの後継者たちが住んでいたの。でも彼らには興味はなかった。だって同じことやってもしようがないもの。前にあなたがいったじゃない、根本的にアウトサイダーだって。
建畠 アウトサイダーだって自覚はあります?
草間 ありますよ。
​​​ 彼女が渡米したのは1957年、昭和三十二年ですね。
 ちょっと話がそれますが、彼女は、今の京都芸大を出た後、いや、出る前からか?地元松本で描き続け、松本の公民館で開いていた個展に西丸四方という信州大学の精神科の医者が感動したという逸話があります。
 西丸は島崎藤村の姪の子供で、「こころで見る世界」(岩波同時代ライブラリィ)の島崎敏樹、野草を食べることをすすめた登山家西丸震哉は弟。兄二人はこの国の精神医学の草分けですが、島崎藤村の「夜明け前」の主人公青山半蔵の生涯に興味を持ったことをきっかけに知りましたが、その西丸四方が草間彌生の最初の理解者だったことは印象深いですね。
 草間彌生は、やがて、ニューヨークで理解され、今では世界的アーティストですが、どの作品もオブセッションというのでしょうか、差し迫ってくる「狂気」を感じさせて、見る人によってはシンドイと思いますが、見始めるとちょっとやめられない感じもあります。我が家では賛否、真っ二つですね。
 「ゆかいな仲間」の「カガククン」一家が住んでいる縁で、松本に行くことがありましたが、草間彌生美術館で大きな水玉の動物たちが庭に置かれているのを見ながら、笑っていいのかビビっていいのか、まあ、その感覚が面白いわけです。まあ、それからファンというわけです。
 本書は今年出た本ですが、写真も美しいし、読みでもあります。彼女が選んだ啄木のうたが載せられていました。見開きの隣のページの絵も貼ってみますね。

 NO GREEN NO1
石川啄木
一握の砂から1910

たはむれに母を背負いて
そのあまりに軽きに泣きて
三歩​あゆまず

死ぬことを
持病をのむがごとく我はおもへり
心いためば

高きより飛び下りるごとき心もて
この一生を
​​終わるすべなきか​​
​やはり、心に迫るものが、ここにもありますね。
​​​​​​​​
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最終更新日  2020.10.19 21:21:19
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2019.08.31
​​  ​後藤繁雄「独特老人」(ちくま文庫)


 
最初に断っておくが、自ら、老人の境地をかみしめる年齢というわけで、こんな書名に気持ちが引かれたのではない。著者に対する、単なる好奇心から手に取っただけなのだ。​

 ​​​​​後藤繁雄​という名前を知ったのは、京都造形芸術大学で2006年に行われた「スーザン・ソンタグから始まる:ラジカルな意思の彼方へ」というシンポジウムを本した「スーザン・ソンタグから始まる」という新書版の本の中だった。2004年、白血病でなくなってしまったソンタグに対する、真摯な発言を記録した好著であり、中でも、シンポジウムの司会をしてる後藤繁雄に興味を持った。​​​​

「この人、どういう人?」

​ その学校の先生で、編集者というのが本業らしいのだが、調べていると、​「独特老人」(ちくま文庫)​という著書が出てきた。手に入れて読んでみて、驚いた。​

「いや、面白いのなんのって!」

 ビックリマークを三つぐらいつけたいほどの発見だった。

 資生堂のPR誌「花椿」が​連載していた28人の老人のインタビュー集。資生堂というのは、もちろん、あの資生堂で、ぼくなんか、自信をもって言うが、全く縁がない。そこのPR誌を、どんな人が読むのか、予想もつかない。
 ​​それが、文庫になったのは2015年だが、単行本ができたのが2001年。実際にインタビューしたのは1990年代というわけだ。当時、70代から80代の老人。どなたも、男性。一番若い人で1926年(大正15年)生まれの​沼正三​。一番年寄りは1896年(明治29年)生まれの​芹沢光治良​。​​
 大雑把に言えば1900年から1925年、すなわち20世紀の初めの四半世紀生まれの男たち。​2018年現在では、実はこの28人の中で​流政之​という石の彫刻家が存命であったが、この本を読んでいる最中の7月7日に亡くなってしまった。​
 「そして誰もいなくなった」わけだ。ここまでで、ビックリマークひとつぶんくらい。
 メンバーを紹介しよう。それぞれのインタビューの中の、ぼくなりのこの一言。若い人に限らず、この老人たちについて、名前を聞けば、ああ、あの人だと分かる人は、もう少ないんじゃないだろうか。みなさん、口をそろえておっしゃるにちがいない。
​​ 「この人、どういう人?」​​
 そういうわけで、ほんとは、もっと詳しい解説がいりそうだが、それはまた別の機会ということで。
森敦(小説)
「われ逝くものごとく」というのは、キラキラの「キラ」であって意味じゃないんです。​

埴谷 雄高(小説)

「死霊」の完成のメドですか?いや、まあ、わかりません。


伊福部 昭(音楽)

タンポポには桜の批評はできないんです。


升田 幸三(将棋)
将棋でもなんでも、一手一手無事で済まそうと思ったら大変だ。


永田 耕衣(俳句)
私はさみしいという場合には「寂」という字を使う、

  「夢の世に葱を作りて寂しさよ」。

流政之(石彫)
零戦乗ってたけど生死の間をさまようなんて、考えたこと全然ない。


山田 風太郎(小説)
この年まで大した病気もしないでやってこれたのは、あんまり仕事しないからじゃないですかね。


梯 明秀(哲学)
もう一度生まれ変わったとしたら、こんなあほらしい職には就かんやろなあ、ハハハハ。


淀川 長治(映画)
映画はね、大衆のものでね、みんなが観るものなんですね。


大野 一雄(舞踏)
「死んじゃだめだよ」って、一生懸命ユダの耳元でオルゴールを回すような手ほどきがしたい。


杉浦 明平(小説)
日本のタンポポは滅びていくんです。


下村 寅太郎(哲学)
またいつ戦争が起こるかわからないしね。


杉浦 茂(マンガ)
あたしは、常識漫画嫌いなんですよ。


須田 剋太(絵画)
才能っていうのは病気だと思う。


安東 次男(文学)
正直言って、芭蕉にこんなにはまるんじゃなかったという思いがあります。


亀倉 雄策(デザイン)
僕の一番大きな問題ってのは、一体いつデザインをやめようかっていうことです。


細川 護貞(政治)
私が政治に関係したというか、近くにいたのは戦争の前です。


水木 しげる(マンガ)
私はね、これでいて、美を好む男なんですよ。


久野 収(哲学)
僕なんか好きでやってるから、後悔とかはないですよ。


芹沢 光治良(小説)
みんなが、死に急ぐから死んじゃいけないと言いたくて、そういうことを言うところがないから、これ(「巴里に死す」)に書いたんです。


植田 正治(写真)
ですから死ぬまで同じものを撮り続けるという根気は僕にはございませんね。


堀田 善衛(小説)
やっぱり、「未決の思想」の方が面白いんじゃないですか。


多田 侑史(茶道)
私の場合、もちろんすべて道楽ですよ。


宮川 一夫(映画カメラマン)
人間の目で見極めなきゃいけないものが、どうしてもあるんでね。


中村 真一郎(小説)
今ね、非国民を主人公にして、それが本当の人間だっていう小説書こうって思ってるんです。


沼 正三(小説)
男は一匹の昆虫のように、捕まりたくて蝶々のように飛び回ってる。


吉本 隆明(詩・批評)
ほんの少しの部分がね、よく自分でもわかっていないところがあってね。


鶴見 俊輔(哲学)
じゃあ、また迂回して答えよう。 ​
 最後まで、読んできて、20世紀の初頭に生まれた、この老人たちのインタビューの中に、「この人が加わればすごいよな。」という人を、一人思いついた。1901年4月29日生まれのあの人。まあ、冗談で言っても叱られそうなのでこれくらいにしておくが、その同時代の、桁外れの面々。
​ これだけの人たちと出会っただけでも、脱帽ものだが、おしゃべりをさせて、その内容たるや、ほとんど非常識というほかない。それでは褒めていることにならないから、著者自身の言葉をそのまま使う。「破格」だ。まさに、看板に偽りなし。(S)2018/10/25

追記2019・08・29

​​​ この本をきっかけにしてというか、ただの偶然というか、流政之の、不思議におおらかな石彫が神戸には複数あることを知ったし、堀田善衛「ゴヤ」を読みなおし始めたりしている。​​​
 このブログで、なんか、みんなが忘れてしまったり、若い人が知らないまま通り過ぎたりする「文化」や「知性」を少しでの紹介できればいいなと思うようになった。こういう、面白いうのがあるよっていうようなスタンス。誰かが立ち寄って気付いてくれると嬉しい。
追記2019・08・31

​ この本をブログで案内したのは、去年のことだが、その時面白がってくれたお友達二人と、神戸で会った。二人は関東で暮らしていて、ブログだからコミュニケーションが取れる。会ったのは昨日、8月29日のことだ。流政之の彫刻を案内して、メリケン波止場をウロウロして、夜は三宮の駅前で、もう、二人と、計、五人で会ってビールを飲んだ。40年続く、みんなのやさしさが、心にしみた。
追記2020・07・15
 「激動」の、あるいは「コロナ」の2020年が半年過ぎた。この本にでてくる人が生きていたらなんというだろう。
 こういうことというと、何を寝ぼけているのだと叱られるかもしれないのだが、急激に世界が変化していく中に、ポツンと取り残されている感じが、今このこの瞬間の実感だったりするのだが、これは年齢のせいだろうか。世に流布する「言説」にピンとくるものが、本当に一つもないのは不安なものだ。
 

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最終更新日  2020.10.28 02:03:07
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2019.08.06
​​徘徊2018 兵庫近代美術館「プラド美術館展」​​


 集中豪雨の中、久しぶりの近代美術館。​​17世紀スペイン宮廷お付きのベラスケス。プラドといえばゴヤは?​​
「うーん、空振りでした。」
 美術館から歩いて帰りながらふりむきました。


 むしろ、この雨の中、歩き回っている、自分の徘徊ぶりに、拍手!

2018/06/30

追記2019・07・12
​​昨年の6月でしたね。よく雨が降りました。あれから県立美術館には、とんと、ご無沙汰。「ゴヤ」堀田善衛で読みはじめましたが、しばらく手が止まっています。ヤレヤレですね。​​


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最終更新日  2020.10.28 14:20:50
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