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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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読書案内「近・現代詩歌」

2020.11.28
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​​​​​ 北村薫「詩歌の待ち伏せ 下」(文藝春秋社)​


​​​​ ミステリー作家、北村薫「詩歌の待ち伏せ」(文藝春秋社)ですが、「上巻」を以前、案内しましたが、今回は「下巻」の案内です。​​​​
​ 本書は文春文庫版「詩歌の待ち伏せ(1・2・3)」となって、出ていましたが、最近、「詩歌の待ち伏せ(全1巻)」(ちくま文庫)といういで立ちで、「筑摩書房」が復刊しているようです。​この文庫版は、「続」も収めているようで、お得ですね。
 ぼくが手にしているのは、単行本の上・下巻ですので、それぞれの文庫版との所収内容の異同はよくわかりませんが、単行本の下巻の内容は、「オール読物」(文藝春秋社)という月刊誌の2001年9月号から、2003年の1月号に掲載された記事がまとめられているようです。
​​​ まず、いきなり読者の心をつかむのが、土井晩翠の長編詩「星落秋風五丈原」(「星落つ秋風五丈原」と読みますが、)の一節に対して、北村薫が、みずからの子供の頃の記憶をめぐって、繰り広げる「ことば」探偵ぶりです。​​​
 この詩の題名を見て「三国志」諸葛孔明の最後だとピンとくる人は、よほど「三国志」のお好きな方でしょうね。ぼくよりお若い方で、ピンとくる人がいるとは、ちょっと想像できません。
 とてつもなく長い詩なのですが、今回の話題のためには、第1章の第1連があれば十分ですのでここに載せてみます。
星落秋風五丈原  土井晩翠

祁山悲秋の風更けて

陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病篤かりき
​ 島崎藤村「初恋」という詩がありますが、「まだあげ初めし前髪の」の、あの詩と同時代の作品ですが、まあ、対照的ですね。
​​ で、この土井晩翠の詩を北村薫は小学生の頃に暗唱して覚えていて、その暗唱を思い出す機会があって、ふと、疑問に思う事柄に出会うのです。​​
​ ところで、この記事をお読みの皆さん、北村薫さんは、この第1連の詩句を正確に暗唱すればするほど、はてな?と思う1行があることに気付くのですが、それは何行目だったでしょう?​
​​​​​ 高校生や大学生の皆さんであれば「零露の文」とか、「鼓角の音」あたりに引っかかってしまうでしょうね。
 たしかに、普通では出会わない漢語表現ですが、辞書を引けばわかります。前者は草露の様子で、「文」は文章の意味ではなけて、模様「あや」を意味しています。後者は軍を鼓舞する笛太鼓をあらわす言い回しです。「角」は角笛でしょうね。​​​​​

​​​​​ 問題の個所は、第1行「祁山悲秋の風更けて」なのです。この1行目の終わりの語句が「風吹きて」か、「夜更けて」の、誤植ではないかと考え始めたところから、「風更けて」という、言い回しの正否に対して北村探偵が活躍し始めます。​​​​​
​ 「『風更けて』か?そういえば、変だなあ。」
 そう思わなくても文章は面白いのですが、そこは、やはり、なるほど変だと思った方が、ノリはいいわけです。かくいう、ぼくは、なんか、どこかにあったような、という、いつものボンヤリなのですが、もちろん、北村探偵の方は、きっちり仕事をなさっています。​

 ミステリーのネタバレは、御法度です。そうはいっても、これでは案内にならないので証拠品だけですが、ここに掲示します。
​​さ筵や待つ夜の秋の風更けて月を片敷く宇治の端姫​​
​ 新古今のあの歌人だったのですね、犯人は。
​​​​ 「風更けて」「月を片敷く」というような表現は、当時、「達磨歌」と非難された新しい発想だったそうですが、やがて新風として「影ふけて」とか「音ふけて」という使い方に広がったということも捜査報告書に書かれているのですが、北村探偵は、そこからもう一歩踏み込み、鎌倉後期の歌人にまで捜査の手を広げたうえで、明治の詩人、土井晩翠の「言語感覚」に戻って筆を擱きます。​​​​
​ 北村少年の「暗唱まちがい」という疑いは見事にはらされたわけです。​
 そのうえ、ボンクラな読者は、平安朝末期の「詩意識」の変化の現場を、実例付きで勉強できたという決着で、お見事としか言いようがありません。
​​ 付けたしのようになりますが、本書について、もう一つ、これは是非という文章があります。最終章に記された、病床の歌人中城ふみ子と編集者中井英夫との間で交わされた「最後」の手紙に関するエピソードです。​​
衆視のなかはばかりもなく嗚咽して君の妻が不幸を見せびらかせり
冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか
​ 中条ふみ子の、この二つの短歌を上げた後、乳癌末期で死の床にある歌人と、東京の編集者との間で交わされた「愛の手紙」の謎についてです。​
 まあ、ここから先は、立ち読みででも結構です。本書を手に取っていただくほかはありませんね。
​​​ ところで、この「詩歌の待ち伏せ」(上・下巻)の装幀ですが、上巻が「青葉・若葉」、下巻が「紅葉・落葉」とシャレていて、本書中のイラストも面白いのですが、大久保明子さんのデザインで、イラストは群馬直美さんという方だそうです。​​​​こういう本は、手に取るだけでも楽しいですね。
追記2020・11・29
「詩歌の待ち伏せ(上)」​の案内は書名をクリックしてください。
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最終更新日  2020.11.29 00:19:34
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2020.11.13
​​​​​朝倉裕子「詩を書く理由」(編集工房ノア)​


  大人になっても

大人になっても
しゃがみ込んで
こどものように
泣きたいときがある

母になっても
電車に乗って隣町あたりへ行き
捨てられた犬になって
歩いていたいときがある

風のない夜の雪のように
静かに降り積もるものが
眠りによって繋がれた日常の上に
重ねた年月の上に
心の底に握った小さな固いこぶしの上に
ある
​   冬至の頃

真横に伸びるひかりが
家を貫く時間がある
冬の中心に向かうなかで
与えられた驚き
黙しがちな朝の支度の最中
胸のあたり
黄金色の扉がひらく
​ ​​久しぶりにチッチキ夫人と映画を見て、元町から神戸駅に向かって歩きながら古本屋に立ち寄りました。偶然、手に取った1冊の詩集のページを繰りながら、詩人の名前に心当たりを感じて買ってきました。朝倉裕子さん「詩を書く理由」(編集工房ノア)という詩集です。​​
 詩人は、夕食を調え、月を見上げ、路上のネコとの出会いや、隣家の白い木蓮の花の思い出を詩のことばに託しています。
 家族が寝静まった真夜中の台所のテーブルに広げられた1冊のノートがあり、ジッと俯いてすわっている女性が思い浮かんでくる詩集でした。
 彼女はこの台所で子供を育て、父や母を送り、マイタケのてんぷらで銀婚式を祝う夫と暮らしているようです。
 「風のない夜の雪のように」降り積もり続ける時間、黄金の光が差し込んで来る冬の朝の喜び、ひっそりと、日々の暮らしが書き留められた詩が、他人ごとではなく、胸を打ちました。

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最終更新日  2020.11.15 10:15:16
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2020.10.24
​​​​​新井高子 編「東北おんば訳 石川啄木のうた」(未来社)


​​​​​ 石川啄木が岩手県の出身の歌人であることはよく知られていますが、彼の短歌は「標準語」、あるいは、おそらく、当時、標準的であったのであろう「歌語」で書かれています。
 啄木が使う言葉が「標準」的な「日本語」として、実際に彼が生きた時代に使われていた「口語」であったのかどうか、そのあたりにも面白いことがありそうですが、この本は、震災の後、仮設住宅に暮らしていた大船渡という港町の「おんば」たちが、石川啄木の短歌を東北弁で「訳」すという試みです。​​​​​
​ 啄木が生きていれば、この試みをどう思うのか、喜ぶのでしょうかね。「東京」へ行きたかった啄木。停車場で故郷のなまりを聞いて泣いたに違いない啄木。春になれば、北上川の岸辺を思い浮かべていた啄木。
 いろんな姿を思い浮かべながら、想像すると、やっぱり、泣きそうな気がしますね。いろんな意味で。
 有名な短歌の「おんば訳」をここに引用してみます。訳なので、歌の調子は変わってしまっていますが、ちょっと読んでみてください。

おだってで おっかあおぶったっけァ
あんまり軽くてなげできて
三足もあるげねがァがったぁ


たはむれに母を背負いて
そのあまり軽ろきに泣きて
三歩あゆまず
​(「三足」は「みあし」・「おだづ」は「戯れる」、「ふざける」の意。)​​

とっどきでも着て
旅しでァなぁ
こどしも思いながら過ぎだどもなぁ

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる
​(「とっどき」は「とっておき」、「こどし」は「今年」の意。)​

稼せぇでも
稼せぇでも なんぼ稼せぇでもらぐになんねァ
じィっと 手っこ見っぺ

はたらけど
はたらけど猶わがくらし楽にならざり
ぢつと手を見る
友だぢが おらよりえらぐめえる日ァ、
花っこ買って来て
ががぁどはなしっこ

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買い来て
妻としたしむ
​​猫の耳っこ引っぱって、
ネァッと啼げば、
たんまげでよろごぶわらすのつさっこ。

ねこのみみを引っぱりてみて
にやと啼けば、
びっくりして喜ぶ子供の顔かな。
(「わらす」は「子ども」・「つさっこ」は「顔」の意)

​​ ​​仮設住宅で、交互に口語訳して笑いあっているオバさんたちの顔が浮かびます。ぼくは稼せぇでも稼せぇでも」とか、「ががぁどはなしっこ」​なんていう言い回しが気に入りました。言葉に​​「勢い」がありますね。まあ、そうなると、もう啄木じゃないような気もしますが、
 最後のネコの歌は、「おんば」たちが「しあわせな子供の情景」を思い浮かべていらっしゃる様子が、
わらすのつさっこという「ことば」に響いていて、とてもいいなと思いました。
 おもしろがりたい方は、是非、一度手に取ってみてください。


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最終更新日  2020.10.24 00:57:02
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2020.10.18
​​​​​​​石川啄木「石川啄木詩集」(岩波文庫)



       「飛 行 機」  石 川 啄 木

見よ、今日も、かの蒼空に

飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの獨學をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。
​ ​ぼくにとって石川啄木の詩といえばこれです。高校を出て、一年間京都に下宿して予備校に通ったことがありますが、その頃に出会った詩です。​
​​見よ、今日も、かの蒼空に​​
​ 退職して数年がたちましたが、何もすることがない日々、ヒマに任せて「徘徊老人」を自称して歩いていますが、垂水の丘の上から海に向かって歩いている坂道で思う浮かぶのは、この詩句か、
空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
​ ​という谷川俊太郎の詩の文句です。​
 どちらも、有名過ぎるくらい有名ですが、65歳を過ぎた老人の心を、今でも揺さぶる何かがあります。
​​ 先日、インターネットの動画を見ていると、作家の高橋源一郎さん石川啄木について話をしているのに出くわしました。​​
​ 彼は啄木の短歌を取り上げて話している番組でしたが、その中で、​
​​「生きていること、そのことが一寸悲しいことですよね。」​​​
​ と語っているのを聞いて、急に、たった26歳でなくなった啄木を思い浮かべました。
「ちょっと」どころではなかったに違いない、「悲しさ」の塊だった青年の、あまりにも早すぎる「死」のことをです。
 彼の詩が、馬齢を重ねる66歳の老人を「青年」時代に引き戻し続けるのは、当然といえば当然のことかもしれません。
 ところで、彼が最後に残した「短歌」はこんな歌でした。
庭のそとを白き犬ゆけり。
ふりむきて、
犬を飼はむと妻にはかれる。(悲しき玩具)​​
​ ​そういえば、子どもの頃、犬が飼いたかった​。そんなことを思い出させる歌です。​この歌で詠まれている男と、詠んでいる啄木は恐らく同一人物でしょうが、詠んでいる男の「老成」には、やはりとてつもなく哀しいものを感じます。​
​​​ 久しぶりに啄木を読み返したりしたのは、高橋源一郎さん「日本文学盛衰史」を読み直しているからだろうと思います。それについては、いずれまた「案内」しようと思っています。​​​

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最終更新日  2020.10.18 00:17:22
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2020.10.06
​​​​山形梢 編「六甲のふもと 百年の詩人」(ほらあな堂)


松のある
岩山のいただき近く
仰げば
雲の湧く
つかみ取れそうな
空の青さ、
         八木重吉

​ このブログでは「小枝ちゃん」と呼ばせていただいている、お友達の山形梢さんが、一才になったばかりのおちびちゃんと暮らしながら、小さな詩集を作りました。​ 大正時代の詩人「八木重吉」の神戸時代の詩を集めたアンソロジー詩集です。装丁からすべて手作りで、20篇余りの詩と、詩人の神戸での足跡が紹介されています。
 裏表紙は​こんな感じです。


 表紙から裏表紙を飾っている、六甲の山並みを感じさせる版画も「小枝ちゃん」の作品です。
 30ページ足らずの「小さな本」ですが、編集者山形梢の最初の一歩。さわやかでりりしい本です。

みづが
ひとつのみちをみいでて
河となってながれてゆくように
わたしのこころも
じざいなるみちをみいでて
うつくしくながれてゆきたい

​​ ​66歳のシマクマ君にとっては、八木重吉は思い出の詩人です。久しぶりに読み返しながら、「小枝ちゃん」「フクロウくん」「いずみ」と名付けられ、ようやく一歳のお誕生日を迎えたばかりのおチビさんの「こころ」が、「うつくしくながれ」続けることを祈っている本だと思いました。

追記2020・10・05
「小枝ちゃん」「フクロウくん」と出会うために、久しぶりに六甲道辺りを歩きました。


​​

 灘区の区役所がこんなところに移転していたことさえ知らなかったのですが、新しくオープンしたらしい小さな絵本屋さんに連れて行っていただきました。

 


「えほんのトコロ」という喫茶店を兼ねたお店でした。お店の中に展示されている「絵本」を自由に手に取ることができるようです。子どもたちのスペースもあります。始めたばかりのようですが、うまくいくといいですね。


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最終更新日  2020.10.06 00:22:15
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2020.08.21
​​​​谷川俊太郎「ベージュ」(新潮社)
 谷川俊太郎の新しい詩集です。​
2020730日に出版されています。図書館の新入荷の棚で見つけました。
 どこ?


ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな

「場」をさがしあぐねているのだ
みちにあたるものは
まっすぐではなく
まがりくねるでもなく
どこかにむかっているらしいが

そうだ
まなつのあさの
くだりざかをわすれてはいけないな
ひとりよがりで
ひたすらおりていけばいい

「場」があることだけはたしかだから
うん
そうおもっているものたちはまだ
いきのびているはずだ
そこここでことばにあざむかれながら

とおくはなれたところにいても
そこにいれば
ほら
そこがここだろというばあさんがいて
わからんものははにかんでいる

とにかくいかねばならないなどと
いきごんでいたきもちが
きがついてみるといつか
うごくともなくうごく
くものしずけさにまぎれている

おんがくのあとについていっても
うん
みずうみのゆめがふかまるだけ
いちばんちかいほしにすらいけない
なさけなさをがまんするしかない

そう
ありふれたくさのはひとつみても
はじまっているのか
おわりかけているのか
みきわめるすべがないだろ

〈そう〉は〈うそ〉かもしれないとしりながら
きのうきょうあすをくらしているのが
きみなのかこのわたしなのかさえ
ほんと
といかけるきっかけがみつからない

ただじっとしているのが
こんなにもここちよくていいものか
「場」はここでよいとくりかえす
かぼそいこえがまたきこえてきた
きずついたふるいれこーどから

「場」がいきなりことばごときえうせて
うん
ときがほどけてうたのしらべになったとき
わたしはもう
いきてはいなかった

​ ​​谷川俊太郎の詩集を読むときには、何となく「青空」を探してしまいます。上に引用した「どこ?」という詩は、詩集のいちばん最後に載っている作品なのですが、ここまで読んできて、いくつかの詩に「青空」という単語がでてきます。​​
​​​ たとえば、最初の頃にある「イル」という詩には、「空が青い 今も昔も青いが」とか、「この午後」という詩には​
​ 若いころ、青空はその有無を言わせない美しさで、限りない宇宙の冷酷を隠していると考えたものだが、人間の尺度を超えたものに対するもどかしさと、故知らぬ腹立たしさのようなものは、齢を重ねた今も時折私を襲う。​​
​ といった詩句が出てきますが、この詩を選んだ理由は「まなつのあさの

くだりざかをわすれてはいけないな」という言葉が気に入ったからです。この言葉が書かれた結果、この詩全体を覆う「青空」を感じたからという方が正直でしょうか。
​​​​ この詩は「場」以外ひらがなで書かれていますが、谷川俊太郎「あとがき」「ひらがな回帰」について​

​​「文字ではなく言葉に内在する声、口調のようなものが自然にひらがな表記となって生まれてくる」
「文字にして書く以前にひらがなの持つ「調べ」が私を捉えてしまうのだ」​

 ​といっています。​​​​

 加えて、この詩集の書名「ベージュ」についてはこんなことを書いていました。

 来し方行く末という言葉は若いころから知っていたが、それが具体的な実感になったのは歳を取ったせいだろう。作者の年齢が書く詩にどこまで影を落としているか、あまり意識したことはないが、自作を振り返ってみると、年齢に無関係に書けている詩と、年齢相応の詩を区別することはできるようだ。米寿になったが、ベージュという色は嫌いではない。

 2020年 六月    谷川俊太郎

​ ​コロナ騒動の最中に出来上がった詩集だったようです。ぼくのような読者には、ちょっと、感無量な「あとがき」ですが、お元気で、「詩」を書き続けられることを祈ります。

 

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最終更新日  2020.08.27 09:25:33
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2020.07.10
​​北村薫「詩歌の待ち伏せ 上」(文藝春秋社)より
 石垣りん「略歴」(詩集『略歴』所収)


 ​作家の北村薫「詩歌の待ち伏せ」(文藝春秋社)というエッセイ集を読んでいて、面白い記事に出会いました。​​

​​ 北村薫が詩人の石垣りんの講演会を聞きに行った時のエピソードです。

​​石垣さん「略歴」という詩があります。幸い、石垣さんの詩集は、今、手に入りやすくなっています。全文引く必要はないと思います。
 「略歴」《私は連隊のある町で生まれた。》と始まり、《私は金庫のある職場で働いた。》と続き、《私は宮城のある町で年をとった。》と閉じられます。まさに日本の現代史がそこにあります。
​ ところが、石垣さんは、《私はびっくりしてしまいました》とおっしゃいました。伝え聞いたところによると、なんと、《大学を出て社会人になった方》が、「この詩の最後の《宮城》ってなんだろうね」といったそうです。
 私も、びっくりしました。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。
 その講演からさらに十五年が経ってしまいました。

 エピソードの概要だけ抜き出して引用しましたが、​北村薫​は「詩」の中で使われる「ことば」について、もっと丁寧に語っていますが、結論はこうです。

​​ しかし、詩では困ります。​《最終的に意味がわかればいい》​というものではありません。説明が一つはいるのと、いわずもがなの言葉として、直接、通じるのとでは、胸への響き方が違うでしょう。かといって、これを​《皇居》​と言い換えたら、もう別のものになってしまいます。難しいものです。​​

​ ​おそらく、北村薫はここで二つのことを問題にしています。一つは「詩」の言葉についてです。しかし、彼が困ったものだという「実感」の喪失は、外国の詩や古典の和歌の中では、しょっちゅう起こっていることで、常識的な言い草ではありますが、いまさらという感じもします。
​​ 気にかかるのはもう一つの方でしょう。この詩で言えば「宮城」という言葉が、若い読者には、ニュアンスどころか意味すら通じないという現象についてです。
 ここで、石垣りん​「略歴」​を載せてみます。どうぞ、お読みください。写真も載せてみました。​​いい表情ですね。


             
 NHK人物録

  略歴    石垣りん 


私は連隊のある町で生れた。

兵営の門は固く
いつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち
番所には営兵がずらりと並んで
はいってゆく者をあらためていた。
棟をつらねた兵舎
広い営庭。

私は金庫のある職場で働いた。

受付の女性は愛想よく客を迎え
案内することを仕事にしているが
戦後三十年
このごろは警備会社の制服を着た男たちが
兵士のように入口をかためている。

兵隊は戦争に行った。

東京丸の内を歩いていると
ガードマンのいる門にぶつかる。
それが気がかりである。

私は宮城のある町で年をとった。

                  詩集『略歴』1979年​

​​

​ 北村薫の、このエッセイは「オール読物」という雑誌に連載されていたようです。2000年に書かれています。
 言葉通りにとれば、この講演会は1980年代の中ごろのものと思われますが、
ぼくには、上で引用した文章で少し気にかかったところがありました。
 誤解しないでください。
北村を責めるためにこんなことを言い始めたのではありません。ぼくが、「えっ?」と思ったのはここでした。

《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。

 1949年生まれの​北村薫​40代半ば、1990年代の初頭まで、公立高校の教員を続けていた人らしいのですが、彼は現場で、この現象と出合っていたはずではなかったということなのです。
 「戦後文学」や「現代詩」の名作が、生徒たちにとっては、まったく理解できない祖父母の世代の「ことば」として響き始めたのはいつごろからだったでしょう。
 それは高度経済成長の終盤、80年代の中ごろの教室だったと思います。そして彼は、その教室を経験していたに違いないし、そんな教室で「国語」の教員だった彼は、きっと「誠実」に苦闘していたに違いないというのが、ぼくの感想です。

 それは、例えば、前後を読んでいただかなければ何を言っているのかわからない言い草ですが、このエッセイの文章にも現れているように思います。

​ 最近「太宰治の辞書」という彼のミステリーを初めて読みました。この場合は「生徒」役は読者でしょう。楽しく読んだ「読者=生徒」の当てずっぽうですが、あの作品の構成なども、どこかの教室で何の関心も知識もない生徒相手に「考えるべき問題」を「謎」として設定し解き明かしていく展開に、教員の苦労が滲んでいると感じさせらるのですね。
 彼はきっと「ことば」の「あったはずの」実相について、「詩」が生まれた時代や社会の真相に迫るべく、実に丁寧に面白く語る教壇の「噺家」だったのではないでしょうか。
​ もちろん、この詩の「宮城」という言葉の「実相」は、その言葉が口をついて出てくる世代の人々の「人生」であることは言うまでもないでしょう。が、それを、知らないという人に、わかるように語ることは「難しいもの」なのです。

 


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最終更新日  2020.07.10 10:54:03
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2020.07.08
​​​​ ​​​岡井隆・馬場あき子・永田和宏・穂村弘「新・百人一首」(文春新書)


 どうしてこの本を読もうと思ったのか、よくわからないのですが、新コロちゃん騒ぎの間に図書館に予約していました。「新・百人一首」という書名の企画は、多分これまでにもあります。​​

 ぼくが知っているものでは丸谷才一「新・新百人一首(上・下)」(新潮文庫)ですが、丸谷の企図も、それ以外の試みも古典和歌が対象でした。
 本書の新しさは、明治から現代までの歌人100人です。近現代の、特に、比率として戦後の歌人の短歌を多く選んでいるところが特徴です。
 ​歌を選んでいるメンバーも、御存命の歌人としては、最もメジャーな方たちで、文句はありません。
 選歌の基準について馬場あき子さん「カルタにして取れる歌」とおっしゃっていて、教養としての現代短歌というのでしょうか、楽しく読めるアンソロジーになっているのかもしれません。

 しかし、近現代、特に現代短歌を「カルタ会」の場で読み上げるのは、なんだか自己矛盾を感じさせるのですが誤解でしょうか。少々「かったるい 」、まあ、平和なうたが多いような気がしました。
 興味をお持ちの方は、どんな百人のどんな歌が選ばれているのか、手に取ってお読みいただくのがよろしいのではないでしょうか。

 「というわけで」、というわけでもありませんが、我が家の同居人チッチキ夫人と二人でこの本の中に引用されている歌から十首づつ選んでみました。二人の十人一首というわけで、二十人一首ですね。
 生まれの早い順に並べてみるとこうなりました。
江戸

正岡子規1867年―1902年 34歳)
 瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり                     「竹乃里歌」 クマ​
​ ​やはり近代短歌といえばこの人を外すわけにはいきません。ただ一人の「江戸」生まれでした。年齢は歌人が亡くなった時の御年です。下段のカッコは所収歌集、「クマ」は選んだ人です。

明治

斎藤茂吉1882年―1953年 70歳)
 のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり 
                        「赤光」 クマ
土岐善麿1885年―1980年 94歳)
 あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ                       「夏草」 
北原白秋1885年―1942年 57歳)
 君かえす 朝の舗石 さくさくと 雪よ林檎の 香のごとくふれ 
                         「桐の花」 チ・クマ
石川啄木(1886年 26歳)
 やはらかに柳あをめる
 北上の岸辺目に見ゆ
 泣けとごとくに  
                        「一握の砂」 チ・クマ
土屋文明1890年―1990年 100歳)
 にんじんは 明日蒔けばよし 帰らむよ 東一華の花も 閉ざしぬ                       「山下水」
釈迢空(折口信夫)1887年―1953年 66歳)
​ 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道 を行きし人あり 
                        「海やまのあひだ」クマ
​​​ ​斎藤茂吉石川啄木よりも年上だったことに驚きました。​白秋​​啄木​のこの歌は満票(二人の、ですが)でした。
 この辺りの歌は仕事でなんども出会っています。何度も読むということは、好きになるということとつながっているのでしょうか。​
​​大正

山崎方代
1914年―1985年 71歳)
 こんなにも 湯呑茶碗は あたたかく しどろもどろに 吾はおるなり                        「右左口」チ・クマ
清水房雄1915年―2017年 101歳)
 三人の子三人それぞれにかなしくて飯終るまで吾は見てゐる  
                               「一去集」
森岡貞香1916年―2009年 93歳)
 けれども、と言ひさしてわがいくばくか空間のごときを得たりき 
                               「百乳文」
塚本邦雄1920年―2005年 84歳)
 日本脱出したし 皇帝ペンギンもペンギン飼育係も
                          「日本人霊歌」チ・クマ
中条ふみ子1922年―1954年 31歳)
 出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ 
                              「乳房喪失」
前登志夫1926年―2008年 82歳)
 この父が 鬼にかへらむ 峠まで 落暉の坂を 背負はれてゆけ 
                               「霊異記」
​​ ​山崎方代という​​人は「ほうだい」と読むそうですが、男性歌人です。「口語」というのでしょうか、ことばが「やわらかい」のが印象的です。
 塚本邦雄の歌に初めて出会った時の驚きは今も忘れませんが、これを国語の授業で扱うのは至難の業でしたね。
​​​​​​昭和(戦前)

尾崎左永子1927年 93歳 存命)
 とどろきて 風過ぎしかば 一呼吸 おきてさくらの ゆるやかに散る 
                             「星座空間」
寺山修司1935年―1983年 47歳)
 海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり 
                      「空には本」チ・クマ
 
岸上大作1939年―1960年 21歳)
​ 装甲車 踏みつけて超す 足裏の 清しき論理に 息をつめている 
                        「意思表示」クマ
​​
​​​​​ ​寺山修司の「レトリック」と、岸上大作の「清冽」が、二十歳の頃の「短歌」との出会いの記憶です。特に岸上「意思表示」は単行本を買ったように思います。それにしても、21歳の「青年」だったのですね。
 ぼくは「遅れてきた青年」でしたが、そういう時代だったのでしょうか。
​​​​​昭和(戦後)

 ​
花山多佳子1948年 72歳 存命)
 プリクラの シールになって 落ちてゐる むすめを見たり 風吹く畳に 
                                「空合」
島田修三1950年 69歳 存命)
 ボケ岡と 呼ばるる少年 壁に向き ボールを投げをり ほとんど捕れず 
                             「晴朗悲歌集」
永井陽子1951年―2000年 49歳)
 ひまはりの アンダルシアは とほけれど とほけれどアンダルシアのひまはり                 
                       「モーツァルトの電話帳」クマ​​
水原紫苑(1959年 61歳 存命)
 われらかつて 魚なりし頃 かたらひし 藻の蔭に似る ゆうぐれ来たる 
                             「びあんか」クマ
穂村弘1962年 58歳 存命)
 サバンナの 象のうんこよ 聞いてくれ だるいせつない こわいさみしい 
                         「シンジケート」チ・クマ​​​
​​​ ​同時代の歌人ですね。人気の俵万智さん加藤治郎さんが入っていませんが、「新・百人一首」には入っています。チッチキ夫人花山多佳子さん島田修二の歌を選んでいるのに、何となく納得しました。​​​
​ 水原紫苑さんは、最近のぼくのひいきですが、還暦を越えていらっしゃるのに驚きました。
 並べ終わって気づきました。二十一首ありますね。はははは。というわけで、「二十一人一首」、お楽しみください。

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最終更新日  2020.07.08 09:13:20
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2020.03.03
​​​「生きる」谷川俊太郎:「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社)


  「生きる」         谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ 

(詩集『うつむく青年』1971年刊)


​ 装幀家の菊地信義「装幀の余白から」(白水社)というエッセイ集を読んでいると、谷川俊太郎「生きる」という詩の最初の4行が出て来て、さて、残りはどうだったかと書棚から探し、ページをくっていると、いろいろ思い出した。
​ この詩は、ぼくが学生の頃にすでに書かれていて、「うつむく青年」という詩集に入っていたらしいが、発表された当初には気づかなかった。そのころぼくは詩集「定義」の中に収められているような詩に気を取られていた。
 一緒に暮らすようになった女性が持っていた、上に写真を乗せた詩集「谷川俊太郎詩集 続」(思潮社)900ページを超える、分厚さでいえば5センチもありそうな本だが、この詩、「生きる」のページには、学生時代の彼女の字体で、あれこれ書き込みがしてあった。今でも残っている書き込みを見ながら、実習生として子供たちを相手にこの詩を読んでいる彼女の姿を思い浮かべてみる。
 我が家の子どもたちが小学校へ通うようになった頃、この詩は教室で声を合わせて読まれていた。詩であれ歌であれ、様々な読み方があることに異論はないが、声を合わせて読み上げられるこの詩のことばに違和感を感じた記憶が浮かんでくる。
 今、こんなふうに書き写していると、「働く」ということをやめてから、さしたる目的もなく歩いている時の、のどが渇き、日射しが眩しい瞬間が思い浮かんでくる。
 一緒に詩のことばの異様なリアリティが沸き上がってくる。記憶の中に残っていた子供たちの声の響きが消えている。公園の垂直に静止したブランコに、ふと気を留めながら、のどの渇きに立ちどまる。誰も乗っていないブランコのそばにボンヤリ立っている老人がいる。その老人がぼくなのか、別の誰かなのかわからない。でも、その老人を肯定する響きがたしかに聞こえてくる。

​いま遠くで犬が吠えるということ​
​ 三十代でこの詩を書いた詩人のすごさにことばを失う。​​

追記2020・03・03
菊地信義「装幀の余白から」(白水社)の感想はこちらをクリックしてください。​

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最終更新日  2020.11.03 01:00:53
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2020.01.16
​​​​2004年《書物》の旅 (その10)
 ​
​西成彦「新編 森のゲリラ 宮沢賢治」(平凡社ライブラリー)


 今から十五年も前になるでしょうか、垂水の丘の上の学校に転勤して三年生の授業を担当しました。名刺代わりの「読書案内」でしたが、何だかイキッテマスネ。そのまま掲載します。
  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 春休みが終わってしまった。ついでに転勤してしまった。「休み前にはまとめて紹介しないと。」と夏休み前にも、冬休み前にも思うんだけど、今回は「転勤前に」だったのに、これができない。
 「事前に準備しておく」ということが子どもの頃から全くできない。とりあえず一度失敗しないと真面目になれないと自己弁護して暮らしている。実際は失敗ばかり繰り返している。いまどきの学校の教員としては失格。職員室が嫌いな理由の第一はこのことだからね。
 結局、昨年は一年間、とうとう職員室のぼくの机の上は一度も片付かなかった。この読書案内で案内している本もそういう「~のために」とか、「整理整頓」的な意図は全く持続できない。何となく興味があったり、授業で扱ったりした話題に引きずられて書いている。ドンドン上に重なっていって、やがて収拾がつかなくなる。

​​ ところで昨年の二学期からの宿題は「宮沢賢治」。学園西町で話題にしていた事を新しい星陵台の読者相手に書き続けるというのもなんかヘンだけれど、まあいいか的のりで書いている。尤も読者していただけるのかどうかは今後の事なので、ホントはよくわからない。
 なにはともあれ、十二月に入ってから冬のあいだ、いくつかの「宮沢賢治」関連の本を読んだ。ぼくの疑問は「なめとこ山の熊」のラストシーンで熊達がお祈りするが、それは「何故だ?」ということだった。授業に付き合った人たちには問いかけだけはしたけれども、結論があったわけではなかった。
 高等学校に限らないと思うが、教員というのは因果な商売で、同じテキストを繰り返し授業する。作品によって何回やってもよくわからないものがある。いい作品の場合が多い。授業をするたびに解釈が変わってしまう場合もある。結局、僕自身に宿題ということでお茶を濁す。
​​
​​​​​ さて、西成彦というポーランド文学の先生がいる。伊藤比呂美さんという詩人の夫だった人。たぶん過去形だけど関係ないか?その西成彦「新編 森のゲリラ宮沢賢治」(平凡社ライブラリー)で賢治の童話を詳しく論じているのにぶつかった。
 彼によれば<賢治は何故、祈る熊を描いたのか>を考えるために思い出してほしい作品は中学校の教材で出てくる「注文の多い料理店」だそうだ。山猫亭にやって来た「人間」は自分が料理されるコトになるということを知って仰天してしまうのだが、なぜこんな話が子供向けに書かれたのだろう。西さんは植民地文学という考え方を導入する事でこの問題を解こうとしているようだ。
 西さんの説を、ぼくなりの解釈でおおざっぱに言うと「文明」と「野蛮」の関係を逆転させてみるということだ。
 文明人は未開社会に対する文化的優位に何の疑いも抱かず近代社会を作り上げてきたフシがあるが、<ほんまかいな?>という疑いを持ってみると、鉄砲担いで山の中に入って猟を楽しむ人たちと、たとえばキリスト教や近代文明を担いでアジアやアメリカ、アフリカに出かけていったヨーロッパの人々の姿を重ねて考える事が出来る。
 これって、実に現代的な視点の逆転、発想の逆転の意味もあるのではないだろうか。たとえばイスラムとアメリカ。しかし熊が祈る事についてすきっとわかったわけではない。しようがないね。
 ​​​​​
​​​​​西さんのこの説を読んでいて思い出したのが「ますむらひろし版宮沢賢治童話集」<朝日ソノラマ>だ。ますむらひろし「アタゴオル物語」という傑作マンガで知られているが「賢治に一番近いシリーズ」と銘打ったこの「宮沢賢治童話集」のシリーズもなかなかいいと思う。
 登場人物がすべて猫なのだ。挿絵は「風の又三郎」の主人公なのだが、学生服にガラスのマントをはおっている又三郎が猫なのだ。このシリーズでは「銀河鉄道の夜」のジョバンニもカムパネルラも猫。猫であるほうがずっとリアルに賢治の世界に入っていけるような感じが、ぼくにはする。
 読者もまた猫の世界の住人であること。そこから賢治が物語を作っているのではないかというリアルさ。尤もますむらひろしが描くネコマンガのキャラクターが、初めから好きだというのが前提条件かもしれませんがね。まあ何処かで探して読んでみてください。ちょっと意外ですよ。
 というわけで、この春転勤してきた国語の教員です。ぼくは「本」を読まない人を​​​​​特に軽蔑したりすることはありませんが、「本」も読まずに、受験技術の読解力とかを口にする人は「バカ」だと思っています。ヨロシク。
  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

​​というわけで、実に幸せな丘の上の暮らしが始まったのでした。
「2004年書物の旅その9」はここをクリック​してください。「その12」はこちら。
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最終更新日  2020.10.31 02:53:27
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