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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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「加藤典洋と内田樹」

2020.03.11
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​​​​​​​​加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)(その1)
​​

​ 文芸評論家の加藤典洋が昨年の5月に亡くなりました。その時に手元にあった岩波書店の「図書」の四月号に彼が連載していた「大きな字で書くこと」というコラムを引用した記事をブログに書きました。それから半年後、11月に岩波書店から「大きな字で書くこと」という題の本が出版されました。 ​
 2017年の一月から「図書」に連載されていた「大きな字で書くこと」というコラムと、信濃毎日新聞2018年の四月から、月に一度連載されていた「水たまりの大きさで」というコラムが収められています。
 巻頭には「僕の本質」という詩が配置されている小さな本です。連載の二回目に当たる記事にこんな文章を見つけました。​

​ 私は何年も文芸評論を書いてきた。そうでない場合も、だいたいは、書いたのは、メンドーなことがら、込み入った問題をめぐるものが多い。そのほうがよいと思って書いてきたのではない。だんだん、鍋の中が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。
 それが、字が小さいことと、関係があった気がする。簡単に一つのことだけ書く文章とはどういうものだったか。それをわたしは思い出そうとしている。
 私は誰か。なにが、その問いの答えなのか。
 大きな字で書いてみると、何が書けるか。

 ここで何が意図されているのか、本屋さんで配布されていた「図書」「大きな字で書くこと」を読んでいた当時も、この本を手にしてこの記事にたどり着いた時にも、ぼくにはわかりませんでした。
 読み続けていると、「父」と題されたコラムが数回続きます。そこでは、戦時中、山形県で「特高」の警察官だった父親の行跡がたどられ、青年加藤典洋の心の中にあった父に対するわだかまりが、そっと告白されていました。
 ここまで読んで、ようやく、いや、やっとのことで気づいたのでした。加藤典洋は「私は誰かと」と自らに問いかけ、小さな自画像を描こうとしています。それは「死」が間近にあることを覚悟した批評家が、自分自身を対象に最後の「批評」を試みていたということだったのです。
 しかし、2019年の7月号に載った「私のこと その6 テレビ前夜」が最後の記事になってしまいました。
 小学校4年生の加藤少年は、山形市内から尾花沢という町に転校し、貸本屋通いの日々、読書に熱中しながら、家にやって来たテレビに驚きます。
​​ この年、私は町の貸本屋から一日十円のお小遣いで毎日一冊、最初はマンガ、つぎには少年少女世界文学全集を借りだしては一日で読み切るため、家で読書三昧にふけったが、なぜ講談社の少年少女世界文学全集を小学校の図書室から借りなかったのか、ナゾである。小学校によりつかなかったのだろうか。
 マンガでは、白戸三平「忍者武芸帳」。こんなに面白いマンガを読んだのは初めてで、興奮して眠れなくなった。つげ義春、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロなどのマンガも独力で発掘した。マンガがなくなると、少年少女世界文学全集に打ち込んだ。「点子ちゃんとアントン」「飛ぶ教室」などのほか、「三国志」「太平記」まで大半を読破し、教室で、今の天皇は北朝ではないか、など先生を困らせる質問をした。
 この年、「少年サンデー」「少年マガジン」が発売される。毎週、本屋に走ったが、マンガが週間単位で詠めるのは、信じられない思いだった。
​​
​ このあと、テレビが家に入ってくる。そしてすべてが変わる。自宅の居間で「鉄腕アトム」を見ながら、なぜこれが無料で見られるのかどう考えても理解できなかった。電波がどこから来るのかと思い、テレビの周りに手をかざしたのをおぼえている。​(「私のこと その6 テレビ前夜」)​
​ これが、31回続いた連載の最終回、生涯の最後まで「私は誰か」を探し続けた批評家加藤典洋の絶筆です。
 ご覧の通り、この文章の中で、彼はまだ問い続けています。テレビが家に入ってきてすべてが変わったことは次回に語る予定だったに違いありません。
 自画像としてのエッセイとしても、描き始められている顔の半分は白いまま残されています。
 テレビが象徴する経済成長の戦後史が始まったところです。中学生、高校生だった加藤少年について、まだ「大きな字で書くこと」がたくさん残っていたはずなのです。無念であったろうと思います。それ以上のことばはありません。 

 ただ、この本の案内としては「水たまりの大きさで」と、冒頭の詩について言い残している気がしています。それは(その2)として書いておきたいと思っています。 
追記2020・03・11

 脈略のない追記ですが、今日は東北の震災の日です。コロナ騒ぎで追悼行事が中止だそうです。あったからと言って、遠くでニュースとして見るだけなのでしょうが、何だか、とても哀しい気分になりました。
 「加藤典洋の死」という記事はこちらからどうぞ。

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最終更新日  2020.11.03 17:53:25
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2020.01.14
​内田樹・鷲田清一「大人のいない国」(文春文庫)

​​ 鷲田清一内田樹、少なくとも関西では「リベラル」の代名詞のお二人というべきでしょうか。そのお二人が、これは見取り図というのがいいのでしょうね、総論的な「大人学のすすめ」という対談で始めて、新聞や雑誌に掲載された、それぞれの評論を各論として配置し、お二人共通の得意分野から現代社会について論じた話が面白い「身体感覚と言葉」という対談でまとめた本ですね。
 ​​
​​表題は「大人のいない国」というわけなのですが、とりあえず、「大人って?」という疑問に答えるべく、「成熟と未熟」というプロローグで鷲田さんがこんなことをおっしゃっています。​​ 

働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること。おしえること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆく上で一つたりとも欠かせぬことの大半を、人々はいま社会の公共的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受け取るのである。これは福祉の充実と世間では言われるが、裏を返して言えば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。
 
近ごろの不正の数々は、そうしたシステムを管理しているものの幼稚さを表に出した。
 
​ナイーブなまま、思考停止したままでいられる社会は、じつはとても危うい社会であることを浮き彫りにしたはずなのである。それでもまだ外側からナイーブな糾弾しかない。そして心のどこかで思っている。いずれだれかが是正してくれるだろう、と。しかし実際にはだれも責任をとらない。​

 この本は2008年に出版された単行本の文庫化です。したがって、ここで「不正」と呼ばれているのは、東北の震災以前の出来事を指しています。震災以降の被災者の救済や援助、原発事故や放射線被害をめぐっての問題や、最近の小学校の新設や花見の名簿の話ではありません。
 
にもかかわらず、政治権力の中枢、大企業の経営責任者、高級官僚、マスメディア、果ては司法に至るまで「だれも責任をとらない」社会は、証拠隠滅、被害者のメディアからの隠蔽という「恐怖社会」の様相を呈して広がっています。
 
震災直後、話題になった「てんでんこ」という言葉を思い出しますが、どうも、「何とかの耳に念仏」であったようで、社会の「幼稚」化、「大人のいない国」の症状はとどまるところを知らないようかのです。そういう意味で、この本は全く古びていませんね。
 
​詳しい内容なお読みいただくほかありませんが、ぼくが「なるほど」と納得したところはたくさんありますが、中でも、第4「呪いと言論」と題された内田さんのこんな言葉でした。​

 私が言葉を差し出す相手がいる、それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信念だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信念からしか言論の自由な往還は始まらない。「まず場における正否真偽の査定の妥当性を保証しろ」という言い分を許したら言論の自由は始まらない。 

 ネット上に蔓延する「ヘイト」をめぐっての論考の結語ですが、ぼく自身「ブログ」などという方法で、誰が読むのかわからない「言論」をまき散らしているわけです。しかし、書いている当人は「カラスの勝手」というわけではなく、「誰か」に向かって書いているわけで、その「誰か」の確定は結構難問なわけです。

​ とりあえず、内田さんのこの言葉は、一つの灯りのように思えたというわけです。​

小さな本ですが、考え始める契機になることもあると思いますよ。
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最終更新日  2020.10.31 02:56:24
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2019.10.18
​​​ ​内田樹「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」(新潮社「考える人」)


 ​​​​「考える人」という新潮社が出している季刊雑誌がありました。その雑誌の2010年・春号が「はじめて読む聖書」という特集を組んだことがあります。その中に哲学者で、武道家の内田樹「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」というインタヴュー記事があります。そこで、彼が、語っていることにうなってしまいました。​​​​

 ホロコーストの後、生き延びたユダヤ人の多くは信仰の揺らぎを経験しました。なぜ神は私たちを捨てたのか。民族の存亡の時に介入しないような神をどうして信じ続けることが出来るだろうか、と。多くのユダヤ人がユダヤ教から離れてゆきました。
 その民族宗教の危機のときに、レヴィナスは若いユダヤ人たちにこう説きました。
 では、いったいあなたたちはどのような単純な神をこれまで想定していたのか、と。
 人間が善行すれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意志によって、好きなように左右することが出来るようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。
 神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在の時でも。神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証し立てる。
 
神は、幼児にとっての親のように、つきっきりで人間のそばにいて、人間たちの正しい行いにはいちいち報奨を与え、誤った行いにはいちいち罰を下すのでなければ、ことの理非も正邪の区別も付かないような人間しか創造し得なかった―そう言い立てる者は、神をはじめから信じていないのである。
 神は、神抜きで、自力で、弱者を救い、病者をいたわり、愛し合うことができ、正義を実現できるような、そのような可能性を持つものとして、われわれ人間を創造した。だから、人間が人間に対して犯した罪は、人間によってしか贖うことができない。神は人間にそのような霊的成熟を要求するのである、と。レヴィナスはそう告げたのでした。

​ 人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。世界に不義と不正が存在することを神の責めに帰すような人間は霊的には幼児である。私たちは霊的に成人にならなければならない。レヴィナスはそのように述べて、崩壊の瀬戸際にあったフランスユダヤ人社会を再構築したのです。
 ぼくは異教徒ですけれども、このレヴィナス「霊的な成人のための宗教」という考え方に強い衝撃を受けました。​

​ ​​​​​ナチス・ドイツが600万人を超えるユダヤ人をはじめとして障害者、同性愛者など1000万人以上の人間をホロコースト(焼き尽く)した歴史事実についてはご存知でしょうか。エマニュエル・レヴィナスは、自身も家族や友人をホロコーストされたユダヤ人で、フランスの宗教哲学者(?)です。は
 「なぜ神はユダヤの民を救ってくれなかったのか」という素朴で哀切な、生き残ったユダヤ人たちに共通した問いに対して、ユダヤ教の信仰を基礎づけよう=信仰にあたいすることを証明すること=とした人だと思います。
 著作は難解きわまる論考で有名な人ですが、内田樹はその論考の日本への、ほぼ最初の紹介者の一人です。ぼくにとっては彼が訳した、レヴィナスによるユダヤ教のタルムードの講義を手に取ったことが、内田樹という名前との初対面でしたが、全く歯が立たなかったことだけ覚えています。1980年代のことです。
 さて、彼がここで話している神はユダヤ教の神のことです。しかし、ぼくのような無神論者が「倫理」ということを考える時の基準として考えることは出来ないのでしょうか。そう考える事が出来れば、「人間とは何か」という問いにもっとも積極的な答えの一つがここにあるのではないでしょうか。
 例えば、ぼくが長年働いてきた、学校という場を想定してみることも可能なのではないでしょうか。「生徒諸君は教員という監視者の元においてモラルを育てるのではない」というふうに。
 校則とかルールとかで「道徳」が育つのではないのではないかと疑い続けながら、とうとう、退職してしまったわけなのですが、生徒も教員も、もう一度「人間」という場所に、お互いが戻ることができれば、それぞれが生き方として成熟を目指すことが響きあうということがありえるということではないでしょうか。
 神に対する信仰がないことが前提ですから、とてもむずかしいことだとは思います。しかし、「人間である」ということの可能性が、「人間」にはあるのではないでしょうか。
 あんまり興奮して、こういうことを言うと妄想ということになってしまいそうなので、これ以上は書きません。それにしてもレヴィナスという名前、心に残りませんか?(S)​
 初稿20100609​​​​ ​改定2019・10・18
追記2019・10・18
 教員が教員をイジメていたという事件の報道がありました。災害の最中、「ホームレスお断り」の看板をあげた公共の避難所があったという報道もありました。暗然としました。次には、きっと「人間として」を枕詞にした反省の言葉がきっと報道されるのでしょう。
人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。」ということを受け止めるが、それほどたやすいことだとは、ぼくには思えない出来事が続いています。皆さんはどうお考えになるのでしょうか。
 ああ、それから「考える人」は、ネットで探せば、今続いています。内田さんの上記の記事が、単行本で読めるかどうかは、ちょっとわかりません。

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最終更新日  2020.10.16 01:36:25
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2019.05.22

​​​​​​ ​「批評家加藤典洋の死」

 ​​​​​​文芸批評家の加藤典洋さんが亡くなりました。訃報を作家の高橋源一郎さんのツイッターで知ったぼくが「加藤典洋が死んじゃったよ。」と口にすると、同居人のチッチキ夫人「これ、ほら。」と言って数冊の「図書」「大きな文字で書くこと」というコラムのページを開いて渡してくれました。
 2月号から「私のこと」と題して子供の頃の思い出が書きはじめられている記事を4月号まで読んで、涙が止まらなくなりました。​​​​​​

  周囲の人やブログを読んでくれている人に、どうしても読んでほしい。そう思う気持ちが抑えられないので、ここに引用します。

「私のこと その3 勇気について」
 新庄でしばらくすると、引っ込み思案同士の友達ができたが、やがてもう一人を加えたやはり転校組の三人が、二、三人の手下を従えたいじめっ子に、執拗にいじめられることになった。
 イジメは一年半から二年くらい続いただろうか。
 ある時、私が建物の裏で、そのいじめっ子になぶられているのを見た兄が、家で、そのことを話した。しかし私は、そのことを何でもないことだといって否定した。
 私はこのときのことがあり、長い間、自分には勇気がないのだと考えてきた。今もそう思っている。
 ここで相手を殴り返そうと、思う。夢にまで見る。しかしそれができないまま、ある日、雨が降っているとき、それは私たち転校組が、また、転校していなくなる少し前のことだったが、私より少しだけ早く、同じいじめられっ子仲間のO君がかさを投げ出しかと思うと、グイっと、いじめっ子の襟首をつかみ、相手をなぎ倒した。
 それで、イジメは終わった。
 この同じ新庄という場所で、もうだいぶ経ってから、一九九三年、転校してきた子が、集団でイジメに遭い、死亡するという「山形マット死」事件が起きた。いじめっ子らは、罪を認めたが、その後、七人中六人までが申し合わせたように供述を翻し、彼らの家族もこれを後押しし、人権派弁護士たちが自白偏重を批判するなどして、介入した。そのため、この新庄氏のイジメ致死事件は、死亡した子の両親を原告に、刑事裁判に続き、民事裁判を争われることになった。二〇〇五年、最高裁で元生徒七人全員の関与が認められたが、今も全員の損害賠償金の支払いは、なされていない。
 事件の翌年、私は、山形県教育センターの雑誌「山型教育」に寄稿を頼まれた際、この事件が、似た経験をしたものとしてかなり悪質な出来事であると思えると書いたが、この原稿は、裁判係争中を理由に、掲載されなかった。勤務していた大学に雑誌の関係者が二人菓子折りをもってやってきて、この原稿を取り下げてもらいたいと言ってきた。没にするなら、自分で没にされたという事実とともに別の媒体に発表すると、返答し、私はそうした。
​​  自分には勇気がないと、私は心から思っている。勇気のある人間になりたい。それが今も変わらぬ私の願いなのだ。​「図書」岩波書店2019年4月号所収​
​ ぼくにとっての加藤典洋という人は、その著書と出会っただけの人であって、本人を知っているわけではありません。
 しかし、彼は上記のような文章を「図書」とかに書いていて、「ふと」出会う人であり、一方で「アメリカの影」(講談社文芸文庫)、「日本という身体」(河出文庫)以来つぶさに読み続けてきた人でした。

 例えば村上春樹の作品ついて、ぼく自身、もういいかなと思った頃があったのですが、彼の作品をまっとうに評価した批評で、引き戻してくれたのは彼と内田樹の村上論でした。
 
加藤典洋といえば「敗戦後論」(ちくま学芸文庫)が話題に上がるのですが、ぼくには「さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて」(岩波書店)、「3.11死に神に突き飛ばされる」(岩波書店)も忘れられない本でした。彼は、ぼくにとっては、あくまでも現代文学を論じる文芸批評家でした。ただ、文学を論じる根底に社会があることを、横着することなく考え続けた人だったと思うのです。
 
​​大江健三郎「取り換え子」(講談社文庫)に始まる「おかしな二人組三部作」にかみついて、執筆中の作家を逆上させた「勇気」も印象深い思い出なのですが、その後の作品「水死」「晩年様式集」(講談社文庫)に対して「きれいはきたない」という短い書評(「世界をわからないものに育てること」岩波書店所収)で、
​​「晩年のスタイルは、いま自分のありかを発見したところである。えもいわれぬ肯定感はそこからくる。」​
​ と言い切って称えているのを読んで、さすが加藤と納得したりしていたのです。しかし、その言葉が、今となっては、大江作品に対する、彼の最後のことばになってしまったのだと思うと、何の関係もないのですが、なんだか感無量になってしまうのです。​​
 
橋本治といい、加藤典洋といい、今の時代をまともに見据えていた大切な人を立続けに失っってしまいました。「今日」のこの出来事に彼らがなんと言っているのかさがしても見つけることは、もう、できないのです。
 いずれ、遺品整理のように語りたい二人の文章はたくさんあるのですが、今日はこれまでとしようと思います。(S)
追記2019・05・24
 加藤典洋の上記の記事の後、「図書」五月号に同じ連載コラムが掲載されているのを、チッチキ夫人が探し出してきてくれました。
 題は「私のこと その4 事故に遭う」。彼は警察官の息子だったのだが、道路に飛び出して軽トラックにはねられるという事故に遭う。事故を知った母親が狂ったように走ってくる様子と、寝ている少年に「警官の息子が。」と苦い顔をした父親の様子の二つが「正直な感想だろうが、横たわる私には、母に愛されていることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。」というのが結語でした。最後に、ご両親のことを書かれていることに「あっ!」と思いました。あらためて加藤さんのご冥福を祈りたいと思います。

追記2019・06・18
「図書」6月号には、加藤さんの初恋の思い出がつづられています。こういう原稿は、どこまで先行して書かれているのかということが、加藤さんの死を知ってしまっている、ぼくのような読者には、もう笑い事ではありません。
 他者の死を悼むということの大切さから、社会を考えることを主張した加藤さんの最後の原稿を、まだまだ続くことを心待ちにしながら、湧き上がってくるやるせなさをかみしめています。
追記2019・09・13
今日は、13日の金曜日ですが、ブログのカテゴリーの整理をし始めました。亡くなった加藤典洋さんと、活躍を続けれいらっしゃる内田樹さんをセットでカテゴライズします。お二人とも、ぼくにとっては大切な人です。
追記2020・05・15
 加藤典洋、橋本治がなくなって一年が過ぎたのですが、コロナウィルス騒ぎの世相は一気に「不穏な社会」へと転げ落ちそうな空気にみちています。予感が実感へ変わっりそうな「愚劣」な「空気」が一気に噴き出し、いやなにおいをまき散らし始めています。
 彼ら二人が生きていれば何といっただろうと、ふと考えますが、ないものねだりですね。



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言わずと知れた。



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死を巡って、鶴見俊輔、吉本隆明に対する追悼文他



彼自身による、彼自身の歴史観の要約



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最終更新日  2020.10.11 01:28:30
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