ベランダだより 2022年6月30日 「そしったら咲きました!団子丸!」」
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2022.07.01
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全10件 (10件中 1-10件目) 1 「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
糸井重里「ボールのようなことば。」(ほぼ日文庫)
![]() なんだか久しぶりの糸井重里です。「おいしい生活」とか「不思議大好き」とか、いまとなってはどこの、なんのキャッチコピーだったのかわからないのですが、「彗星のように登場した、元ペケペケ派!コピーライター。」として知ったのが40年前です。「コピー・ライター」という職業名を普通名詞にした人というのが、シマクマ君の定義なのですが、詩人で評論家の吉本隆明が、今から10年ぐらい前に亡くなった前後、彼の生前の講演を、音源のままCD化してヒット商品に仕立て上げるという離れ業には、感心した記憶があります。 で、最近、松本大洋の「ルーヴルの猫」、「かないくん」と、立て続けに糸井重里がらみで出会って、気になって手にしたのが、この本、「ボールのようなことば。」(ほぼ日文庫)でした。2012年に出版されている文庫本ですが、「みっつめのボールのようなことば。」(ほぼ日文庫)まで出ているようですから、ヒットしているのでしょうね。 ![]() これが裏表紙ですが、ネットで見ると、三冊とも表紙、挿絵は松本大洋のようです。 で、内容はというと、全編、糸井重里の、まあ、箴言集です。だから、糸井重里的「ことば」が嫌いな人は「きらい」が凝縮されていますから、たぶん無理です。ぼくは、ついていけるような、いけないような、中間地帯の人です。 世の中はね、 こういうのに出会うと、うまいもんだと感心しますね。でも、たとえばこんなのもあります。 「わからないですね」って、しっかり言える人って、 なんというか、吉本隆明と原丈人と、ご自分の糸井重里を並べている、ちょっと考えつかない、このバランス感覚がすごいと思いますね。 ちなみに、原丈人というのは、「公益資本主義」とかっていってて、アベとかキシダとかいう人達のブレーンしてる人ですね。団塊世代より後の世代のトップ・ランナーとかの一人でしょうね。 吉本=戦後、糸井=団塊、原=団塊以後という並びです。で、おっしゃっていることとは別ですが、この並べ方に、ぼくは、なんだかアザトさを感じたりしちゃうわけです。なんか、お商売がお上手っていうか。 でも、その次に、こんなふうなのがあるんです。 原爆が落とされたおかげで戦争が終わった、 とか 憶えていようと思ったわけでもないのに、 とかね。 で、こういうのに出会うと、「まあ、いいか」と思うわけです(笑) ![]() この本の表表紙と裏表紙を並べるとこんな感じになりました。この人間関係というか、ここにいる人たちが、ぼくには、なんだかとても遠いですね。知っているようで知らない。本のなかの「ことば」が、彼等に「消費」されるということが、たぶん「よくわからないんです。」 まあ、それにしても、松本大洋の表紙も、挿絵も、とてもいいですね。売れるはずです(笑) ![]() ![]() ![]()
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2022.05.12 00:10:26
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2021.08.31
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書)
![]() 今日の案内は、高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書)です。2021年5月30日に出版されたようですから高橋源一郎の最新刊でしょうね。 チッチキ夫人が通勤読書で読んでいたようで、コンサートかなにかのチラシでカヴァーされた本が食卓の「積読」書の小山の上に乗っていました。カヴァーをとってみると、幅広の腰巻に作家の写真と、キャッチコピーが印刷されています。本冊は純白です。 で、コピーの文句を見て気になりました。いやはや、簡単に釣られる客ですねえ。 「《否定の『ことば』》ってなんやろう。」 ![]() 腰巻の裏表紙側を見ると、こんなことが書かれていました。 かつて、ツイッターは、中世のアジール(聖域)のように、特別な場所、自由な場所であるように思えた。共同体の規則から離れて、人びとが自由に呼吸できる空間だと思えた。だが、いつの間にか、そこには現実の社会がそのまま持ち込まれて、とりわけ、現実の社会が抱えている否定的な成分がたっぷりと注ぎこまれる場所になっていた。「ハアー、またもやツイッターか。」 ツイッターで詩を書いている詩人もいらっしゃいますが、高橋源一郎はすでに、ツイッター形式で「今夜は独りぼっちかい・日本文学盛衰史・戦後文学編」という小説を書いています。ツイッターの形式でページが埋まることに最初は戸惑いましたが、今では、左程こだわりません。それより「否定のことば」といういい方が気になりました。 ページを繰るとすぐにありました。 高橋源一郎は、開巻早々、最近はやっているらしいカミュの「ペスト」という小説からこんな引用を載せています。面白いので、全文孫引き引用しますね。 読み返すのは、ほぼ半世紀ぶりだった。最初に読んだ頃には、「ペスト」とは、この小説が書かれる直前に終わった「第二次世界大戦」、「戦争」の比喩である、そう読むのが普通だった。 カミュは、国籍を問われたとき、こう答えた。 これらは、「ことばに殺される前に」と題されて、本書の冒頭に収められた文章の引用ですが、本書を読み終えたとき、引用したこれらの発言が、ムルソー=カミュ=高橋源一郎と自らを規定し、「日本語」を祖国とすること、「日本語」が作り出した「文学」という空間に生きることを宣言した文章だと気づきました。 本書をお読みになれば、すぐにお分かりいただけると思いますが、高橋源一郎は「正義」を振りかざしして「人を殺し」始めている国家やイデオロギーの攻撃に対して、または日常的で小さな、一つ一つの事象に広がっている戦線において、実に丁寧に、戦いを挑んでいます。この戦いに「勝利の日」が来るのかどうか、それは、いささか心もとないわけですが、しかし、誠実であることによってしかなしえない「闘争」に終わりはありません。 闘争現場については。本書をお読みいただくほかありませんが、いかんせん、闘争記録が、ほぼ十年前のものであることだけが、少々惜しまれます。 ![]() ![]() ![]()
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2021.08.31 17:17:10
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2021.03.01
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その2)」(NHK出版)
![]() 高橋源一郎「読むって、どんなこと?」の(その2)、「つづき」ですので、裏表紙を貼ってみました。時間割と「テーマ」が読み取れるでしょうか。 それぞれの授業で、学校の教室の勉強では「読めない」テキストが使用されています。 1時間目は「簡単な文章を読む」というテーマの授業ですが、テキストはオノ・ヨーコ「グレープフルーツ・ジュース」(講談社文庫)です。 ぼくがこれまでに燃やした本の中でこれが一番偉大な本だ。 という言葉で始まる本だそうですが、オノ・ヨーコさんの「簡単な文章」の例はこうです。 「地下水の流れる音を聞きなさい。」 これに対して、学校でならう詩の中で、ある時期、まあ、今でもかもしれませんが、代表的な人気を誇った黒田三郎さんのこの詩が対比されます。 紙風船 黒田三郎 二つの詩、あるいは詩(のような文章)と詩が比較されて論じられますが、興味が湧いた人はこの本を探して読んでみてください。学校の先生は、何故、オノ・ヨーコの文章を教室では扱われないのでしょう。 そういう問い方を高橋先生はするのですが、おわかりでしょうか。 2時間目は「もうひとつ簡単な文章を読む」時間です。テキストは哲学者の鶴見俊輔、「もうろく帖(後編)」(編集グループSURE)からの引用です。 お読みになる前に(その1)で引用した「そのときの人ぶつのようすや気もちを思いうかべながら読みましょう」という、小学生2年生に対する読み方の指針を思い出してみてください。 2005年11月4日最後の10月21日の文章が、鶴見俊輔の絶筆だそうです。この文章を書いた6日後、脳梗塞を発症し、「ことばの機能」を失い、「書く」ことや、「話す」ことができなくなった老哲学者は「読む」ことだけはできたそうです。最後の数年間、2015年7月20日に93歳でなくなるまで、ただ「読書の人」であったようです。 高橋先生はそんな鶴見俊輔の姿を思いうかべながら「読む」ことについて問いかけています。この「文章」を「そのときの人物」になって「読む」とはどうすることでしょう。最後まで本を手放さなかった哲学者を思いうかべて考えてみてください。 またしても長くなっていますね。ここからは、できるだけテキストだけ紹介します。 3時間目は「(絶対に)学校では教えない文章を読む。」というテーマです。テキストは永沢光雄「AV女優」(文春文庫)から、刹奈紫之(せつなしの)さんという人のインタビュー。 はい、間違いなく学校では教えません。初めてお読みになる方は「アゼン」となさるんじゃないかと思います。しかし、なぜ、学校では読まないのでしょう。 ぼくは読んだことがありますが、そこには「本当のこと」が書かれていて、きちんとお読みになれば、実はすごいインタビューだということはわかるのですが、教室で読もうという発想にはなりませんでした。なぜでしょう。 4時間目は「(たぶん)学校では教えない文章を読む。」というテーマですが、テキストの坂口安吾「天皇陛下にささぐる言葉」(景文館書店)は、授業で扱うには、かなり度胸がいることがすぐにわかります。同じ作家の「堕落論」を教室で読むことはあっても、この文章を教室に持っていくことはためらわれます。なぜでしょう。 ぼくは、もし、高橋先生がこの話をテレビかラジオであっても、実際に話したことをNHKが放送したのであれば、NHKを見直します。 3時間目の文章と4時間目の文章には、「私たち」の社会が隠そうとしている「なにか」について、本当のことを書いているという共通点があります。そのことを思いうかべてながら5時間目のテキストを読むと高橋先生が語ろうとしている「なにか」が見えてくる気がします。 5時間目のテーマは「学校で教えてくれる(はずの)文章を読む」です。テキストの武田泰淳「審判」(小学館)は、手紙形式の告白小説ですが、「そのときの人ぶつの気持ち」になることがまず可能な作品であるかどうかと考え込んでしまいました。 夏目漱石の「こころ」の第三部も同じ形式の告白小説ですが、あの「先生」の気持になることは可能なのかどうか、と考えられればおわかりだと思いますが、実は、限りなく難しいわけです。 その上、この作品は戦場で人を殺すことが平気になった男の告白なのです。戦後文学には、他にも同じような「告白」がありますが、本当に「読む」ことができているのでしょうか。 この辺りから高橋先生の「考えていること、語ろうとしていること」が見え始めたような気がしました。とりあえず、今日はここまでで、(その3)につづきます。 (その1)・(その3)にはここをクリックしレ下さい。 ![]() ![]() ![]()
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2021.09.05 22:58:36
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2021.02.28
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
高橋源一郎「読むって、どんなこと?(その1)」シリーズ「学びのきほん」(NHK出版)
![]() 小説家の高橋源一郎がNHK出版の「学びのきほん」というシリーズの1冊として書いた「読むって、どんなこと?」という本を読みました。表紙をご覧になってもお気づきだと思いますが、小学校の高学年から中学生、高校生ぐらいを読者として想定した「ふり」で書かれている本ですが、読み終えてみると「ふり」だということを痛感します。 まず、「はじめに」と題されて、「誰でも読むことができるって、本当なんだろうか」と副題された章で引用されているのはリチャード・ブローティガンというアメリカの作家の「ロンメル進軍」(思潮社)という詩集に載っているこんな詩です。 1891―1944 高橋源一郎の解説によれば、ロンメルというのは人名で、ナチスドイツの将軍だった人のようですが、この詩は、そのロンメルの生没年の数字だそうですが、この詩には、この「題」はあるのですが、本文がない、白紙なのだそうです。 高橋源一郎は、この詩について、幾通りかの読み方を解説していますが、最後にこう言います。 では、そもそも「読む」っていうのは、どういうことなんでしょう。 で、小学校の国語の教科書の引用が続きます。 「だれが どんな ことを したかを かんがえて よむ。」 これが1年生の始まりに教えられる「読む」ことの目安です。つづけて2年生ではこんな指針があります。 「そのときの人ぶつのようすや気もちを思いうかべながら読みましょう」 で、3年生、4年生、5年生は端折って、6年生ではこんなふうな指針が教えられます。 自分の考えを広げ、深める 小学校1年生から6年生までの習う「読む」ということについての内容がここまで引用されて、その教科書が教える「読む」ことについて高橋源一郎はこうまとめます。 いいことをいっているな、と思います。正直にいって、わたしだって、こんなふうに読んでいます。まあ、そうじゃないときもあるけど、だいたいはこう。これ以上付け加えることは、なにもない。そんな感じさえします。ふつうは、ここまで真剣に読んだりしないんじゃないでしょうか。 いかがでしょうか。教科書の引用を大幅に端折りましたから、わけがわからないと思われる方といらっしゃるかもしれませんが、「国語」の教員だったぼくの目から見れば、引用した、小学校1年生の「読み方」の指針から始まり、6年生の「考え方」の指針のゴールまで、「国語」の時間に教員が考えていることは、ある意味、これですべてなのです。 高校生になっても「国語」の授業の基本はこんなものだと思います。高橋源一郎も触れていますが、「試験」というゴールが露骨に意識されるようになるのが違うくらいなものです。 で、高橋源一郎はこんなふうに続けます。 ところが、です。 というわけで、この本では、学校の優等生には「読めない」文章をどう読むのかという「テーマ」で1時間目から6時間目まで高橋先生の授業が始まるというわけです。 簡単に紹介するつもりが長くなってしまいました。高橋先生の授業で使われた「読めない」テキストについては「つづき」ということで、今日はここまでとします。 (その2)・(その3)はこちらからどうぞ。 ![]() ![]() ![]()
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2021.09.05 22:23:24
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2020.12.19
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
高橋源一郎「日本文学盛衰史」(講談社文庫)
![]() 高橋源一郎の代表作の一つといっていいでしょうね、「日本文学盛衰史」(講談社文庫)を読み直しました。2001年に出版された作品で、これで何度目かの通読ですが、やはり、間違いなく傑作であると思いました。何度かこの「読書案内」で取り上げようとしたのですが、どう誉めていいのかわからなかったのです。 彼は、近代文学という「物語」を、新しい「ことば」の生成とその変転として描いているのですが、近代文学のコードから限りなく遠い「文体」で描こうとしていると言えばいいのでしょうか。そこが、感想のむずかしいところだと思います。 近代日本文学の「小説言語」は、その時代の、その言葉づかいであることによって、傑作も駄作も、おなじコードを共有し、この小説に登場するあらゆる文学者たちは、そのコードをわがものにすることで、日本文学の書き手足り得たとするならば、この小説は、そのコードを棄てることで、新しい小説の可能性を生きることができるというのが高橋源一郎の目論見なのかもしれません。 文庫本で658ページの長編小説です。第1章が「死んだ男」と題されて明治42年6月2日に行われた二葉亭四迷こと長谷川辰之助の葬儀の場に集う人々の描写から始まります。 新しい日本語で、小説という新しい表現形式に最初に挑んだ二葉亭四迷の葬儀の場には、我々がその名を知る明治の文豪たちが勢ぞろいしています。お芝居の前に、役者たちがずらりと並んで挨拶している風情ですね。そういう意味で、この場面が、この作品の巻頭に置かれているのは必然なのでしょうね。 その葬儀で受付係をしていたのが、誰あろう石川啄木でした。作家は、その場に居合わせた啄木についてこんなふうに語って、この章段を締めくくっています。 すでに訪れる者も尽きた受付で、退屈しのぎに啄木は歌を作っていた。歌はいくらでも、すらすらと鼻歌でも歌うようにできた。そして、歌ができればできるほど啄木の絶望はつのるのだった。 断るまでもありませんが、ここに登場する「啄木」は高橋源一郎の小説中の人物であり、引用された「短歌」は「啄木歌集」のどこを探しても見つけることはできません。 現代の歌人穂村弘の「偽作(?)」であることが、欄外で断られていますが、第2章「ローマ字日記」では、高橋自身の手による「ローマ字日記」の贋作が載せられています。穂村弘も「いくらでも、すらすらと鼻歌でも歌うようにでき」るでしょうかね。 この作品には、第1章の二葉亭四迷を皮切りに、漱石、鴎外をはじめ、北村透谷と島崎藤村、田山花袋などが主な登場人物として登場します。近代日本文学史をふりかえれば、当然の出演者と言っていいのですが、なぜが、啄木がこの小説全体の影の主役のように、折に触れて姿を見せるのです。 彼の有名な評論「時代閉塞の現状」は朝日新聞掲載のために執筆されたにもかかわらず、漱石によって握りつぶされたというスキャンダラスな推理に始まり、「WHO IS K」と題された、漱石の小説「こころ」の登場人物Kをめぐる章では、Kのモデルの可能性として石川啄木が登場するというスリリングな展開まであります。 何故、啄木なのでしょう。作家高橋源一郎が近代文学の相関図を調べ尽くす中で、文学思想上のトリック・スターとして啄木を見つけ出したことは疑いありません。にもかかわらず、いまひとつ腑に落ちなかったのですが、今回、読み返しながら、ふと思いつきました。 「啄木は家族と暮らしながら、どんな言葉でしゃべっていたのだろう?」 ふるさとの訛なつかし 啄木の、あまりにも有名な歌ですが、この言葉遣いはどこから出てきたのでしょうね。あるいは、近代日本文学は、いったい誰の口語で書かれていたのでしょうと問うことも出来そうです。「言文一致」と高校の先生は、ぼくも嘗ては言ったのですが、作品として出来上がった「文」は、いったい誰の「言」と一致していたのでしょう。生活の言葉を棄てた架空の日本語だったのではないでしょうか。 「ふるさとの訛」を捨て、「口語短歌」に自らの文学の生きる道を見出した啄木の葛藤の正体は、どうも只者ではなさそうですね。 高橋源一郎が、そういう問いかけを持ったのかどうかはわかりません。彼が、幾重にも方法を駆使して描いている「近代日本文学」という物語の一つの切り口にすぎないのかもしれないし、単なる当てずっぽうかもしれません。しかし、何となくな納得がやって来たことは確かです。 さて、「きみがむこうから」と題された最終章は、詩人辻征夫の きみがむこうから 歩いてきて という、引用があり、北村透谷以下、樋口一葉、尾崎紅葉、斉藤緑雨、川上眉山、国木田独歩というふうに、当時の新聞に載った死亡広告が引用されています。 斉藤緑雨は「死亡広告」を自分で書き残し、川上眉山は自殺でした。夏目漱石の死亡広告は次のようだったそうです。 夏目漱石氏逝く こうして、二葉亭の葬儀の場で始まった、ながいながい「日本文学盛衰史」は、近代文学という物語の終焉にふさわしく、登場人物たちの「死」で幕を閉じます。 このあと、作家自身の、いわば覚悟を記したかに見える結末もありますが、そこは、まあ、読んでいただくのがよろしいんじゃないでしょうか。 何だか、最後には近代文学、戦後文学のコードに回帰していると思うのですが、高橋源一郎らしいと言えば、カレらしい結末でした。 是非にと、お薦めする一冊ですが、ブルセラショップだかの店員の石川啄木や、大人向けのビデオの監督の田山花袋も登場しますが、くれぐれも、お腹立ちなさらないようにお願いいたします。 ![]() ![]() ![]()
2020.03.11
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
加藤典洋「大きな字で書くこと」(岩波書店)(その1)
![]() 文芸評論家の加藤典洋が昨年、2019年の5月に亡くなりました。その時に手元にあった岩波書店の「図書」の四月号に彼が連載していた「大きな字で書くこと」というコラムを引用した記事をブログに書きました。それから半年後、11月に岩波書店から「大きな字で書くこと」という題の本が出版されました。 私は何年も文芸評論を書いてきた。そうでない場合も、だいたいは、書いたのは、メンドーなことがら、込み入った問題をめぐるものが多い。そのほうがよいと思って書いてきたのではない。だんだん、鍋の中が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきたのである。 ここで何が意図されているのか、本屋さんで配布されていた「図書」で「大きな字で書くこと」を読んでいた当時も、この本を手にして、この記事にたどり着いた時にも、ぼくにはわかりませんでした。 読み続けていると、「父」と題されたコラムが数回続きます。そこでは、戦時中、山形県で「特高」の警察官だった父親の行跡がたどられ、青年加藤典洋の心の中にあった父に対するわだかまりが、そっと告白されていました。ここまで読んで、ようやく、いや、やっとのことで気づいたのでした。加藤典洋は「私は誰かと」と自らに問いかけ、小さな自画像を描こうとしています。それは「死」が間近にあることを覚悟した批評家が、自分自身を対象に最後の「批評」を試みていたということだったのではないでしょうか。 しかし、2019年の7月号に載った「私のこと その6 テレビ前夜」が最後の記事になってしまいました。 小学校4年生の加藤少年は、山形市内から尾花沢という町に転校し、貸本屋通いの日々、読書に熱中しながら、家にやって来たテレビに驚きます。 この年、私は町の貸本屋から一日十円のお小遣いで毎日一冊、最初はマンガ、つぎには少年少女世界文学全集を借りだしては一日で読み切るため、家で読書三昧にふけったが、なぜ講談社の少年少女世界文学全集を小学校の図書室から借りなかったのか、ナゾである。小学校によりつかなかったのだろうか。 これが、31回続いた連載の最終回、生涯の最後まで「私は誰か」を探し続けた批評家加藤典洋の絶筆です。 追記2021・09・03
最終更新日
2021.09.03 11:49:09
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2020.01.22
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
高橋源一郎「非常時のことば」(朝日新聞出版)
![]() 市民図書館の棚を徘徊していて、なんとなく手に取って、読み終わって気付いた。 とても大きな事件が起こった。ぼくたちの国を巨大な地震と津波が襲った。東日本のたくさんの街並みが、港が、津波にさらわれて、原子力発電所が壊れた。たくさんの人たちが亡くなり、行方不明になり、壊れた原子力発電所から、膨大な量の放射性物質が漏れだした。 高橋源一郎さんはこの文章に続けて、戦後66年間忘れていた「言語を絶する体験」ということが、実際に起こった結果、人々が感じた「ことばを失う」ということに論及してこう書いています。 少なくとも、同じテーマについて、これほどまでにたくさんのことばが産み出された経験は、ぼくたちにはない。それにもかかわらず、ぼくたちの多くは、「ことばを失った」と感じているのである。 震災をめぐって、途方もない量のことばが、人々の口から、あらゆるメディアから、吐き出され続けている世界を前にして、ある疑いを口にします。 「どんどんことばが出てくるなんておかしいんじゃないだろうか。」 そして、鶴見俊輔のこんな文章を引用します。 庭に面した部屋で算術の宿題をしていると、計算の中途で、この問題は果たしてできるのだろうかと疑わしくなる。宿題をする時だけでなく、一人でただ物を考えている際にもこの感じがくる。 人々の口から吐き出されてくることばが、鶴見俊輔の言う「一人で考える」時に感じる「めまい」を失っていないか、という疑いです。 「ことばを失う」ほどの現実に向き合った人間が、ことばを取り戻すときに、ことばのどんな姿にたどり着くのでしょうか。 批評家加藤典洋の「3・11死神に突き飛ばされる」、「恋する虜 パレスチナへの旅」を残して死んだジャン・ジュネの「シャティーラの四時間」、そして石牟礼道子の「苦界浄土」という文章を読み返しながら、高橋源一郎さんは最後にこう叫びます。 「そうだったのだ、この場にかけていたのは祈祷の朗誦だったのだ」 えっ、朗誦って何? 「ことばはなんのために存在しているのか。なんの役に立つの。ことばは、そこに存在しないものを、再現するために存在しているのである。」「ジャン・ジュネ」 うん、それはわかる。うーん、でも、ようわからん。 水俣病の患者は、国や会社によって、この社会によって。殺されたのである。あるいは、徹底的に破壊されたのである。 なるほど、「祈り」であり「音楽」であることばの姿か。「非常時のことば」というこのエッセイで引用されている三人の文章に対する高橋さんの読みの展開が、ここに来るとはと、うなりました。 中でも、文中で「あねさん」と呼ばれている石牟礼道子が「苦界浄土」のことばを生みだしていく描写は、このエッセイの白眉ともいうべき文章で、読んだはずなのに忘れていたとは、と、情けない限りです。 本書には、「ことばを探して」・「2011年の文章」という、あと二つのエッセイが収められています。特に「ことばを探して」では、川上弘美の「神様」という小説ついての文章が、目からうろこでした。それは「神様」の案内で書きたいと思います。 追記2020・02・14 「神様」・「神様2011」の感想はこちらをクリックしてみてください。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
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2021.08.31 17:28:19
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2020.01.14
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
内田樹・鷲田清一「大人のいない国」(文春文庫)
![]() 鷲田清一と内田樹、少なくとも関西では「リベラル」の代名詞のお二人というべきでしょうか。そのお二人が、これは見取り図というのがいいのでしょうね、総論的な「大人学のすすめ」という対談で始めて、新聞や雑誌に掲載された、それぞれの評論を各論として配置し、お二人共通の得意分野から現代社会について論じた話が面白い本です。ハヤリというか、話題になっている事象を「身体感覚と言葉」というポイントでまとめた本ですね。 働くこと、調理すること、修繕すること、そのための道具を磨いておくこと、育てること。おしえること、話し合い取り決めること、看病すること、介護すること、看取ること、これら生きてゆく上で一つたりとも欠かせぬことの大半を、人々はいま社会の公共的なサーヴィスに委託している。社会システムからサーヴィスを買う、あるいは受け取るのである。これは福祉の充実と世間では言われるが、裏を返して言えば、各人がこうした自活能力を一つ一つ失ってゆく過程でもある。ひとが幼稚でいられるのも、そうしたシステムに身をあずけているからだ。 この本は2008年に出版された単行本の文庫化です。したがって、ここで「不正」と呼ばれているのは、東北の震災以前の出来事を指しています。震災以降の被災者の救済や援助、原発事故や放射線被害をめぐっての問題や、最近の小学校の新設や花見の名簿の話ではありません。 私が言葉を差し出す相手がいる、それが誰であるか私は知らない。どれほど知性的であるのか、どれほど倫理的であるのか、どれほど市民的に成熟しているのか、私は知らない。けれども、その見知らぬ相手に私の言葉の正否真偽を査定する権利を「付託する」という保証のない信念だけが自由な言論の場を起動させる。「場の審判力」への私からの信念からしか言論の自由な往還は始まらない。「まず場における正否真偽の査定の妥当性を保証しろ」という言い分を許したら言論の自由は始まらない。 ネット上に蔓延する「ヘイト」をめぐっての論考の結語ですが、ぼく自身「ブログ」などという方法で、誰が読むのかわからない「言論」をまき散らしているわけです。しかし、この案内にしてからがそうなのですが、書いている当人は「カラスの勝手」というわけではなく、「誰か」に向かって書いているわけで、その「誰か」の確定は結構難問なわけです。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]()
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2022.02.06 11:45:25
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2019.10.18
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
内田樹「レヴィナスを通じて読む『旧約聖書』」(新潮社「考える人」)
ナチス・ドイツが600万人を超えるユダヤ人をはじめとして、障害者、同性愛者など1000万人以上の人間をホロコースト(焼き尽く)した歴史事実についてはご存知でしょうね。エマニュエル・レヴィナスは、自身も家族や友人をホロコーストされたユダヤ人で、フランスの宗教哲学者(?)です。 「なぜ神はユダヤの民を救ってくれなかったのか」という素朴で哀切な、生き残ったユダヤ人たちに共通した問いに対して、ユダヤ教の信仰を基礎づけよう=信仰にあたいすることを証明しよう=とした人だと思います。 エマニュエル・レヴィナスは難解きわまる論考で有名な人ですが、内田樹はその論考の日本への、ほぼ最初の紹介者の一人です。ぼくにとっては彼が訳した、レヴィナスによるユダヤ教のタルムードの講義を手に取ったことが、内田樹という名前との初対面でしたが、全く歯が立たなかったことだけ覚えています。1980年代のことです。 さて、内田樹がここで話している神はユダヤ教の神のことです。では、ぼくのような無神論者が「倫理」ということを考える時の基準としてユダヤ教の神のことを考えることは出来ないのでしょうか。そう考える事が出来れば、「人間とは何か」という問いに、もっとも積極的な答えの一つがここにあるのではないでしょうか。 例えば、ぼくが長年働いてきた、学校という場を想定してみることも可能なのではないでしょうか。あまりにも単純な連想ですが、「生徒諸君は教員という監視者の元においてモラルを育てるのではない」というふうに。 ぼく自身は「校則とかルールとかで「道徳」が育つのではないのではないか」と疑い続けながら、とうとう、退職してしまったわけなのですが、生徒も教員も、もう一度「人間」という場所に、お互いが戻ることができれば、それぞれが生き方として成熟を目指すことが響きあうということもありえるということではないでしょうか。 共通する、あるいは共有する神に対する信仰がないことが前提ですから、とてもむずかしいことだとは思います。しかし、「人間である」ということの可能性が「人間」にはあるのではないでしょうか。 あんまり興奮して、こういうことを言うと妄想ということになってしまいそうなので、これ以上は書きません。それにしてもレヴィナスという名前、心に残りませんか?(S) 初稿2010・06・09( 改稿2019・10・18) 追記2019・10・18 教員が教員をイジメていたという事件の報道がありました。災害の最中、「ホームレスお断り」の看板をあげた公共の避難所があったという報道もありました。暗然としました。次には、きっと「人間として」を枕詞にした反省の言葉がきっと報道されるのでしょう。 「人間の住む世界に正義と公正をもたらすのは神の仕事ではなく、人間の仕事である。」ということを受け止めるが、それほどたやすいことだとは、ぼくには思えない出来事が続いています。皆さんはどうお考えになるのでしょうか。 ああ、それから「考える人」は、ネットで探せば、今も続いています。内田さんの上記の記事が、単行本で読めるかどうかは、ちょっとわかりません。 追記2022・04・13 上記の記事は、その昔、高校生に向けて本や著者を紹介していたときのものです。読んでくれていた高校生たちは、若い人でも、ほぼ、20代を通過し始めているのですが、新たな戦争や虐殺を目前にして、どんなふうに考えていらっしゃるのでしょうか。70歳を目前にした老人は、結局よく分からないままです。ただ「考えることをやめるのはイヤだ」という、コケの一念のようなものにうながされ、こんな記事を投稿しています(笑)。 ![]() ボタン押してね! にほんブログ村 ![]() ![]()
最終更新日
2022.04.13 10:53:08
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2019.05.22
カテゴリ:「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」
「批評家加藤典洋の死」
「私のこと その3 勇気について」 ぼくにとっての加藤典洋という人は、その著書と出会っただけの人であって、本人を知っているわけではありません。 しかし、彼は上記のような文章を「図書」とかに書いていて、「ふと」出会う人であり、一方で「アメリカの影」(講談社文芸文庫)、「日本という身体」(河出文庫)以来つぶさに読み続けてきた人でした。 例えば村上春樹の作品ついて、ぼく自身、もういいかなと思った頃があったのですが、彼の作品をまっとうに評価した批評で、引き戻してくれたのは彼と内田樹の村上春樹論でした。 加藤典洋といえば「敗戦後論」(ちくま学芸文庫)が話題に上がるのですが、ぼくには「さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて」(岩波書店)、「3.11死に神に突き飛ばされる」(岩波書店)も忘れられない本でした。彼は、ぼくにとっては、あくまでも現代文学を論じる文芸批評家でした。ただ、文学を論じる根底に社会があることを、横着することなく考え続けた人だったと思うのです。 大江健三郎の「取り換え子」(講談社文庫)に始まる「おかしな二人組三部作」にかみついて、執筆中の作家を逆上させたという「勇気」も印象深い思い出なのですが、その後の作品「水死」、「晩年様式集」(講談社文庫)に対して「きれいはきたない」という短い書評(「世界をわからないものに育てること」岩波書店所収)で、 「晩年のスタイルは、いま自分のありかを発見したところである。えもいわれぬ肯定感はそこからくる。」 と言い切って称えているのを読んで、さすが加藤典洋と納得したりしていたのです。しかし、その言葉が、今となっては、大江健三郎の作品に対する、彼の最後のことばになってしまったのだと思うと、何の関係もないのですが、なんだか感無量になってしまうのです。 話は少しずれますが、この時期以降、大江健三郎の作品群に対して、加藤典洋のほかに、誰がまともに論じているのでしょう。近代文学の終焉とかいう、流行りの言葉をもてあそぶ人をよく見かけますが、今ここで書いている作家に対して、今を生きている批評家が論じるのは、また別のことだと思うのですが、近代文学批評もまた終焉のようですから、まあ、仕方がないのかもしれません。しかし、そこには、加藤典洋の死によって、ポッカリ空いた穴のような喪失感が漂っていると感じるのはぼくだけでしょうか。 橋本治といい、加藤典洋といい、今の時代をまともに見据えていた大切な人を立続けに失っってしまいました。「今日」のこの出来事に彼らがなんと言っているのかさがしても見つけることは、もう、できないのです。 いずれ、遺品整理のように語りたい二人の文章はたくさんあるのですが、今日はこれまでとしようと思います。(S) 追記2019・05・24 加藤典洋の上記の記事の後、「図書」五月号に同じ連載コラムが掲載されているのを、チッチキ夫人が探し出してきてくれました。 題は「私のこと その4 事故に遭う」。彼は警察官の息子だったのですが、子供のころ、道路に飛び出して軽トラックにはねられるという事故に遭います。事故を知った母親が狂ったように走ってくる様子と、寝ている少年に「警官の息子が」と苦い顔をした父親の様子の二つが「正直な感想だろうが、横たわる私には、母に愛されていることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。」というのが結語でした。最後に、ご両親のことを書かれていることに「あっ!」と思いました。あらためて加藤典洋のご冥福を祈りたいと思います。 ![]() 追記2019・06・18 「図書」6月号には、加藤さんの初恋の思い出がつづられています。こういう原稿は、どこまで先行して書かれているのかということが、加藤さんの死を知ってしまっている、ぼくのような読者には、もう笑い事ではありません。 他者の死を悼むということの大切さから、社会を考えることを主張した加藤さんの最後の原稿を、まだまだ続くことを心待ちにしながら、湧き上がってくるやるせなさをかみしめています。 追記2019・09・13 今日は、13日の金曜日ですが、ブログのカテゴリーの整理をし始めました。亡くなった加藤典洋さんと、活躍を続けていらっしゃる内田樹さんをセットでカテゴライズします。お二人とも、ぼくにとっては大切な人です。 追記2020・05・15 加藤典洋、橋本治がなくなって一年が過ぎたのですが、コロナウィルス騒ぎの世相は一気に「不穏な社会」へと転げ落ちそうな空気にみちています。予感が実感へ変わっりそうな「愚劣」な「空気」が一気に噴き出し、いやなにおいをまき散らし始めています。 彼ら二人が生きていれば何といっただろうと、ふと考えますが、ないものねだりですね。 追記2021・09・01 ブログのカテゴリーの「加藤典洋と内田樹」に、作家の高橋源一郎さんを加えて「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」とします。加藤典洋は1948年生、内田樹は1950年生、高橋源一郎は1951年生、共通しているのは68-69体験だというのがぼくの見立てです。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね! ![]() ![]() このブログでよく読まれている記事
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