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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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「石牟礼道子と水俣病」

2020.06.27
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石牟礼道子・藤原新也「なみだふるはな」(河出文庫)
​ 
友達と100100ブックカバーという、「本の紹介ごっこ」を、数人の友人と順々に楽しんでいます。同世代の人たちなのですが、予想していたよりずっと、思いがけない、知らない本が紹介されて驚いています。
 
​​先日、写真の好きな友達から藤原新也という写真家の「風のフリュ-ト」という写真集の紹介がありました。​​
​​​ なんとなくどこかで見たことか、聞いたことがあるような書名で、気になったのですが、いつどこで出会ったものやら、全くわかりませんでした。一方で、藤原新也という人の、ちょっとラジカルな空気を思い出して気にかかりました。
 そんな日の偶然ですが、彼と石牟礼道子の対談「なみだふるはな」(河出文庫)チッチキ夫人の本の山にあるのを見つけて読み始めました。​​​
 
​この文庫本は、2020年の3月の新刊ですが、元の単行本は2012年に出されています。その頃、職場で図書館の係をしていましたが、新しく入庫した本として出会い、ついでに読んだ記憶がありました。対談集ですから、読むのに苦労はいりません、今回は藤原新也の名に惹かれての読み直しです。
 
東北の震災があった2011年の6月に、3日がかりで話し合っている本です。​​二人の話の中には、ここで案内したいことがたくさんあります。当時84歳の石牟礼道子が子供の頃からの「水俣」という土地や「水俣病」の患者さんたちの思い出を語り、それを藤原新也が聞くという段取りの本です。
 ​​
​​読んでいてスリリングなのは、石牟礼道子の話に登場する人物や風景に、藤原新也が「カメラ」越しに見続けてきたインドでの経験や、東北の震災で津波にすべてを飲み込まれた集落の様子や、とりわけ、福島の原子力発電所の事故の現場近くに暮らしていた人間の話が「コラボ」してゆくところです。​​
 
「水俣」と「福島」の悲惨の渦中に身を置いた二人の「語りあう」聲のひびきが「共鳴」してゆく内容には、「読みどころ」がたくさんあります。
 
​対談も3日目になって、石牟礼道子が部屋で転ん大けがをした時の不思議な体験を語りはじめます。

石牟礼
 二年前、ここの入り口で倒れて大腿骨と腰椎がこんなになって。そこの扉の所で転んだんですよ。それから気絶したんでしょうね。二か月ばかり記憶がほとんどない。憶えがないんです。病院に行ったことも、手術をしたことも。回復期に入ってから、ところどころ思い出しますけれども。
 
 
森があって、それも太古の森ですけど、右側は海で、海風が吹いてくると、森の梢、木々や草たちが演奏されるんですよ、海風に。何ともいえない音の世界が・・・・

 
その音楽が。それが眠りに入るときも、目がさめるときも、何か思いついて夢想が始まるようなときには必ず、なるんです。演奏される。海風がふうっと吹いてきて。
 
 
それで、魂の秘境に行っているような、この世の成り立ちをずっと見ているような、そんな音楽が聞こえて。二か月半ぐらいつづきましたね。

藤原
 
二か月半は長いですね。極楽浄土じゃないですか(笑)
石牟礼
 長かった。大変幸せでした。痛みなんか全然感じない。いまごろ痛みが出てきているんですけれどもね。その音楽は消えちゃった。あの音楽はよかったなと思って。入院している時ですけど。お見舞いのお客様が見えたりすると、ちゃんと応対していたそうです。でも覚えていない。
藤原
 去年ですか?
石牟礼
 一昨年です。
 
それがまあ、美しい音色でしてね。その音楽を再現できない。
藤原
 でも、いい音楽だったなという記憶はあるんですね。
石牟礼
 はい。いままで聞いたうちでいちばん印象的だったのは弦楽器の低音でしたが。日によって鳴り方が違うんです。海風を受けて梢で揺れる葉っぱの大きさとか形とか、一本一本ちがいますでしょう。梢が演奏されるときは高音でしたね。梢がいっせいに震えるときは。
藤原
 ぼくの写真集に「風のフリュート」という写真集があるんです。アイルランドに行ったとき、西のアイルランドだと、すごい絶壁なんですね。土地も痩せていて、ごろた石をたくさん積み上げて風を遮って、風が来ないところでジャガイモとか耕している。その石積みが荒っぽいものだから、穴がたくさん空いているんですよ。風がピューと吹くでしょう。そうすると穴から、小さい穴から大きい穴から、音がフルートみたいに聞こえてくる。それを聞いて「風のフリュ-ト」というアイルランドの写真集を作ったんです。
石牟礼 
石も鳴るでしょうね。​

​ ​ありました。探し物が見つかりましたね。ぼくは藤原新也「風のフリュート」にこの本で出会っていたのですね。
 まあ、今回は、それが伝えたい案内というわけで、ここに引用した二人の会話については大幅に省略しています。
 
​​石牟礼道子が部屋で転んで、意識不明のまま手術したり、ベッドの上で人と会ったりして生活している話は、実はもっと長い話です。
 その時、彼女がそこで聞いていた音楽の話も、まあ、もう、「この世」の話なのか、「あの世」の話なのか、ある種の神秘体験とでもいう印象の話です。しかし、かなり丁寧に語られていて、デタラメが語られているわけではありません。
 巫女気質とでもいうのでしょうか。石牟礼道子の「意識の遊行」、シャーマンを思わせる体験は他では読めません。是非、お読みになられることをおすすめします。 
 ​
​​その、この世とも、あの世とも分かちがたい音楽の話に呼応して藤原新也が語り始めた話が「風のフリュート」だったのです。​​

​ 彼がアイルランドで聞いた「石」と「風」が奏でる音楽はそういう響きだったということなのです。
 次は、やはり、「風のフリュート」を読まないわけにはいかないようですね。

 


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最終更新日  2020.11.25 00:34:38
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2020.04.22
​​​​​石牟礼道子追悼文集「残夢童女」(平凡社)​​

 ​​石牟礼道子が亡くなって二年たちました。平凡社から追悼文集が「残夢童女」と題されて、2019年の夏に出版されました。
 ​​
それぞれ「傍にて」、「渚の人の面影」、「石牟礼道子論」と題され三章の構成で、石牟礼道子のすぐ傍らで生活していた人から、思想的な論者まで、三十数人の追悼文が載せられています。
 
​​どなたの文章がどうのというよう主旨の本ではないことは重々承知のうえでいうのですが、御子息の石牟礼道生氏と詩人の伊藤比呂美さん​​の文章が心に残りました。

 母に連れられて水俣の町を歩いて家に帰ろうとしていた。小学校に上がる前の冬だった。途中の道端で商店街の飾りであったクリスマスツリーから役目を終えて落ちていた飾りのベルを拾った。銀紙で被われて上手に出来ていた。幼いころ、工作が好きだった私は大事に両手で隠すように拾い上げた。ところがその光景を見ていた母がいきなり血相を変えて声を上げた。「すぐに手を離しなさい。捨てなさい」と叱った。もうじき警察署があると脅した。
 おもちゃも三輪車も欲しかったが祖父亀太郎が作ってくれた竹馬で我慢していた頃だった。買ってやれないが拾ったものを欲しがるなどとは卑しい精神であると教えたかったのか不憫と思ったのかは今となっては判らない。幼い頃、普段は溺愛されていたのでこのように凄まじく怒られたこのことだけは今でも鮮明に覚えている。意にそぐわぬことには激しい反応を示す母だった。その時の母の迫力に圧倒されて銀色のベルを足もとの側道に丁寧に置いた。
​(石牟礼道生「多くの皆様に助太刀されて母は生きてまいりました」)​
 ​石牟礼道子などという、「とんでもない」女性の息子として育った石牟礼道生氏とぼく自身の生育には何の共通点もありません。しかし、母親がほぼ同世代、おそらく、石牟礼道生氏も昭和三十年代に幼少期を過ごしたぼくと同世代の方だと思います。
 
ぼくは、この文章に同じ時代に子どもだった実感をそこはかとなく感じさせる「におい」のようなものを感じたのです。母からの初めての叱責について、よく似た記憶が、ぼくにもあります。
 
母と子という関係において、子は母のことを一つ一つのエピソードの経験で、だんだん理解していったりするのではないと思います。事あるたびに、最初の記憶と照らし合わせながら、何となくな納得、「アッ、おカーちゃんや。」という思いを「母」に重ね合わせていくことを繰り返すのではないでしょうか。
 少なくとも、母親が忙しくて貧しかった、あの時代に育った子供たちはそうだったように思います。

 世間や社会に対して凄まじい怒りをあらわにする母の姿に、幼い日の「銀色のベル」の記憶を重ねて「納得」しようとした息子がいたことを、そして、その母の死に際して、もう一度、その「思い」を繰り返している息子の姿にうたれました。
 
石牟礼道子の「文学性」や「思想」というようなこととは関係のない、子から見た「母」のほんとうの姿が、息子である道生氏の記憶のその場所に在るのではないでしょうか。

 
​もう一つ、思わず膝を打つような思いをしたのが、詩人の伊藤比呂美さんの文章でした。

 わたしは石牟礼さんの文学に対して、尊敬も思慕も大いに持っているのだが、だからこそ石牟礼文学について語り合う石牟礼大学というものを熊本の仲間とともにやったりしているわけだが、それは既に読んで好きなものを思慕しているだけで、なんだかいつも、なんだか少し、反発する気持ちも持っていることが、いつも少しばかり後ろめたかった。
 わたしは東京の裏通りの生まれ育ちで、そこの人々がどんなに他人に酷薄か見てきた。自分の親もふくめて、そうだった。石牟礼さんの文学に出でてくる、弱い者を大切にする善良なコミュニティや、互いに手を合わせ合うような人の情は、居心地が悪かった。石牟礼さんその人だって、そういうコミュニティから蹴りだされた人なんじゃないか。そう口の中でもごもご思っていた。​(伊藤比呂美「詩的代理母のような人」)​
​ 石牟礼道子の作品との出会い方や作品の価値というのが人それぞれに違うのは当然です。世の中に絶対化できる作家や作品があるわけではありません。
 ぼく自身は、石牟礼道子の作品と二十代に出会って以来、手放しては読み、手放しては読みということを繰り返してきました。なぜ、読みつづけられなかったのか。読みながら感じる微妙な居心地の悪さはの正体は何なのか。全集が出たのを見ながら、思わず遠慮してしまう気分になったのは何故なのか。その答えが伊藤さんのこの文章にある、そう思って、なんだかホッとしました。
 
伊藤さん石牟礼道子への思いが、ぼくなどとは比較にならない、生半可なものではないことは、これに続く文章をお読みいただければすぐにわかっていただけると思います。
​ でもこの頃、一つ、また一つ、読み始め、読み通して発見する。そして感動する。
 その鏡を何枚もたてた真ん中で、時間軸と空間軸がずれているような、その石牟礼さんらしさを味わう。そういう作品が少しずつ増えてきた
(伊藤比呂美「詩的代理母のような人」)。​
​ ​​伊藤比呂美さんは、ぼくより一つお若い詩人なのですが、彼女の文章を読みながら、65歳を越えた今から、もう一度、石牟礼道子の作品を手に取り直し、今度は投げ出さずに読み始め、読み続けることへのる励ましの声が聞こえてくるように、ぼくには思えたのでした。
 この本に載せられている追悼文は、心もこもったものばかりです。石牟礼道子が残した作品を、もう一度読み直し、あるいは、初めて読み始める、たくさんの道筋が示されていると思います。一度手に取られてはいかがでしょうか。​

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最終更新日  2020.11.11 22:47:56
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2020.03.13
​​​​​石牟礼道子「魂の秘境から」(朝日新聞出版)


​ 
​​石牟礼道子さん20182月に亡くなって、二年の年月が過ぎました。亡くなった年の四月に、生前「朝日新聞」に月一度の連載で掲載されていたエッセイに「魂の秘境から」という題がつけられた本が出ました。
​​
 彼女が晩年、パーキンソン病に苦しめられていたことはよく知られていますが、入所された介護施設での暮らしの中で書き続けられた、いや、口述らしいですから、語り続けらたエッセイが一冊の本になっています。
 連載は2015年の一月から、亡くなった2018年の二月十日の十日前一月三十一日まで続いていたようです。
 
31回の連載には「夢」と「記憶」が綴られています。最初の「少年」との出会い、アコウの大木、父と祖父と石と、沖縄戦で死んだ兄、繰り返し夢に現れる母。大まわりの塘、水俣から不知火の海。
 ページを繰っていると、時々白黒の写真があって、文章の
淡々しいシーンと交錯します。時に、ハッとするような、こんな言葉が書きつけられています。

 文章を書くということは、自分が蛇体であるということを忘れたくて、道端の草花、四季折々に小さな花をつける雑草と戯れることと似ていると思う。たとえば、春の野に芽を出す七草や蓮華草や、数知れず咲き拡がってゆく野草のさまざまを思い浮かべたわむれていると時刻を忘れる。魂が遠ざれきするのである。魂の遠ざれき 二〇一六年二月二十三日)

 石牟礼さんの「魂」が何処へともなくさまよい出てゆく、そのお出かけに付き合うのに、ほんとうは、妙な緊張感はいらないでしょう。そう思ってページを繰るとこんな写真が添えられていました。


 
彼女の手に目を瞠り、写真の中でその手が書き記そうとしている言葉を追いました。

祈るべき 天とおもえど 天の病む
 ​東北の震災のあとの句だったと思います。とても有名な句なのですが、やはり、しばらくの間、言葉を失って見つめていました。

​ 一番最後の文章の日付は二〇一八年一月三十一日です。彼女の死の十日前ですね。題は「明け方の夢」です。

 この前、明け方の夢を書き留めるように記した「虹」という短い詩にも、やっぱり猫が貌をのぞかせた。同やら、黒白ぶちの面影があるようにも思える。
 不知火海の海の上が
 むらさき色の夕焼け空になったのは
 一色足りない虹の橋がかかったせいではなかろうか
 この海をどうにか渡らねばならないが
 漕ぎ渡る舟は持たないし
 なんとしよう

 媛よ
 そういうときのためにお前には
 神猫の仔をつけておいたのではなかったか
 その猫の仔はねずみの仔らと
 天空をあそびほうけるばかり
 いまは媛の袖の中で
 むらさき色の魚の仔と戯れる
 夢を見ている真っ最中

 
かつては不知火海の沖に浮かべた舟同士で、魚や猫のやり取りをする付き合いがあった。ねずみがかじらぬよう漁網の番をする猫は、漁村の欠かせぬ一員。釣りが好きだった祖父の松太郎も仔猫を船に乗せ、水俣の漁村からやってくる漁師さんたちに、舟縁越しに手渡していたのだった。
 ところが、昭和三十年代の初めころから、海辺の猫たちが「狂い死にする」という噂が聞こえてきた。地面に鼻で逆立ちしきりきり回り、最後は海に飛び込んでしまうのだという。死期を悟った猫が人に知られず姿を消すことを、土地では「猫嶽に登る」と言い慣わしてきた。そんな恥じらいを知る生きものにとって「狂い死に」とはあまりにむごい最期である。
​さし上げた仔猫たちが気がかりで、わたしは家の仕事の都合をつけては漁村を訪ね歩くようになった。猫に誘われるまま、のちに水俣病と呼ばれる事件の水端に立ち会っていたのだった。(二〇一八年一月三十一日朝日新聞掲載)註「媛」には「ひめ」とフリガナがついています。
​ これが、あの石牟礼道子さんの絶筆です。何も言う必要を感じません。石牟礼道子さんという人はこういう人だったんです。

追記20200311

 記事は口述だったそうです。昨晩の「夢」を語っていらっしゃる石牟礼さんの姿はそこにあるのですが、魂は、時間も場所も超えて、よざれていらっしゃったのでしょうね。
 全く偶然なのですが、この記事を書いている今日は東北の震災の日でした。今日あたり、彼女の魂は、どのあたりによざれていらっしゃるのでしょうか。「天」ではなく「人」が病んでいくこの国の世相をどうご覧になっているのでしょかね。

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最終更新日  2020.11.03 17:59:31
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2019.09.17
​​石牟礼道子「苦界浄土」(講談社文庫)


​ 自分の生活する世界の外側や遠くの他者に対して関心を持つ時、自分のことを「こうだ」と思い込んでいた自己認識のあやうやさと出遇うことがある。この年齢になっても職場や近所づきあいで経験的には全く初めてのタイプの人と出会ったりする事は相変わらずあって、やっぱりうろたえる。
 ドキドキしながら、一度自分の中にもどってみる。べつにどんな人とでも常に「存在」を賭けて真摯に付き合うことが身上というわけではない。しかし、自分の中にも、ほかの人から見れば、この変なタイプがいるのではないか、そんな風に考えると心当たりがある事もある。モチロンいつもという訳ではない。全く予想もつかないような人物もいる。心当たりがあるからといって必ずしも理解できたというわけでもない。かならず仲良く出来る訳でもない。
 ただ、まぁそういうふうになってしまう事はありうるよな、というふうに相手に対しての、ちょっとした納得が生まれる程度のことだ。とりあえず嫌いとか好きといわなくてもよい。鶴見俊輔という哲学者が『同情』という言葉を使って考えているコトの入り口くらいかもしれない。
 ​鶴見の言う『同情』というのは英語でsympathy。パトスが共振=シンクロナイズ=synchronizeすること。『共感』を持って他者と出遇うこと。孟子が言う『惻隠の情』というのと近い事かもしれない。​
 哀れみとか心痛とかだけではなくて、率直な関心。交感作用。わからない人は辞書をどうぞ。ここで、ぼくは人格者になるための心得について言いたいわけではない。鶴見の言う『同情』や孟子の『惻隠の情』を徹底させると結構すごいコトになるということを話題にしたいのだ。​

​​ 石牟礼道子『苦海浄土』が文庫新装版で講談社から新しく出たそうだ。これまでにも講談社文庫版で読むことは出来たし、国語の教科書にも取り上げられてきた。​​

 「ほーい、ほい、きょうもまた来たぞい」と魚を呼ぶのである。しんからの漁師というものはよくそんなふうにいうものであったが、天草女の彼女のいいぶりにはひとしお、ほがらかな情がこもっていた。海とゆきは一緒になって舟をあやし、茂平やんは不思議なおさな心になるのである。
​ いかなる死といえども、ものいわぬ死者、あるいはその死体はすでに没個性的な資料である、と私は想おうとしていた。死の瞬間からオブジェに、自然に、土にかえるために、急速な営みを始めているはずであった。病理解剖は、さらに死者にとって、その死が意思的に行うひときわ苛烈な解体である。その解体に立ち会うことは、わたくしにとって水俣病の死者達との対話を試みるための儀式であり、死者達の通路に一歩たちいることにほかならないのである。​
​ ゴムの手袋をしたひとりの先生が、片手に彼女の心臓を抱え、メスを入れるところだった。私は一部始終をじっとみていた。彼女の心臓はその心室を切りひらかれるとき、つつましく最後の吐血をとげ、わたしにどっと、なにかなつかしい悲傷のおもいがつきあげてきた。死とはなんと、かつて生きていた彼女の、全生活の量に対して、つつましい営為であることか。​
​​ 人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で。漁師の嫁御になって天草から渡ってきたんじゃもん。うちゃぼんのうの深かけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる。​「苦界浄土 第3章 ゆき女きき書き」​

​ 水俣病で亡くなった坂上ゆきとういう女性をめぐって書かれた、「ゆき女きき書き」の一節。読み手の胸倉をつかんではなさない文章だと感じた。
 「共感」するということが、すでに死んでしまった「ゆき女」の病理解剖の現場にまで立ち合い、その切り裂かれた心臓の最後の一滴のしたたりまで見ることを止めない石牟礼道子の冷静な目と筆致を支えているように感じる。
 「同情」ということが一緒に涙を流したり、抱き合ったりすることにとどまることではないことを彼女は描いている。「見て書く」という行為に自分という存在をかけて表現しているといえないだろうか。そこにみなぎる気迫、それこそが、「同情」が行為であり、行動であってこころのありさまだけではないことをあらわしている。そこが石牟礼道子の強烈さといっていいと僕は思う。1968年に出版されて30年以上の歳月がたった。僕が初めてこの本に出会ったのも30年も昔のコトになる。

 今年、彼女の全集が藤原書店から出始めている。出来ればどこの学校の図書館にも置いてもらって、ひそかに彼女に「共感」し、「同情」を育てる人が一人でも生まれてくれば一寸凄いのではないだろうか。

​​​​ この記事を書いている最中。20041015日。水俣病患者に対する国家=行政の責任を認定した判決が最高裁から下された。被害発生から50年以上も経ってやっと、である。いったい何人の人が、世の中から「見捨てられた」という思いで死んでゆかれたことだろう。そう考えてしまう。(S200410・14
追記2019・09・16
 石牟礼道子さんはいなくなった。鶴見俊輔さんもいなくなって久しい。この「案内」を教室で配布したときから15年も経ってしまったことを実感しながらも、少し驚いている。
 福島の原発事故の被災者に対して「管轄外」と言い放つ復興庁の長官や、汚染水の「海」への廃棄を最後っ屁のように言い放つ大臣。とどのつまりは、​​公共事業の犠牲者に「ボランティア精神」を説く大臣迄出てきた。石牟礼さんや鶴見さんが生きていたらなんというだろう。
 古い記事だが、捨てないで投稿しようと思った。​​​​

 
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最終更新日  2020.10.14 21:05:48
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2019.04.15
​​米本浩二「評伝石牟礼道子:渚に立つひと」(新潮社)​​


​​​​​​​​​​​  河出書房新社から「池澤夏樹個人編集:世界文学全集」全30巻が2011年に出版されて、その中に日本文学としてただ一作選ばれたのが石牟礼道子「苦界浄土(三部作)」だった。​​
 ​「石牟礼道子が世界文学!」​
  言葉の後ろにつくのが!マークなのか?なのか、微妙なニュアンスで評判になった。「そりゃあ!マークでしょう」と思ったが、出版に際してつくられた「苦界浄土刊行に寄せて」というビデオを見て、どうでもいいやとおもった。ビデオが気に入らなかった。
​  石牟礼道子は、こう語っている。(ぼくなりの要約なので、本物はユーチューブで検索していただけば、誰でも聞けます。)​

 本当のテーマというのは人間が生きるということについて美しい話をどなたとでもできるようになりたかったというのが悲願のようにありましたのに、うかうかと年を取ってしまいました。

  これをお読みいただく方々にとっては、まあ、一つの災難であろうとは思うんですね。こういう暗い材料を文字に書いて、本にして、何の予備知識もない方々に読んでいただくわけですので、なんだか申し訳ないような、自分の背負っている重荷をその人たちに背負っていただいて、加勢してくださいとお願いをするような気持ちで、申し訳なく思います。

​​  馬鹿の一つ覚えといったらいいんでしょうか、ほかのことはあまり考えられずに、やっとやっと、考え、あの、これまでに、自分にとっては不可能だったようなことを何とか書き終えましたけれど、重荷でございましょうけれどお読みいただければ幸いでございます。​​
​ その石牟礼道子が今年(2018年)二月に亡くなって、とてもショックだった。ちょうど、ぼくの母親の世代の人だった。彼女の生き方は、なんというか群を抜いていると思っていたのだが、どこがどうなっているのかわからなかった。
 石牟礼道子の死のちょうど一年前に米本浩二という毎日新聞の記者(だった人かな?)が「評伝 石牟礼道子」(新潮社)を発表した。書いた人は知らない人だったが、読みだして納得した。三年がかりで書き上げた労作だった。​​
 ​序章に、米本浩二がこの評伝執筆を決意するにあたって、「岩の上でもじもじする」ペンギンの背中を押した渡辺京二という思想家の言葉が記されている。
​ 渡辺京二は作家(こう呼ぶのには抵抗がある、でもまあこうか?)石牟礼道子を、最初に発見し、その出発から死に至るまで支え続けてきた人だ。​
​ 支えると言っても、生半可なことではない。「義によって助太刀いたす」という「水俣病を告発する会」の当時のリーダーの有名な言葉があるが、石牟礼道子に対する生涯をかけた「助太刀」を貫いた人だとぼくは思う。世の中には、凄い人がいるのだ。​
 本書をお読みいただけばわかることだが、水俣病闘争の初期に石牟礼と出会い、晩年にいたっては、食事の世話、原稿の清書から出版社との交渉に至るまで、黒子のように付き添ってきた人だ。
​​ 渡辺自身にも「もう一つのこの世:石牟礼道子の宇宙」(弦書房)という評論集があるのだが、その渡辺が米本浩二に語りかけた言葉が本書にある。​​
 石牟礼道子に密着して話を聞く。伝記に尽きるわけだよ。彼女の言葉と、著書の引用、関係者の証言、この際、戸籍調べもして、ノートも未発表原稿も、ほかのなにもかも全部ぶちこんで、伝記を書く。そういう仕事をするには、己を虚しくしないといけませんからね。若いときは、そういうふうに己を虚しくするのはなかなかできない。ほかにいっぱいするべきこと、楽しいことがあって、己を虚しくしようとは思わないでしょう。熱烈なファンはいっぱいいるんだけどね、そこまでやろうとする人はいないね。だけど、まあ、そんなもんでしょう。
 後世になってやっと研究者があれこれほじくりはじめるんでしょう。それはそれで結構なんです。ただ、関係者が生きているうちにね、話を聞けばね、相当面白い本ができると思う。
 彼女は逸話集ができるから。変わってますから、すること言うことが。珍談奇談、山みたいにあるわけですからね。ただそれは残さないと消えてしまう。珍談奇談の類は僕も書いていません。イギリスが島国の話はちょっと書きましたけど。彼女らしい面白い話はたくさんあるんですよ。書き残さねばならない。発表しなくてもね。書かないと消えてしまう。​​
 こんなふうに言われて、米本浩二は、きっと震えたに違いない。

 1970年代初頭、首都に翻った「怨」という一文字の吹き流しと、「死民」というゼッケンを発案し、チッソ本社前の路上に患者とともに座り込んだ、闘う人。「苦界浄土」をはじめ、数々の傑作を世に問い続け、今や、世界的評価を得ている作家。
祈るべき 天とおもえど 天の病む
 晩年、こう詠んだ詩人について、「変わってますから」と言われて書くことは、それ相当の肝が据わらなければできる仕事とは思えない。
 黒地に「怨」と染め抜かれた吹き流しから私が感じるのは、正体不明の遺物と向き合う生理的、根源的な恐怖である。​ ​
​ 石牟礼道子を書くということは、彼女が世に現れた当時、何も知らなかった小学生だった米本浩二にとって、「根源的恐怖」の正体を突き止めようと勇気を奮う決意なしには、なしえなかったに違いない。​
 しかし、彼は書いた。
​​米本 封建的な農家の嫁という立場で書くのは大変だったでしょう。

石牟礼 水俣病をやり始めたときは、お姑さんから、道子さんたいがいにせんね、弘がぐらしか(かわいそう)ばい、と言われました。(以下略)
  
​米本​ ご実家の反応は?

石牟礼 お前がやっていることは昔なら獄門さらし首ぞと父が言った。覚悟はあるのか、と。ある、というと、そんならよか、と言いました。獄門さらし首、なるほどと思いました。安心しました。だれよりも、産んでくれた親が一番わかってくれているなと思いました。(以下略)
  
米本 七〇年、大阪のチッソ株主総会に向かっているころに、作家の三島由紀夫が自衛隊で割腹自殺しています。

石牟礼 彼のひどく古典的な死に方は、わたくしの水俣病事件と思わぬ出会いをすることとなった。と『苦界浄土三部作』に書きました。三島さんほどの人が、もったいなかと思った。死ぬくらいなら患者さんの支援に加勢してもらいたかった。三島作品をちっとは読んどったです。まあ、文章がきらびやかで、とても新鮮に思えて、私は才能を認めていました。孤高というか、規格外というか、普通の文壇的な作家とは違うち思うてましたね。勝手に親近感を覚えていたから‥‥。(以下略)

米本 (ミカン)いただきます。あの、今の時代をどう思いますか。

石牟礼 日本列島は今、コンクリート堤になっとるでしょう。コンクリート列島。海へ行くと、コンクリートの土手に息が詰まる。都会では小学校の運動場までがコンクリートです。これは日本人の気質を変えますよ。海の音が聞こえんもん。

米本 水俣病の現在をどう見ますか。

石牟礼 水俣病の場合はまず棄却という言葉で分類しようとしますね。認定の基準を決めて、認定の基準というのは、いかに棄却するかということが柱になってますね。国も県も。そして乱暴な言葉を使っている。言葉に対して鈍感。あえて使うのかな。あえて使うんでしょうね。棄却する。
 一軒の家から願い出ている人が一人いるとしますね、私はあんまりたくさん回ってないけど、ほんの少数の家しか回ってないけども、行ってみると、家族全員、水俣病にかかっとんなさるですよ。家族中ぜんぶ。ただその人の性格とか食生活とか生活習慣が先にあるんじゃなくて、水俣病になってる体が先にあるもんで、病のでかたがちがうんですよね、ひとりひとり。
 魚を長く食べ続けたと訴えても、それを証明する魚屋さんの領収書とかもってくるようにという。そんなものあるわけない。認定する側の人だって魚屋さんから領収書貰ってないでしょう。そういうひどいことを平気で押し付けてくる。証明するものって、本人の自覚だけですよね。それをちゃんと聞く耳がない。最初から聞くまいとして防衛してますね。
 自分のことを一言も語れない、生きている間、もう七〇年になるのに自分のことを語れないんですよ、患者たちは。(以下略)

米本 パーキンソン病との闘いがつづきます。

石牟礼  複合汚染だと思っています。私の今の症状の中に水俣病の患者とそっくりの症状がある。原田正純先生に『私にも水銀が入ってますよね』と言ったら、『当たり前ですよ』とおっしゃいました。箸をとりおとす。鉛筆をとりおとす。ペンをとりおとす。なんか手に持っていたものを取り落とすことがしばしば。そして発作がきますけど、脳の中がじわじわしびれてくるんですよ。(以下略)​​​​
 できあがった仕事は、例えば、ぼくの「どこがどうなっているのか」、生い立ちは、家族は、生活は、という疑問に、実直に答えている。
 石牟礼道子が背負い込まねばならなかった「重い荷物」の由来と遍歴を丁寧に解き明かしているともいえるだろう。

​ しかし、それ以上に、米本浩二自身が、石牟礼道子という「もう一つのこの世」に生きた人間を、はるかに見晴らす渚に立っている印象を、素直にもたらすものだった。書き手の誠実が形になった伝記だと思う。乞う、ご一読。​
追記2019・11・12            ​​

​​石牟礼道子「苦界浄土」はこちらで案内しています。表題をクリックしてみてください。​
追記2020・01・23
 この本が文庫になるそうだ。現代という時代が過去をないがしろにすることで、ありえない夢を見ようとしているのではないかと疑うことが、最近増えた。忘れてはいけなかったり、大切にすべき考え方や生き方は「過去」の中にもある。
 忘れてはいけない人を描いた米本さんの誠実が輝いている本だ。めでたい。

                                 


                                                                                   

                                                             
2018/09/01

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最終更新日  2020.10.06 00:41:26
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