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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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映画「神戸アート・ヴィレッジ」でお昼寝

2020.11.22
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​​​​フランシス・アナン「プリズン・エスケープ」神戸アートヴィレッジ


 神戸のミニ・シアター、具体的にはパルシネマ、シネマ神戸、元町映画館、そして、アート・ヴィレッジ・センターの4館は、互いに予告編を流し合うという、粋なことをしています。
 この映画の予告編は、元町映画館で見て、上映を待っていたのですが、1週間、カレンダーを違えていて、最終日に何とか見ることができました。最近、いろんなカン違いが頻発していて、何となく不安なのですが、まあ、クヨクヨしたって仕方がありません。

​​​ 何を期待して、待っていたのか?もちろんサスペンスです。主役であるティム・ジェンキンを演じるのが、あの、ダニエル・ラドクリフだというのが、この映画の売り文句の一つですが、「ハリー・ポッター」のシリーズを、ただの1本も、きちんと見たこともないぼくには、チラシの写真をみても、さほどの興味が湧くわけでありませんでした。​​​
​ ぼくが、「オッ!?」と思ったのは、​「木製の鍵」​「10の鉄扉」のところでした。
 で、どうだったかって?ぼくには十分楽しめました。​

​​ 「木製の鍵」の制作過程が、まず、この映画の「見どころ」だったと思いましたが、ダニエル・ラドクリフが神経の細い、手先の器用でプラモデル作りが好きそうな、まあ、どっちかというと、今にも壊れそうな男、とても、脱獄なんていうタフな仕事は出来そうにない男をよく演じていたと思いました。​​
 ぼくは、この童顔の主人公がいつ倒れるのか、という一つ目のサスペンスがこの映画を支えていたと思いました。
​​ 脱獄を決行する当日になって、脱獄という行為が「アパルトヘイト」という非道に対するプロテストであることが、そのあたりをボンヤリ見ていたぼくにも明確になるのですが、連帯しながらも、尻込みをするデニス・ゴールドバーグを描いたところにぼくは共感しました。​​
​​ かつて「パピヨン」という、脱獄映画の傑作を見たことがありますが、ぼくには崖の上から跳ぶスティーヴ・マックインよりも、彼の雄姿を見下ろす、ネズミ男、ダスティン・ホフマンの方に感情移入する傾向があります。この映画でも「跳べない人」の姿を、かなり丁寧に描いていたことに好感を持ったわけです。​​
 もちろん、サスペンスのクライマックスは、脱獄を決行する最後の20分でした。「足音」、「息遣い」、「木製の鍵」という要素だけで、「見つかるかもしれない」、「開かないかもしれない」、「折れるかもしれない」という不安が畳みかけてくる気分は、久しぶりにサスペンス気分満喫でした。
​ とどのつまりは、黒人用タクシーの運転手の「頷き」でホッとさせられて、反アパルトヘイト映画だったことを思い出したのでした。​
​ それにしても、魔法が使えないハリー・ポッター君、今回は、なかなか健闘していたのではないでしょうか。​
監督 フランシス・アナン
原作 ティム・ジェンキン
脚本 フランシス・アナン  L・H・アダムス
撮影 ジェフリー・ホール
美術 スコット・バード
衣装 マリオット・カー
編集 ニック・フェントン
音楽 デビッド・ハーシュフェルダー
キャスト
ダニエル・ラドクリフ(ティム・ジェンキン)
ダニエル・ウェバー(スティーブン・リー)
イアン・ハート(デニス・ゴールドバーグ)
マーク・レナード・ウィンター(レオナール・フォンティーヌ)
2020年・106分・イギリス・オーストラリア合作
原題「Escape from Pretoria」
2020・11・21・神戸アートヴィレッジ
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最終更新日  2020.11.24 01:32:20
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2020.09.26
​​ブノワ・ジャコー「カサノヴァ 最期の恋」アートヴィレッジ


 新コロちゃん騒ぎが始まって半年たちましたが、6月に復活した映画館で、以前と変わったことがいくつかあります。
 折角の現場体験ですから、ちょっと、数え上げてみます。
 劇場にやってくると、とりあえずアルコール消毒して受付に向かいます。受付にはビニールのカーテンが下りています。チケット買って、あるいは、買う前に入口で体温を測るところが生まれました。今日のアートヴィレンジだとこんな機械です。



 あるところとないところがありますが、必ずしも正確というわけではなさそうです。385分ですと宣告されて、青ざめたところもありますが、次に身体直接タッチ式が現れて、もう一度びっくりしました。
 劇場内では、客席が一つ飛ばしになりました。これは全館共通しているようです。経営者には申し訳ないのですが、ぼくは歓迎しています。
 劇場内での飲食に、新たに制限が設けられたところもあります。予告編の時間に注意事項が流れますから、劇場内でのおしゃべりが減りました。
 観客数が、以前に比べてかなり減っているのは気の毒だと思いますが、お客さんは皆さんマスク着用で、静かに座って「よいこ」の集団です。
 劇場によっては、ホールのベンチが撤去されたところもあります。小さな劇場では気になりませんが、アートヴィレッジのような、少し広いホールにテーブルが並んでいるような場所で、座席が完全に撤去されているのはちょっと辛いものがあります。
 もっとも、ここの場合、地階の劇場入り口のベンチは利用できますから、ぼくのような、とりあえず座りたがる老人に気を使っていらっしゃることは確かで、ありがたいことです。
 まあ、そういうわけですが、こういう変化に、思いのほか簡単に順応して、以前を忘れている自分が少し変だとは思います。
​​ で、今日は思いがけない体験をしました。やって来たアートヴィレッジの作品はブノワ・ジャコーという監督の「カサノヴァ 最期の恋」でした。​​
 一応、R18+という分類ですから、昔でいえば、「成人映画」というわけで、ちょっと、ときめきました。中に、女性の豊満な、白いお尻のシーンはありましたが、最後まで見た結果は、そういえばいえる程度だと思いました。
​ 希代の色男カサノバが、「若い娼婦にフラれた話」を、家庭教師をしている、これまた、もっと、若い女性に語る話でした。今話している、その女性とはどうなるのかという期待はまったく外れました。​
​​​​ カサノバマリアンヌ・ド・シャルピヨンという若い娼婦とのやり取りなのですが、こういう話を「恋物語」として見る感受性は、ぼくにはもうないことがよくわかりました。
 ​カサノバ​役のバンサン・ランドンという役者さんは、なかなか渋くて、上手な俳優さんだと思いましたし、相手役のステイシー・マーティンという女優さんも悪くなかったのですが、所謂「恋の葛藤」は退屈でした。​​​​
 それより、この映画は18世紀のヨーロッパの風俗映画として見ごたえがありました。会話に現れる人間模様もそうですが、男女の衣装や鬘、部屋の内装や庭の迷路、そして馬車です。
​ 大型の馬車の中で、カサノバがヒマな貴族のおばさん、失礼、御婦人と「ことに及ぶ」シーンには、思わず身を乗り出した​(ウソですが)のですが、すぐにカットが切り替わって馬車の外側からのシーンになってしまいました。
 フランス文学の鹿島茂さんに​「馬車が買いたい」(白水社)という名著がありますが、その中で、クーペとかセダンという、自動車の形式を呼ぶ用語は、みんな馬車の形式で使われていたものだという解説があったことを思い出して、目の前に映画に出てくる「馬車」のどれがクーペで、どれがセダンなのか、その中で不埒な行為はどうやって実行されるのか、まあ、興味津々という感じでした。


 というわけで、結構楽しい映画だったのですが、いちばんの経験は、それを一人で見たことでした。劇場借り切りの「個人上映会」だったのです。一人しかいないホールというのは、いわく云い難いものがありましたよ。
 ホールを出るときに、入場係の女性から「ご苦労様でした。」と声をかけられて笑ってしまいました。
 それにしても、こんな経験できたのも、新コロちゃんのせいでしょうね。まったく困ったものです。
  監督 ブノワ・ジャコー
  製作 クリスティナ・ラルサン ジャン=ピエール・ゲラン
  脚本 シャンタル・トマ  ジェローム・ボジュール  ブノワ・ジャコー
  撮影 クリストフ・ボーカルヌ
  美術 カーチャ・ビシュコフ
  衣装 パスカリーヌ・シャバンヌ
  編集 ジュリア・グレゴリー
  音楽 ブリュノ・クーレ
  キャスト
    バンサン・ランドン(ジャコモ・カサノバ)
    ステイシー・マーティン(マリアンヌ・ド・シャルピヨン)
    バレリア・ゴリノ(話を聞いている女性)
  2019年・100分・R18+・フランス・ベルギー・アメリカ合作
  原題「Dernier amour
  20200917神戸アートヴィレッジセンター


 

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最終更新日  2020.10.02 15:14:36
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2020.08.15
​​ジム・カミングス「サンダーロード」神戸アートヴィレッジセンター

​​ 
 二日前に見た「リーマン・トリロジー」の予告でかかっていた映画に心が動きました。ブルース・スプリングスティーン「涙のサンダーロード」
​​​という有名な曲に合わせて、主役を演じる監督ジム・​​カミングス12分間ワンカットで踊るというのです。
 炎天下の814日、兵庫駅から、とりあえずブルース・スプリングスティーンを映画で聞けるという目論見に燃えて(ちょっと大げさ?燃えるように暑くて死にそうだったけど)、汗まみれでやって来たアート・ヴィレッジです。​​​
 受付で顔なじみのOさんに出会ってご挨拶です。
「シェークスピアの講座再開しますよ。」
「やっぱり、zoomとかで?」
「そうそう、今、打ち合わせの最中で、秋にはやれそうです。」
「ぼくも、zoom​ちょとできますからね。多分参加しますよ。今日はブルース・スプリングスティーンのこの映画ですけど。」​
「この映画のためにCDも売ってるんですよ。タワー・レコードさんに持ってきていただいてるんですが、売れなくて。どうですか一枚。」
 とかなんとか、お久しぶりのあいさつなどしながら着席しました。
​​ 映画が始まりました。どうやら葬儀の会場のようです。警官の制服に身を固めた男が司会者に呼ばれてスピーチを始めました。
 母親の死に際して、いろいろ話すのですが、要領を得ません、とうとう、用意したラジカセを取り出し、ダンスの先生をしていた母親が好きだった曲に合わせてダンスをするようです。曲はブルース・スプリングスティーン「涙のサンダーロード」のようです。​​
「おっ、いよいよ始まりましたね。」
 期待は高まりますが、画面に音は流れません。持ってきた娘のラジカセが不調で動かないのです。
 で、彼は音楽なしで、それも警官の制服で、踊り始めます。映画の中の弔問客もそうですが、映画を見ているぼくはどうしていいのかわかりません。踊りだけ見ていても音楽がわかりません。チンプンカンプンです。
 すると、タイトルが浮かび上がりました。ここまでが前説、ここからが本編らしいのです。
 母親の葬儀で、一人で踊った男の苦闘が始まります。イカレタ奴というわけです。妻に去られ、娘に愛想をつかされ、友人ともうまくいかない。とうとう、娘の親権を失い、やけになって仕事でも失敗し、いよいよすべてを失って・・・・。
 見ているぼくは、受付でCD​​まで用意しているブルース・スプリングスティーンの行方が気になり続けです。スプリングスティーンのどの曲が、どこで、どんなふうに聞こえてくるのでしょうか。もう、映画は終わりかかっています、ええーまさか?


​​
 映画は、最後にもう一度、最初のシーンに戻ります。ここで漸く、さては、と思い至りました。この映画に「音楽」はいらない、いや。アメリカの観客には必要ないというべきでしょうか。

 そうです。​​スプリングスティーン​​かからなかったのです。ノンビリCDを買っている場合ではありません。汗だくで自宅に帰り着いたぼくは、もちろんヘッドホンをかぶって「涙のサンダーロード」をかけました。​​
​ 音楽が聞こえ始めて涙がこぼれてきて、納得しました。映画は、ブルース・スプリングスティーンに対する、正真正銘のオマージュでした。​

Oh Thunder Road 
Oh Thunder Road 
Sit tight 
take a hold

​ ​​映画の中で悪戦苦闘していた警官ジム・アルノーの顔が浮かびます。母の葬儀でなぜ彼がこの曲で踊っている時も、最愛の娘クリスタルと共に歩もうとしたときにも、この曲が聞こえ続けていたのです、きっと。
 全く不思議な映画でしたが、アメリカの人の多くはこの曲をすぐに思い浮かべることができるのでしょうね。だから、むしろ音楽はいらないのです。最後のシーンで、アメリカの観客たちはこの歌詞を合唱していたに違いないのです。
 そのことに、ぼくは​スプリングスティーン​の声を聴き、歌詞を読んでようやく気付いたという次第でした。前説に、すべてが映っていたのでした。

 それにしても、元の短編では曲にのって踊ったようです。そっちも是非見てみたいと思いました。
  監督 ジム・カミングス
  脚本 ジム・カミングス
  撮影 ローウェル・A・マイヤ
  美術 ジョスリン・ポンダー
  衣装 ミカエラ・ビーチ
  編集 ジム・カミングス  ブライアン・バンヌッチ
  音楽 ジム・カミングス
  キャスト
     ジム・カミングス(警官ジム・アルノー)
     ケンダル・ファー(娘クリスタル)
     ニカン・ロビンソン(同僚警官ネイト)
     ジョセリン・デボアー(別れた妻ロザリンド)
  2018年・92分・PG12・アメリカ  原題「Thunder Road
  20200814神戸アートヴィレッジセンター


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最終更新日  2020.08.15 00:21:31
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2020.06.22
​​ファリボルス・カムカリ「水と砂糖のように」神戸アート・ヴィレッジ・センター

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​ ​ゴジラ老人シマクマ君の映画館徘徊、今日は神戸アート・ヴィレッジの「復活の日」です。実際にはアート・ヴィレッジは先週の土曜日から復活していたようですが、土・日を何となく避けて、今日が復活の日です。
​​


 ​​いつものように、あんまり人通りはありません。ヒゲのじーさんの存在感がなかなかでした。ちょっと早めに着いたのですが、ロビーにベンチがないのイのがザンネンです。まあ、しようがありませんね。
 今週のプログラムはこんな感じです。


 で、今日のぼくのお目当ては​​​ファリボルス・カムカリという人が作った「水と砂糖のように」ですね。カルロ・ディ・パルマというイタリア映画の撮影監督の、何というか、伝記的ドキュメンタリーらしいです。​
 
ブライアン・デ・パルマという名前の映画監督なら知っていますが、カルロ・ディ・パルマという名前は知りませんでした。
 だいたい、撮影監督というポジションが映画を作るうえでどういう仕事をするのかという、まあ、一番基本的なことさえ知りません。だから、今日は「お勉強」のつもりでやって来ました。
 でも、ちょっと下調べをしてみると、
カルロ・ディ・パルマという人がかかわった映画というのが、こんなふうに出てきました。​

ミケランジェロ・アントニオーニ『愛と殺意』『赤い砂漠』『欲望』。
ルキノ・ヴィスコンティ『揺れる大地』。
ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』。
ヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』。
ジッロ・ポンテコルヴォ『ゼロ地帯』。
フロレスターノ・ヴァンチーニ43年の長き夜』。
ピエトロ・ジェルミ『イタリア式離婚狂想曲』。
マリオ・モニチェッリ『ブランカレオーネ軍団』。
エットレ・スコラ『ジェラシー』。
カルロ・ディ・パルマ『女泥棒テレーザ』『冒険が始まる場所』
ベルナルド・ベルトリッチ『ある愚か者の悲劇』。
ウディ・アレン『ハンナとその姉妹』『ラジオ・デイズ』『アリス』『地球は女で回ってる』​
​​ ​半分も見てはいませんが、アントニオーニヴィスコンティロッセリーニ、ときて、ウディ・アレンですよ。これは見ないわけにはいかないじゃありませんか。というわけで、結構、勢い込んでやって来ました。
 で、受付でチケット買う時に面白い体験をしました。カメラ上の機器の前に立つと受付のお嬢さんが,おもむろにおっしゃいました。
「36度3分。大丈夫です。」
「えっ、なに?」
 笑いそうになりました。ここ数年、健康診断とかで36度を超えたことがなかったということもありますが、身体に触れることなく、突如、体温を測られるという不思議ですね。
 ようやく、地下のホールに入場です。始まりました。知らない女性が映画について語っています。カルロ・ディ・パルマを紹介しています。続いてスクリーンに出てきたのがケン・ローチ、ベンダース、オオ、オオ、って言う感じです。
 映像は過去のフィルムと撮影者カルロと、彼と一緒に仕事をした監督や俳優の語りです。
 構成、色、明るさ、焦点対象、カットの時間、具体例で示されてゆく「映画」のできあがり方です。
 今となっては懐かしい記憶の中、アントニオーニの映画の衝撃的な赤のイメージや、最初に見た時からハリウッド映画ではない印象で、それがウッディ・アレンの「けだるさ」としてぼくの中にあったものに、方法上の根拠があったことが示されていくのはとても刺激的でした。
 もしも、今から、二十代の頃のような映画に対する執着を自分のなかに掻き立てる気があるのなら、ぼくはこの映画を繰り返し見て、引用されている作品をなんとか見ようとするでしょう。
 ただ、「いいなあ」と思うだけではなくて、そんなふうに感動してきたシーンが、どうやって「創作」されてきたのか。
 映画が監督一人によってではなくて、撮影者や音楽家や、大勢のスタッフによる共同作業で出来上がっていることは知っているつもりでした。しかし、「映像」は作られているという、考えてみれば、当たり前の事実を、こんなに直接的に突き付けられたのは初めてでした。


 ヴィスコンティデ・シーカ、そして誰よりもウディ・アレンの映画をもう一度見たいと、マジ、思いました。
 それらの映画には、ぼくにとっては決して見たことのある映画ではすませられない、「新しさ」に満ちているに違いないのですからね。
 まあ、ノンビリ、どこかで上映してくれるのを待つことにしたいと思います、
 アート・ヴィレッジの「復活」の日も、やはりニュー・シネマ・パラダイスの夢を掻き立ててくれました。
 それにしても、カルロ・ディ・パルマって「男前」だと思いませんか。ぼくはピアニストのポリーニを思い出したのですが。

​​
監督 ファリボルス・カムカリ
製作 アドリアナ・キエサ
脚本 ファリボルス・カムカリ

キャスト
ケン・ローチ
ビム・ベンダース
ベルナルド・ベルトルッチ
ウッディ・アレン
アレック・ボールドウィン
ジャンカルロ・ジャンニーニ
2016年 90分 イタリア
原題「Acqua e zucchero: Carlo Di Palma, i colori della vita
20200615神戸アートヴィレッジセンター


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最終更新日  2020.06.22 00:10:50
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2020.01.23
​​​​​​広瀬奈々子「つつんで、ひらいて」神戸アート・ヴィレッジ・センター


 我が家の同居人チッチキ夫人は本屋さんで働いているパートさんです。で、本が好きです。「つつんで、ひらいて」のチラシを持ち帰って来たのは彼女です。​

「これ、ええと思わん?」
「うん、見に行ってくる。」
「エエー、仕事やん。」
「ぼくはヒマやん。今日で最終やし。」
​「エエー、私はどうなるの?!」​
​​​​​​​​​​​​​​​というわけで、金曜日の朝の10時過ぎ、シマクマ君は一人でアート・ヴィレッジにやって来たのでした。座って、持参のポットからコーヒーを飲んでいると始まりました。
 手が映し出されて、なにかが印刷されている紙をクシャクシャにしながら筒状に丸めて、雑巾を絞るようにしてから開きます。もう一度繰り返して、机に広げてしわを伸ばして、コピーをとりました。
 「酒と戦後派」という太めの文字にひびが入ったようになりました。手の持ち主は、納得したようです。この方が、本を「こさえて」いる人、菊地信義ですね。本の中の文章を書いた人は埴谷雄高です。
 もう、このシーンで映画を見ているぼくは「ウフフ」という気分です。しかし、映像は畳みかけてきます。今度は「雨の裾」、五年前に出た古井由吉の短編集の表紙が出てきました。「雨」という文字が写ります。


 この本です。「雨」の文字が独特で、金箔です。カバーにはカーテンのような透かしがあって向う側にもう一人の女性がいます。カバーを取ると表紙、色はご覧の通りで、緑がかった灰色で、手触りが独特です。それをあけると中表紙があってレンガ色です。そして、栞の紐の色がもう少し鮮やかな赫。


 それから「帯」、ぼくは「腰巻」と呼んでいますが、色は白です。透けて見える丈夫そうな紙質で、透かし模様が入っていて、なんと、この本の場合、その模様は一冊一冊すべて違ってくると装丁家菊地信義が語っています。

「えっ、一冊ずつみんな違うって?」

 帰宅して書棚を探し、見てきた映像を思い出しながら「雨の裾」をコピーしてみました。ああ、何ということでしょう。腰巻がありません。ぼくは、読んでいて邪魔になる腰巻を捨てることはありませんが、栞代わりに本に挟んだり、ちょっと横に放りだしたりすることがあるのですが、その結果でしょうか。まさか、腰巻にこの本の唯一性が宿っているなんて思いもしませから、いい加減に紛失したに違いありません。ああ、今となっては後の祭りです。​

 ここまでが装丁家の仕事。しかし、映像は続きます。印刷、製本、カバーを掛けて、短冊を入れて荷造り、そして出荷。機械が菊地信義の作品に対する「読み」が込められたデザインの「表現」を形に作り上げてゆきます。この一連のシーンの機械も、職人さんの動きも楽しい。本が出来上がっていきます。
 出来上がったばかりの「一つつみ」の同じ本を書斎に持ち帰り、積み上げたり、広げたり、並べ直しながら装丁家がデザインの意図を語ります。
 映画の立ち上がりからここまで、一冊の本が出来上がる工程と、ほっとした顔をする装丁家をカメラは捉えています。もう、うっとりするしかありません。
 作家の古井由吉や、菊池のお弟子さん(?)の水戸部功をはじめ、多くの人が語ります。どのシーンのどの言葉も​菊地信義​という「本をこしらえる人」の内側にあるものを浮き彫りにしていく言葉です。
 湘南の海と海を見ている​菊地信義​の姿が写りました。ぼくは手の仕事として「本」を作る時代が、今、去りつつあることを感じました。

 のんびりした歌が聞こえてきて映画が終わりました。

 フーと息が抜けて、しばらく座り込んでいましたが、しようがないので立ち上がって、受付でパンフレットを買いました。


 そこから、神戸駅に向かって、ちょっと急ぎ足で歩きました。ひょっとしたら仕事に向かうチッチキ夫人に、このパンフレットを見せる事が出来るかもしれないと思ったのです。
 ザンネンながら遭遇することはできませんでしたが、夜になって帰宅した彼女は書棚からあれこれ本を取り出して奥付を調べたり、コピーしたりしているシマクマ君に聞きました。
「おもしろかったん?」
​「ああ、そのパンフお土産。装丁は菊地信義やで。」​
 翌日の土曜日、チッチキ夫人は十三の第七芸術劇場に出かけてゆきました。

 ​​​​​​​​​監督 広瀬奈々子
 プロデューサー 北原栄治
 撮影 広瀬奈々子
 編集 広瀬奈々子
 音楽 biobiopatata
 エンディング曲 鈴木常吉

 キャスト
  菊地信義
  
水戸部功
  
古井由吉
 2019年 94分 日本20200124
 神戸アート・ヴィレッジ

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最終更新日  2020.10.30 14:00:18
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2020.01.18
​​​​​イ・ジェギュ「完璧な他人」神戸アート・ヴィレッジ・センター

 今日は一月十七日です。神戸に30年以上お住まいの方にとって、特別の日です。あれから25年たちました。今朝も、あの日のように、少し曇ってはいますが、いい天気でした。

 というわけで、我が家では震災記念二人連れ映画鑑賞会を挙行いたしました。
​ 神戸アートヴィレッジセンター、午前10時45分、現地集合、作品は李 在奎「完璧な他人」でした。​
 凍った湖面に穴をあけるシーンを水中から映しているシーンから映画は始まりました。氷上では少年たちが魚釣りをしています。ここが海なのか湖なのか言い争いをしている二人がいて、それを止める二人がいます。
​​​ そこから三十年だかの時間がたったシーンに画面は変わります。あの日と同じ月蝕の夜のことです。「弁護士」、「豊胸手術の美容整形外科医」、「実業家」、「マッチョな体育教師」に姿を変えた「少年」達が外科医の食卓に顔を揃えています。今日は外科医夫婦の新築祝いに旧友を読んだという設定です。それぞれ美しい妻を同伴していますが、マッチョのヨンベ君だけは一人です。
 まずは、食卓に繰り広げられる料理の数々がなかなか楽しい。ホント、韓国映画はよく食べ、よく飲みますね。韓国料理はよく知らないのですが、いろいろ美味しそうです。
 やがて興が乗ってきた一同は、よせばいいのに、それぞれのスマホにどんな電話やメールが来るのか公開するという遊びを始めます。スマホにはスピーカーというシステムがあるようで着信や電話をその場に公開することができるというのが、この映画を成り立たせています。
 ピュアな「友情」を信じていた「少年」達はもちろん、愛し合い、労わりあっていた「愛情」を信じていたその妻たちも、れっきとした「大人」であることが暴露されてゆきます。他人事ながら結構ドキドキします。モチロン、他人事ですから大いに笑えます。
 結果的に、皆さん、一人の例外もなく、立派な「大人」だったことが判明して「月蝕」の夜の宴は終わります。

 「震災記念映画鑑賞会」を終えたシマクマ君チッチキ夫人の二人は、なかなかご機嫌でした。
 映画の結論によれば、「公的な生活」、「私的な生活」、「秘密の生活」という三通りの生活を実践できて初めて「大人の生活」らしいのですが、なんといっても、この二人は「スマホ」に縁がありません。というわけで、「秘密の生活」成立しません。ついでに言えば「公的生活」も怪しい。となると「私的」などということも、ひょっとしたら、もはや成り立っていないかもしれない。
 じゃあ「生活」そのものが・・・・。なんていう心配はご無用、兵庫駅の近所の「円満」なんていう、円満そのものの中華屋さんで、マーボー定食にタンタンメンなんて遅めの昼食。元気いっぱい、お腹一杯になって、ノンビリ御帰宅、炬燵でゴロゴロ。「無為徒食」な「生活」は確かにあるのです。
 ところで、この映画ですが、スマホとかチャキチャキ(どんな擬態語がいいのでしょう?)お使いになって、お仕事も交友関係もビシバシという感じの40代くらいの方ですね、そういう方が読者の中にいらっしゃるとしてですが、カップルあるいは御夫婦でご覧になることをお勧めします。きっと面白いことになるんじゃないかと思いますが。​

 監督 イ・ジェギュ 李 在奎
 音楽 モグ
 キャスト
   ユ・ヘジン (テス 弁護士)

   ヨム・ジョンア (スヒョン テスの妻 主婦)
   チョ・ジヌン (ソクホ 美容外科医)
   キム・ジス (イェジン ソクホの妻 精神科医)
   イ・ソジン(ジュンモ レストラン経営者)
   ソン・ハユン(セギョン ジュンモの妻 新婚 獣医)
   ユン・ギョンホ(ヨンベ 体育教員 独身)

 2018 韓国 116分英語「Intimate Strangers
 20190117神戸アート・ヴィレッジ

追記2020・01・18

「大人の事情」という2016年に公開されたイタリア映画だあるそうです。この映画はそれの韓国版リメイクだそうです。そういう意味で、話の展開はありそうな話なのですが、まごうかたなき「韓国映画」だと思いました。
 たぶん、モノの食べ方と、男女の会話の機微ですね。韓国語の響きということもあるとは思いますが、会話のテンポは韓国映画でした。それが、また、何となくおかしい。​


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最終更新日  2020.10.31 02:50:50
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2019.11.15
​​ マルコ・プロゼルピオ「バンクシ―を盗んだ男」神戸アートヴィレッジ


 
映画館のガラス窓のついた掲示箱に「バンクシ―を盗んだ男」というポスターがあった。​​

 ​「バンクシー?なんなんや、それ。名前か?」​
 これが、最初の感想。
​ 予告編で世界から熱い視線を浴びる覆面アーティスト、バンクシーという落書きの大将がいることを知った。落書きのの場所はベツレヘムの壁の、イスラエル側じゃないヨルダン側、それが「こっち」側だ。。​
 映画は、そこが戦場であることの告知から始まる。パレスチナ、イスラエル、そして壁。壁の上に突き出た監視塔からズーっと「こっち」を見張っている奴がいる。
 壁を作りたがった人びと、壁を作った人々、今でも、壁を作りたがっている人々。監視塔を立てて、見張りたい権力者。
 中国4000年の歴史を振り返るまでもなく、「壁」は権力によってつくられる。その壁に落書きをするという行為、それ自体に拍手したい気持ちが、ぼくにはある。
 壁を作りたがる権力は、きっと、何かを恐れている。監視塔から見張っている、恐れている奴らは、壁に書かれた落書きを笑って見ることが出来ない。

​​ 壁には無数の落書きが書かれ始める。その中に「ロバと兵士」「花束を投げる兵士」の落書きが生まれる。


​​
 落書きを見て、ロバ扱いされたと腹を立てる気持ちはわかる。しかし、ロバ扱いして、人びとを壁で囲い込んだのは落書き画家ではない、壁を作った権力者だ。
 いつでも、何処にでも、腹を立てると無茶をする気の短い人はいるものだが、ロバの絵を壁ごと切り取った人々は、どうも気が短くてやったわけではないらしい。
 壁に対する怒りであろうが、平和への祈りであろうが、権力者に対する反抗であろうが、民衆に対するからかいであろうが、すべては商品化する。
​ 商品化した「落書き」はアートとしてオークションにかけられ、最初の姿を失う。壁を切り取ろうとする人々は「バンクシ―」という商品に関心があるだけで、値のつかない「落書きに」にはペンキを塗り付けるに過ぎない。それが「落書き」の始末の仕方なのだから。​
​ 「バンクシ―」と呼ばれ、億を超える値がつけられたアートを、美術館で鑑賞するとき、人は、いったい何を観ているのだろう。​
 壁の表面の商品部分を、巧妙に切り取る作業をしたタクシードライバーが、分け前をきちんと支払わなかった雇い主に対してなのか、不遜な落書き男に対してなのか、騒ぎたてる世間に対してなのか、きっと、自分でもよくわからない腹立ちの虜になっている姿で映画は終わる。


 ぼくは、腹立ち男に同情する。すべてを商品化することで、見捨てられる現実。日々、壁に隔てられ、監視塔から見張られて生きている人間がいることは、いつの間にか忘れられるのだろう。
 ​「ふざけるな!」​
 そう叫びたい現実が、世界を覆い始めている。いや、今や、覆い尽くそうとしているというべきか。
原題:「The Man Who Stole Banksy」
製作:2017年
製作:イギリス・イタリア合作 2018/10/20

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最終更新日  2020.10.19 22:07:49
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2019.09.25
​​​​​​​​​アダム・リフキン「ラスト・ムービースター 」​

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 ぼくにとっては二十歳の時に観た、1974年の映画、「ロンゲストヤードThe Longest Yard」で、囚人チームを率いたクォータ・バック、役名は忘れましたが(ポール・クルーだそうです。)、それがバート・レイノルズです。ロバート・アルドリッチ監督が描いた、痛快スポーツ・アクション。神戸にやって来た頃、封切りで見ました。いまだに、ラストの快感が忘れられません。
 その頃、彼は、全裸の写真とかで物議を醸していて、ちょっとイカレタ、俳優でしたが、ぼくは「ロンゲストヤード」にイカレて、名前を覚えたのでした。
 そのレイノルズが、昨年(2018年)、亡くなってしまっていたことには気づいていませんでした。今、評判の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にもキャスティングされていたらしいのですが、撮影に入る前に亡くなったそうです。というわけで、この作品「ラスト・ムービースター」が、イカレタ俳優バート・レイノルズのラスト・ムービーになってしまったらしいのです。
 老衰の飼い犬の安楽死に立ち会う老人。何だか、侘しげで、投げやり感もただよう「老い」の生活。往年のセックスシンボルも、いよいよ年貢の納め時かと思わせるシーンですが、その、「元」映画スターの老人ヴィック・エドワーズ(バート・レイノルズ)のもとに届いた、怪しげな映画祭への招待状が事態を一変させてしまうのでした。やっぱりネーと、納得の、いかにもB級の匂いむんむんの痛快が始まりました。
 イカレタ映画狂いの若者たちに「ビンボーくせー!」と真っ向勝負。愛犬の心臓病の薬を間違って飲んで気力充実。夜の街の女の子を見かけるとバイアグラをさがして、アタフタ。とどのつまりは、認知症ですべてを忘れてしまっている昔の恋人と見事にランデヴー。イカレタ男、バート・レイノルズ君、健在!
 彼をエスコートする、これまたイカレタ、イラストレイター、アリエル・ウィンター演ずる「リル」もサイコー!
 ​正直、​​「運び屋」のイースト・ウッド​​も、​「さらば愛しきアウトロ―」のレッドホ-ド​も​真っ青!といっていい出来栄えです。
「年取ってまで、いつまでも、気取ってるんじゃねーよ!シャラクセー!」
 なんだか、そんなふうに、堂々と啖呵を切って、御両人の向こうを張ってる「老い」っぷり。最後は泣かせて、笑わせて、しみじみさせる。みごとなものでした。
 「まだ、まだ、これからだよ!」
 そういって、映画は終わります。チラシの写真も実に愛嬌があるじゃないですか。


 ところが、御当人、暢気なファンが気付いたころには、さっさと、この世をオサラバしているんだから、引きっぷりも見事というべきでしょうね。心から冥福を祈りたい気分になる幕切れでした。
 「あの世」でも、きっと、バイアグラ片手に、手あたり次第、「女性」と見れば口説いて回ってるに違いないナイスガイ、「バート・レイノルズ」サヨウナラ!
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​​​監督 アダム・リフキンAdam Rifkin
製作 ニール・マント  ゴードン・ホワイトナー  
   
アダム・リフキン  ブライアン・キャバレロ
製作総指揮 ブレット・トマソン  エリク・クリッツァー
脚本 アダム・リフキン
撮影 スコット・ウィニグ
美術 ブレット・A・スノッドグラス
編集 ダン・フレッシャー
音楽 オースティン・ウィントリー
キャスト

  バート・レイノルズBurt Reynolds(ヴィック・エドワーズ)
  アリエル・ウィンター (リル)
  クラーク・デューク
  エラー・コルトレーン
  ニッキー・ブロンスキー
  チェビー・チェイス
2017年 103分 アメリカ 原題「The Last Movie Star」
2019・09・18(記事中の画像はチラシの写真です)
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​追記2019・09・24​
 どうして、この映画は、あんまり注目されてないんだろう。派手なところではやってないようだけれど、かなり、ハイレベルだと思うんですがね。ぼくは、絶賛なんですが。
​​​追記2020・02・17
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」​も観ました。モチロン、レイノルズ君は出ていませんが、誰の役だったんだろうって、ふと思いました。感想はクリックしてみてくださいね。​​​


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最終更新日  2020.10.13 11:19:46
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2019.09.01
​アルベルト・セラ「ルイ14世の死」神戸アートヴィレッジセンター


 
やっぱりここも数年ぶりでした。神戸アートヴレッジセンター。​​
ある時期、ここでしか映画を観ないようなときもあったのが、ここのところご無沙汰。
 ​​​​観た映画はスペインの鬼才と呼ばれているそうでだが、ぼくは、もちろん知らないアルベルト・セラという監督の「ルイ14世の死」。​​​​
 鬘なのかな、違うのかな、最後まで分からない、優雅といえば優雅な巨大な頭の男がベッドに寝ている。
​​ この男はどこかで見たことがあるという既視感はあるのだけれど、誰だかわからない。あとでわかったことだけれど、トリュフォーの映画に出ていたジャン・ピエール・レオという名優らしいが、トリュフォーを見たなんて、そんな昔のことはわからない。​​
 この男がルイ14世であるらしい。男は寝ている。いびきをかいている。うなされている。突如、苦しみを訴えている。水、水、と叫んでいる。会議に出たいとかあれこれわがままを言っている。ボンヤリ目を開けている。ときどきビスケットを食べてワインを飲んで拍手してもらっている。食事を嫌がっている。。医者の治療を受けている。宗教的秘跡を受けている。

 ​観ているぼくも寝ている。


 寝ている男の視線のゆくへがわからなくなる。静かに臨終が告げられる。ぼくはフィルムが始まって100分以上経ったことを、こっそり確認する。

 ここで映画が終われば、フランス宮廷風老人介護ドキュメンタリーフィルムを観ながら昼寝をしたという報告しかできなかっただろう。
 しかし、鬼才と呼ばれる男は「太陽王」と呼ばれた男をただの人間、いや、死体?へと突き落とすシーンと、最後の名セリフを用意していた。


 いやはや、なんとも。しかし、普通の観客は寝ていて気付かないんじゃないかと、ぼくは思った。
 
​​これから、映画を観る人は最後の最後まで居眠りせずに起きておくように。2018/07/23
追記2019・08・28
 昨年の7月にアート・ヴィレッジで見た。イメージだけ、印象として残っている。しかし、記録に書いている、何が起こったのか、なんというセリフがあったのか、全く覚えていない。困ったもんだ。
追記2020・02・22
 ちょっと編集していて、王様の寝姿は結構印象に残っているんですが。やっぱり気にかかった。最後のセリフは何だったんだ。何でもいいから書いておきなさい。自分で引っかかって落ち着かない。記事を書くときは」ネタバレ」を気にしたんだろうなあ。いや、ほんと。どなたかご存知の方はいらっしゃらないのですかね。
 


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最終更新日  2020.10.29 20:35:51
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2019.08.17
​​​​​​​​​​ウィリアム・フリードキン「恐怖の報酬Sorcerer」神戸アートヴィレッジセンター


 ウィリアム・フリードキン監督といえば、なんといってもジーン・ハックマンと一緒に思いだす「フレンチコネクション」。もっとも「フレンチ・コネクション」のジーン・ハックマンは「フレンチコネクション2」のほうが印象深くて、マルセイユの突堤を走りに走って「シャルニエ!」の一声は、忘れられない。そうなると、監督がジョン・フランケンハイマーで、彼はもう亡くなっている。フリードキンの「フレンチコネクション」はニューヨークが舞台のほうだ。​​​​​​​
​ さて、「恐怖の報酬」だ。投資に大失敗したフランスのアホ投資家(ブルーノ・クレメル)、パレスチナの爆弾テロリスト​(アミドウ)​、ナチス残党狩りで稼ぐ殺し屋​(フランシスコ・ラバル)​、そしてマフィアに追われるチンピラギャング​(ロイ・シャイダー)​


 この四人組が世界の果てのような密林でトラック旅行218キロ、積み荷はニトログリセリン。こう書くと簡単そうだが、これがまあ、大変。

 それぞれ地の果てまで逃げなきゃしようがない事情を抱えた4人組。矛盾しているようなものだが、命を懸けても金と命の保証がほしい。
 捨てられていたオンボロトラックの部品を寄せ集めて運送用のトラックが出来上がっていくのは、なかなか興味津々だし、パレスチナのテロリストとユダヤの殺し屋がにらみ合い始めると、どうなることかと別の心配まで始まる。
 何はともあれ、なかなかアジなメンバーの4人組、二台のトラックで、いよいよ出発。
 圧巻は釣り橋のシーンだ。ポスターにもなっているけれど水面までの高さは思ったほど恐ろしい橋じゃなかった。もっとも、ニトロの積み荷が、いつ爆発するかという不安があるから、河の水をかぶって、トラックごと揺れるほうが、ホントは怖い。だから見ていて、ちゃんとドキドキする。
「あわわわわ。アッはまっちゃった。アッ手が出てきた。助かった。」
「あっ、ロープ切れる。ヤバい。わー、木がが流れてきた。どうすんねん。」
 というようなわけで、こぶしを握り締めながら、息を止めて、ドキ、ドキ、ドキ、ドキ。
「まあ、どうせうまくいくんやろ。」​
 タカをくくって観ていたはずなのに、やっぱり、疲れた。ようやく橋を渡り終えると爆弾男の腕の見せ所があって、これがトラック作りのおもしろさに勝るとも劣らないシーン。​一難去って、また一難。ドンドンたたみかけてくる展開は目が離せないうえに、繰り返しドキドキしっぱなし。
「それでも、まあ、これで、蛇が出てこなかったからまだましや。道らしい道になっったし。あと数キロやな。」
 と、ほっとしたところに落とし穴があった。​
如何にも出そうで要注意だったのは、蛇ではなくて、何でもない石ころとゲリラだった。舞台が南米なので蛇が気になってしようがない。でも、違いました。
 道をふさいだ大木を、知恵と勇気で処理した爆弾男と銀行員が載ったトラックは道端の石ころに躓いて、あっという間にドカンとなってしまうし、ピストルが自慢の殺し屋には人間相手の撃ち合いが待っていた。
「やれやれ、まだ終わらへんねや。もうそろそろ疲れたなあ。」
 ニトロは無事到着し、4人分の報酬とパスポートを手にしたロイ・シャイダーの渋いというか、複雑な表情を見ながら、確信した。

「いや、まだ、終わらへんぞ。」​

 ・・・・・・・・・

​ 「やっぱりな。」​

​  ロイ・シャイダーといえば、「ジョーズ」なんだけど、そういえば、「フレンチ・コネクション」ジーン・ハックマンの相棒の警官も彼だった。まあ、耐え続けて、あきらめない、それが実に似合う。​
​​​​ 40年前に超自信作「Wages of Fear」で公開したのだが、「スターウォーズ」登場に蹴落とされた作品のオリジナル版だそうで、監督フリードキン執念の再公開なんだそうだ。​​​​
​ 当時の公開でカットされていたシーンを復元し、原題の「Sorcerer=魔術師」に戻して真価を問い直したらしい。

​ 面白く、堪能したが、「魔術師」の意味は解らなかった。付け加えれば、いい意味でも、ひょっとしたら悪い意味でも、すこし古い感じがした。このタイプの冒険活劇映画で、新しい、80年以後の映画をそんなに見ているわけではないので、あてずっぽうだし、なぜそう感じたのかもわからない。筋立てとか、展開ではなくて、画面の印象だ。
 ホントに、長い間欠席していて、久しぶりに出席した映画館は疲れる。そんな感じがの映画でした。​


監督 ウィリアム・フリードキン
原作 ジョルジュ・アルノー
脚本 ウォロン・グリーン
撮影 ジョン・M・スティーブンス
キャスト
ロイ・シャイダー=ジャッキー・スキャロン 別名ドミンゲス
ブルーノ・クレメル=ヴィクトル・マンゾン 別名セラーノ
フランシスコ・ラバル=ニーロ
アミドウ=カッセム 別名マルティネス”
ラモン・ビエリ=コーレット
原題「Sorcerer=魔術師」
1977年  アメリカ  121分​​

2018/12/21
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最終更新日  2020.10.13 21:18:19
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