ベランダだより 2022年6月30日 「そしったら咲きました!団子丸!」」
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2022.07.01
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全5件 (5件中 1-5件目) 1 読書案内「くいしんぼう」
カテゴリ:読書案内「くいしんぼう」
阿部直美「おべんとうの時間がきらいだった」(岩波書店)
![]() このところハマっている「おべんとうの時間」のライター、阿部直美さんのエッセイですが、あちらこちらに書かれた短い文章を集めた本ではありませんでした。一冊、同じテーマで書き下ろされた(?)、いわば、私小説風、あるいは「生い立ちの記」風エッセイです。 少女時代の暮らしから始まり、高校時代のアメリカ留学体験、大学を出て働き、阿部了という写真家との出会いと結婚、子育て、そして、今や「お弁当ハンター」の異名を持つ人気ライターとしての暮らしまでがつづられています。 見ず知らず人の「お弁当」を覗いて、日本国中を旅する写真家とライターの夫婦がいます。全日空の機内誌で好評を得て、「おべんとうの時間(1~4)」(木楽舎)という単行本のシリーズも人気の仕事です。そんな仕事で、ライターを務める阿部直美さんは、実は、「おべんとうの時間」がきらいだった。 はてな、それはどいうことでしょう?というのが、人気シリーズ「おべんとうの時間」の読者が、この本を手に取る最初の動機であるという意味で、絶妙のキャッチコピーと言えるわけです。が、本当にきらいだったことが、お読みになればわかります。 「ここに座れ」 この半自伝的エッセイで、最もキャラの立った人物は父マサユキさんです。彼をめぐる「恐るべき」エピソードの多さももちろんですが、上にあげた父親の描写は、実は、繰り返し登場します。 こういうタイプの父親に育てられた経験のある方なら、きっとわかると思うのですが、阿部直美さんにとって「ここに座れ」は、もう、トラウマといっていい言葉であり、それと一緒に思い出される「家族の食事」の風景は、ひいては「家族」そのものが思い出したくない「思い出」の最たるものだったに違いないのです。だから「家族」を思い起こさせる「お弁当」もまた、おなじトラウマの圏域にあったものだったに違いありません。 そんな、直美さんが「おべんとう」と、それを食べる人に興味を持って写真を撮り始めた写真家、阿部了さんの仕事を手伝うようになって変わっていきます。 それが、本書の第Ⅲ部「夫と娘」の章段の鍵ではないでしょうか。二人の間に生まれた「ヨウちゃん」の子育ての体験も苦労の連続なのですが、「家族」をつくり始めた直美さんの「おべんとう」を見る眼は変わっていきます。 最後の章段「父の弁当」で、父マサユキさんの死にさいして、父親が好きだった「おべんとう」の姿が、語られます。 その筆致にはトラウマを超えた娘の、アトピーで苦しむ娘を育てた母親の、人様の「おべんとう」の話を聞き続け、「家族」とは何かと考え続けている一人のライターの「愛」を感じるのは僕だけでしょうか。 なんだか、大げさに持ち上げましたが、「おべんとうの時間」の写真家、阿部了さんが人様のお弁当を相手に1時間も2時間もかけて写真を撮っているという、制作裏話には笑ってしまいました。 面白いう本というのは、そう簡単にできるものではないのですね。イヤ、納得しました。 ![]() ![]() ![]()
最終更新日
2022.06.02 02:19:24
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2020.09.23
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間 4」(木楽社)
朝5時に起きて、まず米を研いで炊飯器のスイッチを入れます。それくらいは、まあ自分で。弁当は、母につくってもらいます。
ご飯が好きなんですよ。朝はご飯と味噌汁、納豆、牛乳を1本。牛乳は、背が伸びるようにって子供の時からの習慣です。 子どものままです。純真無垢、間違いありません。そんな門間さんが仕事についてこういっています。 今日の午前中は味噌の仕込みでした。結構好きなんです。筋トレと思ってやるといいんです。この辺りの筋肉を使っているなと意識すると、楽しめる。逆に、筋トレと思わないとシンドイです。ひたすらスコップで米麹を掬って、コンベヤーに載せる作業なんで、今日は2~3トンですかね。 こういう方が、作っている醸造所の醤油や味噌はおいしいでしょうね。ホント、心からそう思います。 ここには、分娩台はないんです。あれは医療者にとっては楽な高さですけど、台の上でスポットライトを浴びて息むのは、ちょっと抵抗あるわよね。 私が子どもの頃はまだ自宅出産でね、弟が生まれる時、階段に座ってじっと待ってたの。産声が聞こえてすごくうれしかった。 ぼくにも、自宅で妹が生まれた時の似た体験があります。こういうお話を聞くと桑江さんの「お仕事」や「世界」に対する「かまえ」がどこから来たのか、ちょっとわかるような気がします。 ![]() にほんブログ村 にほんブログ村 ![]()
最終更新日
2022.05.14 11:58:03
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2020.09.10
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間(2)」(木楽社)
![]() 「おべんとうの時間(2)」(木楽舎)の表紙の女性は熊本県の山の中の村で働いている村田佐代子さんです。愛林館「村づくりスタッフ」という肩書がついていますが、看護師になってほしかった看護師の母親の希望を振り切って、山の仕事を職業に選んだ方です。 「愛林館」との出会いは、高校2年生の夏です。ここが主催する自然林の下草を刈るボランティアに参加しました。実は内心ビビってて1泊で帰るつもりが、参加者が面白い人ばっかりで3泊したんです。夜大人たちはお酒を飲んで、民族楽器を叩くんですよ。いろんな生き方があるんだなあって、思いました。 わたしは山の仕事の時から弁当作ってますけど、ご飯とおかず1品とかですかね。今日は、頑張っちゃいました。クレソンの胡麻和えは、よくやるんです。この辺は店がないから、一品持ち寄りで宴会するんですけど、「棚田で摘んできたよ」って言うと喜ばれて、私の料理無精もバレないのがいいんです。 若い人が自分で作った「おべんとう」を食べながら、なんというか、なんか、座り込んでこの本を読んでいる、まあ、老人のシマクマ君も元気が出そうな生き方をしておられるのがうれしいですね。 おにぎりを2個持ってきて、お客さんがいない時に隅っこの定位置に座って食べるんです。職人っていうのは、皆そうだと思うけど早いよ。あっという間。喉つまりしないように、湯を飲みながらね。白湯でいいんです。 3月11日の地震の時、お客さんはいたんです。ちょうどやり終わって、椅子を起こそうって時だったんです。すぐ逃げてくださいって帰ってもらって、女房を高台のお寺さんまで連れて行きました。私は消防団員ですから、まず水門を閉めて、その後ポンプ車で小学校へ行きました。 この一帯1000軒くらい建ってたと思います。何もかもが流された場所に戻って店やるなんて、馬鹿だなあってひとは思ったかもしれません。うちのは、反対だったんです。相談した6月は、まだ余震が凄かったしね。でも、この場所だったらすぐ裏が高台だし、20数年消防団員やってるし、何かあったらとにかくお客さんと自分の命は守るからって説得して、8月にプレハブを建てたんです。いま女房がやってる場所だって同じ田老なんだけど、なんかね、生まれ育ったここの空気を吸いたかったのかな。流されなかった高台の人たちが、宮古市街まで行って髪を切ってるって聞いてね、だったら俺が戻ろうって。 被災して、初めて、職人しててよかったなあって感じました。親に感謝ですよ。だって、親がやってなかったら、絶対にやらなかったもの。 散髪屋さんだった家に生まれて、親の仕事を仕方なく継いで、結婚して夫婦で働いて、大きな津波に何もかも流されて、津波の最中にも町の消防団でみんなの生活と命の世話をして、仮設住宅で暮らしながら、なにもなくなった町にプレハブのお店を出して、流されなかった近所の人たちが遠くまで行かなくても「頭はおれが刈ってやるよ。」って、また元の場所で仕事を始めた人が、「職人しててよかった。」とつぶやきながら、お店の隅で、大きな握り飯を頬張り白湯で流し込んでいます。 ふと思いついて「おべんとうの時間(1)~(4)」の投稿記事を修繕していますが、やっぱりお弁当って、なんかありますね。若いお母さんがたが、それぞれの子供さんたちに作っていらっしゃるのを見ても、立ったまま食べられるからといって、大きな海苔巻きの写真があったりするのを見ても、なんか、心が微妙な動き方をするのです。これは、なんなんでしょうね。「お弁当」を食べるって、なんか、人は一人だけで生きているんじゃないってことを、教えてくれるところがあるのかもしれませんね。 まあ、一人で握り飯を握ってお弁当にしている人も、きっといるわけで、一概にはいえませんが、なんか、そういう意味を感じます。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね!
最終更新日
2022.05.13 09:39:55
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2020.09.09
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間」(木楽社)
今日、私が持ってきたのは、カボチャの煮物です。それ以外は、他の人が持ってきてくれたの。魚はさっきここの火で焼いたばっかだし、トウモロコシも海水で茹でたばっか。美味しいよ、火があるっていいよね。 海女をやってどれくらいになるんだろ。あの頃、娘たちはまだ幼稚園に行ってたから27年くらいか。子どもがいて、外に働きに出られないわけでしょ。暇だし、海が好きだから潜ってたの。そしたら、はまったんだよね。 昔はさ、海の口が開いたって言ったんだけど、年に数回ある大潮の時は、小学校も休みだった。天草(てんぐさ)を採る日ってこと。子どもたちは、みんなして近所の海に入って天草採り。組合に持ってくとお金くれたから、頑張ったよね。次の日、校長先生が、「みんないっぱい採れましたか?」って、聞いてたっけ。 子どもの頃ね、母が帰ってくると「かあちゃん、かあちゃん、弁当箱ちょうだい」って言ったの。「ほらよ」ってくれた弁当箱の中に、焼いたサザエが入ってた。海女小屋で焼いたんだよね。なんか嬉しかったの覚えてる。でもね、あの頃、私が海女小屋に行くと怒られたの。ここは子どもの来る場所じゃないって。今はそれがわかる。小屋はひとつの社会で、私も先輩たちから、いろいろ教わってここまできたから。 磯の鮑は天で採る。昔、おばあちゃんが言ってたの。空が照ってれば、海の中が見えるから鮑がとれるってことなんだけど、もう昔みたいには採れない。海に鮑がいないんだから。 申し訳ないのですが適当に抜粋して引用しました。阿部直美さんの、こういう記事をノンビリ座りこんで読みながら、宮本常一という、この国の山中や海辺、ありとあらゆる場所を歩きまわって、そこで普通に暮らしている人の話を記録した民俗学者がいたこと思い出しました。 東京から佐渡に来て、10年がたちました。高校3年生の冬、みんなが受験勉強で必死になっていた時に、大荒れの海を渡って、廃校になったさむーい校舎で1泊2日の試験を受けた日のこと、忘れられないです。合格してから2年間、その木造校舎で鼓童の研修生として過ごしました。 佐渡の「鬼太鼓座」は宮本常一とかかわりの深い芸能集団だったと思いますが、「鼓童」は、その血脈の一つではなかったでしょうか。 夫婦で一緒にお弁当を食べる時間は、ありそうであまりないんですよ。今年は、お互いのスケジュールが合わなくて、こうやって一緒に過ごせるのも、彼が2ケ月間のヨーロッパ・ツアーから帰ってきて以来です。 「某所」に座り込みながら、阿部さん夫婦の仕事が、宮本常一の仕事を再発見していて、日本海の孤島「佐渡が島」で生まれた文化が、東京の少女を呼び寄せ、世界と直接つながっていることを伝えていることに唸りながら、砂畑さんご夫婦が一緒に食べている「おべんとう」の「このフライはなんのフライだろう?」とか覗き込んでしまうのでした。 ![]() ボタン押してね! ボタン押してね!
最終更新日
2022.05.12 10:27:17
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2020.08.01
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阿部了・阿部直美「おべんとうの時間3」(木楽社)
今年の夏ほど、長ーく渡しばせんことなかったですもんなあ。
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最終更新日
2022.05.14 10:24:23
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