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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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読書案内「コミック(ちばてつや・ちばあきお)」

2021.05.28
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​​​​ちばてつや「ちばてつや追想短編集」(小学館)​
 ​今回の「案内」ヤサイクン5月のマンガ便で届けてくれました。「ちばてつや 追想短編集」(小学館)です。​
​ 現在4巻まで進行中の「ひねもすのたり日記」もそうですが、80歳をこえて、なお健筆をふるっていらっしゃるご様子は、さすが「あしたのジョー」の人ですね。​
​​ この作品集は、「追想短編集」という題でもわかりますが、一作一作、ちばてつやにとって、来し方を振り返り、どうしても忘れられないエピソードが「自伝マンガ」として描かれています。​​
​ で、この作品集が出来上がった経緯をちばてつや自身がこんなふうに書かれています。​
 齢を重ね少し時間のゆとりもできたこともあって‥‥ふと立ち止まった時、せっかく戦中戦後を生きてきた体験と記憶をこのまま埋もれさせてはいけないのではないか。大陸からの引き揚げ、飢えと病気、焼け野原の日本国に帰国したあとの超貧乏生活、「漫画」との出会い、そしてプロのマンガ家になっていく過程の喜びや苦しみ、戸惑い等、同じ時代を生きてきた人たち、あるいは同じマンガの道を歩む後輩たちのためにも、少しでも参考になってくれれば‥‥と描きはじめたのがキッカケいつの間にか四本もの作品がそろうことになりました。
 それぞれ描いた時は全く意識していなかったのですが、自然に若いころから最近に至るその時その時のエピソードや、記憶を順番に語るようにリアルに描いています。
 読み返してみると、たくさんのマンガ家の友人や編集者、弟子、家族に恵まれて、思った以上の幸せな充実した人生を歩んできたことに気付き、しみじみ有難いことだと感謝でいっぱいになります。(「あとがき」
​ ​本書には「家路1945-2003」、「赤い虫」、「トモガキ上下」「グレてつ」の四つの短編が収められています。​
​​ 「家路」、「赤い虫」「ひねもすのたり日記」にも描かれていたエピソードで、それぞれ、満州からの帰国の様子、戦後の生活や、マンガ家になった当初の神経症の体験が描かれている作品です。​​
​ 「トモガキ(上・下)」は、昭和のマンガ好きには必読です。あの「トキワ荘」のマンガ家たち、石森章太郎や赤塚不二夫​ちばてつや​との出会いと、その時生まれた絆が、現場の証言として描かれていて、トキワ荘とかに興味をお持ちの方には見逃せない作品だと思いました。​
​​ 「グレてつ」は、最初は読み切りマンガとして描かれ、やがてビッグコミック連載で人気を博した「のたり松太郎」という作品の、誕生の裏話ともいうべき作品です。ぼくは興味津々で読みました。​​
​ マア、少年時代の思い出に浸りながら「ちばてつや」を楽しんでいるぼくからすると、絵柄も、ストーリーも安心なのですね。これからも、こういう新作を、長く書き続けてほしいと切に願う気分です。


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最終更新日  2021.05.28 01:06:02
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2021.05.24
​ ちばあきお「ちばあきおのすべて」(集英社)

​​ 5月のマンガ便に入っていました。懐かしいマンガ家の特集本です。「ちばあきおのすべて」(JUMP COMIC SEREKUTION)です。1994年、ちばあきおさんが亡くなって10年後に出版された本のようです。​​
​​​​​​ 懐かしいといったのにはわけがあります。ちばあきおをいうマンガ家は、ちばてつやの弟で、兄のアシスタント、まあ、仕事の手伝いからプロのマンガ家になった人で、そのあたりのことはちばてつや「ひねもすのたり日記」(小学館)とか「追想短編集」(小学館)に詳しく書かれていますが、ぼくにとっては「キャプテン」「プレイボール」という野球漫画の作者で、「谷口くん」という、「ただの中学生をヒーローとして描いた」、ぼくが知る限りたった一人のマンガ家です。​​​​​​
 ぼくは、この二つのマンガを、学生時代の終わり、二十代の後半に読みました。月刊ジャンプとかの掲載誌ではなくて、20巻を超えていたと思いますが、ジャンプ・コミックスの単行本です。読みながら、「この主人公は、きっと、普通の大人になるのだろうな」と思ったことを覚えています。
 「スポコン」という言葉が生まれたころだったでしょうか。そのころ、長い学生生活を終えて、教員になって、最初の仕事の一つが硬式野球部の顧問でした。生まれて初めての野球の試合で、ベンチに入ってヤジっているとキャプテンから「先生、相手をけなすような、品のないヤジはだめです!」とダメ出しされたのを今でも覚えていますが、35年以上も昔のことです。
​​​ そのチームでの話ですが、顧問の仕事の一環だったのでしょうか、部室の片づけの「指導」とかだったのでしょうか、彼らの部室をのぞく機会がありました。すると、着替えとかが散らかっている、汚い部屋の棚に「キャプテン」​「プレイボール」​が揃っていました。なんだか、場違いなものを見つけたような、「へー、こういうのを読むんだ!」と、考えてみれば的外れなことを感心しました。しかし、今思い返してみれば、部室の棚に並んでいた「墨谷二中」「墨谷高校」の物語が、公立高校の弱小(失礼!)野球部の生徒諸君のバイブルだったわけです。​​​
​ なるほど、行儀の悪い顧問を、キャプテンが叱るのも当然だったと、今になって、納得した次第です。そういえば、本書の中に、この方も、もう、今は亡き天才マンガ家なのですが、赤塚不二夫がこんなことを書いていました。
​ 私は、あくまで自分独自の作品を描いていたいという気持ちから、他の漫画家の作品はほとんど読まないのだが、それでもあきおちゃんの作品には、何か親しみのようなものを感じていた。彼の作品はあだち充の作品に似た面があったが、もっとあたたかさを感じさせるところがあり、大先輩の寺田ヒロオ氏に通じるものがあった。(赤塚不二夫「作品の底に流れるあたたかさ」

​ ​​​「あたたかく」、超まじめな野球少年​「谷口くん」​が、丸井君、五十嵐君、近藤君と続く「墨谷二中」のキャプテンを育てながら、無名の公立高校のキャプテンも育てていたことは今でも忘れられない懐かしい思い出なのです。​​​
 実は、最近、その頃のエース・ピッチャーマネージャーさんとFBを通じて再会するといううれしい経験をしました。なんと、50歳を過ぎたおやじに変身してしまっていましたが、不思議なことに電話の声は昔のままでした。
 生まれて初めて務めた、あの高校の狭いグランドが思い浮かんでくる、懐かしい響きの声が、スマホの中から聞こえてきて、おもわず・・・・・。
 それにしても、ヤサイクンの世代が、いつごろこのマンガに出会ったのか、ちょっと気にかかりますね。今でも読まれているのでしょうか?







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最終更新日  2021.05.24 00:33:11
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2021.05.23
​​​ ちばてつや「ひねもすのたり日記4」(小学館)​​​ ヤサイクンの5月の「マンガ便」に入っていました。ここの所読み続けているちばてつや「ひねもすのたり日記」の第4巻です。​​
​ 執筆時期が、現在と重なっているので、マンガ家ちばてつや「コロナの時代」を生きていらっしゃいます。​
 1939年の1月生まれですから、82歳ということですね。埼玉県にある芸術系の大学の先生もなさっているようで、現役ですね。マンガでは、あまり触れていらっしゃいませんが、感染に不安を感じざるを得ない後期高齢者ということで、感染の蔓延が笑いごとでは済まないストレスフルなお年といっていいと思います。
​​​​ というわけなのかどうか、そこはわかりません。しかし、今回は病気の思い出話集となっていまして、「首の骨の捻挫」に始まって、「極度な眼精疲労」「網膜剥離」、「耳鳴り」、「心筋梗塞」、「脊椎狭窄症」、「狭心症」、「大腸がん」、それから、「喫煙と禁煙の苦しみ」と、まあ、笑って書くのには抵抗のありそうな病名も、複数あるわけで、生まれてこの方、病院とは縁遠い暮らしをしてきた当方としましては、どっちかというと「元気が出ないなあ。」という巻でした。​​​​
「マンガ便」を届けてくれたヤサイクンが、荷物を手渡すときにいっていました。
「なんか、世の中や自分の体に対する不安がにじんでいて、ちょっとダルイ!」
​ その通りでしたね。でも、若いヤサイクンとは違って、ちばてつやの次の世代に連なる人間の目には、ある意味、実に正直な作品だともいえるわけで、そういうファンの一人であるシマクマ君には、それはそれで楽しめる内容なのでした。


 
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最終更新日  2021.05.24 00:32:51
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2020.04.25
​ちばてつや「ひねもすのたり日記(3)」(小学館)​


 
​​​さて、「ひねもすのたり日記」第3ですね。後期高齢者の日常を生きるちばてつや先生、マンガ大学の学長さんまで務めるご活躍で、とても「ひねもすのたり」どころではなさそうですが、ここで語られる交友や日常の失敗談は、彼の人柄を感じさせて笑えますね。
 もう一つのメイン、思い出の記の読みどころは、マンガ家「ちばてつや」誕生秘話でした。​​​
 
時は昭和三十年代の初めころですね。「貸本屋」ってご存知でしょうか?薄暗い棚にずらりとマンガの単行本が並んでいて、ビニール・カバーがついていました。一冊十円だったと思いますが、子どもの小遣いの額で数日間(?)借りて返すわけです。
 ぼくが育ったのは、村によろず屋が一軒しかない田舎でしたが、最寄りの国鉄の駅の近所に一軒だけありました。全国で3万件の貸本屋があったそうです。グリコの十粒入りのキャラメルが十円の時代です。
 ぼくは週刊の少年マンガ誌、「少年マガジン」と「少年サンデー」が創刊された後の中学生でしたから、この「貸本」文化の恩恵には直接には与かってはいません。しかし、貸本マンガブームがマンガ家を育てました。
 赤塚不二夫、さいとう・たかを、白土三平、永島慎二、ぼくが二十代にかぶれたマンガ家たちですが、皆さん貸本マンガを描くことでマンガ家になったようです。ちばてつやはその最後列の一人だったようですね。
 
マンガが好きな高校生、「千葉徹彌」くんが貸本マンガの出版社「日昭館」の国松社長に出会い、マンガのイロハを教えられ「マンガ」を描きはじめます。

 

​ 初めて原稿料をもらった作品が、貸本マンガ「復讐のせむし男」というマンガだそうです。高校生マンガ家の誕生ですね。やがて、倒産の憂き目にあう、恩人国松社長とその奥さんの最後のアドヴァイスが筆名でした。
 国松社長は本名の千葉徹彌を眺めながらこういいます。
「固たっくるしくて、むずかしい・・・いっそひらがなにしたらどうだ?」
 少年マガジンでマンガを読み始めた世代にとっては「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」、そして「あしたのジョー」のマンガ家、全部ひらがなの「ちばてつや」誕生です。​


 
二つ目の読みどころはこのページあたりですね。「ちかいの魔球」の誕生秘話です。

​ ​まだ高校生だった「千葉徹彌」くんマンガ家ちばてつやにはなったものの、最初のスランプに直面します。「ちばてつや」を生み出してくれた出版社「日昭館」の倒産、苦手な「少女マンガ」家としての苦悩の日々が詳しく語られています。救ったのは「少年マンガ」を描く場を与えた「少年マガジン」でした。​​
 
「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉があった時代です。プロ野球の「巨人」軍をネタにすれば、必ず売れるという営業方針でやってきたのが「野球マンガ」の執筆依頼でした。苦しみ続けた少女マンガから逃げ出せるという喜びで、一も二もなく引き受けたちばてつやですが、なんと彼は野球を知らない、キャッチボールすらしたことのない青年だったのです。
 
現在65歳のマンガ老人シマクマ君が、人生の最初に熱中した野球マンガ「ちかいの魔球」の作者はピッチャーズ・マウンドのプレート板の存在すら知らなかったという事実の告白には、もう、笑うしかありませんね。
 
このマンガの思い出は「消える魔球」ですが、ここから「巨人の星」に至る、野球マンガの「魔球伝説」が始まったわけですから、歴史に残る名作といっていいかもしれませんが、描いている人は「ドシロウト」だったということこそ歴史に残りそうですね。
 おそらく、次号は講談社専属マンガ家「ちばてつや」の話が読めるに違いありませんね。
「ひねもすのたり日記」​(1巻)​・​(2巻)の感想はここからどうぞ。

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最終更新日  2021.05.24 01:08:32
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2020.04.19
​​​ちばてつや「ひねもすのたり日記(2)」(小学館)

​ ちばてつや「ひねもすのたり日記」第2です。もちろんヤサイクンのマンガ便にはいっていました。
 下の​
ページの写真をご覧になれば、お気付きだと思いますが、全ページ、オールカラー印刷で、ショートコミックと題されています。色は少し黄ばんだイメージの紙が使用されていますが、紙の質は上等です。要するに「黄ばんだ」イメージの装幀なんでしょうね。
 まあ、大家の「思い出」の記ですから買って保存しておきたいというファンもでてくるでしょう。そういうことも考えられているようです。
「あんな、全部カラーやろ、そやからやねんな、ちょっと高いねん。」
「ホンマや、一冊1150円か。新刊でこうたんか。でも、読みやすいやん。」
「うん、まあええねんけどな。」

マンガ便を届けてくれるヤサイクンは、少々不満そうです。

​​​さて、第2巻です。この巻のよみどころは、まずは「ちばあきお」の思い出でしょう。男ばかりの四人兄弟の、長男がちばてつや、三男がちばあきおだそうです。​​​

​​ 野球少年マンガの傑作、「キャプテン」・「プレイボール」の人気マンガ家ちばあきおの自殺が報じられたのは今から35年前でした。
 当時、勤めていた高校で野球部の顧問をしていましたが、生徒たちの部室にはこの二つのマンガ揃っていました。ぼくが顧問をしていたのは、とりわけ足が速かったり肩が強かったりするわけではない普通の高校生の集まるチームでしたが、誰もが「谷口くん」「五十嵐くん」にあこがれていたように思います。​​

 ヤクルトでサードを守った、ブンブン丸、池山選手がいた市立尼崎高校や、のちにメジャーに行った長谷川滋投手の東洋大姫路高校とも、練習試合をしたことがありますが、今ではいい思い出ですね。彼らも読んでいたに違いありません。その時代だったでしょうか、イチロー選手が寮に全巻揃えていたというのは、かなり有名な話です。

​ 話を戻します。その作者ちばきおがマンガ家になるきっかけが兄の手伝いだったというエピソードを描いているのがこれです。


 
​この章の中でちばてつやは弟の死因については触れていません。ただ、最後のページで一言こんな言葉を記しています。

「あの時、ひき止めなかったことに少々、悔いが残ります。」
 ​​​胸に迫る言葉でした。マンガの世界に連れて行ったのは兄ですが、ちばあきおのマンガ家としての、あるいは人間としての苦しみは、ちばあきお自身のものだったのですよね。それは、多分、自らも同じように苦しんだちばてつや自身にはよくわかっていたに違いなのでしょうね。

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​もう一つの読みどころは、ちばてつや自身のマンガとの出会いです。


 
4人の男の子が、結果的に全員マンガ業界で働くようになってしまったきっかけのシーンがこれです。てつやが道端で拾ったマンガ本の虜になるのですね。これが始まりなんです。
 
ところが千葉兄弟の母親は「子どもがマンガを読むとね・・・バカになるのよ‼」と叫んで、ここで拾ってきたマンガ本を燃やしてしまう人だったのです。​何だか、そういう懐かしいシーンがこの後のページにあります。
 なにが懐かしいといって、思い出の中のことですが、このマンガ悪玉論が他人ごとではなかったからです。
 ぼく自身はマンガ家になったりする能力はありませんでしたが、マンガは好きでした。少年マガジン少年サンデーが創刊された時代です。もちろん買ってもらうことはできませんでした。こっそり買ってきたり、友達から借りてきたマンガを縁の下か、納屋に隠れて読んだものでした。そういう考え方が主流だった時代だったのですね。昭和の三十年代、高度成長の前夜でした。
​ 色々懐かしく思い出しますが、2巻の終わりでは、いよいよプロのマンガ家ちばてつやが生まれようとしています。
 第3巻が楽しみですね。

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最終更新日  2021.05.24 01:07:13
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2020.04.16
​​ちばてつや「ひねもすのたり日記(1)」(小学館)​


 

​ ヤサイクンの四月のマンガ便に入っていたマンガを見て驚きました。あのちばてつやの新刊マンガです。
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現在75歳から65歳くらいの年齢の人で、この名前に反応しない人はよほど漫画とか読まなかった人なんじゃあないかと思います。名作「あしたのジョー」週刊少年マガジンに連載されたのが1967年の暮れから1973年でした。現在65歳のぼくの場合は13歳から19歳でした。
 何年前のことでしょう。確か、講談社だったでしょうか、文庫版で「ちばてつや全集」が出た時に集めたことがありますが、狙いは「ちかいの魔球」とか「紫電改のタカ」でした。それらのマンガが、ぼくと少年漫画との最初の出会いの作品だからです。

 大学生の時は「あしたのジョー」がブームでした。ジョーがコーナーで白くなって連載が終わった後、映画になったり葬式をやったり、北朝鮮に行ったり大変でしたが、ぼくの中では終わっていました。
 ところが、その後、国鉄のドリーム号という東京行の深夜バスのポスターになったことがあって、それを「盗み」に行ったことがあります。行ってみると、バスの発着所の、そこに在るべきポスターはもうなかったのですが、そごうデパートの前の東西の大通りで「暴走族」と呼ばれていたオートバイのオニーさん軍団がお巡りさんと戦っているのを歩道橋の上で見物して帰ったことを覚えています。そういう時代でした。
 
話が横にそれていますが、その頃からぼくはちばてつやの読者ではなくなりました。でも、今でもマンガを読むと、目のクリンとした「子供顔」の絵が好きなのは、子どものころからの刷り込みでしょうか。影響はそうやって残るのでしょうね、きっと。

​​​​​ そのちばてつやが、まだマンガを書いていました。「ひねもすのたり日記」(小学館)です。週刊ビッグ・コミックに連載している、マンガエッセイなんだそうです。一話4ページ、80歳の日常生活の近況報告と生まれてからこの方までの、自叙伝、まあ、そういうとたいそうですが、エピソードをたどった回顧録風エッセイというところでしょうか。
 80歳を過ぎて連載マンガに、もう一度挑戦する決心を描いたシーンがこれです。この連載を始めた当時、90歳を過ぎて書き続けていた水木しげるの話題も出てきますが、2015年亡くなりました。ちばてつやが、再び書き始めるのは、そのあとからです。若い女性の編集者というところで目を輝かす、ちょっとおバカな本人が描かれていますが、書き残したいことを見つけたに違いありません。


 1才から満州の奉天で暮らしから自叙伝は書きだされています。異国で暮らした少年時代、6才で敗戦、一年間にわたる家族ぐるみの逃亡生活、7歳でようやく帰国、父親の故郷にたどり着いた「千葉徹​彌」少年の脳裏に刻み込まれた平和の思いでは、おバーちゃんが切ってくれた真っ赤な「スイカ」でした。​



 「老大家」が八十年にわたる生涯を振り返り、ほのぼのとした思いでエッセイ・マンガを描いている。そう考えるのが普通なのでしょうね。
​ でも、今でいえば保育園の年長さんだった年の少年が、ホッとして「スイカ」にかぶりつくシーンは、誰にでも書けるわけではないでしょ。この「スイカ」をこそ、ちばてつやは書き残したかったのではないでしょうか。
 ​​今回もハマってしまいました。子供の頃、この人でマンガを知った人にはお薦めです。是非どうぞ。「ひねもすのたり日記」​(第2巻)​・(第3巻)
の感想はここをクリックしてください。
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最終更新日  2021.05.24 01:06:54
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