000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

PR

全6件 (6件中 1-6件目)

1

読書案内 忘れられない人や出来事

2020.01.13
XML
2004年《書物の旅》(その11)
 ​中村哲「空爆と復興」(石風社)​

20201月、再び戦争が始まりかかっています。そんな現場に軍艦を派遣するという事態が起こりつつあります。「あの国は敵の仲間だ。」と考える人がいることに何の配慮もない愚かしい政策が、やっていることを隠すことでようやく体面を保っているような政治権力によって実施されようとしています。
​​ 2004年に出版されたこの本は2001年に始まった米軍によるアフガニスタン空爆の最中から、2003年にかけての最前線の現場で活動するスッタフの皆さんの報告集です。中には中村哲の国会での「自衛隊の派遣は有害無益」という発言も全文掲載されていますが、その言葉を今、もう一度思い出すことから2020年の「読書案内」を始めたいと思います。​​
 
2002年の7月に書かれた「復興という名の破壊」という文章の中に、こんな言葉があります。

「もう、これくらいで放置していただきたい」というのが一言で述べ得る感想である。現在のアフガニスタンの状況は、大の大人が寄ってたかって、瀕死の幼な子を殴ったり撫でたりしているのに似ている。この一年間、私たちにとって聖歌といえるものは、「情報化社会」が必ずしも正しい事実を知らせず、むしろ、世界中に錯覚を振りまいて、私たちが振り回されることになるのを身にしみて知ったことである。無理が通れば道理が引っ込む。世界を支配するのは、今やカネと暴力である。
 昨年(2002年)九月、米軍の空爆を「やむを得ない」と支持したのは、他ならぬ大多数の日本国民であった。戦争行為に反対することさえ、「政治的に偏っている」ととられ、脅迫まがいの「忠告」があったのは忘れがたい。以後私は、日本人であることの誇りを失ってしまった。「何のカンのと言ったって、米国を怒らせては都合が悪い」というのが共通した国民の合意のようであった。
 
だが、人として、して良い事と悪い事がある。人として失ってはならぬ誇りというものがある。日本は明らかに曲がり角に差し掛かっている。日本の豊かさは国民の勤勉さだけによるのではない、日本経済が戦争特需によって復興し、富と繁栄を築いた事実を想起せざるを得ない。そして富を得れば守らねばならなくなる。華美な生活もしたいが、命も惜しいという虫のよい話はない。殺戮行為を是認して迄華美な生活を守るのか、貧しくと堂々と胸を張って生きるのかの選択が迫られていたといえる。「対テロ戦争」は何を守るのか。少なくとも命を守るものではなさそうである。
​ 200312月の「平和を奪還せよ」という文章ではこう書き残されています。
 このところ現地では米軍に対してだけでなく、国連組織や国際赤十字、外国NGOへの襲撃事件が盛んに伝えられています。「アフガン人は恩知らずだ」といって撤退した国際団体も少なくありません。
 
しかし、現地側が当惑するのは、そもそも「復興」が「破壊」とセットで行われ、それも外国人の満足が優先するからです。結局、軍事的干渉は取り返しのつかぬ結果を生みました。人々が生きるための無私な支援なら、どうして武力が必要でしょうか。そのような活動はみなこぞって守ってくれます。私たちは少なくとも地上で、一度も攻撃を受けたことがありません。以前は歓迎された日章旗ですが、「日本政府とは無関係だ」と明言せざるを得ない事情に至りましたが、それでも日本人の誇りというものがあります。
 
平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さはいります。「平和」は、私たちの祖先が血を流して得た結論のはずです。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下品な行為です。一つの国が軍隊(自衛隊)を動かすことがどんな重大事なのか、おそらく、この愚かさと無関心は、近い将来、より大きな付けを払うことになるでしょう。「日本は既に米国の一州となった」と言われて是非もなく、尊敬されるどころか、攻撃の対象になるのは時間の問題でしょう。ひしひしと迫る破局の予感の中で、アフガニスタンの現状を見て「この償いをどうしてくれる」と言いたいのが実感です。
 
それでも悲憤を押さえ、「だからこそ自分たちが此処にいるのだ」と言い聞かせ、砂漠化した大地が緑化する幻を見ては、わが身を励ますこの頃であります。
​​​ ​​今回の事態においても、「私たちの祖先が血を流して得た結論」であるはずの「平和」が失われる危機に、今、直面しているという認識を「私たち」は共有しているのでしょうか。無知と驕り高ぶった臭いのする傲慢が蔓延してはいないでしょうか。​​
 
​​​​​​​この本の読みどころは、中村哲のこうした発言の他に、彼とともに「平和を奪還」する仕事に携わっている、現場のスタッフの皆さんの生の声が収録されているところだと思います。460ページにわたる大部の本ですが、手に取ってご覧になってはいかがでしょうか。
追記2020・01・12
中村さんについて「中村哲ってだれ」・​「医者井戸を掘る」​・​「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という投稿にはそれぞれ表題をクリックしてください。読んでいただければ嬉しいです。​​​​

追記2020・02・16

ロッキン・オンの渋谷陽一さん「中村哲」のインタビューを公開しました。是非お読みください。​​

PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
​​​ボタン押してね!​​
にほんブログ村 本ブログへ
ボタン押してね!







ゴジラブログ - にほんブログ村






最終更新日  2020.10.31 11:13:44
コメント(0) | コメントを書く


2019.12.14
​中村哲・澤地久枝「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」(岩波書店)

​​​​「九条の会」の発起人に名を連ねる澤地久枝さんが、空爆下のアフガニスタンで井戸を掘り、水路を作り続けていた、医師中村哲さんをインタビューした本があります。「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」と題されています。題名が、大仰だとお思いの方も、騙されたと思ってお読みになってください。​​​​
 
映画「花と竜」で、その名を知られた玉井金五郎の孫であり、「土と兵隊」、「麦と兵隊」で知らている作家火野葦平の甥っ子で、昆虫好きで、赤面恐怖症であった少年時代の中村哲君の回想から、1980年代の初頭、全くの自腹でアフガニスタンに渡り、診療所を開き、歴史的な大干ばつの飢餓の危機と、アメリカ軍による空爆の中、ペシャワール会のスタッフを率いて命がけの人助けを続けた2010年に至る、人間「中村哲」の「ホンネのすがた」を聞きだしたインタビューです。​​​​​
 澤地さんは、この本の巻頭にこんな文章を引用しています。堅苦しいと思われるかもしれませんが、是非お読みください。ここに中村さんの活動の、公式的な要約と、彼の考え方が凝縮して表現されています。​​
 20011013日、衆議院「テロ対策特別措置法案」審議の場に参考人として出席した中村哲さんのこんな発言です。

「私はタリバンの回し者ではなく、イスラム教徒でもない。ペシャワール会は1983年にでき、十八年間間現地で医療活動をつづけてきた。ペシャワールを拠点に一病院と十カ所の診療所があり、年間二十万名前後の診療を行っている。現地職員二百二十名、日本人ワーカー七名、七十床のPMS(ペシャワール会医療サービス)病院を基地に、パキスタン北部山岳地帯に二つ、アフガン国内に八つの診療所を運営。国境を超えた活動を行っている。 
 私たちが目指すのは、山村部無医地区の診療モデルの確立、ハンセン病根絶を柱に、貧民層を対象の診療。
 今回の干ばつ対策の一環として、今春から無医地区となった首都カブールに五カ所の診療所を継続している。
 アフガニスタンは一九七九年の旧ソ連軍侵攻以後、二十二年間、内戦の要因を引きずってきた。内戦による戦闘員の死者七十五万名。民間人を入れると推定二百万名で、多くは女、子供、お年寄り、と戦闘に関係ない人々である。
 六百万名の難民が出て、加えて今度の大干ばつ、さらに報復爆撃という中で、痛めに痛めつけられて現在に至っている。
 アフガンを襲った世紀の大干ばつは、危機的な状況で、私たちの活動もこれで終るかもしれない。アフガンの半分は砂漠化し、壊滅するかもしれないと、昨年から必死の思いで取り組んできた。
 広域の大干ばつについて、WHOや国連機関は昨年春から警告し続けてきたが、国際的に大きな関心は引かなかった。アフガニスタンが一番ひどく、被災者千二百万人、四百万人が飢餓線上にあり、百万人が餓死するであろうといわれてきた。
 実際に目の当たりにすると、食料だけでなく飲料水が欠乏し、廃村が拡がってゆく事態で、下痢や簡単な病気でおもに子どもたちが次々と命を落としていった。
 私たちは組織を挙げて対策に取り組み、「病気はあとで治せる、まず生きておれ」と、水源確保事業に取り組んでいる。今年一月、国連制裁があり、外国の救援団体が次々に撤退し、アフガニスタンの孤立化は深まった。
 水源の目標数を今年以内に一千カ所、カブール診療所を年内に十カ所にする準備の最中に、九月十一日の同時多発テロになり、私たちの事業は一時的にストップした。今、爆撃下に勇敢なスタッフたちの協力により、事業を継続している。
 私たちが恐れているのは、飢餓である。現地は乾期に入り、市民は越冬段階をむかえる。今支援しなければ、この冬、一割の市民が餓死するであろうと思われる。
 難民援助に関し、こういう現実を踏まえて議論が進んでいるのか、一日本国民として危惧を抱く。テロという暴力手段防止には、力で抑え込むことが自明の理のように議論されているが、現地にあって、日本に対する信頼は絶大なものがあった。それが、軍事行為、報復への参加によってだめになる可能性がある。
 
自衛隊の派遣が取りざたされているようだが、当地の事情を考えると有害無益である。
 
「私たちが必死で、笑っている方もおられますけれども、私たちが必死でとどめておる数十万の人々、これを本当に守ってくれるのは誰か。私たちが十数年かけて営々と気付いてきた日本に対する信頼感が、現実を基盤にしないディスカッションによって、軍事的プレゼンスによって一挙に崩れ去るということはあり得るわけでございます。」
 
「アフガニスタンに関する十分な情報が伝わっておらないという土俵の設定がそもそも観念的な論議の、密室の中で進行しておるというのは失礼ですけれども。偽らざる感想でございます。」​

​ この発言に澤地さんは怒りをこめてこんなふうに付記しています。 

「議事録では笑った議員を特定できない。しかし語られている重い内容を理解できず、理解する気もなく笑った国会議員がいたのだ。」
「命がけで医療と水源確保を行ってきた中村哲の十数年間へ、「日本」が出した結論を心に留めたい。」​

​ ここからが、インタビューの本番になります。 

澤地「先生はもう60歳を越えられましたね」
中村「ハイ。1946年の九月十五日生まれですから、もう超えています。」
澤地「あまりごじしんのことかたりたくないとおかんがえですか。」
​中村「どちらかというと、自分をさらけ出すのはあまり好きではないです。でも、必要であれば話はしますので。」​

​ どうも、何でも、ペラペラしゃべるタイプではなさそうです。ともあれ、こうして、会話が始まりました。最初は、あのトレードマークのような「髭と帽子」の話でした。
 
何時間かけて、インタビューされたのか、詳らかにはしません。読みでのあるインタビューだと思いますが、さすがに澤地久枝さんですね、最後の最後に、中村さんの性根の根っこに触れるような、こんな会話になったのです。​​

「このお子さんたち二人が生まれたのは、92年ですか。」
92年です。」
「何月生まれですか。」
「十二月。」
「そして、2002年の十二月。」
「十二月に生まれて、十二月に亡くなったんですか。」
「だったと思います。ちょうど十歳でした。」
「小学四年生ですか。」
「ごめんなさい。四月一日生まれです。」
「先生の、今までの人生の中に生涯忘れられないクリスマスというのがありますよね。これは患者さんの苦しみの問題だけれども、そのほかに、「あれは自分にとって厳しかったな」というのは、この坊ちゃんが亡くなったことですか。」
「そうです。」​

​ まるで、尋問のような問い詰め方なのですが、愛児の発病と死について、ここまで、悲しみを越えて、聞きただしてきた緊張にみちた態度が、そのまま伝わってくる口調なのです。
 
ここまで読んで、読者であるぼくは、冒頭での国会での発言は、ご子息の不治の病の発病を知った最中の出来事であり、彼の発言を笑った国会議員に対する澤地さんの怒りの、もう一つの理由にも気づくことになるのでした。
「アフガニスタンが直面する餓死については、自民党だとか共産党だとか社民党だとか、そういうことであはなくて、一人の父親、一人の母親としてお考えになって、私たちの仕事に個々人の資格で参加していただきたい。」
​ ​​​​2001年、中村医師の国会証言の中のことばを、澤地さんは「訴える一人の父親の心中には、不治の病床の愛息の姿があったはずである」と、この会話の記述の途中に記しています。
 死んでしまった中村哲の「真心」が2001年の証言の中に残されているのではないでしょうか。
「医者、井戸を掘る」​・
「空爆と復興」は表題をクリックしてください。​​
PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
ボタン押してね!
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村





ゴジラブログ - にほんブログ村






最終更新日  2020.10.29 23:13:10
コメント(0) | コメントを書く
2019.12.13
​中村哲「医者井戸を掘る」(石風社)


 ​アフガニスタンで井戸を掘っていた医者、中村哲の悲報が流れてきました。と、ほぼ同時に「憲法九条は中村さんを守らなかった」という趣旨の、心ない発言が、ネット上で飛び交っているのを目にしました。「憤り」を通り越えて、「哀しみ」しか浮かばない「やるせなさ」を感じました。

​​​​ 中村哲の、何冊目かの著書「医者井戸を掘る」(石風社)がここにあります。風土病化して蔓延する「ハンセン病」の治療のボランティア医師として,1983年にアフガニスタンに渡り、以来、十数年、ついに、土木作業である「井戸を掘る」ことを決意した中村哲ペシャワール会の、西暦2000年から2002年にかけて、ほぼ、二年間の活動報告書です。
 それから二十年、活動は続いていますが、医者が井戸を掘る、現場の苦闘を伝える、最初のドキュメンタリーといっていい本です。​​​​

 中村哲の活動を伝える書物はたくさんありますが、この一冊を読んでいただくだけでも、ネット上に垂れ流されている発言が、命がけで他国の、貧しい人々を助けようとしながら、志半ばにして凶弾に倒れた「人間」に対して口にするべき言葉ではないことは理解していただけると、ぼくは思います。

​​ 2001年、「正義のクルセイダー」を標榜した、アメリカ軍によるアフガニスタン空爆は開始される直前、日本の外務省による指示で、国外退去を余儀なくされた中村哲の発言があります。現地のスタッフに向けられた別れの挨拶です。同書に挿入されている、石風社「石風」というパンフレットにある記事です。​​

「諸君、この一年、君たちの協力で、二十数万名の人々が村を捨てず助かり、命をつなぎえたことを感謝します。今私たちは大使館の命令によって当地を一時退避します。すでにお聞きのように、米国による報復で、この町も危険にさらされています。しかし、私たちは帰ってきます。PMS(ペシャワール会医療サービス)が諸君を見捨てることはないでしょう。死を恐れてはなりません。しかし、私たちの死は他の人々のいのちのために意味をもつべきです。緊急時が去った暁には、また、ともに汗して働きましょう。この一週間は休暇とし、家族退避の備えをしてください。九月二十三日に作業を再開します。プロジェクトに絶対に変更はありません。」
 
長老らしき人が立ち上がり、私たちへの感謝を述べた。

「見なさん。世界には二種類の人間があるだけです。無欲に他人を想う人。そして己の利益を図るのに心がくもった人です。PMSはいずれかお分かりでしょう。私たちはあなたたち日本人と日本を永久に忘れません。」
 
これは既に決別の辞であった。​

​ 続けて、帰国して彼が見た「日本」に対する感想が続けられています。 

 帰国してから、日本中が湧き返る「米国対タリバン」という対決の構図が、何だか作為的な気がした。淡々と日常の生を刻む人々の姿が忘れられなかった。昼夜を問わずテレビが未知の国「アフガニスタン」を騒々しく報道する。ブッシュ大統領が「強いアメリカ」を叫んで報復の雄叫びを上げ、米国人が喝采する。湧きだした評論家がアフガニスタン情勢を語る。これが芝居でなければ、皆が何かにつかれているように見えた。私たちの文明は大地から足が浮いてしまったのだ。  

 全ては砂漠のかなたに揺らめく蜃気楼のごとく、真実とは遠い出来事である。それが無性に哀しかった。アフガニスタン!茶褐色の動かぬ大地、労苦を共にして水を得て喜び合った村人、井戸掘りを手伝うタリバンの兵士たちの人懐っこい顔、憂いを称えて逝った仏像…尽きぬ回顧の中で確かなのは、漠々たる水なし地獄の修羅場にもかかわらず、アフガニスタンが私に動かぬ「人間」を見せてくれたことである。「自由と民主主義」は今、テロ報復で大規模な殺戮戦を展開しようとしている。おそらく、累々たる罪なき人々の屍の山を見たとき、夢見の悪い後悔と痛みを覚えるのは、報復者その人であろう。瀕死の小国に世界中の超大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか、私の素朴な疑問である。20019​22​

 2001年九月に、やむなく帰国した中村哲は、十月一日には、もう、ペシャワールに戻り、米・英軍が空爆を始めた日の二日後にアフガニスタンに入国し、空爆難民のための食糧の配給のボランティアを開始しています。

 その間、日本政府は「テロ対策特別措置法」を成立させ、憲法九条に抵触する可能性の高い、自衛隊のインド洋派遣、海外派兵を断行しています。

​​ ブッシュによる「正義の戦い」がいかに、正当な根拠に欠けた愚かな振る舞いであったかは、アメリカでは、2018年に公開された映画、たとえば、「新聞記者たち」「バイス」が暴露していますが、日本の中では、きちんと批判しているメディアは、あまり見かけません。​​

​​ この十数年、中村哲が、上記の発言の中で指摘している、「夢見の悪い後悔と痛み」を反省として発言する政治家など、もちろん、この国には一人もいませんでした。
 モラルも見識もない権力が、アメリカの御機嫌取りのように、今年も海外派兵を繰り返そうとしています。まさに、九条をないがしろにするこういう政策が、命を張って弱者を助け続ける「人間」を背後から撃つような、愚かな仕打ちである自覚など、残念ながら、何処にも感じらません。​​

 本書をお読みになれば、「井戸掘り」としては全く素人のボランティアたちが、知恵をしぼり、肉体を酷使し、一人、また、一人と、現地の人々に生きる希望を与えていく様子が手に取るようにわかります。毎日、毎日の活動が、大地の姿を変えていく感動がここには記録されています。

 「アフガニスタン社会の実相」、「タリバンと民衆との関係」、「バーミヤンの仏像破壊の真相」、「空から米軍によって投げ落とされる食糧を信用できないと焼き捨てる民衆」、印象的な報告が随所に記されています。

​ 中でも面白いのは、実際に井戸を掘る技術や、水路を作る工事の実況です。アフガニスタンの人々が、何故、中村哲をはじめとする日本人ボランティアを信用し、その死に涙するのか、その実況を読めば、おのずと納得がいくと、ぼくは思いました。​​​​(S
追記2019・12・12
「中村哲ってだれ」「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」「空爆と『復興』」はそれぞれここからどうぞ。
「バイス」​・​「記者たち」も題名をクリックしてください。
​​​​

 

 

​​PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログへ
ボタン押してね!
にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ
にほんブログ村




ゴジラブログ - にほんブログ村






最終更新日  2020.10.29 23:17:42
コメント(0) | コメントを書く
2019.05.20
​​​​​​「中村哲って誰? 」なだいなだ「人間、とりあえず主義」​​
​​​​​​​​ 先日、杉山龍丸という人物を案内しましたが、そこで中村哲という人物の名前が出てきました。 ​西日本新聞(2018/02/28)朝刊​にこんな記事があります。​​
《アフガニスタンへの支援を行う福岡市の非政府組織「ペシャワール会」は27日、現地代表の中村哲医師(71)=福岡県出身=が同国のガニ大統領から国家勲章を受けたと発表した。長年にわたる現地での用水路建設や医療活動が高く評価された。(略)
 中村医師は1984年から隣国パキスタンで医療支援を始め、91年からアフガンでも活動。一時は両国で最大11カ所の診療所を運営した。アフガンを襲った大干ばつを受けて2003年に用水路の建設や補修を始め、事業で潤う土地は福岡市の面積の約半分に当たる約1万6千ヘクタールに上る。
 同会によると、勲章は「長年、最善を尽くして専門的な支援を行い、保健と農業の分野でわが国の人々に多大な影響を与えた」として授与された。
 7日に首都カブールの大統領官邸で行われた叙勲式にはガニ大統領や同国の農業大臣らが出席。大統領は中村医師が書いた用水路建設の技術書を6時間かけて熟読したと明かし、「あなたの仕事がアフガン復興の鍵だ」と何度も話したという。
​  中村医師は「活動が地元で評価され、為政の中枢に届いたことが特別にうれしい。自然が相手の仕事は、効果を得るまでに長い時間がかかる。さらに大きく協力の輪が広がることを祈る」とコメントした。》​

​​​​​ もうひとつ、これは筑摩書房の「ちくま」という冊子に、精神科医で作家だったなだいなだ「人間、とりあえず主義」という連載をしていたことがあります。今から10年ほど前のことです。2009年11月号に「中村哲にノーベル平和賞を」という文章を書いています。中村哲の紹介にちょうどいいと思います。続けて読んでみてください。​​​​​
「憲法9条にノーベル賞を」という運動があるそうだ。突飛な発想で、面白いと思うが、ノーベル賞は人間化組織に与えることになっているので、まったく実現性がない。それよりも、かなり実現性のある、中村哲あるいはペシャワール会にノーベル平和賞を、という運動に切り替えたらどうだろう。残念なことに、中村氏と、まだ面識はないが、彼の著作を読み、彼の仕事ぶりを映したドキュメンタリーで見る限りの判断だが、これまでの受賞者にひけをとらない業績だと思う。
 長年にわたるアフガニスタンでの井戸掘りや用水路の建設の仕事は、僕など、まねようとしてもできない。彼はこの仕事に半生をつぎ込んだ。日本でも評価され、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、西日本新聞などがさまざまな名目で賞を与えているし、驚くことに、日本の外務省までもが大臣賞を与えている。しかも。マスコミが注目する以前に与えている(そのころの外務大臣は誰!)。
 それほど日本人が認めている彼の業績だ。彼にノーベル平和賞をという考えにだれも異存はあるまい。
 ノーベル平和賞だけは、ノルウェー国民議会が選考を行うことになっていて、日本では非核三原則を国会で表明した、佐藤栄作元首相が受賞している。受賞したとき、少し流行遅れになったセリフだったが「アッと驚くタメゴロー!」を口にしたことを覚えている。本当にアッと驚いた、すぐに信じられなかった日本人は、僕だけではなかったろう。後々、核持込に関する日米間の密約があったことなどが知られるようになり、選考委員会が21世紀になって発表した報告の中で、後悔を表明したことで有名だ。非核三原則についての日本の首相の発言だ。当然、憲法九条を踏まえたものと理解されたのだから、憲法九条が受賞したようなものだ。だが、選りによって、あの人と憲法九条が結び付けられたとは!
 ノーベル平和賞には、ほかにも、なぜ?と後世になって首をかしげるような受賞が少なくはない。イスラエルのメナヘム・ベギン首相(当時)などもその一人だ。第一次中東戦争のときに一般市民虐殺の疑いを持たれているからだ。だが、この賞にけちをつけることになったら困るので控える。
 中村哲ならば、佐藤元首相のときの間違いを訂正するという、いい機会をノルウェー議会の選考委員会に与えることになるから、一石二鳥である。そんなことよりもともかく彼が、アフガンの人たちと汗を流して掘った用水に水が流れ、荒地が緑に覆われる光景は、感動的だ(いくつかのドキュメンタリーで見て、年のせいで涙もろくなったのか、そのたびに目頭がジーンとなった。)戦争ではアフガンの人々の心をとらえれないことを、オバマ大統領に知らしめるためにもいいだろう。

 ペシャワール会の伊藤和也さんが、不幸な事件に巻き込まれた記憶もまだ生々しい。また最近はパキスタンの辺境地域の治安も悪くなり、ペシャワールに根拠地を置く彼らの活動も、困難になってきているようだ。こういう時期だからこそ、ノーベル平和賞が意味を持つ。今年は無理かもしれないが、来年分の推薦の締め切りは、一月末。それまでにはまだ時間が十分にある。民主党、社民党の代議士たちが、推薦状を書く時間は十分にある。《中略》
 僕はこれまで、車に「イラク戦争反対」と書いて走ってきたが、これからは「アフガン戦争反対」か「アフガンに平和を」と書いて走ろうと思う。
​​​ 微妙に、10年前の時代の空気が流れているエッセイですが、中村哲の仕事が、漸く知られるようになった頃の文章です。新聞記事もなだいなだも触れていませんが、記事にある1991年というのは旧ソ連によるアフガン侵攻作戦がようやく終わったころに当たります。戦争と干ばつで荒廃した大地に、風土病化し蔓延しているハンセン氏病治療のボランティアとしてアフガニスタンにやって来たのが中村哲の仕事の始まりでした。​​​
 ​そこから10年、井戸を掘り、岩だらけの大地に水路を作るという大土木事業が、医者である中村の創意工夫で続けられたのです。出版やカンパによる資金収集と日本の古来の竹籠式石組み技術による手仕事で続けられた事業がようやく成果を生みはじめた2001年、こんどはアメリカによる空爆が始まりました。​
​ ソ連もアメリカも「イスラム原理主義の巣窟としてのアフガニスタン」という認識は変わりません。いつものことですが戦争や爆撃でどれだけの無辜の民衆の命が失われたのか、攻撃した人たちがきちんと報告することはありません。
 しかし、​以来、戦火が消えたことがない国の爆撃の下で、井戸を掘り続けて、民衆の命を守る仕事を続けた医者が中村哲です。​​

​​​​​ 著書の案内は今回はできませんが、紹介したなだいなださんは、残念ながらこの原稿の2年後、2013年に亡くなってしまいした。


​ なだいなだという人は「いじめを考える」(岩波ジュニア新書)「こころの底に見えたもの」(ちくまプリマー新書)といった中学生向きに書かれた本をはじめ、難しいことを、難しく言わない「こころ医者」を自称し、アルコール依存症の治療で知られた精神科医で、ラジカルだけれど、軽妙なエッセイが持ち味の人です。「人間、とりあえず主義」(筑摩書房)という題の本はありますが、この記事は載っていないと思います。​​​​

​​​ 中村哲の著書の一冊、「空爆と復興」​(石風社)の写真を載せました。高校生向けには「アフガニスタンの診療所から」(ちくま文庫)などがあります。(S)​​​​​​​​
​追記2019・12・04​
​ 2019年12月4日のニュースで中村哲氏の死が報道されています。どうしていいかわからない動揺が自分の中にあるのが分かります。この案内で、いずれノンビリ紹介しようとたかをくくっていました。言葉どおり、志士と呼ぶべき人がこの国にもいることが、ぼくは嬉しかったのです。ぼくにできることは、彼の仕事の足跡を、著書一冊、一冊、紹介することぐらいかもしれません。今日は、それを肝に銘じておこうと思っています。​

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ

​​ボタン押してネ!​

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村




アフガン・緑の大地計画 伝統に学ぶ灌漑工法と甦る農業 [ 中村哲 ]
価格:2484円(税込、送料無料) (2019/5/20時点)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]




心の底をのぞいたら (ちくま文庫) [ なだいなだ ]
価格:583円(税込、送料無料) (2019/5/20時点)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]



PVアクセスランキング にほんブログ村




​​​​​






最終更新日  2020.10.09 10:34:05
コメント(0) | コメントを書く
2019.05.14
​​​​井上俊夫 「初めて人を殺す」 (岩波現代文庫)

                ​​​​​​「血みどろの銃剣は胸の奥底に」         井上俊夫

                         呑んでしもた
                         呑んでしもた
                         馴染みの居酒屋で
                         呑んでも呑んでも酔わない悪酒
                         呑んでしまいました
                         えらいすんまへん
                         申し訳ござりまへん
                         教え子の女子大生に熱っぽい口調で
                         わが従軍体験を語り聞かした日の帰り道。

                         呑んでしもた
                         呑んでしもた
                         小綺麗な女将がいる居酒屋で
                         むっつり、しかめ面の黙んまり酒
                         呑んでしまいました
                         えらいすんまへん
                         申し訳ござりまへん
                         なぜか空しく淋しく悲しくて
                         ひどい自己嫌悪に落ち入ってしもて。

                         呑んでしもた
                         呑んでしもた
                         ビール二本に酒七本
                         それでも酔えない茶碗酒
                         呑んでしまいました
                         えらいすんまへん
                         申し訳ござりまへん
                         もう戦争の話なんかするもんか
                         敵兵を突き刺した
​                         血みどろの銃剣は胸の奥底に。 ​

 70歳を越えた女子大教授で詩人である男が授業で自らの戦争体験を語ります。その帰り道、彼は呑まずにいられません。しかし、飲んでも飲んでも酔えないのは何故なのでしょうか。
​ 教授は浪速の反戦詩人と呼ばれた人らしいのだが、2008年に亡くなっている。僕はこの詩人を知らなかったが、なぜか読まないままの、この詩人の「初めて人を殺す―老日本兵の戦争論」(岩波現代文庫)という、この本が、我が家の本棚に転がっていました。おそらく書名の過激さを喜んだ衝動買いの結果だと思うのですが、徘徊の暇に任せて、市バスやJRの座席で一気に読み終えました。文字通り「一気に」読めました。​
 この本をお出かけカバンに入れたきっかけはハッキリしています。黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という本を読み終わったときに目の前の書棚にあったからです。
 「鴎外と漱石の間で」という本には仙台の医学校で周樹人、後の作家魯迅が、日本人に対して違和感を感じるシーンについての記述があります。
 それは「藤野先生」という魯迅の小説の中で医学生たちが幻燈で日露戦争のニュース映画を見るシーンのことです。

 ニュースの中で中国人のスパイが日本兵に殺される場面を日本人の同級生たちが拍手喝采するのを見ながら、主人公はとても強い違和感を感じ、日本で医者になる勉強を続けることを断念するというエピソードが小説にあります。
 ここで魯迅は日本の医者の卵たちが「日本人が中国人を殺すシーンを喜ぶ」ことと、「人が殺されるシーンを喜ぶ」ことという、二つの問いを差しだしています。まあ、解釈が間違っているかもしれませんが、ぼくにはそう読める場面が小説の中にあります。
 黒川の本を読みながら、そのことを考えた時に、日本人が戦場でどんなふうに人を殺してきたのかが気にかかりました。それが、読まなかったこの本に手を出した理由です。
 バスの中で読み始めてみると、井上俊夫は「人は何故、喜んで人を殺す存在になれるのか」、「戦場で人を殺した人間は、どう生きていくか。」という、思いがけない、実にとんでもない問いを突きつけてきました。
 たとえば、上記の詩は、戦場から帰って50年以上たった大学教授が、戦争の本当の恐ろしさを現代の女子大生に語ろうとして、根源的な自己嫌悪に落ち込んでいる姿を描いています。
 人が人を殺すことをなんとも思わないことがありうることで、それを自分の体験として平和の国の若い女性たちに語った結果、湧き上がってきた現在のおのれに対する疑いが見据えられている詩だと思います。

 エッセイ集の中では、「初めて人を殺す」人になった、自分に対する怒りと悲しみが炸裂しています。ぼくの中で、井上俊夫「藤野先生」で「施す手なし」と嘆いた魯迅の姿とオーヴァーラップしてゆきます。
 ボンヤリ車窓の風景に目をやりながら「戦争は悪だ」、そう言いきった歌人がいたことを思い出しました。
中国に 兵なりし日の五ケ年を しみじみと思ふ 戦争は悪だ ​​
​​ この歌を詠んだ宮柊二も、上の詩を書いた井上俊夫もとっくにこの世の人ではありません。​​
 私たちの社会は、ひょっとすると、魯迅のような中国人がいて、お二人のような日本人がいたことを忘れたがっているのかもしれませんね。この国の今について、まじめに疑うとはどうすることなのでしょう。
追記2019・某日
 心の中では、きっと、戦争を待望しているバカが、偉そうな顔をして、あのあたりにいるに違いないだろうと疑ってはいましたが、さすがに口に出すことはしないだろうと思っていました。とうとう「戦争を!」という国会議員が現れました。
 国際情勢について、国民にまじめに考えさせるために「徴兵制を!」と主張する、エラク上から目線の「国際政治学者」(?)を名乗るテレビタレントもいるようです。とんでもない時代が始まっているようです。
 大切なことは「まともなこと」をまじめに考えることだと思います。
 馬鹿につけるクスリはありません。この国のありさまについて、あまりのバカさ加減に日々関心が薄れてゆく自分がいます。
 しかし、それでも「戦争は悪だ」と励まし続けることから始めようと思っています。(S)

ボタン押してネ!
​​​​​​​にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村




PVアクセスランキング にほんブログ村​​​

PVアクセスランキング にほんブログ村






最終更新日  2020.10.08 22:04:38
コメント(0) | コメントを書く
2019.04.27
​​ ​山形孝夫 「黒い海の記憶」(岩波書店)

 東日本大震災2011・3・11。あれから8年の歳月がたちました。神戸に住むぼくの記憶の中には1995・1・17という、もう一の節目があります。あれからは24年の歳月がたちました。
 阪神大震災の記憶は、不思議なことに古びません。いくつかの印象的な記憶の塊のようなものがあって、年月がたつこととは関係なく夢の中とか、ボンヤリとした物思いの中で浮かんできます。「恐ろしい」とか、「辛い」とか、ことばで説明できる記憶としてではありません。
 大体、ぼく自身はそれほど切実な体験にさらされたわけではありませんし、長田区の真ん中にあった勤務先は「全壊立ち入り禁止」の黒いステッカーが貼りまくられた学校だったのですが、まったく想定外の現象に対して陽気な観察者のような気軽さで震災の日々を過ごしていたように感じます。
 一ヶ月ほどの休校期間を過ぎて登校した生徒たちの表情もおおむね明るく、被害の「ものすごさ」を自慢しあうような被災者ハイぶりで、閉じ込められた高層マンションからの脱出術や、水くみや食料配達といった、避難所のボランティアの経験を語り合っていました。それを笑って聞くのが僕の仕事だったわけです。
 しかし、数年後に転勤した郊外の学校での授業中、震度3程度の地震に4階の教室が揺れ始めた時に、震災当時小学生だったはずの高校生が泣き叫ぶのを前にして、ぼくの中で、いわば「黒い街の記憶」がふつふつと湧き上がるのに気づきました。以来、記憶の意味が変わりました。風化が止まったといってもいいのかもしれません。​
 あれから二十五年、ぼくは還暦を通り越し、あの時の高校生たちは不惑の年を迎えようとしています。
 ​​最近読んだ「黒い海の記憶」(岩波書店)の中で山形孝夫はこう書いています。​​

 私たちは、3・11大震災まで、近代日本の合理的で安全な国民国家に住んでいると思っていた。そこでは、生活のあらゆる領域に合理性と安全性が行き渡り、それが政治・経済のシステムを法的に支え、政教分離や福祉・教育行政の専門技術化とあいまって、市場の透明性を支えている。その限り、過去における不合理な政治神話とシステムは一切排除され「国民」の等質性と「国家」の透明性が保障された安全で、平和な国土に暮らしていると思っていた。

 3・11の黒い海がその真相を暴露した。近代国家は「国益」の名のもとに「国民」を教育し、動員し、それに反対する者を排除し、抑圧する装置として機能していた。

 近代資本主義は、市場の自由化と透明性を旗印に、激烈な競争によって生じる富の分配の不公平を隠蔽し、正当化してきた。その矛盾がバブル崩壊以降、経済的格差として現れた。

 この格差を、国家はこれも市場の透明性を理由に、正規職員と非正規職員に区分し、逆に支配の道具として使用してきた。要するにシステムの矛盾を犠牲者の自己責任に転嫁することによって、日本国家はシステムの強化と権力の正当性を維持し続けてきたのである。

 原発安全神話が新興宗教の呪術的救済神話と似ているのは、決して偶然ではない。

​ それは、近代的な進歩史観や技術優先の効率主義のシステムの中で精巧かつ巧妙に構築された聖なる物語であり、貧困からの解放を告知する救済のシナリオであったのだ。安全神話が近代国家の象徴的な物語であるのは、その背後に、自作自演の「犠牲」の寓話を隠し持っているからである。 ​

​ ここまでが、ぼくたちが日本はいい国だとかいっている近代社会の正体に対する分析です。
 ここからが、おそらく本物の宗教学者である山形孝夫の真骨頂だと思います。​

 犠牲とは、本来供犠に通じる宗教人類学の用語であるが、もともとは神の祭壇に捧げる生贄をさす。個人もしくは共同体が、自らの所有物を犠牲にしたり、場合によっては自己自身を犠牲として祭壇に捧げ、そのことによって神の保護を獲得しようとする呪術的行為である。

 ここで問題なのは、神聖化されるのは単に犠牲者だけでなく、犠牲を要求する主体も、ともに神聖化されるという点にある。渡すたちは近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結んでいることに敏感でなければならない。

​ その中核に位置を占めるのが原発安全神話なのである。そうした神話の欺瞞を黒い海は暴露した。​

 ぼくはここで、二つのことに思い当たります。
 一つは阪神大震災における多くの犠牲者や、今も存在し続けている犠牲はどうなったかということです。
 二十年以上たつということが、出来事を歴史化してしまうということは、たしかにあるのです。その中で「忘れない」ということが、墓碑やモニュメントの前に頭を垂れることではすまされない、積極的な何かを生み出す契機になることは出来ないかということです。
 もう一つは、ここ数年来ブーム化している、戦争下での特攻死の美化についてです。
 兵士たちの犠牲的な死を美化することが、いつのまにか、戦争をした国家の美しい神話化へとすり替えられ、新しく育っている子供たちの意識を、ねつ造された歴史意識へと歪めはじめているとのではないかという現代的な状況についてです。​
​ 「黒い海」や「黒い街」は、ぼくたちの存在の根のようなところに、言葉にならない記憶として残ります。国家や資本主義のシステムは、それを美化することで欺瞞の神殿を作り上げようとしているかに見えます。本当の信仰は、その欺瞞を見破るところから始まるのです。山形孝夫の文章はそう語りかけているのではないでしょうか。​
​​​​​​​​ ぼくは宗教を信じるものではありませんが、山形孝夫の主張の論旨には共感します。現実の新しい経験を検証し続けるところに記憶は生き続けるのでしょう。「忘れない」ということは能動的な行為なのです。(S)
追記2019・11・25
 原子力発電所の建設や推進事業が、近代社会のが追い求め来た気「進歩」への夢の素朴な現実化など絵はなかったことが、少しづつ暴露されている。
 関西電力の社長をはじめとする責任者だけではない、福井県の職員たちも、数十人(?)いや、百人を超えて(?)、原発還流資金と呼ばれる賄賂を手にしていたことが報道されている。
「なぜ受け取ったか?」
「怖かったから。」
という関電の責任者の発言は「大人」のことばとは、到底思えないのだが、恐喝の被害者を装うことで、犯罪者としの告発から逃れたい言い訳としても、本当は成り立っていないのではないだろうか。まさに近代国民国家と資本主義が、国益という名のもとに、こうした犠牲のシステムと一つに手を結ぶ」中で育ってきた「ヤクザの思想」が、ぼくたちの税金や電気料金を食い荒らしている。
 事故が起きれば、想定外と開き直り、もう一度税金を投入することで、その場を収めるのだから、責任主体がどこにもいない「国家事業」として、先の戦争と、全く同じ構造と言って過言ではなさそうだ。
 ぼくたちにできることは神話の欺瞞」をまじめに考え始めることではないだろうか。
追記2020・02・09
 福島の除染土や汚染水は、結局処理に困って海や工事用の土砂としてバラまくのだそうで、「そうなんだ」とあきれていると、四国の原子力発電所では40分を超える電源喪失事故が報告もされていなかったという報道が聞こえてきた。そういえば、関電の重役がわいろを受け取っていたニュースもあった。実際に「想定外」と責任を逃れた人たちは、何の反省もしていないのだろうか。
 ウンザリしている日々なのだが「チェルノブイリの祈り」の著者の​「戦争は女の顔をしていない」​がマンガ化されたのを見て、少しだけ気が晴れた。「チェルノブイリの祈り」も漫画にしてほしいものだ。
追記2020・08・29

先日見た「れいこいるか」という映画の登場人たちが、4階の教室で泣き叫んだ、あの時の高校生とダブって見えました。映画は、まあ、言ってしまえばへんてこな映画だったのですが、「こころ」のどこかに「ことば」にならない「悲しみ」や「不安」を抱えながら暮らすのが、普通の暮らしなのだということを強く感じました。
 新長田の「鉄人28号」には、ヤッパリ、「ごくろうさん!」と声をかけたいものですね。
「れいこいるか」​の感想はこちらからどうぞ。ああ、それから​「鉄人28号」​はこれです。
 

​​​​
ボタン押してね​!

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村



PVアクセスランキング にほんブログ村​​
ゴジラブログ - にほんブログ村









最終更新日  2020.10.23 01:20:00
コメント(0) | コメントを書く

全6件 (6件中 1-6件目)

1


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.