映画の時間 エドワード・ヤン「海辺の一日」シネリーブル神戸no398
エドワード・ヤン「海辺の一日」シネリーブル神戸 1980年代半ばころから2010年代くらいの間に評判になった映画は見ようというのが、徘徊老人の目論見です。今でも、若い人たちにとってはそうだと思いますが、30代、40代、働いていた財布には映画は高くて見る余裕がありませんでした。60代を過ぎて、シニアとかいうんですけど、老人割引になって他の娯楽に全く興味がないこともあって、映画館徘徊が生活化しているのですが、まあ、そんな老人には「台湾の名匠」とか呼ばれている監督の1983年デビュー作というチラシを見ると「ヨシ!出かけよう!」ですね。 今年の始めに、2007年に亡くなった監督エドワード・ヤンの遺作であるらしい「ヤンヤン夏の思い出」という作品に感心したこともあってとび付きました。 見たのはエドワード・ヤン監督の「海辺の一日」です。疲れました(笑)。 愛し合い、勇気を奮って一緒になったはずの二人が、どうしても一つになれないという結末を女性の視点から描いた作品といえばいいのでしょうか。 夫の行方を失ってしまった「海辺の一日」の記憶を、かつて、兄の恋人であり、憧れていたピアニスト、ウェイチン(フー・インモン)との十数年ぶりの再会を機に語るジャーリィ―(シルビア・チャン)の哀切極まりない表情の変化から目が離せない150分余りでしたが、正直、疲れました。 40年前、だから、主人公の女性と、ほぼ、同世代だったボクがこの作品を見ていたとすれば、どう感じたのだろう。浮かんできたのはそんな問いかけでした。おそらく、一人の女性の記憶に沿って徹底的に問いただされていく、同世代の男女の「夫婦」とか「家庭」とかいう制度に対する鋭い批評的作品として、恐らく、躊躇なく拍手!していたと思うのです。 で、なぜ、今、ボクはこの作品に疲れてしまうのだろうかというのが、見終えた心にわだかまった感じで残ったことでした。 なんか、寂しい言い訳なんですけど、年齢のせいでしょうか。この作品の中で、20代後半らしい主人公の女性が問いかけ続ける「愛」とか「しあわせ」とかいう問いが40年後のボクの中で空転する印象なのです。主人公のリアリティを受け止めきれないんですよね。 恋人だった男性の妹と十数年ぶりに再会したピアニストである女性が、主人公の語りの聴き手であるという構成であることもあって、映画はベートーベンのピアノコンチェルトで始まります。ボクは、映画を彼女の演奏で終わらせてほしいと願いながら見ていましたが、途中、多分、交響曲「田園」が聞こえてくるシーンはあったのですが、彼女がもう一度ピアノを弾くシーンがなかったのは残念でした。 それから、主人公ジャーリィ―とピアニストの恋人で会った兄ジャーセンの妹兄の実家である住居が縁側風廊下と障子で仕切られた日本式家屋であったことも、興味深く見ました。1980年代の台湾に色濃く残る「日本」を映している映画なのですね。 あれこれ興味深く見たのですが、1983年、当時、30代だったはずのエドワード・ヤン監督が、「美しい海と繰り返し打ち寄せる波」で映像化しているのが「失われていく時間」の記憶であることが辛いんですよね。 エドワード・ヤンという監督には拍手!を惜しみません。いい作品だと思います。ただ、生きていれば、今頃同じような年齢になっている主人公は「しあわせ」になれたのだろうか?そんなことを思う映画でした。拍手! 監督・脚本 エドワード・ヤン楊徳昌脚本 ウー・ニェンツェン撮影 クリストファー・ドイル チャン・ホイゴン編集 リャオ・チンソンキャストシルビア・チャン(林佳莉 ジャーリィ)フー・インモン(譚蔚菁 ウェイチン 兄の恋人)メイ・ファン(母)リー・リエ(欣欣 友人)デビッド・マオ(徳偉 ドゥウェイ 恋人・夫)ミンシ・アン・ツォー(佳森 ジャーセン 兄)1983年・167分・G・台湾原題「海灘的一天」英題「That Day, on the Beach」2026・07・20・no138・シネリーブル神戸no398追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)