藤本幸久・影山あさ子「勝っちゃん 沖縄の戦後」元町映画館no269
藤本幸久・影山あさ子「勝っちゃん 沖縄の戦後」元町映画館 元町映画館が1週間限定で上映していた藤本幸久、影山あさ子共同監督の「勝っちゃん 沖縄の戦後」というドキュメンタリーが、本日11月29日金曜日でオシマイというわけで、朝一番にやって来ました。 先日、「拳と祈り」という映画で「歩くひと」の姿に胸打たれましたが、今日は「潜る人」、山城善勝さん、通称「勝っちゃん」の語りに聞き入りながら、やんばるの青い海に見入りました。 1944年、昭和19年生まれの勝っちゃんは「戦後」と同い年です。生まれてすぐにアメリカ軍の機銃掃射の銃弾で大けがをしながら、なんとか生き延び、今度は上陸してきた米軍の火炎放射のなかで、「自らわが子を殺すくらいなら」 と、みんなで逃げ込んでいたガマ(洞窟)を出て降伏したお母さんのおかげで、二度目の命拾いをした彼は「かんぽうぬくぇーぬくさー」(艦砲射撃の喰い残し) と自称しながら、今、現在80歳ですが、現役の漁師で、やんばるの青い海に潜って水中銃を思うままに操り、自ら編み出した「一人追い込み漁」で群れるグルクンを、文字通り一網打尽する日々を暮らしていらっしゃいます。 その、美しい海での暮らしの姿の映像の、まあ、なんというか、あまりの美しさにドキドキします。それから、三線を弾きながら歌われます。この歌の声が心に残ります。 で、その風景と歌声を背景としながら、彼自身が、50年前に、海の男として生きる決意をするまでの、実に、波乱万丈な若き日の思い出が語られます。 生まれて4日後、1944年10月10日の沖縄大空襲。母に抱かれての、ガマからの投降と米軍収容所暮らし。弟の遊び友達だった少女が米兵に殺された由美子ちゃん事件。通っていた中学校の窓から落ちてくる飛行機を見ていて、現場に駆け付け「あの時、首のない子どもの死体を見たよ」 と思い出す宮森小学校米軍機墜落事件。「ワシらは、一等国民でも、二等国民でもない、動物以下国民やった」 と白人兵の自動車を燃やした市民をかばうコザ暴動。米兵相手のタクシー・ドライバーをしながら「戦果アギャー」 と称する米軍物資窃盗で顔役になり、ヤクザ稼業に邁進しての沖縄ヤクザ戦争、そして刑務所暮らし。「こんな生き方をしていては・・・」 出所した勝っちゃんは組織と手を切り、そこだけは豊かに残されていた沖縄の海で生きることを決意します。 日本軍がきて、アメリカ軍がきて、ヤクザがきて、爆弾や火炎放射器で焼かれて、土地は取り上げられて基地になって、何の罪もない島の人が数えきれないほど殺されて、今も、戦争用の飛行機が空を飛び交っている。しかし、海は、そのままあるじゃないか。 勝っちゃんは、きっと、そう考えたのでしょうね。だから、40年後に辺野古の海に基地を作ろうなどという計画が、どうしても許せないのでしょうね。当然ですね。 生まれからしてそうですが、沖縄の戦後の現場を、当事者として生き抜いてきた、一人の漁師の、吶々とした思い出語りを、沖縄戦後史のリアルなドキュメント として構成した二人の監督に拍手!ですね。 しかし、それにしても、よく生き延びてきましたね、これからも元気でいてくださいネ! まあ、そう語りかけたくなる勝っちゃんに拍手! あまり話題になりませんが、一人の人間の80年の生涯を見事に現代史を浮かび上がらせた、傑作ドキュメンタリー! だとボクは思いました。映画の配給を見ていると、ほとんど上映されていないのですが、何か理由があるのでしょうか。ザンネンですね。監督・プロデューサー・撮影・録音・編集 藤本幸久共同監督・編集 影山あさ子撮影 栗原良介 中井信介 大島和典 酒村多緒水中撮影 新田勝也 栗原良介音楽・ナレーション 川本真理2024年・98分・日本2024・11・29・no154・元町映画館no269追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)