週刊 読書案内 斎藤真理子「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス)
斎藤真理子「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス) 斎藤真理子さん、韓国文学の紹介、翻訳のエキスパート! まあ、我が家では絶大なる信頼を得ている人です。ボクが彼女の仕事を知ったのは最近ですが、同居人にチッチキ夫人は仕事柄、かなり以前から読んでいたようです。 ボクは、と言えば、この年になるまで読んできた「朝鮮文学」、「韓国文学」は、所謂、「在日文学」です。書き手は大日本帝国による朝鮮半島支配以降、様々な理由で日本にやってきた朝鮮半島にルーツを持つ人たち自身であったり、その子孫であったりする人たちです。 日本語で書かれ、日本文学の一つのジャンルとして読まれてきた作品群です。ボクがこの年になるまでに手に取ってきた作家、詩人、の作品を思いつくままに列挙してみますね。「火山島・全7巻」(文芸春秋)・「鴉の死」(小学館文庫)の金 石範(キム・ソクポム、김 석범、1925年生 )、「玄界灘」(講談社文庫)の金 達寿(キム・タルス、김달수、1920年~1997年)、「生きることの意味 」(ちくま文庫)の高 史明(コ・サミョン、고사명, 1932年~ 2023年)、「砧をうつ女」の李 恢成(イ・フェソン、이회성、1935年~2025年)、「クレメンタインの歌」(文和書房)、「猪飼野詩集」(岩波現代文庫)の金 時鐘(キム・シジョン、김시종、1929年生 )、「凍える口」(平原社)の金 鶴泳(キム・ハギョン、김학영、1938年~1985年)、「血と骨」(幻冬舎)、「タクシードライバー日誌」(ちくま文庫)の梁 石日(ヤン・ソギル、양석일、1936年~2024年)、「JR上野駅公園口」(河出文庫)とかの柳 美里(ユウ・ミリ、유미리[1]、1968年生 )、「ナビ・タリョン」の李 良枝(イ・ヤンジ、이양지、1955年~1992年)、「GO」(講談社文庫)の金城 一紀(かねしろ かずき、1968年生)、それから劇作家のつかこうへい(1948年~2010年)、最近では深沢潮(1966年生)という作家もいますね。 記憶にある名前と作品をつらつらあげてみましたが、まあ、結構、お世話になっていますね。調べていて、ショックだったのは、コロナのさなか、骨太なバイオレンスの作家だった梁 石日さんと、誠実で胸を打つエッセイの高 史明さんが亡くなっていたことです。 話がそれていますが、斎藤真理子さんに戻します。ここのところ、韓国映画とか見るようになったこともあって、「韓国文学」に興味を持ち始めました。映画は字幕ですが、小説は翻訳です。 で、名前を知ったのが翻訳家の斎藤真理子ですね。彼女自身、韓国語で詩を書いて発表しているくらいの達人ですが、ボクはこの本を同居人のチッチキ夫人の棚で見つけました。 斎藤真理子「韓国文学の中心にあるもの」(イースト・プレス)です。 私は研究者ではなく、知識と関心が限られているため、この本は文学史でもなく、網羅的な文学案内でもないことを最初にお断りしておきたい。作品の選定には偏りがあり、飛躍も多いが、個人的な経験に基づく読書案内と考えていただければと思う。 まえがきでこんなふうに断っていらっしゃいますが、それで充分ですね。 全体の構成は、日本で韓国文学への注目が定着しだした二〇一〇年代後半を起点として、植民地支配が終わる一九四五年にまでさかのぼる形となっている。 というわけで、第1章は「キム・ジョンが私たちにくれたもの」です。チョ・ナムジュという作家の「82年生まれのキム・ジョン」(筑摩書房)が邦訳されたのが2018年で、ボクも読みましたが、その後、20万部を超えるベスト・セラーになったという話題から始まる斎藤真理子による小説論、作家論、韓国文学論は、ナカナカの読み応えです。 そこからの本書は、一言でいえば現代韓国文学総覧ですね。2010年代から1945年あたりまで、現代韓国文学の代表作を、1作、1作、熟読玩味する体裁で論じている文芸評論で、選ばれている作品が、ボクのように、これから読んでみようかという読者には格好の「読書案内」ですね。 キム・エラン、ファン・ジョウン、そしてノーベル賞のハン・ガンなどの現代作家の紹介が、まず、圧巻ですが、70年代のチョ・セヒ、ユン・フンギル、イ・ホチョルなどへの言及が続くライン・アップには、久しぶりにワクワクしましたね。 内容については、ボク自身が、この本で紹介されている作家を読み終えて、ボクなりの読書案内を書くかもしれない時に、当然、引用させていただく(笑い)ということで、ここでは触れませんが、あとがきの最後にチョン・セランという作家の「フィフティ・ピープル」(亜紀書房)という作品に触れて書いていらっしゃる文章を引用しておきます。 「フィフティ・ピープル」(斎藤真理子訳・亜紀書房)から最も印象的な場面を紹介してみたいと思います。この小説はある大病院にかかわる五十人の人たちのショートストーリーをまとめたものですが、その中の、イ・ホという名前の七十代の医師が、ぐっと若い後輩の医師「ソ先生」に語る言葉です。 ソ先生は産業医で、地域の労働災害や自分たち自身の労働環境の改善に努めていますが、一向に問題は解決されません。一緒にボランティアをやっている大先輩のイ・ホ先生に思い切って相談すると、次のような言葉が返ってきます。 「私たちの仕事は、石を遠くに投げることだと考えてみましょうよ。とにもかくにも、力いっぱい遠くへ。みんな、錯覚しているんですよ。誰もが同じ位置から投げていて、人間の能力は似たりよったりだから石が遠くに行かないって。でも実は、同じ位置で投げているんじゃないんです。時代というもの、世代というものがあるからですよ。ソ先生はスタートラインから投げているわけではないんだよ。私の世代や、そして私たちの中間の世代が投げた石が落ちた位置で、それを拾って投げているんです。わかりますか?」「でも、傲慢にならずにいましょうよ。どんなに若い人にも、次の世代がいるのですから。しょせん私たちは飛び石なんです。だからやれるところまでだけ、やればいいんです。後悔しないように」(P311~312) 斎藤真理子さんが、愚かしいヘイトのあらしが吹き荒れるこの国で韓国文学を翻訳、紹介している覚悟 のようなものを感じますね。ボクは、彼女の案内を頼りに、隣の国の新しい文学の世界を読んでいこうと考えています。皆さん、いかがですか?2025-no079-1152 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)