気ままな旅人「ドレドレ日記」

2007/10/06(土)14:40

史跡ウオーキング(興亜観音エリア)

ウオーキング(8)

8月21日(月)は静岡県「県民の日」です。 「知られざる、熱海の隠れた史跡探訪ウオーク」、あなたの知らない熱海を歩きませんか!!という募集がありましたので、参加いたしました。 熱海駅に9時集合でした。 中高年48名の参加で、男性の参加者が多かったです。 熱海→伊豆山 までバス利用で後はウオーキングです。 まず、伊豆山で、バスを降り、興亜観音エリア(熱海市伊豆山鳴沢)に入ります。 バスを降り、湯河原方向に少し歩くと興亜観音入口の急坂が現れ、車1台がギリギリ通れるような急坂をのぼっていくと、両側に人が住んでいなさそうな‘洋館’が点在しています。 ‘マルゲンの美術品収蔵庫’だそうです。 ・「台所太平記」をここで執筆したという‘谷崎潤一郎旧居’(現、稲山別邸)の外観を拝見しました。 この建物は岐阜にあった明治天皇の御在所を移築した由緒ある建物で、谷崎潤一郎が松竹から譲り受けて最も気に入った別荘だったそうです。 興亜観音の参道にさしかかります。 参道には細い急坂のための杖が用意されています。 ことのほか暑い日で、汗を拭きながら‘興亜観音’をめざしました。 ・興亜観音 昭和15年2月に、松井石根(マツイイワネ)大将の発願で建てられた陶製の観音像(像高3,3m)です。 中国大陸の南京の地に向って合掌しているのだそうです。 私はぜんぜん知らなかったのですがここには、A級戦犯七士の碑とBC級戦犯殉国刑死者の供養碑があること事でした。 七士の碑 BC級戦犯殉国刑死者の供養碑 A級戦犯七士の碑は(吉田茂内閣総理大臣の筆によるもので、碑の裏面には七士の最後の署名(処刑直前手錠をしたままの書)が刻まれていました。 **七士の碑 七士とは、東京裁判で太平洋戦争の責任を問われ、昭和23年12月にA級戦犯として、殉国刑死された松井石根大将、広田弘毅元首相、土肥原賢二大将、板垣征四郎大将、東条英機大将、木村兵太郎大将、武藤章中将で、七人の遺骸は横浜市保土ヶ谷の久保山火葬場で荼毘に付されたそうです。 そして、遺骨は太平洋に散骨されることになっていたそうですが、東京裁判の弁護人の三文字正平氏らの命がけの尽力で遺骨を確保して、ひそかに興亜観音に運ばれ埋葬されたとのことです。 この碑は、昭和46年に過激派に爆破されましたが(観音像は無事でした)、有志が特別な接着剤で復元、今も継ぎ跡が痛々しく残っていました。 興亜観音本堂内陣には、日本と中国両戦没者のお位牌が対等に祀られていたので、お線香を上げさせていただきました。 そして、本堂横の見晴らしのよい休憩所で冷たい麦茶と飴を尼僧さんからふるまわれました。 暑くて、喉も渇いていたので、ほんとうにうれしかったです。 このウオークを企画してくださったのは「熱海湯~遊バスボランティアガイドの会」でした。 資料と説明は、元小学校の校長先生だということで、とても分かりやすいガイドでした。 私には、このような「七士の碑」の事柄は、初めてお聞きするので、興味津々、只々ビックリで、頭の中は「靖国神社問題」と交錯してしまいました。 酷暑の時でしたが、参加してよかったと思いました。 まだまだウオーキングは続きますが、次回で・・・。

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