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テーマ:楽天写真館(354359)
カテゴリ:旅行
先週ですが、満開の桜を見に高遠に行ってきました。 しか~~し、その日はたまたますごく寒くて雪が積もったんですよ!! 私の住んでいる方では、山が雪化粧になっていたんですが高遠方面は平地にも雪が積もっていてびっくりでしたよ。 桜の花びらにも雪がうっすらと。 しかし、天気が良くなって写真のように青空が見えるとすぐに溶けて消えてしまいましたが。 でもね、気温は上がらずダウンを着ていけばよかったと思ったくらいでした。 滅多にそんな時に遭遇できないので、これはこれで貴重な花見でした♪ 高遠の桜は「タカトウコヒガンサクラ」と呼ばれるちょっと小ぶりでピンクの色がかわいい桜です。 これが1500本。一つの山を桜が覆っているので遠目から見るととてもきれいです。 今回は南側が満開、北側は9分咲きぐらいかな。 ちょうど良い時期ですよね。 しかしぜいたくを言うと私は散り始めの桜が好きなんですよ。 前回といってももう15~6年前になるけど来た時は満開を過ぎ桜の花びらが地面を覆ってるぐらいの感じでした。 妖艶な桜って感じでなかなか良かったですよ。 今回の桜は行儀よく咲いているって感じかな?(笑) この写真の建物は太鼓櫓ですが、前回来た時はここに登れたんですけどね、今回は登れなかったのがちょっと残念でした。 そして、友人がどうしても行きたいと言っていたのが「絵島囲い屋敷」 私、まったく知りませんでしたよ。大奥の一大事件「絵島事件」の絵島が高遠藩に罪人として遠流(おんる・・死ぬまで流される)されていたのですね。 遠島というのは三宅島とか八丈島とかあったわけですが、島ではなく高遠に流されるというのは江戸時代では高遠がいかに田舎であったかという事なんでしょうね~~ 確かに簡単に江戸には出ていけないでしょうけど・・・ しかしこの遠流は厳しいものですね。 八畳ぐらいの部屋、トイレと浴室はあるものの、とにかく死ぬまでそこから出ることを許されなかったわけです。 木綿の着物に一汁一菜、一日二食(まあ、それくらいは仕方ないか・・) 高遠藩は、以前にも罪人を預かったことがあるそうなんだけど今回は、罪人といえども元大奥筆頭大年寄、何かあれば藩の取りつぶしも考えられるという事でそれはもうかなりの気の使いよう。 絵島に気を使うのではなくもちろん幕府にですよ。 絵島がもし妊娠していたらという事も考え、事前にその旨問い合わせたのを手始めに 扇子やうちわが欲しいといったら渡してもよいのか?(これはNO) 髪を結う時、くし道具はさみを渡してもよいか?(OK) 爪を切りたいといったら切らせてもよいか?(OK) 風呂に入りたいといったら湯を入れてよいか?(OK) とかとか・・・・ しかし私が一番つらいだろうなと思ったのは 硯や紙を欲しいと申したら渡して良いか?が NOだったという事。 もちろん本も与えられず。 一日いえいえ365日、そして死ぬまで(実に26年間)がらんとした部屋にぽつねんと置かれているというのは・・・ それでも絵島は不満も言わず一生をここで過ごしたのですよね。 御裁きを受けたのが絵島33歳、そして亡くなったのが61歳 深く日蓮宋を信仰し精進の生活を続けたそうです。 ちなみに大奥では江島でした、高遠に下ってから絵島と名乗るようになったようです。 硯も紙も与えられなかったので、何も彼女の言葉が残っていないのがすごく残念です。 なにを考え何を思っていたのか・・・ 絵島のことは、江戸時代は語ることはタブーに近かったようですが明治以降小説になったり映画やドラマと数多く取り上げられていますね。 実際のところ、大奥の権力争いなのか、その裏の幕府の中の権力争いなのか・・本当に恋愛沙汰だったのか、今も真相は明らかではないという事です。 それがまた、人々の興味を引き付けるんでしょう。 しかし事件や絵島も興味深いですが、この高遠藩がいかにこの罪人絵島の取り扱いに慎重になっていたのかという事が、ここに来てよく分かりましたよ。 でもね・・・これだけ慎重に取り扱うという事は、緩むこともなく絵島にとってはきつかったでしょうね(>_< ) あ、でも、一度はご赦免も検討されたようなんですよ。 それが、なぜだか尻切れトンボになって、一時そんな話が資料にも残っているのにぷつんとなくなってしまって・・・ これもきっと幕府の方にどこかから圧力がかかっていたのではないかと思いますよね。 そんな事で、桜も見所ですが絵島囲い屋敷、その隣にある歴史博物館もぜひご覧になってくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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