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テーマ:旅のあれこれ(10571)
カテゴリ:旅行/おでかけ
トルコ旅行2日目。 朝食後、ツアー専用のバス(↓)に乗り、見どころ満載のイスタンブールを素通りし(帰りにまた戻るので)、トロイへ向かう。その距離、ざっと350キロ。 ![]() トイレは有料(だいたい0.5YTL=約45円)のところが多く、洋式トイレのほか、日本の和式のようにしゃがんで用を足すトイレもあった。 ![]() フェリーには、日本やドイツからの観光客のほか地元の人も乗っていて、地元(トルコ)の人たちはみんなお茶を飲んでいた。 トルコの人は、よくお茶を飲む。 こちらでは、紅茶を“チャイ”といい、日本人の日本茶と同様、一日に何杯も飲むのが普通。その“チャイ”のほか、“アップルティー”(日本人の感覚で言うと、温かいリンゴジュースみたいなもの)も一般的で、“お湯で溶くだけ”の“アップルティー”はトルコのみやげもの店の定番商品と言ってもいいだろう。 長いバス移動(ここでもほとんど寝ていた私)を経て、ようやくトロイ遺跡に到着。 旅行が始まってからずいぶん時間が経ったけれど、実はこれが初観光。 トロイは、初期青銅器時代の紀元前3,000年頃からローマ時代の紀元後600年頃までの約3,500年間に、興っては滅びた都市国家(第1市~第9市)が9層にも重なっている遺跡で、そのことから世界遺産に登録されている(“トロイの木馬”で有名だからではない!)。 ![]() なお、この有名な木馬の話、まったく根拠のない伝説というわけではなく、現在は、木馬は後から作ったのだという説が有力らしい。 その有力説とは、トロイ戦争末期にトロイに大きな地震があり、その地震で城壁が崩れたことからギリシア軍がトロイに攻め入り勝利した、そこでギリシア人が地震の神アポロンの象徴である馬をささげ感謝の意を示した、というもの。 ↓の写真は、トロイの城壁跡(地震が多いため、わざと斜めに作ってあるのだとか)と、 トロイ戦争のあった頃の第6市の城門(幅が狭いので巨大な木馬は入らないという主張の根拠にもなっているのだとか)。 ![]() ![]() トロイ遺跡は、私たち素人にはその価値がわかりにくい(シュリーマンも考古学者でなく商人だったので、かなりメチャクチャに掘ったらしい)。 広い原っぱに神殿の装飾だったであろうレリーフが残る石ころが転がってたり、ちょっと城壁跡が残っていたりする程度で、正直、「なぜにこれが世界遺産?」と思ってしまわなくもない。 ![]() その理由は、同じ場所で都市国家の興亡があったため、一つの石が、ある時代では柱に、ある時代には土台に使われていたり、といったことが頻繁にあるからだとか。 都市が幾層にも重なっていた、というのがよくわかるのが→の写真。 右の奥に写っているのが神殿(?記憶が既にあいまい・・・)の跡で、石の積み重なりが3層に分かれているのが見える。 下からトロイ戦争のあった時代と言われている頃の石、 真ん中がヘレニズム時代の石のブロック、 上がローマ時代の大理石、 が積み上がっているのだという。 ![]() 何かのイベントに使うのだろう、音響設備のセッティングなどがされていた。 21世紀になっても、この音楽堂が現役で使われていることを、ローマ時代の人たちが知ったら(ってありえないんだけど)、感動するだろうなぁ・・・ トロイ遺跡の観光後は、またバスに乗り、今夜の宿のあるアイワルクへ移動(約150キロ)。 アイワルクはエーゲ海に面するリゾート地で、シーズンになるとトルコ人が押し寄せる港町らしいけれど、まだシーズン前なのでとても静かだった。 2日目はこれでおしまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.10 21:45:16
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